引導を渡すモノ
「オラオラ!! 受けるだけか!!??」
「―――ッ!!」
闇の底に沈んだかのような暗い森の中で、剣の火花は散っていた。周囲には誰もいない。他の者を巻き込まないために、シグマは敢えてアリサ達から離れ、誰もいない状況を作り出していた。
ニコルの斬撃は圧倒的だった。その速度、圧力、そして破壊力……シグマは廃教会の時と同様、その白い剣の斬撃を防ぐのがやっとだった。だがそれでも彼の眼光は鋭さを失わない。縦横無尽に駆け回り、絶望を乗せた太刀筋を浴びせてくるニコルをただ見つめ、反撃の機会を窺う。だが当然、そう易々とニコルは隙を見せない。
(探せ!! 何か……何かあるはずだ!!)
シグマは必死にそう言い聞かせていた。今のニコルの異常さは、常軌を逸している。ここでもし自分が簡単に敗北することがあれば、たちまちニコルはクロエ達はもちろん、アリサをもその凶刃で斬り伏せるだろう。
(もうごめんだ!! あんな思いは……絶対に!!)
シグマの胸には、ウィルス――パンドラが解き放たれた時の情景が浮かんでいた。どうすることも出来ず、安らかに眠るアリサを見たあの時。その時の絶望は彼にとって計り知れない。もし自分が敗れれば、その思いをまた味わうことになる。それだけは何としても阻止したい。例え自分が消え去ったとしても―――
「お前も手を出せよ!! ――出来るもんならな!!!」
ニコルは安い挑発を繰り返す。彼は今、幸福の中にいた。誰もが一目置く最強最弱のプレイヤー……それを、圧倒的な力で追い詰めている。いつ斬るかも思うがまま。必死に食らいつこうとするシグマの姿は、彼の歪んだ心を満たしていた。
片やシグマは、やはり苦戦を強いられる。武器の交換も出来ない。スキルも使えない。それを出来ないほど、ニコルの攻撃は速く重い。一瞬でも気を抜けば、たちまち彼の体を刃が切り裂くだろう。
だが、防戦だけでは勝てない。攻撃を忘れた戦いなど、勝負が決してしまうようなものだ。シグマには、仮に勝てないとしても時間を稼ぐ必要があった。そう、アリサ達が逃げるまでの時間を。
「消えろやああああ!!」
「―――ッ!!」
ニコルは大きく剣を振る。それは雑な動きだった。まるでバットを振るかのように剣を横に薙ぎ払う。それでもその攻撃は、空間をも裂くかのような一撃だった。シグマは体を屈め、それを辛うじて躱す。躱した先に見えたのは、開けたニコルの体だった。
(――そこ!!)
足に力を込め、爆発的に解放する。シグマはそのままニコルの体に突進する。その衝撃でニコルの鎧はガチャリと音を鳴らし、そしてニコルの体勢は後方に流れた。
「チッ――!!」
体勢が崩れたことでニコルは視線を一時シグマから離す。その時間は極僅かであった。だが、シグマにとっては見逃すことの出来ない勝機。
(ここだ―――!!)
シグマはニコルの胴体に向け、左の剣を走らせる。だがその一撃に、ニコルが気付かないはずがなかった。
「甘ぇんだよ!!」
ニコルは重心が後ろに傾きながらも、シグマの剣を自らの剣で大きく弾く。シグマは剣が外側に振られる勢いを利用しながらコマのように体を捻る。そして勢いを乗せた腕をしならせ、もう一度剣を横一直線に振り抜いた。だがニコルは一足先に地を跳び斬撃を躱す。ここでシグマは、体を更に回転させる。
「ウェポンセレクト――“ランス”!!」
ランスを召喚するなり、シグマはそのまま槍を逆手に持ち変える。そして反転する体を捻り、鋭い視線を宙を飛ぶニコルに向けた。シグマは手に力を込める。ニコルの体は宙に浮き、左右に避けることは叶わないだろう。シグマにとって最大の勝機だった。
「スキル発動――“ディサイドスティンガー”!!!」
腕を振り抜き、光に包まれたランスを解き放つ。光の槍は轟音を上げ、宙を飛ぶニコルに迫る。
「チッ――!!」
ニコルは剣を前に構える。そして大地に両足を着くと同時に、光の槍はニコルに到達した。だが槍はニコルの体を捉えていない。槍は、ニコルの刃に阻まれた。
「なっ――!?」
「ぐっ――!! うう……!!!」
シグマの攻撃はスキル“ディサイドスティンガー”。これまで幾度となく敵に致命傷を負わせてきた攻撃。だが、それがたった一つの剣により阻まれている。たった一人のプレイヤーが耐えている。ニコルの刃は震える。腕には力が込められる。大地を捉えた脚は、少しずつ後ろに下がりながらも離れることはない。
「クソッ――!!」
シグマはその場から駆け出し、ニコルに迫るランスを掴もうとした。もう一押し……もう一押しで槍はニコルの体を捉える。その一押しは、自らの手でするつもりだった。だがニコルもまた、シグマの動きに気付く。その狙いにも。
「――しゃらくせえんだよおお!!! “変異”!!!」
剣で槍を防いだまま、ニコルは叫ぶ。
「―――ッ!?」
その声を聞いたシグマは勢いを静止させ、その動向を注視した。その瞬間、ニコルの体は黒い光に包まれた。
「“アレ”か―――!!」
シグマは身構える。その脳裏には、廃教会での記憶が甦っていた。黒き光を纏いし白鎧の男。白い鎧は闇に染まり、黒き光は不気味に光る。
「アアアアアアアアアアア!!!」
一際大きく声を荒げたニコルは、黒い光に覆われた剣を力任せに振り抜く。激しい金属音と共に、シグマの槍は弾かれた。そして、光は分散しながら消滅し、シグマの目の前に無造作に放り出された。
「……くそ……」
シグマは、小さく呟きながらその槍を拾った。そして目の前で佇むニコルに目をやる。
「……ソロソロ、オ前ノ顔モ見飽キテキタ。消エロヨ」
「………」
ニコルはゆっくりとシグマに向け歩き出した。その足音は、まるで全てを蹂躙するかのように地を踏みしめる。
(どうする……どうする?)
シグマは必死に対策を考えていた。だが、何を考えても勝てる気がしない。以前に剣を向け合った時、黒い光を纏ったニコルには、シグマの全てが通じなかった。それでもシグマは諦めない。諦めたくなかった。こんなところで終われない。彼女を助けるため……あの毎日に戻るため、シグマは必死に思考を巡らせた。
「………」
だがここで、なぜかニコルは足を止めた。そして何かを考えるように、首を捻る。
(………なんだ?)
当然シグマにはその理由は分からなかった。何か狙いがあるのか……だが、以前の戦闘を見る限り、ニコルが小細工をする必要はなにもない。ただひたすらに暴力をシグマにぶつければ、それだけで勝負は決する。それはニコルにも当然分かることであった。だからこそ、ここでニコルが立ち止まることが解せない。いったい何を考えているのだろうか―――
「……ソウダナ。ソレガイイ」
ニコルは突然声を出す。その顔は、酷く歪んだ笑みを浮かべていた。
「………」
シグマは慎重にニコルの様子を窺っていた。そんなシグマを見たニコルは、クスクスと小さく笑う。
「オ前ヲコノママ消シテモ面白味モナイ。――モットオ前ガ絶望スル顔ガ見タインダヨ」
「……何が言いたい?」
「決マッテルダロ」
そしてニコルはシグマとは違う方向に歩き始めた。
「ッ!? おい!!」
シグマは慌てて声を掛けた。そしてニコルはゆっくりと振り返る。
「オ前、アノ連中ノコトヲ、ズイブント気ニカケテルミタイダナ……確カ、“黎明ノ光”トカ言ッタカ?」
「ッ!!!」
「オ前サエ消セレバソレデイイト思ッテイタンダガ……気ガ変ワッタ。オ前ヲ消ス前ニ、奴ラヲ消ス」
「なっ―――!!」
シグマは表情を青ざめさせた。ニコルは分かっていた。シグマがクロエ達を巻き込まないように敢えて距離を取っていたことに。しかしニコルの狙いはあくまでもシグマだった。そんな“取るに足らない存在”など、どうでもいいことだった。
だが、ふとニコルは気付く。その“取るに足らない存在”こそ、シグマが気にかける対象であることに。つまりはその存在を消されたのであれば、必ずシグマは苦しむ。そう、考えていた。
「おいニコル!! アイツらは関係ねえだろ!! やるなら俺をやれよ!!!」
シグマは必死に呼びかけた。だが、皮肉にもその言動が、ニコルの考えを確認に変えるものとなった。
「オ前ヲ消スノハ簡単ダ。ダガ、ソレジャオレガ満足シナイ」
ニコルはゆっくりと振り返る。そして見下すような視線をシグマに向けた。
「オ前ハオレノ全テヲ奪ッタ。誇リ、自信、名誉、ソシテ、アリサ……オレハオ前ガ憎イ! 憎クテシカタガナイ!! ダカラオレモ、オ前ノ全テヲ奪ウンダヨ……嫌ナラ止メテミロ。オ前ニ、ソレガ、出来ルナラナ………
ハハハハ……ハハハハハハハハハハハハ……!!!」
「………」
その笑いはどこまでも深い闇を連想させるものだった。だが、どこか悲しげでもあった。彼はもはや人ではない。狂気そのもの……いや、狂気に飲まれ、自分を失った抜け殻かもしれない。そう思うシグマの心は、ニコルに一部の同情を生まれさせた。
「――ニコル、お前は可哀想だな……」
「ハハハハハハ………あ?」
シグマの言葉に、ニコルは笑いを止める。そして刺すような視線をシグマに向けた。
「その力、あの神格者ってやつにもらったんだろ? お前、それが何なのか分かってるのか?」
「……当タリ前ダ。コノ“力”ハ、オレノ全テヲ望ムガママニスル神ノ―――!!!」
「違うぞニコル。それは、ただのデータだ」
「……データ?」
「ああそうだ。仮初の世界の中に解き放たれた、歪んだデータでしかない。この世界にはな、神なんかいないんだよ。現実世界のサーバーから送られてくる、ただの架空の世界……そんなとこに、神なんて存在しない」
「……オ前、何ヲ言ッテ……」
「お前だって現実があるんだ。待ってる人がきっといるはずなんだ。お前は忘れているだけだ。それはお前だけじゃない。クロエも、ジールも、フルールも……そして、アリサもだ。みんなにはみんなの現実がある。それは決して楽しいものだけじゃない。この世界みたいに、何もかも脱ぎ捨てて過ごすことが出来る場所でもない。もしかしたら、現実の世界なんかより、この世界の方が完成されているかもしれない。
……だけど、俺はみんなを――アリサを取り戻したい。くだらない現実でも、共に生きていきたい。だから俺は、全てを取り戻す。この世界を終わらせて、あの家に帰りたいんだよ」
「………」
ニコルにはシグマの言葉の意味が分からない。だが、なぜかシグマの言葉はニコルの心に沁み込んでいく。そしてその感覚は、ニコルの動きを封じた。
「悪いなニコル。だから俺は、こんなところで止まってる場合じゃないんだよ。俺には、やらなくちゃいけないことがあるんだよ。……いや違うな。俺が、俺自身が“そうしたい”んだよ」
シグマは右手を前に翳した。そして、静かに目を瞑る。シグマの視界は暗闇に閉ざされたが、その瞼の裏には、アリサと過ごした日々が描かれていた。
(これが俺の答えだよ。この世界を現実なんて思えない。俺の現実は、たった一つしかない。それは、決してこんな場所じゃない……!!
――力をよこせ!! この世界を終わらせる力……前に進むための力を……!!)
シグマは目を見開く。力を込め、想いを込め、叫ぶ。
「来やがれ!! ―――漆黒蝶!!!」
その瞬間、シグマの前に黒い光が集い始めた。それは淡い光を放ちながら、一つの形を形成する。羽を上下に揺らし、止まり木を探すかのようにフラフラと飛び回る黒い塊……それは、一羽の蝶の形をしていた。
「――――ッ!! 来た―――!!!」
シグマは興奮に奮える。そのまま差し出した右手を更に伸ばし、漆黒の蝶を掴み取る。そして握る拳の隙間から、黒い液体がドロドロと溢れ出し、たちまちシグマの体を包み込んだ。やがて、黒い液体は輝きだし、彼の体を包み込む。
「―――ッ!? オ前!! ソノ光ハ―――!?」
ニコルは体を低く構え、警戒を強めた。目の前に映る黒衣の少年……その周囲には、自分と同じ黒い光が纏わりつく。それが意味すること……少年は、自分と同じ位置に立った。
「………」
シグマは右手を下げる。そして以前の大鬼の時と同様に、呼称をすることなく両手に剣と刀を召喚した。
「……さっき、お前言ったよな。“止めてみせろ”ってな………上等だよ!!」
黒き光を放ちながら、シグマは構える。両手に持つ刃は、一段と鋭さを増すかのように煌めいていた。
「―――ッ!!」
ニコルは僅かに後退った。彼の目の前に立つシグマ、その視線は、激しく燃え上がるかのように強く鋭い。その視線を受けたニコルは、気圧されていた。
「これで五分と五分だ!! ――ニコル!! お前の狂気に、“引導”を渡してやるよ!!!」




