黄昏の廃教会
「……ここは……」
シグマが転移の石で移動した先……そこは、深い森の中にある教会だった。石で出来たかのような境界は、夕陽の光を受けオレンジ色に染まる。設定上かなりの年月が経っているのかもしれない。何しろ、建物であるはずの教会はボロボロに崩れていた。崩れた壁には長い蔓が巻き付いている。夕陽に火照らされた老廃した教会は、どこか幻想的で神々しかった。
「……何がオーブ・エスタードに招待するだよ……絶対違うじゃねえか……」
そうぼやきながらシグマは周囲を見渡す。そこには、誰もいなかった。アリサどころか、ニコルの姿も見えない。それでもシグマには、ここにニコルがいることが何となく分かっていた。あの男が自分に対して抱く黒い感情は本物だった。それが自分の意味もなく誰もいない場所へ転移させたりしない。それは確信だった。
「――ニコル!! いるんだろ!? 来てやったぞ!!」
シグマは周囲に声を響かせる。彼の言葉はこだまとなり教会の壁が反射させていた。その声に呼応するように、教会のドアが鈍い音を上げ開かれた。だが、そこから誰も出てくることはない。教会の中は様子が窺えない。日の光が届かないようだ。薄暗く、混沌としていた。
(来いってことか……)
シグマは静かに歩を進めた。最大限の注意を払いながら。そうしながら、彼はニコルのことを考える。チートキャラであるシグマからしても、ニコルの強さは異常だった。その剣圧はいとも容易くシグマの体を弾き飛ばし、瞬く間に距離を詰めてくるその速度……少し前に見たニコルの強さとは、桁が違っていた。なぜ急にそこまで強くなれたのか……いや、あれは通常のゲームの仕様では辿り着けない領域のように思える。だとするなら、可能性の中に一つの選択肢が増えていた。
(……ウィルス…なのか……?)
そう、それこそがその可能性。だが妙な話だった。仮にニコルがウィルスに感染したとして、なぜ彼は人の姿を保っているのだろうか。それに、彼には自我があった。多少異常な挙動や言葉が見えたが、間違いなく自分の考えを口にし、行動していた。
(もしかして、また変異したのか?)
そう考えるのが妥当だろう。そうだとするなら、ニコルにキルされた場合、プレイヤーはどうなるのだろうか。ミーレスは光になったまま戻らなかった。では、更に変異したウィルスの影響は……もしかしたら、事実上の“死”すらも起こり得るかもしれない。それが起こるのであれば、この世界は完全なる“現実”になったことを意味する。
ゲームと現実には、大きな違いがある。それが、生と死の概念だ。ゲームをどれだけ精巧に、どれだけリアルに造ろうが、その世界で死ぬことがなければ、所詮遊び事――現実世界の真似事にしか過ぎない。だが、そこに“死”が生まれるとするなら……それはもはや現実だ。
(デスゲーム……ね。ゾッとしねえな……)
そう思う自分が少し笑えた。彼はこの世界がバーチャルの世界だと知っている。にも関わらず、命の心配をしなければならないことが滑稽だった。
やがてシグマは教会の中に入った。外から射し込む夕日は、ステンドグラスを通り、七色の光の線を演出していた。一番奥には十字架が見える。台座に突き刺さった十字架は、やや右に傾いていた。
そしてその下には、一つの影が座っていた。その影は顔が見えない。だが、シグマには分かっていた。
「……待たせたな、ニコル。ちゃんと来てやったぞ?」
その声を受けた人影は、口元をニヤつかせた。そして立ち上がり、三段だけ設けられた階段を降りていく。階段から数歩歩いたところで、その人影の顔はひび割れた外壁の隙間から射し込む光に照らされた。
「……待ってたぞ……さっそく始めようか……」
「その前に、アリサの無事を確認したい。アリサはどこだ?」
「そんなもの、どうだっていいだろう……」
ニコルの口から、予想外の言葉が出た。それにシグマは困惑する。
「……どうだっていい? どういうことだ?」
「俺にとって、アリサは今やどうでもいい存在でしかない。後で考える。……今の俺が最も欲するのは、お前を斬る感触だ。光になれず、転移さえも出来ない。HPが0のまま地べたに這いつくばり、いつまでも動かない屍のお前………それを想像しただけで、俺の心は奮えてくる……!! 俺は神に触れた!! 代行者だ!! 俺には、全てが許される……!!」
「お前……」
シグマはそれ以上の言葉が見つからなかった。目の前の人物は、もはやニコルではなかった。それどころか、このナイツオブエデンという世界にすら似つかわしくない。どこまでも暗く、どこまでも闇に染まる“モノ”。それは、一つの究極なのかもしれない。
それにしても、シグマには気がかりなことがあった。それは、ニコルが口にした言葉。
『光になれず、転移さえも出来ない。HPが0のまま……』
その真意を確かめるべく、シグマは訊ねる。
「ニコル、それはどういう意味だ? 光になれない? HPが0のまま?」
ニコルは、ただ頬をニヤつかせていた。何も説明しない。その顔を見たシグマは、ただ表情を険しくさせる。
「――その通りの意味ですよ」
突然、ニコルの更に背後から声が響いた。透き通った女性の声だった。だが、声にはどこかフィルターのようなものがかかり、霞みがかったように聞こえる。
「……アンタ、来てたのか……」
ニコルは視線だけをその方向に向ける。シグマもまたニコルの背後に目を凝らした。
「誰だ?」
そこから現れたのは、白いフードの女性……その者こそ、ニコルに何かを渡した“神格者”と呼ばれる人物。
「私は、神格者……とでも名乗っておきましょうか。今この青年が説明したことは、そのままの意味ですよ。――シグマ」
神格者は、意外にもシグマの名を口にした。シグマは過度な動揺はしなかったが、それでも体をやや低くし、構えを取る。
「……なぜ俺の名を?」
神格者はクスリと笑う。
「私は神格者ですよ? 神格者とは、神の地位、資格を有する者……即ち、私こそこの世界の神なのです。その私が、貴方を知らないはずがないでしょう?」
「……神だ?」
「そう、神です。この世界は、私の掌の上。何人たりとも、それを揺るがすことは出来ません。この世界は、間もなく革新の時を迎えます。新たな世界の誕生です。新境地を迎える世界に、貴方は立っているのですよ」
「………」
神格者は両手を天に仰ぎ、何かのお告げのように饒舌に語る。そしてその前では、どこか誇らしげにニコルが笑みを浮かべていた。
「――ハハハハハハ………!!」
その光景に、シグマは思わず声を上げて笑ってしまった。その彼の姿を見たニコルは顔を険しくさせる。そして神格者は、ゆっくりと手を下げた。
「……何がおかしい?」
ニコルは殺気が込められた声を出す。
「いやいや、悪い悪い。前にも似たようなことを言っていた奴がいたが………まさか、“自称神様”まで出てくるとは思わなかったからな。――なるほど、この世界の神様は、ずいぶんと立派なもんだ。こんな辺鄙なところにわざわざ顔を出して、俺やニコルにお言葉までくれるとは恐れ入ったよ」
「………」
神格者は何も語らない。だがニコルは、歯をギリギリと噛みしめていた。
「……はっきり言ってやろうか? お前ら、くだらないんだよ。バカらしいんだよ。神だ仏だ言っておきながら、テメエらはただのデータでしかない。実際のお前らは、脳に妙な機械くっつけて、病院だか家だか知らないが、どっかでアホ面して寝てんだよ。
――なあ神様よ、アンタはそれを知ってるのか?」
「………」
「だんまりかよ。ホント、アインといいアンタといい、何か知ってそうな奴はみんな黙りやがる。
……一つ、覚えておけ。神様ごっこするのはアンタの勝手だ。その使徒を気取るのもニコル、お前の勝手だ。――だがな、俺の邪魔をするな。アリサに手を出すな。俺は誰が相手だろうが負けるわけにはいかねえんだよ。こんな仮初の世界、さっさと終わらせたいんだよ。そのためなら、神だろうが何だろうがブッ飛ばす。お前らに求めることは、たった一つだけだ。
――アリサを、返せ……!!」
「――ほざくなガキがあああああああ!!!」
シグマの言葉にニコルは激高した。その思考をそのまま表すかのように、荒々しく剣を抜き、シグマに向け猛進する。
「――テメエもな!!!」
そしてシグマもまた、二本の刃を抜きニコルに向け駆け出す。夕陽が刺し込む教会の中で、三つの刃は衝突し、甲高い金属音を響かせた。
「………シグマ、超えて見せなさい……」
その中で、神格者は誰にも聞かれないようにそっと呟く。その声はさっきまでの高圧的なものとは違う。どこか優しく、どこか清らかな声だった。
シグマがその声に気付くことはない。今彼は、狂気の権化と化したニコルと剣を向け合う。黄昏の廃教会では、二人のプレイヤーが戦闘を始める。静かな教会の中は、殺伐とした空気が満ちていた。




