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人は愛によって生きるのか否か?  −月下草シリーズ07−

作者:

この話はシリーズの他の話と同じノリの短編ですが、同時にシリーズ全体の登場人物の相関図的な意味合いもあります。

こういう関係性の人たちの話なんだな、と思っていただければ幸いです。

 今夜も誰からともなく集まった常連さんがカウンターに陣取っている。私はカウンターの中で自分の仕事をしつつ、彼らの会話に参加していた。

 月の(サガ)に属する人たち――私はそれをmoonerと呼んでいる――の会話は今夜も取りとめもなく流れ、どうやら恋愛についての話となったらしい。




「だからね、恋愛には大きく、ほんとに大まかに大きく分けて、2つのパターンがあると思うわけですよ。それがなくても生きていける人と、それなしには生きてゆくことすらできない人」

 紅潮した顔で熱っぽく語っているのは空木秋晴(うつぎしゅうせい)さん、通称<シュウさん>。顔が真っ赤なのはお酒が入っているからで、決して恥ずかしがっているからではないようだ。

「んな大げさな…」

 その隣で気のなさそうに呟いたのは高野みづきさん。シュウさんの年上の恋人だ。みづきさんがこの店に来るのは珍しいが、違和感はない。彼女も立派なmoonerなのだ。

「空木ってばどこまで少女趣味なの。それじゃあまるでハリウッド映画の世界よ。『愛をとるか世界をとるか』?そんなもの、フィクションの世界でしかありえないわ」

 冷めた表情でさめた意見を述べたのは立花美子(たちばなみこ)さん、通称<ミコさん>。彼女は表情も顔色も声音も変えることなくそういうセリフを言える人なのだ。

「な…そんな、少女趣味なんてひど……」

 シュウさんが途端に眉尻を下げてミコさんを見る。その表情の急変ぶりがあまりにもシュウさんらしくて、私はそっと顔を逸らせて笑いを噛み殺した。ふと気付くと視界の端でみづきさんも顔を逸らせていた。仏頂面だが、どうやら私同様、笑いを噛み殺しているらしい。

 更にその向こうに目を遣ると、こちらは一人物静かにグラスを傾けながら、熱心に何やら見つめていた。どうやら昨日入荷したばかりのブランデーの瓶のラベルを読んでいるらしい。こちらの会話が耳に入っていないはずはない位置なのだが、もしかしたら聞こえていないのかもしれない。しかしやはり聴いているのかもしれない。何しろ彼――菅田千尋(すがたちひろ)さん、通称<カンさん>は、この店の常連の中でもとびきりのmoonerなのだから。




 そういえば今夜は一番のmoonerがいない。三山斎(みやまいつき)さん、通称<サイさん>は他の誰が来ていなくてもこの店内にいる人だったので、改めてその不在は、私を不思議な気持にさせた。

 いや、ちゃんと今夜の会の始まりに彼女のことは聞いているのだ。

「ええ、本当はあの娘も来る予定だったのだけどね」

 サイさんのことを『あのこ』と呼べるのはミコさんだけだ。

「どうしても今夜中に片付けなければならない仕事が突然入ってきてね。多分、今夜は徹夜ね、あの娘」

「――手伝ってやらなくていいのか?」

 何気なさそうに訊ねたのはカンさんだった。

「手伝ってやることじゃないわ。ムキになって今夜中にやってやる、なんて叫んでたもの」

「あはは、サイさんらしい」

 笑ったのはシュウさん。ミコさんの突き放したような物言いがおかしかったのだろう。しかしカンさんは少し眉を動かすと、何も言わずに口を結んだ。少し険しいように見えるその表情が何を意味しているのか、私にはよく分からなかった。

 一方ミコさんはと言えば、全く平素のようであったから、私はそれ以上特に不審に思うことはなかったのだが。




 そんな風に私が周囲とここに至るまでの状況確認をしている間にも、議論は進められていたらしい。

「何を言ってんですか!ぼくは愛と世界とどちらを選ぶかなんて言われたら、全っ然!迷いませんよ。みづきさんいなくなるくらいなら、みづきさんのいない世界なんて、ぼくには全っ然、無意味です!」

 シュウさんが高らかに宣言して、隣のみづきさんの肩を抱き寄せた。おお、シュウさん男らしい、と思ったのもつかの間。当のみづきさんにくるりと腕を振り払われてしまい、シュウさんは空振ってつんのめってしまった。再び私は笑いを噛み殺しながら流しの水栓を抜いた。洗い物で汚れた水が渦を巻きながら、ダクトの中に吸い込まれていく。

「ひどいですよーみづきさん。何も避けることないじゃないですかー」

「うるさいわね。人前で何するのよ、あなたは」

 シュウさんの訴えはみづきさんの一言でばっさり切られてしまったらしい。シュウさんのおとなしくグラスを口に運ぶ姿は、まるで尻尾を垂れて耳を伏せた子犬のようで、私は更に表情を繕うのが難しくなっていた。

 そして一方、ミコさんの方は、そんな遣り取りにさすがに表情を緩ませていた。一部で『鉄の女』との異名をとる彼女だが、実は大変情の深い人なのである。彼女の一番の親友であるサイさんがそう言っていたし、私もそう思っている。今のミコさんの目の柔らかさは、先ほどカンさんに向けていた挑戦的な視線とはまるで違っている。

「ねえ、ひどいと思いません?マスター」

 今日のシュウさんはめげない。いつもよりも絡んでくる。どうやら、相当酔ってはいるらしい。

「ぼくはもっとみづきさんといちゃいちゃしたいだけなのに、避けることないと思いません?」

 こっそりと私に顔を寄せて囁きかけてくる。シュウさんとしてはこれでもナイショ話をしているつもりなのだろうが、当然この密集している中でそんなものは無意味というもので。

「な…何言ってんのよ、あんたは、もう!」

隣席のみづきさんが頬を真っ赤にしてシュウさんを睨む。その目付きは大変に険しいものだったが、

「まあ…みづきさんだって照れてるだけでしょう?」

苦笑しながら私は言った。ミコさんとカンさんが両端で吹き出し、みづきさんは勢いよく私の方に振り返ったものの、何も言えず、シュウさんはそんな様子を見て一拍遅れて吹き出した。

「笑うなー!!」

みづきさんの叫びは全く効果を為さなくて、彼女はふてくされてグラスを口にうつむいてしまった。

「まあ確かに」

 私は何とか笑いを収めようとしゃべりだす。

「シュウさんはみづきさんへの恋心がけっこうな原動力になってますよね」



 シュウさんとみづきさんは遠距離恋愛中である。みづきさんがここの店になかなか来られないのは、彼女がここの近くに住んでいないというのもあるのだ。

 その彼女に逢うために、シュウさんは車を購入した。ちなみに中古だが車種はみづきさんが決めたらしい。みづきさんも運転はできるのだが、もっぱら通っているのはシュウさんである。そして週末休みのたびにいち早く時間をやりくりして彼女を迎えに行っているのである。そんな関係が会社勤めの今まで、学生時代から続いているのである。私などから見たら、本当に健気なことだと思うのだ。



「まあそうね。空木はみづきさんいなくちゃ今やってってないわね。あんたが恋がなきゃ生きてけないってのは納得したわ」

 ミコさんがやはり冷静な表情、冷静な口調で言った。この平静を取り戻す速さは、さすがである。

「多分、みづきさんは反対の人なんでしょうね」

「ええ〜〜マスターそんなこと言うんすかーー」

 ミコさんに続いた私の言葉にシュウさんが不満げな顔をする。

「何言ってんの。だから吊り合いとれてんじゃない、あなたたち。ねえ?みづきさん」

「そうかもねえ」

「ちょっと、みづきさんまで――」

 シュウさんが泣くふりをしてカウンターに突っ伏す。そんな彼を挟んだ二人の女性は、分かり合った表情で、静かにグラスを傾けている。この場にサイさんがいなくてよかった、と私はこっそり思った。いればきっと今のシュウさんは格好のおもちゃにされていただろう。

 そんなことを思いつつカンさんを見ると、何やら奇妙に穏やかな表情でシュウさんの後頭部をながめていた。もしかしたら何かを悟り切った人の表情とはこういうものなのかもしれない、そんなことを私は思った。


「その伝でいくとミコさんは――やっぱり、なくても生きていける人、なんですかね?」

 私はミコさんに視線を戻しながら聞いてみる。ここまできたら好奇心を満たしてしまいたい。

「そうねえ、そうなんじゃない?」

ミコさんは少し考えた後にそう答えた。

「そうしたら、カンさんは――あれ?やっぱりなくていい人ですか?」

「――うーん」

いきなり話を振られた形のカンさんはびっくりしたように目を見開いて、考えこむように唸った。

「そう、やな――」

「そしたら、サイさんは――やっぱりぼくと同じかな?なくちゃ生きてけない人。あの人、さみしがりでしょう」

「そうかもしれませんねえ」

 シュウさんの言葉に、私も頷いた。誰とでも打ち解けられるサイさんの能力は、彼女が他人を求めているからこそなのだと、私にはそう思えるのだった。

「そう思いません?カンさん」

「そう、かもな」

「――何、言ってんの?」

 その時、カンさんが頷くのを遮るようにミコさんが口を挟んだ。

「本気でそう思ってる?」

 彼女の挑発的な視線が、二人の人間の頭を越えてカンさんに向けられていた。カンさんがおもむろに頭を上げてミコさんの視線を捕らえた。

「違うでしょ。寂しがってんのはあなたでしょう、千尋さん。三山は一人で生きていける女よ。寂しがって人を捕まえるけど、手放すのもあの娘の方なんだから。でも千尋さん、あなたは誰もいらないような顔して、本当は掴むことも腕の中から逃げられることも恐れている、だから誰もいらないって言ってるんでしょ?それは本当はあなたが『それがなくちゃ生きていけない人』だからじゃないの?」

 ミコさんの声音は抑揚に乏しく、いつものように冷静に聞こえた。しかしその視線の熱さは、彼女が常日頃あまり見せないものだった。

 ――ことサイさんとカンさんのことになると、彼女は人が違ってしまうように、私には思える。

「――それを言うなら、立花、お前さんもだろう?」

 今夜初めてカンさんが真っ直ぐ顔を上げて会話に参加してきた。

「お前さんこそ、自分のことだけではやっていけなくて、他人のためにだけ熱を持てるんだろう?――まあ、誰にでもってわけじゃないんだろうが。『それがなきゃ生きてけない人』なのは、立花、お前さんも同じだ」

 カンさんの言葉に、ミコさんの頬がさっと赤くなったように見えた。私の見間違いかもしれなかったが、確かにそう思えた。

「ああ、でも――」

 そこへ、みづきさんが思いついたようにどこかのんびりした声を上げた。

「でも、そうかもしれないねえ。あなたたち」

「そうなんですか?」

私は思わず反射的に聞き返してしまった。

「そうだと思うよ。なんか今、すごい納得しちゃった、私」

 みづきさんがにこりと笑って私に頷いた。そして右に目を遣り、次に左に目を遣った。私もその視線を追った。カンさんはばつが悪そうに微かに視線を逸らせてグラスを舐めていて、ミコさんは平素の表情でグラスの残りを一息に空けた。


 その時私は気付いた。


「――あ、あれ?ミコさん、あなたそれ何杯目でした?そんなに一気に空けて――あ、それにカンさん、あなたおかわりですか?何杯目でした?今夜ずっと、ブランデーのロックしか飲んでないんじゃないですか?」




 そういえば今夜は十五の月。

 どうやら今夜のmoonerは皆、酒の神に近付きすぎてしまったもののようだった。




   ―終―


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