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ドリフィング・エデン・フロンティア  作者: 井平カイ
【白き闇/黒き光】
55/60

拒絶する扉

 その森では静寂と暗闇が戻っていた。空に浮かぶ無数の星のエフェクトは、ただ存在を示すように揺れている。寒さはない。過ごしやすい空気が満ちていた。

 その中で、シグマは空を見上げたまま座り込んでいた。ふと視線を下げ、自分の右手を見つめる。


「……漆黒蝶」


 小さく呟くと、彼の指にはヒラリと一羽の黒い蝶が舞い降りた。指で羽を休め、小さく動かしている。


「………」


 シグマは何も言わず、ただその蝶を見つめていた。どうやら、自在に呼び寄せることが出来るようだ。そう思うと、何だかとても複雑な気持ちになっていた。

 漆黒蝶とは、世界を変えたウィルス――パンドラの集合体。これまで幾度となく目の当たりにし、幾度となく危機を振りまいてきた。そして、スレイブ、カカ、ミーレス、ニコル……何人ものプレイヤーを光に変え、存在を消してきた。何という皮肉だろうか。彼は、そんなものを駆使している。世界を歪めた元凶を、歪みを正すために使っている。そう思う彼は、あまりにバカバカしく、滑稽に思えた。気が付けば、皮肉の笑みを浮かべていた。


「――どうやら、何とか使えるようにはなったようだな」


 ふいに背後から声がかかる。だが聞き覚えのあるその声に、シグマは警戒することはない。


「……アンタ、よっぽど後ろからいきなり声をかけるのが好きなんだな。趣味悪いぞ……」


「そういうつもりではないんだがな。癖……かもしれん」


 その声は段々と近づいてくる。そして、声の主はシグマの隣に立った。――アインだった。


「……前にアンタに言われたことだけど……やっぱり、俺には受け入れるのは難しいみたいだ。この世界は、どこまで行ってもバーチャルの世界でしかない。この世界は、どこまで行っても偽物の、作られた世界なんだよ」


 アインは少し息を吐いた。だがそれでも、彼はシグマのことを否定するつもりにはなれなかった。


「……そうか。それがお前の答えなら……俺から何も言うことはない。だが、一つ注意しろ」


「注意?」


「この世界は、間もなく激動の中に入る。全ての常識は変わり、今までとは比べ物にならないくらいの速度で動く。――そして、その中心に立つのは、“お前”だ」


 ここでようやくシグマはアインの方に顔を向けた。アインは顔をシグマに向ける。仮面の隙間から見える目は、何かを見透かしているかのように真っ直ぐだった。


「俺が?」


「その理由はいずれ分かる。その中で、その黒光はお前にとっても大きな存在になるはずだ。……そこで注意だ。あの力は、極力使うな」


「……やっぱ、なんか制約があるのか?」


「いや、制約というほどのものではない。今後は自由に使うことが出来るだろう。……しかしあれは、あくまでもパンドラの集合体だ。つまりは、あれは任意で自らのキャラデータをバグさせるものとも言える。そんなものを頻繁に、長時間に渡り使えば、自然とデータに致命的な損傷を与えることになるだろう。そしてお前という存在は、最悪の場合消える」


「………」


「例を言うなら、あの白鎧の青年だな。奴は、自らを包むパンドラに飲み込まれていた。だからこそ好戦的になり、自分でもその力と感情をコントロールできなくなっていた。――ああいう状態になれば、待っているのは“消滅”だけだ」


(まあ……そうだよな……)


 それはシグマも予想していたことだった。あれだけの力の改変が、なんのリスクもなく出来ることの方が不思議と言えるだろう。しかし、今後もウィルスに汚染されたモンスターと戦うのであれば、あれなしでは勝算も薄くなるだろう。それは、今回のニコルの件で強く分かったことだった。


「……分かった。肝に銘じておく」


 そこでようやくアインは視線を逸らした。そして踵を返し、その場をゆっくりと離れ始める。


「――なあ!! 一つ教えてくれ!!」


 シグマは立ちあがり、その背中に向け声を掛けた。それを受けたアインは足を止め、少し顔をシグマに向けた。


「……アンタ、何で俺にここまでするんだ? アンタは、何者なんだ?」


「………」


 アインは返答をしなかった。しばらく立ち止まった後、彼は静かに歩みを再開する。


「お、おい!!」


「――言ったはずだ」


 シグマが更に呼び止めようとすると、アインは歩きながら声を出した。


「俺はアイン……始まりの者。それ以上でもそれ以下でもない」


 そう言い残したアインは、そのままどこかへ立ち去って行った。


「………」


 シグマには、このアインという人物が読めないでいた。現実世界のことを知っていて、かつ、自分と美沙、そして、ウィルスの正体と、それをばら撒いた真犯人を知っている人物。始まりの者。そう呼ぶ当たり、もしかしたらアイン自体が犯人かもしれないという考えも持てる。だが、仮にそうだとしても、彼の行動の理由にはならない。


(……そもそも、なぜウィルスをばら撒く必要があるんだ? 何か目的があるのか?)


 思考は初期に戻る。当然だが、その理由など分かる筈もなかった。


「……ま、考えるだけ無駄、か……」


 自分を強引に納得させるように呟いたシグマは、その場を去り始める。ふと後ろを振り返る。そこは誰もいない森。光の薄い森。視線を戻したシグマは、自分を待っているであろう者達の元へと向かって行った。


 


 ◆  ◆  ◆




 深い森の中で佇む一人の少女。その脇には傷付いた甲冑の青年とそれを介抱するアーチャー、その横に座って二人を見る魔導士がいた。少女の名はアリサ。空を見上げ、煌めく星々を目に写す。そして横の三人に目をやり、想いを巡らせた。この三人は、シグマを追いかけてきた。そう、シグマのために行動している。にも関わらず、自分のせいで危険に巻き込んでしまった。そう思う少女の心は、強く軋んだ。


(シグマとニコルは、どうなったんだろ……)


 本音を言えば、彼女はすぐにでも二人のところへ行きたかった。戦いを止めたかった。だが、その場を去って行った二人の様子を見る限り、それは叶わないだろう。それどころか、自分が行けば邪魔になるだろう。力の無さが歯痒い。彼女は、力強く手を握り締めていた。

 

「………」


 その姿に気付いたのはクロエ。アリサの震える手を見た彼女は、何を想っているのかを理解していた。それは、自分も感じたことのある想いだから―――


「――無事か?」


 その時、森の奥から声が響いてきた。全員がその方向に目をやる。その聞き慣れた声に、その見慣れた姿に、全員が表情を歓喜に変えた。


「シグマさん!!」


「シグマ!!」


 声を受けながら暗闇を抜けてきたシグマは、いつもの冷静な表情に戻していた。そんなシグマに四人は駆け寄る。


「シグマ……よく無事だったな!!」


 ジールは満面の笑みのままシグマの肩を組み、頭にグリグリと手を押し付けた。シグマは嫌がるような視線をジールに送るが、決して腕を払ったりしない。その表情も、照れ隠しのようにも見える。

 フルールは表情こそ変えないが、少しだけ強く杖を握った。眠そうな目だが、どこか柔らかい。そんな視線をシグマに注いでいる。

 その光景を見るクロエもまた、思い切り笑った。こうして四人で笑うことは、クロエの望みだった。だからこそ決して我慢することなく笑う。その目には、薄らと涙が浮かんでいた。


「……シグマ」


 その一団に向け、アリサは恐る恐る声をかけた。全員が一度行動を止め、アリサに視線を送る。


「その……おかえり」


 少しはにかむ様にシグマに話すアリサ。シグマはゆっくりとジールの手を外し、口元に笑みを浮かべながら優しく答える。


「ああ。……ただいま、アリサ」


「―――ッ!!」


 その顔を見たアリサは、自分の顔が熱くなるのを感じた。桃色に染まった頬を見られないように視線を外し、やや慌てる。だが、それでも彼女には一つ確認しなければならないことがあった。


「そ、その……ニコル、は?」


「………」


 一瞬だけ、シグマは考えた。当然ニコルは光になった。おそらく、この世界のどこにもいないだろう。それをアリサに伝えることに少しだけ躊躇した。だが、隠していてもいずれは分かること。それならば―――


「……ニコルなら、消えたよ」


「き、消えた?」


 アリサにはシグマの言葉の意味が分からなかった。彼女は、パンドラに侵されたプレイヤーの末路を知らない。だがクロエ達は違う。シグマの言う言葉の意味を瞬時に理解した彼女達は、表情を曇らせた。


「そのままの意味だ。ニコルの体は光になって消えたんだよ。この世界のどこかにはいるかもしれない。でも、どこかは分からない。まるで神隠しにでもあったかのように忽然と消える。

 ――それが、あの黒い光に侵された者の宿命だ」


 シグマの目は真剣そのものだった。アリサには、それが何を意味するのか未だに分からない。分からないが、シグマの目を見る限り、それはとても重いこと。それだけは嫌に分かった。


「……そう」


 アリサは、そう呟くことしか出来なかった。

 周囲に重い空気が漂う。それを察したジールは、敢えて大きく声を出した。


「――そ、それはそうと、シグマ、これからどうするんだ?」


「……そうだな、ちょっと会ってみたい奴がいるから、そいつのとこへ行く」


「会ってみたい奴? 誰だ?」


「――バシリウス」


「……は?」


「……え?」


「……え?」


「……眠い」


 ――空気が、凍った。そしてすぐに、それは打ち破られる。


「「「はあああああああ!!??」」」




 ◆  ◆  ◆




 オーブエスタードの拠点施設、その廊下を足音を鳴らしながらやや急ぐように歩く男がいた。ギラリとした鋭い視線を持つ人物、それは―――


「――バシリウス、そんなに急がなくてもいいんじゃない?」


 その人物――バシリウスに向け、横を歩くウルは軽い口調で声を掛けた。


「そういうわけにもいかぬ。――ウル、“あの話”は間違いないのか?」


 少し焦るような口調で、バシリウスはウルに問いかけた。ウルはクスリと笑みを浮かべながら答える。


「ああ。間違いないよ。――あの“シグマ”とかいう奴、間違いなく“変異の力”を使った。それも、自在に、ね」


「……そうか……ならば、急がねばなるまい。奴が我らの脅威になる前に、早々に手を打つ」


 そう話しながら、バシリウスは拠点の中にある“とある部屋”に辿り着いた。そして重々しい両開きの扉を両手で勢いよく開ける。鈍い音と共に扉は開かれる。中は広い空間だった。その中心には円卓が。そこには、椅子に腰かける九つの人影があった。

 その人物達は、一斉にバシリウスに視線を送る。それを受けたバシリウスは、一段と表情を険しくさせ声を出した。


「待たせたな。貴様らに、重要な話がある。――“ナイツオブラウンド”の諸君……」


 その言葉に続くように、扉は閉まる。円卓の騎士以外を拒絶するかのように、重々しく、鈍い音を立てながら。静かな拠点の中では、その音が反響し響いていた。




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