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ドリフィング・エデン・フロンティア  作者: 井平カイ
【白き闇/黒き光】
48/60

堕ちる白

 廃教会は静かな森の中に佇んでいた。空は間もなく昼の色から夜の色に変わる。空は二つの色をパレットで混ぜたかのように、紺色と黄色を同時に演出していた。

 

 だが、教会内では、そんな神秘的な光景とは異なる、殺伐とした光景が広がっていた。


「くっ―――!!」


「遅ぇんだよおお!!」


 後退しながら剣を受けるのはシグマ。両の刃で懸命にニコルの剣を受け続ける。まだステータスは確認できていない。確認させてくれない。一瞬でも気を抜けば、ニコルの凶刃は容赦なくシグマを切り裂くだろう。しかも、ニコルは言っていた。今のニコルに斬られれば、ただのPKでは終わらない。それが意味することはシグマには分からない。だが、無事では済まないだろう。

 いつしかシグマが防御に回る光景が多くなっていた。やはりニコルの強さは別次元だった。白い鎧に白い剣、ただ剣を振り抜くだけのニコル。だがその一太刀一太刀は致命の剣になるだろう。そう容易く想像できるほど、剣圧は凄まじいものがあった。


(攻撃しろ!! 受けに回るな!! 攻めて攻めて攻め抜いて、その中で何かを掴むんだ……!!)


 剣を受けるシグマは、心で叫び自分に喝を入れる。


「―――ッ」


 シグマは短く息を吸う。そしてニコルが振り抜いた剣を左のソードで受け、右のブレードを剣の側面に当て往なす。往なされたニコルはやや前屈みになり、体は流される。その隙を狙い、シグマは左の刃を薙ぎ払う。


「―――へん!」


 だがニコルは床を蹴り、前方に一回転をしながらシグマの斬撃を躱す。シグマは軽く舌打ちをする。それでも追撃の手を休めない。ニコルが着地するや,

たちまち距離を詰め二つの刃を交互に振り抜く。

 それでもニコルは、涼しい顔をしながらそれを受け流し、弾き返し、鮮やかに躱していた。


「オラオラ! その程度かよ!!」


「―――ッ!!」


 ニコルは余裕に満ちていた。それを見たシグマは、眉を顰める。


「――ハア!!」


 シグマの斬撃を躱したニコルは、一際大きく声を上げ、強力な斬撃をシグマに浴びせる。


「―――ッ!?」


 それを見たシグマは二本の刃を十字に構え、無慈悲な一撃を剣で受け止める。響く刃のぶつかる音は、耳を塞ぎたくなるほど大きい。ニコルの攻撃は凄まじく、余りの衝撃にシグマの体は後方へ吹き飛ぶ。それでもシグマは、何とか空中で半回転をしながら体勢を整え、軋む床に着地し構えを取った。


「はあ……はあ……」


 シグマは既に肩で息をしていた。片やニコルは、余裕の笑みを浮かべている。

 それは、衝撃的な光景だった。仮にもシグマは、“最強最弱のプレイヤー”と称された人物。全てのプレイヤーを圧倒してきた強者。それがどうだろう。完全にニコルに追い込まれていた。余裕なんてない。打開策すらない。ただニコルの攻撃を懸命に受け、当たることのない攻撃を繰り返すのみ。


(……強ぇ……)


 心の中で、シグマはそう感じていた。これまでもモンスターの戦闘では何度か追い詰められたことはあった。だが、ここまでの絶望を感じたことはなかった。ニコルはまだ遊んでるように見える。


(まいったな……まるでレベルが違う……)


 シグマの脳裏に、その言葉が過る。それは一種の敬意なのかもしれない。どんな方法を取ったにしろ、今のニコルは間違いなく絶対強者だった。


「……いい光景だな」


 ニコルは、ふいにそう呟く。


「あ?」


「以前あれだけ脅威を感じていたお前が、今ではまるで子犬のようだ。……いいよお前……すんげえいいよ……。俺はこの光景が見たかったんだよ。俺に追い詰められるお前……最高じゃねえか……」


「………」


「本当はここにアリサを連れてこようと思ったんだがな。アリサの前で無様に地べたに這いつくばらせようとも思ったが……誰にも知られることもなく、一人惨めにここで屍になるのも悪くない……」


「……アリサ……」


 シグマは、目が覚めた気分だった。奇しくもニコルの言葉が、それを導くこととなった。自分がなぜここにいるのか……なぜこの世界にいるのか。そんなものは決まっていた。無論、アリサのため。それを一瞬でも見失ってたことが情けなく感じた。


「……ふう」


 シグマは一度大きく息を吐いた。そして二本の刃を構える。


「――お? まだやるか?」


 ニコルはニヤニヤと笑っていた。まだ楽しませてくれる……その気持ちが、自然と頬を緩めていた。決して負けることなく、遊びながらじわじわとシグマを追い詰める快感。ニコルは、それに支配されていた。


「……ニコル、お前は確かに強くなった。悔しいが、今の俺じゃ勝てるか分からないくらいな」


「ふん」


 シグマは自ら劣勢であることを認める発言をする。それを聞いたニコルは、高ぶる感情を抑えきれずに、ついつい声を漏らした。だがシグマは、鋭い視線のまま続ける。


「だが、負けない。勝てないかもしれないが、俺は負けない。俺はな、こんなところで止まるわけにはいかねえんだよ。俺には、帰ってきて欲しい奴がいるんだよ

 ――ニコル、お前は……斬る……!!」


 そしてシグマは駆け出した。剣と刀を携え、床を駆ける。


「――しゃらくせえええ!!!」


 ニコルもまた床を踏み出し、シグマに向かう。


「スキル発動――“グライドスラッシュ”」


 シグマは呼称の後、右の刀から光の斬撃を繰り出した。ニコルに光は迫る。


「甘ぇんだよ!!!」


 ニコルはそれを剣で受け、強引に下へ弾き落とした。木製の床は煙を上げ崩れ、それに巻き込まれる前にニコルは一際強く足を踏み出した。ブースターを背負ったかのようなニコルの加速。彼は、瞬く間にシグマとの距離を詰めた。そして剣を走らせシグマの胴体を狙った。


「終わりだ!!!」


「―――」


 しかしシグマは冷静にニコルの姿を見ていた。迫る剣を掻い潜り、そのままニコルの後方に移動する。刃の先端はシグマの左頬を掠め、シグマの顔には鮮血のエフェクトが浮かんだ。


「チッ――!!」


 軽く舌打ちをしたニコルはすぐに体を反転させる。そして後方に抜けたシグマに視線を合わせようとした。……だがシグマは、既にニコルの眼前にまで迫っていた。


「シッ――!!」


 そのまま二本の刃を交差させる。ニコルは余裕の笑みを浮かべ、それを剣で受けた。


「無駄なんだよ!! テメエの攻撃なんぞ、俺には――」


「スキル発動――!!」


「―――ッ!?」


 シグマは剣をニコルに防がれたまま呼称を始めた。シグマとニコルは零距離。二本の剣はニコルの白剣に防がれたまま。それでもスキルを発動させれば、下手すれば自分まで巻き込まれる。それは、シグマにとって賭けだった。


「おま―――!!」


「――クロスブレイド!!!」


 ニコルが驚愕し声を出そうとした瞬間、シグマはスキル名を叫ぶ。防がれた二本の刃は光を帯び、そのままニコルの体を押し込み始める。


「貴様正気か!?」


 ニコルは思わず声を出した。レベル1のシグマが捨身の攻撃をするのは、自殺行為にも等しかった。


「言っただろ!! テメエを斬るってな!!」


 その瞳は不倶戴天の決意が宿っていた。黒い瞳の奥に確かに見えた激しい炎は、ニコルの体を一瞬凍らせた。それはニコルの心に刻まれた記憶だった。シグマの鬼気迫る迫力は、それを無理やりこじ開ける。

 一瞬だけニコルの剣圧が弱まる。シグマはそれを逃がすことはなかった。


「―――おおおおおおお!!!」


 シグマは全身全霊を賭けニコルの剣を押し込む。両腕は軋みを上げる。だが力を抜くことはない。そのままシグマとニコルは教会の壁に衝突し、外壁を打ち壊した。

 その勢いに乗じて、シグマは最後の力で剣を振り抜いた。


「ニコルウウウウウ!!!」


「―――ッ!!!」


 シグマの剣はニコルの体に触れる。そして彼の体に二本の斬撃を斬り入れた。ニコルの体は宙を舞う。シグマは誰も居なくなった正面を突き進み、宙に舞ったニコルに視線を送った。そしてそのまま大地に足を踏みつけ、勢いを殺す。体が余勢を無くした瞬間に全力で足を踏み出し、宙へと体を跳び上がらせた。


(これで―――!!!)


 シグマはニコルに迫る。そのまま剣を構え、間もなく間合いに入ろうとする。


「―――図に乗るな!!」


 その瞬間、ニコルは顔を上げシグマに視線を送った。その表情は怒りに染まり、力任せに剣を振る。


「――――ッ!?」


 シグマは咄嗟に剣を前方に構え、ニコルの攻撃を受けた。そのまま地上に向け弾き飛ばされたシグマだったが、空中で体勢を整える。着地した彼の体は大地を滑り、土煙を上げながら停止した。そんなシグマの前方には地に降り立つニコルがいた。ニコルの白い鎧には、シグマの傷が残されている。だがニコルは、ダメージを受けて苦しむ様子はなかった。片手を頭に付け、フラフラと揺れている。


「……ウザいんだよ……何でいちいち頭に浮かぶんだよ……いい加減消えろよ……!!」


「……なんだ?」


 その様子は、先程までとはまた違う。何かに苛まれるかのように呻くニコルは、ただただ揺れる。


「……もういい。もういい。もういい。もういい。もういい! もういい! もういい!! もういい!!

 ――いい加減……消えろおおおおおお!!!」


 雄叫びのような怒鳴り声を上げたニコルは、何かを呼び出すように右手を天に掲げた。


「――変異!!」


 ニコルが咆哮のような怒鳴り声を上げると、掲げた右手から黒い液体のようなものが湧き出はじめる。


「なっ―――!?」


 シグマは絶句した。それは漆黒蝶に汚染された時に起こる現象そのものだった。液体がニコルの体を包み込む。


「お、おいニコル!! お前何してんだ!?」


「もう遊びは終わりだ!! これでテメエを消滅させる!!」


 ニコルはシグマの話など聞いてはいない。やがて液体は朧気な光を放ち始める。そして、ニコルの全身は黒き光に包まれた。


「――プレイヤー情報表示!!」


 シグマはすぐに呼称する。そして、そこに表示された情報を見て愕然とした。



 プレイヤー … ニコル・トイフェル

 レベル   … 597

 ジョブ   … 剣士



「……ニコル……トイフェル……!?」


 そこには、本来あるはずのない言葉があった。それはつまり、ニコルが汚染されたモンスターと同様であることを意味する。だがニコルは変異していない。それだけではない。ニコルが帯びる黒い光……シグマには、見覚えがあった。


(あの光は……あの時の!?)


 それはランクSSの鬼を仕留めた時にシグマが帯びた光だった。その光を、目の前のニコルが帯びる。


(アンチウィルス!? で、でも、そんなはずは……!!)


 戸惑うシグマに向け、ニコルは叫ぶ。


「オ前ノ存在ガ俺ヲ苦シメル!! オ前ガ憎イ!! ドウシヨウモナク憎イ!! ――ダカラ、モウ消エロ!!!」


 ニコルの声は、加工されたかのようにどこか機械的になっていた。そこには、もはやニコルというプレイヤーはいないのかもしれない。シグマは、困惑しながらもそう感じた。


「アアアアアアアアアアアア!!!!」


 そしてニコルは大地を駆ける。黒の光を帯びた白鎧の剣士は、剣を振り上げる。


「――――ッ!?」


 闇へと堕ちた白き剣士は、ただ雄叫びを上げながらシグマに迫っていた。


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