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ドリフィング・エデン・フロンティア  作者: 井平カイ
【白き闇/黒き光】
51/60

“受け入れろ”

 辺りは完全に日が落ちていた。薄暗い森はどこか神秘的で、どこか不気味だった。月と星から降り注ぐ光だけが、疎らに森の中の道を照らしていた。

 その中を走る四人の人影。アリサと黎明の光の面々だった。


「――どうやってあそこが分かったの?」


 走りながらアリサは三人に訊ねる。


「ある奴がな、アンタが捕まってるってのを教えたんだよ。あの場所までの転移アイテムまでくれてな」


「ある人?」


「仮面をつけた奴だ。……確か、アインとか言ったかな? シグマの知り合いらしいんだがな」


 前を向きながらジールは答える。


「仮面の人……誰だろ……」


 アリサに思い当たる人物はいなかった。シグマのことと自分のことを知っている人物だとするなら、自分が会ったことがある人物かもしれない。ではそれは誰か……それは考えても分からないことだった。


「………」


 視線を下に向けるアリサをジッと見つめるのはクロエ。彼女は複雑な心境だった。今、アリサを解放した。だがそれだと、シグマとアリサの距離は更に縮まるのではないか……それを想像すると、彼女の心は歪んでしまう。そんな自分がとても嫌な女のように思え、自己嫌悪に陥っていた。


「……クロエ」


 ふと、フルールがクロエに声をかける。クロエはすぐにフルールに視線を送った。彼女の目は、やはり眠そうだった。だがその奥には、どこか包み込むような暖かい優しさがあった。


「……ありがとう、クロエちゃん……」


 それを見たクロエは、少しだけ心が癒された気分だった。険しい顔を緩めた彼女は、静かに礼を口にした。フルールはすぐに視線を戻す。



「―――ッ!? 止まれ!!」


「―――ッ!?」


 突然、先頭を走るジールが叫び声を上げる。その言葉に驚いた三人は、すぐに走りを止める。その瞬間、目の前には光の斬撃が飛来する。光はジール達の目の前で地面と衝突し、巨大な亀裂を生み出した。亀裂の底が見えない。風が通り抜ける音は反響し、その傷の深さを物語った。


「……こ、これは……」


 クロエは息を飲む。その破壊力は、まるでモンスターかのような一撃だった。だが、それはおそらくスキルの一撃。つまりは、プレイヤーによる攻撃。これほどまでの一撃は、おそらくシグマでも無理だろう。そう思ってしまった。


「……どこへ行く? アリサ?」


 亀裂の向こう側の暗闇から、人の影が現れる。アリサは、その人物の名前を口にする。


「……ニコル……」


 その人物――ニコルは、夜の底と同化するようにどこまでも漆黒の表情をしていた。そこに生気は感じられない。その姿は、まるでモンスターかのようだった。

 ニコルの並々ならぬ雰囲気を見たクロエ達三人は、瞬時に鳥肌が立っていた。これまでランクSモンスターとは幾度となく対峙してきた。だが今のニコルは、それすらも容易く超越するほどの空気を纏っていた。それは狂気。それは殺気。経験がないほどの圧倒的な絶望が、既に三人を包んでいた。


「……お前らが、アリサを連れ出したのか?」


 固まる三人に、ニコルは低い声で訊ねる。


「………!!」


 ニコルの雰囲気を当てられた三人は、声を出すことすら忘れていた。


「……答えろ!!!」


 黙り込むクロエ達に、ニコルは怒声を上げる。三人は体をビクリと震えさせ、更に表情を凍らせた。


「――待ってニコル!!」


 それに気付いたアリサは、慌ててニコルに声を掛けた。その声を聞いたニコルは、表情を穏やかなものに戻す。


「なんだアリサ?」


「……ニコル、あなた変よ? 急に私を幽閉したり、突然攻撃したり……あなたに、いったい何が起こったの?」


 アリサは、それまで思っていたことを口にする。ここしばらくのニコルは、アリサが知っている彼とは大きくかけ離れた人物になっていた。彼女には、その理由が分からなかった。


「……何も……ただ、気付いただけだ」


「気付いた?」


「そうだ。……俺はな、いつも思っていた。何でこの世界は、俺の思う通りに動かないのかってな……。もちろんお前と一緒に過ごす時間は楽しかったよ。充実していたよ。だけど、それだけなんだ。いつまでも誰かの下について、いつまでもお前との距離も縮まらない。それでもいつかはと思っていたが、気が付けばお前はあのガキに夢中だ……」


「――ッ!! そ、そんなこと――!!」


 アリサは顔を赤くし、ニコルの言葉を遮る。それを見たニコルは、眉間に皺を寄せた。


「―――その顔だよ!!!」


「―――ッ!?」


「俺はな!! お前のそんな顔なんて見たことがなかったんだよ!! なのにアイツは――あのシグマとかいう奴は、あっさりとお前にそんな顔をさせる!! アリサには分からないだろう!! それがどれだけ惨めで! どれだけ憎くて! どれだけ残酷なことかがな!!」


「二、ニコル……」


 一通り叫び終えたニコルは、すぐに落ち着きを取り戻す。その感情の激しい起伏こそ、今のニコルの異常さを表すかのようだった。


「……そして、俺は気付いたんだ。俺に何が足りないのか……俺が、何を持ってないのか。――簡単なことだ。俺になかったものは、“力”だ」


「……力?」


「そう、“力”だ。何者にも縛られず、何者にも邪魔されず、何者にも咎められず、ただ純粋に、思うがままに自分の道を進むための“力”だ。

 ……俺は今、その“力”を手にした。これから俺の世界は変わる。全てが満ちる。快感だ! 俺は、神の福音を受けた!」


 天に両手を伸ばすニコルは、神に喜びをぶつけるようだった。狂信者……その言葉が、一番合うのかもしれない。


「……狂ってる……お前、狂ってるよ……!!」


 ジールは声を漏らす。ニコルは体を静止させ、ゆっくりと視線をジールに向けた。


「……狂ってる? 俺がか? ……ハハハハハ………!!」


 突然笑い出したニコルの声は、静かな森にこだました。夜の中に沈む森には、不気味なニコルの笑い声に包まれていた。


「……さて、狂ってるのは俺の方かな? それとも世界の方かな? お前に、それを判断することが出来るのか?」


 そしてニコルは、腰の剣を抜く。ギラリと鈍い光を放つ白剣。それを見たアリサ達四人は表情を険しくさせた。


「そろそろ御託はいいだろう。……アリサ、俺の元に戻れ。今なら許してやるよ。ただし、そこの三人はダメだ。俺から、アリサを奪おうとした。……消えてもらう」




 ◆  ◆  ◆




 廃教会の周囲は、暗闇に満ちていた。その中心では、未だシグマが胡坐をかいて座り込んでいた。俯く彼は動けない。完全なる敗北を味わい、ニコルの力の前にこの世界に来て初めての恐怖すら覚えた。そんな自分が情けなくて、惨めで、無様だった。その感情がシグマの脳を支配し、体を硬直させていた。


「――何をしてるんだ?」


 シグマの背後から声がかかる。シグマは、無言のままその方向に目をやった。


「………」


 そこに立つのは、アインだった。彼の姿を認識したシグマだったが、すぐに視線を戻した。その様子を見たアインは、何かを悟る。


「……そうか、敗れたか……」


「……ああ」


 軽く返事をしたシグマは、地面に大の字に寝頃がった。


「ハハハ……完敗だったよ。勝てる気がしなかった。今まで強い強いって言われて、いい気になってたのは確かだけど、その鼻っぱしを見事に圧し折られたよ」


 シグマはやけくそのように笑みを浮かべて語る。


「そうか……」


「正直な話、ビビったよ。ブルっちまったよ。アイツとは二度と会いたくない……そんなことまで、考えてしまったんだ、俺は……」


 そう話すと、シグマは表情を曇らせた。そして、心の中に漠然と浮かんでいたことを口にする。


「……俺には無理だ。あんな奴がいるんじゃ、到底この世界を終わらせるなんて出来ない。ランキング一位? ランクSSSモンスター? ジョーカー? ……俺には、出来ないだろうな……」


 この世界に来て、初めてシグマはそう思った。それは認めたくないことだった。それを認めると、アリサを助けることが出来ない。だが、認めざるを得なかった。それほどまでに、ニコルはシグマの心と体に絶望を刻んでいた。


「アンチウィルス……あれ、ニコルも使ってたぞ? ま、アイツはそれが何なのかなんて分かってないみたいだったがな……」


 それを聞いたアインは、静かに言葉を口にした。


「……いや、奴が使ったのはアンチウィルスじゃない。あれは、パンドラの力だ」


「……え?」


 シグマは上体を起こし、アインの方を振り向いた。


「前に言ったはずだ。アンチウィルスは、お前にしか使えない。お前にしかないデータだ。ニコルがしたのは、その真似事だ。無論、弊害もある」


「弊害?」


「ウィルスを自ら体に宿すということは、自らのキャラデータを傷つけるに等しい。連続して使用すれば、たちまち自我が崩壊する。獣のように、本能のまま行動するだけの化物に成り下がる」


(……そうか……だからあの時、あの女はニコルを止めたのか……)


「更に、そのプレイヤーにPKされた場合、その人物にもウィルスは移る。……キャラデータは、致命的な損傷を受けるだろう」


「つまり、どういうことだよ」


「HPが0のまま、光になることすら出来ず、精神はこの世界に囚われる。……そうだな、簡単に言うなら、“死”だ」


「死!?」


 シグマは声を荒げた。当然だろう。ゲームの世界で死というものがあるはずがない。だがアインは、それがあると言った。


「もっとも、現実の肉体には影響はないだろう。だが、このゲームをクリアしない限り、その人物は現実でもこの世界でも目覚めることはない。それは、死に等しいとは思わないか?」


「………」


「……そして、もう一つ悪い知らせだ。そのニコルとかいう男が、今度は“お前の仲間”を斬ろうとしている」


「俺の仲間……まさか、クロエ達か!?」


「ああ。そこには、アリサもいる」


「なっ―――!?」


「今のニコルは狂犬だ。相手の識別なんてせず、思うがままに相手を斬る。……つまり、お前の親しい人物が消えるんだ」


 シグマは慌てて立ち上がる。そしてアインの方に詰め寄り、彼の胸ぐらを掴んだ。


「な、なんでお前がそんなことを知ってるんだ!? それに、俺にどうしろって言うんだよ!!」


「決まってる。……お前が、救うんだよ。ニコルを倒してな」


「――ッ!!」


 その言葉を受けたシグマは、ゆっくりと手を離した。そして後ろに二、三歩下がり、視線を下に向けた。


「……それは無理だ……無理なんだよ……。俺は、ニコルには勝てない。それが、さっき死ぬほど分かっちまったんだよ……」


「そんなことはない。お前のアンチウィルスを駆使すれば、ニコル程度の相手など……」


「発動しなかったんだよ。使おうとしても、使いたくても、なんも出来なかった。俺には、アレは使えない……」


「………」


 シグマは、この世の終わりのような表情をしていた。あの力なしでニコルに勝つことなど不可能だった。それでもあの力は――黒い光は現れない。今のシグマは、無力だった。


「……なぜ、お前がアンチウィルスを使えなかったのか、教えてやろうか?」


 突然、アインはそう告げた。


「……え?」


「アンチウィルスを使えなかった原因……それは、お前の認識の低さだ」


「認識……」


「アンチウィルスは、云わば世界の一部だ。膨大なデータの塊であるこの世界の中に同調し、パンドラを探し出し、改変する。にも関わらず、お前はこの世界を認めようとしない。未だ、たかがゲームの世界と吠えるばかりだ……」


「――当たり前だろ!!」


 シグマはアインに再び詰め寄った。そして顔を顰め、声を荒げる。


「この世界は、ゲームなんだよ!! 人が――美沙さんが作った、仮初の世界なんだよ!! それが違うって言うのか!?」


「ああ。違う」


「なッ――!?」


 シグマは、言葉を失う。現実世界のことを覚えているはずのアインの口から出たその言葉が、信じられなかった。固まるシグマに、アインは続けた。


「では問うが、お前が感じた恐怖は偽物か? 体を走る痛みは紛い物か?」


「そ、それは――!!」


「それは本物のはずだ。喜び、怒り、悲しみ、恐れ、痛み、疲労、想い……それは、紛れもなくお前が感じたことだ。体感したことだ。そしてこの世界には、死すらも生まれた。これは、もはやもう一つの現実だ。この世界は、変わってしまったんだよ。お前が想像する以上の速さでな。

 ――もう一度言う。この世界は、現実なんだよ」


「―――ッ!!」


「そしてアンチウィルスは、その世界の一部。その世界そのものを認めようとしないお前に、アンチウィルスが応えるはずもないだろう……」


「なんだよそれ……なんだよそれ!! 意味が分かんねえよ!!」


 取り乱すシグマ。これまで仮想世界と考えてきた彼にとっては、アインの言葉は到底聞き入れられない言葉だった。だが、アインの言葉はシグマの心に入り込む。アインの言葉から、これ以上ない説得力のようなものを感じていた。

 アインは、視線を泳がせるシグマの胸ぐらを掴む。


「………!!」


「――受け入れろ。全てを。お前を取り巻く状況を、全身で感じろ。この世界を終わらせるために、この世界を認めろ」


「………」


 この時、シグマは初めてアインの目を間近で見た。仮面の隙間から移るその瞳は、強く鋭かった。しかしその瞳は、どこか悲しげで、どこか優しくも見えた。


 二人の間に、沈黙が漂う。やがてアインは、その手を離した。体を解放されたシグマは、力なくその場にへたり込んだ。そして、そのまま俯いた。

 その姿を見たアインはアイテムを召喚し、シグマの足元へ投げる。


「……それは転移石だ。座標は、お前の仲間のところに設定している」


「………」


「これを使うか使わないかは、お前が決めろ。――だが忘れるな。こうしている間にも、ニコルの刃はお前の仲間を――アリサを狙っている。それを救い出せるのは、現状お前しかいない。

 ……お前が本当にしたいことは何なのか、考え抜いてみせろ」


「………」


 その言葉を受けたシグマは、ゆっくりと顔を上げた。そこに、既にアインの姿はなかった。

 シグマは無言のまま、アインが地面に転がる意志を手に取った。青々と輝くその石を強く握ったシグマは、星々が煌めく夜空を見上げた。


 ……空は、何も答えなかった。




 


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