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肩透かし

 霧は徐々に晴れてきていた。それでもまだ視界の悪い。立ち往生するアリサ達は、ただシグマの身を按じていた。先ほどまで聞こえていた刃がぶつかる金属音はなくなり、辺りは静寂に包まれる。シグマはどうなったのか。相手はあのナイツオブラウンドのカイト。もしや敗れて、一つ前の街に飛んでしまったのか……そんなことが、脳裏に過る。


「……シグマ、どうなったんだ……」


 霧を見つめるジールは、静寂に耐え切れず声を漏らす。その声に誰も答えることは出来なかった。

 ――その時、霧の向こうから歩いて来る人影が見えた。アリサ達に緊張が走る。そしてその人物の姿が鮮明に見えた時、全員が声を出した。


「シグマ!!」


 その人物は、シグマだった。アリサ達の強張っていた顔も綻び、笑顔を見せていた。しかしシグマは、どこか浮かない顔をしている。視線を背後に送り、まるで霧の中に何かを言いたそうな表情をしていた。


「シグマ、どうかしたのか?」


「……いや、別に。それより、お前達は大丈夫だったか?」


「はい。私達は大丈夫ですけど……」


「シグマ、アンタは大丈夫なの?」


「ま、見てのとおり大丈夫だ」


 シグマは両手を広げて話す。だが、どこか態度がおかしい。全員がそう思う中、フルールが静かに呟く。


「……シグマ、変」


「俺が? そうか?」


「……うん」


 シグマは全員の顔を見渡した。皆が皆、フルールに同意するかのようにシグマを見つめている。隠すのは無理か……そう諦めたシグマは、一度息を吐いて切り出した。


「……なあ、“ジョブ・エクシード”って知ってるか?」


「ジョブ・エクシード? ああ、あれだろ? ジョブを最大まですると使えるっていう反則ギリギリのやつだろ?」


 ジールはさも当然のように話す。シグマは少し驚きを見せた。


「知ってるのか?」


「普通みんな知ってるだろ。それがどうかしたのか?」


「いや……それをカイトに教えられたんだよ。俺にも使えるらしい」


「……らしい?」


 ここでアリサ達はそれぞれ確認するかのように全員の顔を見た。使えるらしい。今のこの世界では、実に不可思議な言葉だった。通常使える場合は、漠然とその方法を知っているはず。しかしシグマはそれを知らないような言い方だった。


「シグマさんのジョブは、確か“ゴッドハンド”でしたよね?」


「ああ」


「シグマ、そもそもゴッドハンドって何なの? 何からの派生? 私聞いたことないんだけど……」


「悪いなアリサ。俺も知らないんだよ」


「知らないって……」


 アリサは呆れた。知らないはずはない。ジョブの成長はプレイヤーにとっての楽しみの一つである。ジョブが一つ一つ変化していきながら、自分でどの方向に進んでいくのか悩みながら成長していく。それを経験しているはずなのに、知らないはずはなかった。だが当然シグマには知る由もない。彼がこの世界に着た時、彼のジョブは既に指定されていた。今のところ分かっているのは、全種の武器が使えることくらいだった。

 これ以上話しても何も分からないだろう――そう思ったシグマは、先を急ぐことにした。


「……とりあえず、次の街を目指すぞ。考えるのはまた今度だ」


 そう言ったシグマは、道を歩き始めた。それに黎明の光の面々は続く。どこか腑に落ちない気もする。しかしそれを最も感じているのはシグマだった。

 カイトはシグマがジョブ・エクシードを使えると言った。もしそれが本当なら、スキルを使えるのと同様に、自分はその方法を知っているはずである。……だが何も知らない。もしかしたら、それもまたバグの一つなのかもしれない。しかしそれでは、これから先にあるであろうナイツオブラウンドとの戦闘は厳しいものになるだろう。

 歩きながら、シグマは使用方法を懸命に考えていた。だが当然、その方法を思いつくはずもなかった。




 ◆  ◆  ◆




 街に着いたシグマ達は闘技場へ向かう。シグマのブロンズプレイヤーのためのゲートキーパー戦の登録のためだった。もちろんシグマの実力を考えれば、ゲートキーパー戦など余裕だろう。しかし油断は出来ない。何しろシグマのHPは3という低さ。このレベルまでくれば、ただの一撃すらももらえない。シグマは気を引き締め直し申請をした。

 ――が、ここで思わぬ事態が起こる。


「――棄権?」


「はい。ゲートキーパーの者から連絡があり、今回のゲートキーパー戦は棄権するということです」


「それ、どうなるんだ?」


「この場合、無条件でシグマさんの勝利となります。極稀なケースですけど。いずれにしても、ブロンズプレイヤーに昇格しました。おめでとうございます」


「………」


 シグマは肩透かしを食らった気分だった。しかしそれも仕方ないかもしれない。シグマの名前は今や世界に広がる名前……当然ランキング戦ともなれば、多くの者がその姿を見に来ることだろう。そこで敗れれば大衆の面前で恥をかくことになる……それが棄権の理由だった。

 受付を出たシグマは、未だ納得いかないような様子でアリサ達の元へ向かった。シグマの様子を見た面々は、すぐに何かあったと悟る。そして、シグマから事情を聞いた。


「――棄権、ですか……」


「ああ。何だか気が抜けた」


「珍しいケースだな……普通棄権とかしないぞ」


 首を傾げる面々の中、ふとアリサが呟く。


「……ま、気持ちは分かるけどね」


「どういうことだ?」


「簡単なことよ。シグマ、あなたは強すぎるのよ。サウザンドプレイヤーであることすら疑問に思う程ね。あなたの強さは皆が知ってるし、戦えば負けると分かってるのに、わざわざ恥を晒しに行きたくはないじゃない。

 自分はピエロになりたくない―――そういうことよ」


「………」


 アリサの言葉に、全員が黙り込んだ。もし自分がゲートキーパーの立場だったら……そう考えると、棄権する気持ちも察することが出来た。

 どんよりとする空気の中、フルールは呟く。


「……昇格、おめでと」


 その言葉に、面々はハッとする。


「――そ、そうだな! 何はともあれ、シグマ、昇格やったな!」


 ジールは少しわざとらしく声を高くして祝福した。それに続き、クロエも声を出す。


「おめでとうございます! ブロンズプレイヤーまで来ましたね!」


「あ、ああ……」


 シグマはやはり納得できない面もあったが、全員がまるで誤魔化すかのように祝福してくる姿を見て、これ以上何か言うのを止めた。


 ――その時、ふいにシグマの後ろから声がかかる。


「――お前さん、ちょっとよろしいかね?」


「ん?」


 その声に、シグマは後ろを振り返る。それにつられ、アリサ達もその方向に視線を送った。そこには、小柄な老人が杖を片手に立っていた。


「……誰?」


 シグマは少し睨むように老人を見る。しかし、シグマ以外の面々は戦慄した。


「……嘘だろ……」


 ジールは信じられないものを見るかのように固まる。


「何でこの人がこんなところに……」


 クロエもまた少し後退りをする。

 その様子を見たシグマは、おそらくは全員が知ってることを察する。そして隣に立つアリサに訊ねた。


「……誰?」


「……ナイツオブラウンド第十二席、カシャ様よ。驚いたわね……」


 ――その老人こそ、ランキング12位のカシャその人であった。

 アリサもまた驚愕していた。シグマはそれを聞いた瞬間、鋭い視線を老人――カシャに送る。全員の脳裏にあるのは、つい先刻のカイトの件。もしかしたらカシャも、カイトと同様にシグマに何かをしに来たのかも知れない――そう思っていた。

 気が付けばシグマ達とカシャの周りには人が集まっていた。ナイツオブラウンドのカシャがいる――それだけで、多くの人が脚を止めた。

 しかし当のカシャは、長いヒゲを触りながら朗らかに笑う。


「フォフォフォ。そう気張らなくてもいいぞ。カイトの坊主と違って、別にお前さん達に何かしようってことではないて」


「……カイトの件、知ってるのか?」


「当然じゃろ。奴とは付き合いもそこそこ長いからな。どういう行動を取るかなどお手の物よ」

 

 カシャは自慢するかのように語っていた。ナイツオブラウンドのカイトを“坊主”呼ばわりするあたり、流石は第十二席といったところか。しかしながら目的が見えない。シグマは、それを確認するために切り出した。


「――で? 何が目的なんだ? 御託はいいから用件をさっさと言えよ」


「……ほほう……儂を目の前にしてもその余裕とはな。さすがは、バジリウスが一目置くだけのことはある……」


「だから御託はいいって。聞いてないのかよ」


「フォフォフォ! 粋がりは若い証拠じゃ! フォフォフォ…!」

 

 シグマはやり辛そうな表情を浮かべる。まるで挑発にも乗らない。しかし用件も中々言わない。歳の功と言うのだろうか。既に相手のペースに乗せられているような気がしていた。

 二人の様子を見ていたアリサ達は、息を飲んでいた。ナイツオブラウンドとは、この世界最高の実力者達。圧倒的力を持って君臨する者達。その一角をなすカシャに、シグマは普段通り接する。それは頼もしくもあり、片やカシャの怒りを買わないか心配になっていた。それ以上に緊張が走っていたのは、周囲の足を止めた人々。空気がピリピリとしている。たまらずその場から立ち去る人もいた。


「……さて、そろそろ本題に入るとするかの」


 突然、朗らかな表情だったカシャが、鋭い視線をシグマに送った。その視線に、シグマは少し警戒を強める。……だがカシャは、その場で踵を返す。そして歩き始めた。


「お、おい……どこに―――」


「――いいから付いて来なされ。ここは人が多すぎる……」


 そう言い残すと、カシャは見物人の間を通り始めた。見物していた人々は、カシャのために道を開く。シグマ達はお互いを見ながらも、カシャの後に続いて行った。


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