守る剣
夜の帳を迎えた森では、静かな星空とは打って変わり轟音が響き渡っていた。木々は倒れ、地は裂ける。美しく神秘的な景色は、瞬く間にこの世の終わりを彷彿させる景色に変わっていた。
「………」
その中心にいるニコルは、無言のまま剣を振る。
「―――ッ!!」
それをアックスで受けたジールは、体ごと後方へ吹き飛ばされた。
「ジールさん!!」
ジールの姿を見たクロエは、牽制の矢をニコルに放つ。だがニコルは、無表情のまま迫る矢を剣一つでいとも容易く叩き落としていった。
「矢が――!?」
「………」
ニコルがクロエの矢を落とす間に、クロエの死角に回ったフルールはメイスを振るう。
「スキル発動――“ファイアーボール”」
杖からは炎の弾が放たれ、豪炎の赤の光を放ちながらニコルに向け飛翔する。
「……無駄だ」
だがそれすらも、ニコルは容易く切り裂く。切り裂かれた火球は二つに分裂し、ニコルの後方の木々だけを燃やす。
「クソッ――!! マジかよ!!」
立ち上がったジールは、思わず声を出した。決して侮っていたわけではない。だが、彼らにも自信があった。シグマが立ち去った後、彼らはシグマに頼ることなくランクSモンスターを狩っていた。傷付きながらも、一つ一つの戦いに勝利を収めてきた。
しかし、このニコルにはその全てが通じない。攻撃は悉く遮られ、ただ一方的な暴力を浴びせてくる。
「――ジールさん!! フルールちゃん!! 同時に!!」
「分かった!!」
「……うん」
三人は散開する。各個人の攻撃は通じずとも、三方向から同時に攻めれば一つくらいは偶然の一撃が生まれるかもしれない。言葉を交わさずとも、クロエ達はそれを認識し合っていた。
「スキル発動――“スラッシュブロー”!!」
「スキル発動――“スレイブミーティア”!!」
「スキル発動――“ライトニングブラスト”」
三人は同時に呼称し、それぞれの武器から鋭い波動を放つ。ニコルには三方向から同時に攻撃が迫る。躱すタイミングを逸したニコルは、動くことが出来ない。――かと思われた瞬間、ニコルはニヤリと笑う。
「――遅ぇんだよ!!」
大地を蹴ったニコルの体は、瞬時に前方へ跳び出した。
「なっ―――!?」
誰もいなくなった空間では、黎明の光の面々の技がぶつかりあう。光と衝撃を生み出しながらスキルは消滅し、辺りを眩く照らし出しそれぞれの視界を遮る。ニコルはその光に乗じ、ジールの前に移動する。
「―――ッ!!」
目を薄く開き光を見ていたジールは、ニコルの姿を捉えるのが僅かに遅れていた。慌ててアックスを横に振ったが、ニコルはその下を掻い潜り、ジールの懐に入り込む。
「―――ッ!!!」
アックスを振った後のジールは、完全に死に体となっていた。反応することすら出来ず、ニヤつくニコルの顔に心臓を凍らせる。
「まずは……一人目ええええ!!!」
白剣の刃はジールに向け走る。がら空きの胴体はそれを迎え入れるかのように解放されている。
だがここで、ニコルの刃は剣により阻まれる。激しい金属音の後、周囲には沈黙が満ちた。
「……ニコル、もう止めて」
剣でニコルの斬撃を受けたのはアリサ。悲しげな瞳を揺らしながら、震える声でニコルに声をかける。
「アリサ……」
アリサの顔を見たニコルは、交差する剣を離し、力なくぶら下げた。そしてアリサもまた剣を下げ、懇願するようにニコルに話す。
「ニコル……あなたは、何がしたいの? あなたはオーブ・エスタードの兵士長でしょ? こんなところで凶刃を振るって、関係ない人をPKして……ねえ? 何があったの?」
「別に……何も……アリサ、お前は引っ込んでろ」
「引っ込まない!! 今のあなたは、ただの化物よ!?」
「化物? 俺が?」
それを聞いたニコルは、首を捻り何かを考え込む。しばらく付近には、不気味な静寂が流れた。そして、ニコルはニヤリと笑う。
「……そうか……俺は化物か……なるほど、悪くない……」
「……ニコル?」
そこには、もはやニコルはいなかった。どす黒い化物、全てを闇に包み込む獣……何でもいい、とにかくアリサは、目の前にいる人物に恐怖を覚えていた。かつての同僚、かつての友、ニコル。この時アリサは、彼が既にいなくなったことを知った。
何が彼をここまで変えたのか――
「……アリサ、とにかく俺の邪魔をするな」
「じゃ、邪魔?」
「ああ、そうだ。もしそこをどかなければ、俺はお前まで……」
そこでニコルは言葉を濁す。それ以上のことは言わないが、それは彼に残された最後の心だった。アリサを手にかけたくない。心の声は淀む彼を止めさせた。それはアリサにも僅かではあるが伝わる。だが彼女は、敢えて剣を向けた。
「―――どういうつもりだ?」
ニコルは眉を顰めた。この状況で自分に剣を向けることの意味……彼女は、それを分かっているのだろうか。そう言わんばかりのニコルの視線は鬼気迫るものがある。剣を向けるアリサは、一人静かに息を飲んだ。
「……ニコル、忘れたの? 私は、オーブ・エスタード――世界を守る剣よ。彼らもまたこの世界の住民。だったら、それを守るのが兵士長である私の使命よ」
その言葉を聞いた瞬間、ニコルは高らかに笑った。不気味な声は、森の中に広がる。
「使命だ? そんなもの、もはや関係ない。この世界は、中心となるべき人物によって淘汰される世界。それはバシリウスでもウルでもない」
「………ニコル、何を言ってるの?」
アリサにはニコルの言葉の意味が分からない。ここでニコルは自分の口元を手で押さえた。視線を僅かにアリサから逸らし、
「いや、少し喋り過ぎたな……さて、そろそろ終わらせようか。――最後に、もう一度言うぞ? アリサ、そこをどけ」
やはりニコルの視線には圧倒的な殺気が込められる。気が付けばアリサは、足が震えていた。その様子にジール、クロエ、フルールは動けないでいた。体が言うことをきかない。その場の空気を全て掌握したかのように、ニコルはただただ殺気を放つ。
それでも、アリサは奮える唇を噛み締め、言葉を口にする。
「……嫌よ!!」
ニコルは思わず目を伏せた。彼は分かっていた。アリサがそう言うということを。だからこそ彼は絶望し、失笑した。――そして彼は、自分がもはや止まれない場所に立っていることを知った。
「……分かったよアリサ。残念だ……」
そう零したニコルは、白い光を反射させる刃を天に翳した。その目には、一切の情がない。
「……ニコル……」
アリサの中には様々な感情が混ざり合う。恐怖、同情、悲しみ……全てが津波のように少女に襲い掛かり、彼女の目からは涙が零れ落ちた。
「………」
ニコルの体の中心に何かが走る。それは痛みに似たもの。しかし今の彼には、それが何なのかが分からない。分からないからこそ、目の前の少女を早く消し去ろうとする衝動に駆られた。
「――――」
目を強く見開いたニコルは、片手に持つ剣を力強く握り締めた。そして、目の前で怯える少女にその剣を―――
「―――待ちなさい、ニコル」
「あ―――?」
ふいに呼び止められたニコルは、剣を振り上げた状態で固まった。その声の方向に目をやる。彼の背後には、いつの間にか神格者がいた。
「なんだよ……なんで止めるんだ?」
ニコルは不機嫌そうにそう訊ねる。神格者は、静かに声を出した。
「……あなたに、お客様ですよ」
そして神格者は、道を譲るように一歩左に動く。
「客?」
ニコルは開かれた後方を振り返り、目を凝らした。だが、そこには誰もいない。ただ薄暗い森が広がるだけだった。
「なんだよ……誰もいないじゃないか」
疑うような眼差しで神格者を見つめるニコルだったが、彼女はただひたすらに後方を見ていた。彼女には分かっていた。そしてそれは、すぐに証明される。
「もう間もなくです。―――ほら」
神格者が細い指を示す。すると突然、その方向の空間が歪み始めた。
「……なんだ?」
歪む空間は光を帯び、辺りを強く照らし出す。光の中心は見えない。空間の歪みそのものが強く光り、彼らの視界を遮っていた。そして光は消える。だが、暗闇に慣れていたニコル達は、強い光を受け視界がぼやけていた。
しかしよく見れば、暗い空間に何かが見える。それは足音を出しながら、ゆっくりとニコル達の方に近付いていた。
「………」
神格者はニヤリと笑う。彼女だけは、いち早くその人物を把握することが出来ていた。いや、正確に言えば、最初から分かっていた。
彼女の他に、その者の姿を把握した人物がいた。クロエである。ニコルの後方にいた彼女は、その人物を間近に見ることが出来ていた。そしてその者もまた、クロエの存在に気付く。いや、クロエだけではない。アリサ、ジール、フルール、そしてアリサの姿を目に写した。
「……久しぶりだな、クロエ」
その者黒衣を身に纏い、夜に紛れるように大地に立つ。その姿、声を目の当たりにしたクロエは、すぐに声をかけた。
「シ、シグマさん……!!」
間違いなくそれはシグマ。ずっと探していた姿。感極まった彼女の目には、自然と涙が滲んでいた。だがここで、クロエはシグマの異変に気付く。よく見れば彼の脚は震えていた。そして視線に鋭さはなく、顔を歪ませニコルに視線を送っていた。
「……なんだお前か……」
シグマの姿を見たニコルは、余裕の笑みを浮かべる。そして数歩前に出て、ケラケラ笑っていた。
「今更なんの用だ? わざわざ消されに来たのか?」
それは当然の言葉。つい先刻、ニコルはシグマを圧倒的な強さで破ったばかりである。ニコルは、シグマの実力に見切りを付けていた。シグマの中にも敗北の記憶が甦っていた。今すぐにもその場を逃げ去りたい……そんな衝動に駆られそうになる。
それでも震える足で地に立つ彼は、一度視線をニコルの奥にいるアリサに送った。――アリサの顔は、安堵の色があった。
「………」
シグマは口を噛み締める。そして静かに息を吸い込み、ニコルに視線を戻した。
「……俺は、やっぱりこの世界を受け入れることは出来ない。俺にとってこの世界ってのは、どこまで行っても仮想世界でしかないんだよ」
「あ? お前、何言ってるんだ?」
ニコルの問いに答えることなく、シグマは話を続ける。それはニコルに対する言葉ではなかった。アインへの言葉だった。この場所にアインはいない。だが、シグマは分かっていた。アインが、どこかで自分を見ていることを。
「正直に言うとな、俺はどこかこの世界を舐めてたんだ。プレイヤーに勝って、モンスターを討伐して……自分に敵はいないって思ってたんだよ。
……でも、それは違っていた。現に俺は、ニコルに叩きのめされた……」
「シグマさん……」
クロエにとって、それは初めて見るシグマの弱い部分だった。それを見ただけで、クロエにはシグマが経験した苦悩や挫折を痛い程実感出来た。あの彼が、ここまで言うのだから―――そう思うと、胸が締め付けられる思いだった。
「……で? お前は何しに来たんだ? また俺に叩きのめされに来たのか? お前、何がしたいんだ?」
ニコルはやや前屈みになりながらシグマに問う。シグマは一度目を瞑り、そして、ゆっくりと開いた。
「……決まってるだろ? この世界を終わらせるんだよ。“アイツ”を助けるために。――それ以外に、俺の望みはない」
シグマは両手に刃を携える。そして、右の刃をニコルに向けた。
「俺はお前に勝てないかもしれない。消えるかもしれない。――でも、必ず守る!! コイツらを……アイツを!!」
「……あ、そ」
ニコルは興醒めした気分になっていた。怯むことのない、真っ直ぐな視線を送るシグマ。ニコルが見たかったのは、そんなシグマではない。ただ怯え、諂い、生きるために媚を売るような……そんな、醜い姿を見たかった。
しかしそこにニコルが望む姿はない。最初に会った時と同様に、何か芯のようなものが体の中心を突き抜けるように立つシグマ。それは、ニコルにとって面白くない光景だった。
「……もういい。もう喋るな……!! お前は、ここで、消す……!!
――おい神格者!! 今度は邪魔すんなよ!?」
神格者はただシグマを見つめていた。顔をニコルに向けないまま、どこか優しく声を出す。
「分かりました。……好きにしてください」
(チッ……アンタもあいつかよ!!)
そこにいる全ての者が、シグマに注目している。圧倒的な力を持つ自分ではなく、自分よりも遥かに劣るはずのシグマに……
ニコルの嫉妬の炎は、どす黒く、激しく燃え上がっていた。
「―――オラ行くぞおおおお!!!」
ニコルは全力で大地を蹴った。
「――――ッ」
シグマは体勢を低くしながら、後方へ大きく跳ぶ。そして、動けないでいるクロエ達から離れて行った。
シグマは、三度ニコルと対峙する。閃く刃は、シグマの動きに同調するように線を描いていた。
その光景を、木の上から眺めていた人物がいた。
「チッ………それが、答えか……」
その人物は、小さく愚痴を零すように声を漏らした。その視線の先は、シグマに向けられている。
「……うん?」
その時、その者はある視線に気付く。その方向に目をやると、神格者がジッと顔を向けていた。
「………」
「………」
しばらく視線をぶつけ合う両者。互いに視線を逸らすことはない。神格者は、その者のことを周囲に教えることもない。ただひたすらに、木の上に佇む人物を見つめていた。
「………」
木の上にいた者は視線を神格者から逸らすなり、枝から飛び降り、その場を足早に離れて行った。
「……それなら、こっちにも考えがある……」
やがてその者の姿は森から消える。そのことを知るのは、白いローブの女性だけだった。




