歪んだ笑み
「はあ……はあ……」
街道の途中、アリサは肩で息をしていた。その前にいるのは、剣を片手に持ち、腰に手を当てて立つシグマ。
「……なあアリサ、いい加減諦めたらどうだ? 何度も言うが、俺は出頭なんてしないって」
「はあ……はあ……う、うるさい……!!」
「まったく……相変わらず強情だな……」
シグマの顔は、どこか嬉しそうだった。そのアリサこそ、シグマの知る亜梨紗そのもの。現実世界のことを忘れても――紫雨真輝のことを忘れても、その本質は変わらない。それは、シグマにとってとても喜ばしいことだった。
「……ねえ、シグマ……」
膝に手を当てていたアリサは、視線を下に向けたままシグマに話しかけてきた。
「なんだ?」
「ちょっと提案があるんだけど……オーブ・エスタードに来ない?」
「だから、出頭はしないって……」
「そうじゃなくて、オーブ・エスタードに入らないかってことよ」
「―――」
シグマは固まった。それは、予想もしていなかった提案。オーブ・エスタードの王はシグマを狙っている。にも関わらず、その兵士長であるアリサは、自分を仲間に招き入れようとしていた。それは王の思惑に沿わない提案。シグマは、顔を険しくさせた。
「……アリサ、滅多なことを言うなよ。お前だって知ってるはずだ。俺は、お前の長に目を付けられてるんだぞ? そんな俺を誘ったら、お前の立場が危うくなるだろうに……」
「それもそうだけど……仲間になるなら問題ないと思うけど?」
「パスだ。俺はそういうのには馴染めないだろうし」
「……でも、せめて話だけでもしてみたら?」
「しつこいって。ていうか、お前の長が絶対に許可しないだろうに……」
「………でも……」
アリサは、捨てられた犬のような表情になっていた。それを見たシグマは、それ以上の言葉をかけるのを辞めた。
「……俺のことは気にすんなよ。これでも、自由気ままに旅出来てるんだ。割と楽しいもんだぜ?」
「………」
シグマの言葉に、アリサは疑いの眼差しをしていた。何だか心の中を見透かされた気分になったシグマは、慌てて視線を逸らす。
「……まあ……その、なんだ? もしお前の長が許すなら……考えてもいいけどな」
「え!? ホント!?」
シグマの言葉に、瞬時にアリサは表情を明るくする。
「あ、ああ……まあ、な……」
「わかった! さっそく聞いてみるね!!」]
アリサはすぐに体を起こし、転移のアイテムを取り出した。
「ちょっと待ってなさいね! すぐ戻るから!!」
「お、おい……」
大志の呼び掛けなど、今のアリサには聞こえない。そのまま、光の中に消えてった。
「……相変わらず、騒がしいやつ」
そう呟く自分に、少しだけ笑ってしまった。それは“あちらの世界”で使っていたお決まりのセリフ。それを再び“こちらの世界”で使うことになったことが、どこか可笑しく、どこか嬉しかった。
「―――何が可笑しいんだ?」
「―――ッ!?」
シグマは、背後から突然声をかけられた。慌ててその場から離れ距離を取るシグマ。そこに立っていた人物を見た瞬間、全身の力を抜いた。
「……なんだ、アインか……。いきなり後ろから声をかけるなんて趣味が悪いぞ……」
「脅かしてしまったようだな。すまない。……だが、不愛想なお前でも、そんな顔を出来るんだな」
「………」
シグマは顔を背けて頬をかいた。さっきの呟きを聞かれたことが少しだけ恥ずかしくなっていた。
「まあ、相手が“桐原亜梨紗”なら仕方もないか……。記憶をなくしても、本人に変わりはあるまいしな……」
「アリサまで知ってるのかよ……ホント、誰なんだよ……」
アインが亜梨紗のことまで知っていたことにシグマは驚きつつも、どこか納得する。何しろ彼は自分と美沙を知っている。となれば、亜梨紗だけを知らない方が不自然というものだろう。
「……それはそうと、気を付けろ」
アインは話をはぶらかすように話し始めた。
「気を付けるって……何を?」
「………“神格者”が、動いた」
「神格者?」
ここに来て、アインはまた大志の知らないフレーズを口にした。無論、大志には何のことか分からない。
「この世界の、“神様”気取りだよ。裏でコソコソ動いている輩だ」
「ふーん………で? その神格者って奴がどうしたんだ?」
「どうやら、裏で何かをしているようだ」
「何かって?」
「詳しくは分からない。だが、一つだけ忠告しておこう。――お前、旧約聖書のカインの故事を知ってるか?」
「まあ、聞いたことはあるな。確か、弟に嫉妬して、その弟を殺してしまう奴だよな?」
「ご名答」
「……いや、それがどうしたん―――」
言いかけたシグマは、そこで気付く。そして、言葉を途中で終わらせた。
「……気付いたか」
「まさか……その神格者がしていることに、“アイツ”が関係してるのか?」
「さあ、な……だが、用心するに越したことはない」
「……わかった」
「話はそれだけだ。じゃあな」
そしてアインは姿を消した。残されたシグマはその場で考えた。
(……もしそうだとしたら、そろそろ動くはずだな……)
シグマは空を見上げた。その日の空のエフェクトは、どこかどんよりと雲がかかっていた。
「……嫌な天気だな」
◆ ◆ ◆
「――筆頭!! ウル筆頭!!」
拠点基地に戻ったアリサは、声を出しながら自分たちの長を探した。しかし、どこにもその姿はない。
「……もう、こんな時にどこに行ったのよ……」
アリサは、一刻も早くウルと話をしたかった。にも関わらず、姿が見えないことに苛立ちを覚えていた。
「――アリサ」
突然、目の前の廊下の角からニコルが現れた。アリサは、ニコルに対して慌てて声をかける。
「ああニコル! ちょうどいいところに来たわ! ねえ、筆頭見なかった!?」
「ウル? ……ああ、さっき出ていってたけど……」
「ホント!? どこに行ったの!?」
「……よし。じゃあ、案内してやるよ」
「うん! 出来るだけ急いでね!!」
「はいはい………」
ニコルは踵を返し、アリサの前を歩き始めた。
(待っててねシグマ! すぐに話を通すから!)
アリサは、もう既にシグマがオーブ・エスタードに入るようなつもりになっていた。これからシグマも加わる。それが、なぜか無性に嬉しかった。拠点基地の中を、“二人”で歩く姿を想像したアリサの顔は、自然と綻んでいた。
「………アリサ、“ちゃんと付いて来いよ”?」
「分かってるわよ!」
「そうか……」
ニコルは正面を向いたまま、ニヤリと歪んだ笑みを浮かべていた。
そしてアリサは、ニコルの案内で拠点施設の奥へと進む。その通路は酷く暗く、どこか空気が淀んでいた。




