塞ぐ森
「アアアアアアアアアア!!!」
黒い光を帯びた“モノ”は、雄叫びを上げながら剣を振り降ろす。
「――――ッ!!」
シグマは間一髪でそれを躱すが、振り抜かれた刃は轟音を上げながら大地と衝突し、地は割れ、大地を形成していた塊は宙に浮かんだ。
「ぐっ―――!?」
その爆風に近い衝撃に体を流されたシグマは吹き飛ぶ。彼は何とか体勢を立て直そうと空中で体を動かしていたが、気が付けばニコルは地を離れシグマに迫っていた。
「速ッ―――」
「消エロオオオオオオオ!!!!」
ニコルはこの世のものとは思えない叫びを上げ剣を横に振る。ふとシグマの足元に大地の欠片が浮かぶ。それを足で蹴り、体の軸を僅かにずらした。再び空を切るニコルの剣だが、その衝撃は波となって空間を滑空し、目の前にあった森を津波に襲われたかのように薙ぎ払う。
(スキルも使わずに――!?)
その白い剣は、ニコルがそれまで使っていた剣のはずだった。だがこの時、シグマにはその白く黒い刃は大砲のように感じた。目の前に大砲を突き付けられ、間隙なく打ち付けられるような状況――それは、一つの絶望だった。
凄まじい破壊力を有するニコルの斬撃は、剣で受けることすら出来ないだろう。シグマに残されたのは、ただ躱すだけだった。
地に降りた後も、ニコルは執拗にシグマを攻める。
「アアアアアアア!!!」
「―――ッ!」
上下、左右、前後――あらゆる角度でシグマに斬りかかるニコル。それはとても剣術とは呼べるものではない。ただ力任せに、ただ乱暴に、ただ雑に剣を振り抜くだけの攻撃。だがそれでも、その斬撃はあまりに速く、あまりに強大で、あまりに非情な攻撃だった。剣がシグマの横を通るだけで、爆音が彼の耳に襲いかかる。剣がシグマの足元に触れるだけで、足場は崩れる。一つの斬撃を躱したと思えばすぐに次の一撃が来ている。今のニコルには、反撃を許すような暇はなかった。それ以前に、シグマにはその余裕すらなかった。
ただ絶望の中で躱すだけの時間――何の手立てもなく、いつ触れるかも分からない攻撃を躱し続ける時間――それは、たった一人でロシアンルーレットをするかのような光景。いつかは必ず銃弾は貫く。遅かれ早かれ、必ず。
そんな状況の中で、シグマは“あること”を待っていた。
(――クソ!! まだかよ!! まだ来ねえのかよ!!)
彼が待つのはただ一つ。クリムゾン・オーガ・トイフェルの時に起きた“自らのトイフェル化”。それは圧倒的な力だった。そう、今のニコルのように。
あの現象は、トイフェルと対峙した際に発動した。だとするなら、トイフェルと化したニコルが相手でも発動する可能性はある。――シグマは、ただそれに賭けた。賭けるしかなかった。今のシグマに対抗策はない。武器を変えても黒い光を帯びたニコルに通じるとは到底思えない。だとするなら、自らもトイフェル化をする他に、この状況を打破する方策はなかった。
だが無情にも、いくら待てどもシグマの体に変化が起こることはない。体には、ただただ疲労が溜まる一方だった。
(発動条件みたいなのがあるのか!? それはなんだ!?)
今のシグマは、藁にも縋る思いだった。だがその思いは、シグマの戦意を確実に減らしていく。一つのものに囚われ過ぎたシグマの体は動きが鈍り、いつまでも起こることのない奇跡が心を蝕む。皮肉な話だった。トイフェル化は、シグマに残された唯一の希望だった。その希望が、今のシグマを更に追い詰めることになった。
その時、シグマの脚に限界が訪れる。体を右に捻った際、シグマの脚は絡まり、体勢が崩れた。
「しまっ―――」
「終ワリダアアアアアアアアアア!!!」
シグマが脚に気を取られた瞬間を、ニコルは見逃すことはなかった。振り向き様に強烈な斬撃を向かわせる。迫るは絶望の刃。しかし体勢が崩れたシグマに、躱す手立てはなかった。
(やられる―――!!!)
シグマは最後を覚悟する。黒い光の刃は、シグマの体への軌道を辿る。
「―――それまでです」
「―――ッ!?」
「―――アアッ!?」
間もなくシグマの体が無残に斬られるというところで、ニコルの剣はビタリと止まった。力が拮抗し、刃が震えることすらない。その刃の腹付近には、細くしなやかな指が絡まる。
――その手は、神格者の手だった。彼女は片手で、凄まじい威力があるはずのニコルの剣をいとも容易く停止させていた。
「―――ッ」
シグマはその光景に息を飲む。もちろん彼女が止めなければ、彼は完全に斬られていた。だが解せない。なぜこの戦いを仕掛けたはずの彼女が、それを中断させたのか。その疑問は、当然ニコルにもあった。
「ナゼダ!! ナゼアンタガ止メル!!??」
ニコルの怒号に、神格者は優しく言葉を告げる。
「……あなたは、そろそろ限界です。これ以上の変異は、あなたの存在そのものを消し去ります。ここは一度引きましょう」
無論ニコルは、納得など出来るはずもなかった。
「ソンナコト、ドウデモイイ!! オレハタダ、コイツヲ斬レレバソレデイインダヨ!!」
そしてニコルは更に足を踏み込もうとする。――が、その時ニコルは気付いた。神格者の視線に。
「……私の言うことが、聞けないのですか?」
「――――ッ!!!」
それは圧倒的な殺意に満ちた視線だった。今のニコルは、野生の獣に近い。ただ本能の赴くまま、思うがままに行動している。そんな彼は、神格者の視線を前に、一切の反抗を即座に打ち切らせた。本能が、この者には逆らうなと激しく叫ぶ。いつしかニコルは、体に覆わせていた黒い光を消し去っていた。
「……分かった。アンタの言うとおりにする」
彼の言葉は、いつもの声色と口調に戻っていた。
「……結構」
それを見た神格者は、ゆっくりとニコルの剣から手を離した。
シグマは、そのやり取りを立ち尽くして見ていた。神格者は、そんな彼の方を振り返る。
「……今のあなたは、自らの中にある力の使い方すら知らないようですね。そのままではこれから先、生き残ることなど到底不可能です。世界は、これから更に動きます。それまでに、あなた自身の力を使いこなせるようにして下さい。
――今回は、あなたを生かしましょう」
「――――」
「では参りましょう、ニコル……」
「……チッ」
歩き去る神格者の後に続いたニコルは、小さく舌打ちする。そして棒立ちするシグマの横を通る時、視線を向けることなく言葉をかける。
「今回は、“見逃してやる”。……だが、次は必ず消す……!!」
「―――」
シグマは言葉を返すことなく、ただ俯いていた。
やがて、神格者のニコルは深い森の中に消えて行った。残されたシグマは、依然として立ち尽くしていた。彼の周囲は荒れ果てていた。大地は崩壊し、木々は薙ぎ倒され、廃教会は大きな風穴が空いている。それはシグマとニコルの戦闘の激しさを生々しく物語る。
しばらく立っていたシグマは、両手に持った刃を離した。二本の刃は地に落ち、金属音を鳴らす。その音が完全に消え去った後、シグマはその場で膝を折りしゃがみ込んだ。
「…………ッ!!!」
声なき声で叫んだシグマは、思いきり地面を殴り付ける。何度も何度も。鈍い音は断続的に響き渡り、シグマの拳に痛みを走らせる。そして最後に、それまで以上の力を込めて大地を殴ったシグマは、ただただ歯を噛み締めていた。
「………クソ……」
狭い口の隙間からは、シグマの声が漏れる。叫ぶことすらままならない彼にとって、それは精いっぱいの声だった。シグマは、自分の不甲斐なさがどうしようもなく悔しかった。自分の力のなさが、どうしようもなく許せなかった。
それでも現実は変わらない。――シグマは、この世界で二度目の敗北を味わった。言い訳のしようもない、誰が見ても明らかな、完全なる敗北だった。
シグマは、体を震わせる。声なき声で叫び続ける。周囲に広がる森は、そんな彼の姿を塞ぐように風に揺れていた。
◆ ◆ ◆
少しだけ時を遡る森の中では、とある人物が歩いていた。
「……さて、少し急ぐかな。間に合わないといけないし」
その人物――ウルは、歩く足を少しだけ速めようとした。
「―――待て」
その時、彼の前方から声がかかる。ウルは踏み出した足を止め、視線をその方向に向けた。彼の視線の先、木の陰からは、仮面の男が姿を現した。その仮面の男は、当然アインである。その姿を見たウルは、少しだけ驚いた表情を見せる。だがすぐに、笑みを取り戻した。
「……やあ、久しぶりだね……なんでそんな仮面を被ってるんだい?」
「貴様、こんなところで何をしている?」
「それは僕のセリフだよ。キミこそ何をしてるんだい? ――“ツァイ”?」
「……俺は、“アイン”だ。それより、俺の質問に答えろ。――貴様、何をしている?」
ウルは、クスリと笑う。
「別に……ただ、“ちょっと野暮用”があってね……」
「………」
それを聞いた瞬間、アインは少し俯いた。仮面の下の表情は見えない。だが、周囲にはピリピリとした空気が漂う。
「……今貴様をシグマに会わせるわけにはいかないんでな……悪いが、ここで立ち塞がせてもらう……」
そしてアインは呼称する。
「ウェポンセレクト――“ペルソナ”」
呼称と共に、アインの両手は光に包まれる。光が消え去った後に現れたのは、アインの両手を包む武具だった。ナックルに分類されるそれは、青い光を反射する。両の拳の外側には、肘方向へ伸びる片刃の剣がトンファーのようにそれぞれ一本ずつ付いていた。刃の付いたその拳の武具は、数多くあるナックルの中でも異形の形と言えるかもしれない。
「その武器を見るのも久々だね。――ということは、本気なんだね」
「俺は……いつでも本気だ」
アインの声からは威圧感が感じられる。それを受けたウルは、緩んだ頬を少しだけ引き締めた。
「……僕には僕の考えがあるんだよ。――その邪魔をするっていうのなら、例えキミでも容赦はしないよ?」
ウルは、右の手を横に伸ばす。
「ウェポンセレクト――“ハンニバル”」
呼称と共に、彼の右手に光が集う。光は形を生み出す。アインとは対照的に、それは赤い光を反射する。それは一本の剣。いや、剣と言うには形が違う。槍のように柄が長く、大剣のように巨大な両刃の剣が伸びる。ブレード“ハンニバル”……圧倒的なリーチを誇りながらも、ブレードに分類されるそれもまた、同種の武器の中で異形の形だった。
「………」
「………」
二つの鋭い視線が宙で衝突する。そして二人は同時に駆け出した。
それぞれの手に携えられし武器。青と赤。相反する二つの色は、操者が駆け出すことでそれぞれの色の光の筋を描く。静かな森では、もう一つの衝突を迎えていた。




