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異世界“ナイツオブエデン”へ

 しばらくして美沙は帰るなり急いで亜梨紗の部屋に入ってきた。ベッドで眠る亜梨紗を見た美沙は、ただただ涙を流して泣いた。それを見つめる真輝もまた、涙腺を刺激される。それは彼が懸命に耐えていた行為。絶望に身を打ちひしがれ、それでも流さなかった涙。泣けば全てを諦めてしまいそうだった。全てを受け入れてしまいそうだった。声を上げて泣きじゃくる美沙から目を逸らし、彼は必死に耐えた。


 ひとしきり泣き終えた美沙は、茫然と床に座り込んでいた。それを見つめていた真輝は、空っぽの心に無理矢理何かを押し込め、美沙に話しかけた。


「……美沙さん、一度下に降りよう。ここにいても仕方ない」


「………」


 美沙は声を発することなく小さく頷いた。真輝は憔悴しきった美沙の手を引き、一階のリビングに降りて行った。


 リビングの椅子に座る美沙と自分が座る椅子の前にコーヒーを差し出し、真輝も椅子に座る。


「……美沙さん、いったい何が起こってるんだ?」


 問われた美沙は俯いたまま動かなかった。真輝は催促することなく対面に座ったまま、悲しみに表情を落とす美沙を見つめていた。


「……状況は、ニュースに流れていた通りよ。新種のウィルスに汚染されたKOEは、今ではまるで別世界になってしまってるの」


「復旧させる手立ては?」


「……正直、かなり厳しいわ。まず、今回のウィルスについての情報がないの。構造も分からないし、作った犯人ですら既にデータを全て消去していたわ。ウィルスの分析をしようにも、複雑な暗号コードが幾重にも幾重にもかけられていて、実際はお手上げ状態よ。解析には、かなりの時間を要するでしょうね。それこそ、数年単位の……」


「こっちの世界から強制的に戻す方法は?」


「それも無理なのよ。あのウィルスは、こちらからの情報を一切遮断したのよ。それはつまり、強制ログアウトの信号すら受け付けてくれないの」


「亜梨紗は……残された人たちは、どうなるんだ?」


「今の段階で何か起こるわけじゃないわ。いつも通りKOEの世界を楽しんでいるでしょうね。……向こうの世界が本当の世界と思いながらね」


「じゃあ、とりあえずこのまま死ぬことはないんだろ? 時間がかかるにしろ、その内帰れるんだろ?」


「確かにその通りよ。……でもね、そもそもVRMMOってのは、脳の負担が凄まじいの。多少連続してするくらいなら何の問題もないけど……それが、数年間し続けるなら話は別。脳の負担が限界に達すれば、プレイヤーの頭が……心が壊れるわ。それはつまり、二度と“その人”とは会えなくなるということよ」


「そ、そんな……」


 二人の間に沈黙が流れる。本当のところ、真輝は期待していた。美沙はKOEの開発者である。そんな人物なら、何か手立てがあるものと思っていた。いや、祈っていたのだ。

 しかしどうだ。美沙の口から語られるのは、事態の最悪さを物語る言葉ばかりではないか。そのことは、真輝に更なる絶望を感じさせることだった。方策はない。だが、このままでは亜梨紗の心が殺される。


「――クソッ!!」


 真輝は行き場のない怒りに目の前のテーブルを思い切り殴り付けた。その衝撃でテーブル上の真輝のコーヒーが零れる。コーヒーは、白いテーブルクロスを黒く染めていた。



「……一つだけ、方法があるわ」


 突然美沙は口を開いた。真輝は耳から入ったその言葉を脳内で懸命に処理した。そしてその意味を理解した時、椅子から勢いよく立ち上がった。


「ほ、本当!?」


「ええ。たった一つだけ、方法があるの。……だけどそれは……」


 美沙は言葉を濁す。それは開発者である美沙にとって、あまりにも成功率が低い方法だった。しかし真輝にそんなことは分からない。必死に美沙に問い詰めた。


「教えてくれよ美沙さん!! その方法って何なんだ!?」


 催促された美沙は、重い口をようやく開いた。


「……KOEを、クリアすることよ」


「KOEを……クリア?」


「そうよ。……おおやけには、KOEに“クリア”なんてものはないのよ。いつまでも終わらないMMO。ランキング戦は常に順位が変動し、上がり下がりを繰り返しながら高みを目指していく。モンスターも次々と新しい種類を発表し、飽きることのない討伐ミッションを作り出している。そんなゲームに、終わりなんてものはないのよ」


「だったらどうやって……」


「でも私は、一つだけエンディングを用意したの。ある条件をクリアすることで、スタッフロールがKOEの世界中に流れ始め、コメントが空に浮かぶの。

 “このゲームをクリアした人物が現れました”ってね。

 それを見たら、きっとみんな思い出すわ。この世界が、ゲームの世界であることを。

 ……もちろんうまくいく保証なんてない。それで本当に思い出すとも限られないし、そもそもその“条件”ってのは、到底不可能なことなのよ」


「……その、条件ってのは?」


 美沙は静かに頷き、伏せていた視線を真輝に向けた。


「条件は三つ。一つ目は、ランキング戦で勝ち上がり、ランキング一位を勝ち取ることよ」


「……それって……」


「分かってるわ。それだけでもかなり難しいことよ。KOEは数百万人のプレイヤーが存在するゲーム。その中で一位を取るということは、数百万人のトップになるということ。しかもランキング戦は上位になればなるほど、負けた時の順位下降率は高くなるわ。仮にランキング十位以内に入った後に負ければ、それだけで一気に数百位まで落ちてしまう。つまり、一位になるには、“勝ち続ける”のが条件になるわ」


「………」


 真輝は声を失った。ゲームをしない真輝にも分かる。それは、不可能とも言えるほど無謀なことであることを。


「二つ目の条件は、ゲーム内に存在する特定のモンスターを討伐すること」


「それなら、何とか……」


「いや、それが最も難しいのよ。モンスターにはそれぞれランクがあるの。一番下の雑魚モンスターはランクE。それからランクはD、C、Bと上がっていき、最高ランクはSSS。SSSモンスターは、上位ランカーでもソロで討伐するのは不可能なほど強いわ。

 ……そして、その特定モンスターというのは、私達が“ジョーカー”と呼ぶモンスター、いわゆる裏ボスのような存在よ。そのモンスターと戦うには、ランクSSSのモンスターを特定個人が全て討伐する必要があるのよ」


「……SSSモンスターって、何匹いるんだ?」


「七体よ」


「たったそんだけ?」


「違うわ。“七体もいる”ってのが正解よ。それほど、SSSモンスターは強力なのよ。――下手をすれば、ランキング一位を取るより難しいわ。しかも、SSSモンスターの討伐は、あくまでも“ジョーカー”を呼ぶための前座。当然ジョーカーは、SSSモンスターとは比べ物にならないくらい強いのよ」


「マジかよ……」


「そして最後の条件は、二つの条件を同時に達成することよ。つまり、ランキング一位を保ったまま、ジョーカーを討伐する。もちろんモンスターに破れてもランキングは僅かに下がるわ。

 ……もう分かったでしょ? それが如何に不可能なことかが……

 それを、プレイヤーの誰かが達成しないとダメなのよ」


「そんなの……誰が……」


「そうよ。向こうの世界で、そこまでしようとする人物なんて限られるでしょうね。その人物がランキング一位を保ったままジョーカーに勝つなんてことは、ほぼ0%と言ってもいいくらいよ。なにしろ、そんなことする必要はないのだから……」


「………」


 真輝は、崩れるように再び椅子に座る。そんな真輝を見た美沙も視線を下に戻す。美沙が話した“唯一の方法”は、余りにも難しすぎる条件だった。特に現実世界のことを忘れているであろう向こうの世界は、クリアなんて概念は存在しないだろうし、それを説明しても理解することは出来ないだろう。結局、絶望的なことは変わらなかった。


 リビングには、再び重苦しい空気が流れていた。


(……亜梨紗)


 真輝の脳裏を掠めるのは、亜梨紗との会話。学校の帰り道。何気ない日常。風景。当たり前に隣にいた亜梨紗……全てが、まるで遠い昔のように感じてしまっていた。そしてそんなモノクロの風景の中で、亜梨紗の言葉が甦る。



 ――待ってるね――



「――――」


 机に置いていた真輝の手に力が入る。そして彼は決意した。……全てを。



「――俺が、やる」



「……え?」


「俺がKOEにダイブする。そして、仮初(かりそめ)の世界を、終わらせる」


「ちょ、ちょっと待って!! 正気なの!?」


 慌てて立ち上がる美沙。彼女は困惑していた。真輝の提案は、自殺行為にも近かったことを理解していたからだ。


「あっちの世界に行くってのが、どういうことなのか分かってるの!? KOEはもはやゲームの世界なんかじゃない!! 全ての人が現実世界を忘れ、あの世界が本物だって疑うことなく思ってる!! それはつまり、KOEは既に一つの“異世界”になってるってことなのよ!?

 それだけじゃない! 向こうの世界に行ったら、真輝くんだってこっちの世界のことを忘れる!! みすみす被害に遭いに行くようなものよ!!」


「だからって、向こうの奴がゲームをクリアするなんてのは待つだけ無駄だ。そうしている間にも、プレイヤーの……亜梨紗の心は壊されていく。ゆっくりと、確実に。

 ……それなら、いっそ事情が分かる俺が向こうにダイブして、全てを取り戻す」


「で、でも……!!」


「……美沙さん、もう決めたんですよ。俺は、KOEに行く」


 真輝の目は真剣そのものだった。彼を突き動かすのは二階に眠る亜梨紗の姿。あの暖かい日常に戻りたい。悪くなかった毎日に戻りたい。そんな想いが、彼の心を奮い立たせていた。

 そんな真輝を見た美沙もまた、彼が本気であることを理解した。全てを賭けて、妹を、亜梨紗を救おうとしていることも。


「……分かった。もう止めないわ。――私も、出来る限り協力する」


「ありがとう、美沙さん。そうしてくれると助かるよ」


「なら、さっそく準備をするわ。真輝くんは部屋で待ってて」


「ああ!」




 ◆  ◆  ◆




 部屋に移動した真輝と美沙は、KOEに入るための用意をしていた。真輝はベッドで横になり、頭部には亜梨紗が付けていたものと同じの装置が付けられている。その装置にコードを接続させ、美沙はカタカタとパソコンを叩き続けていた。


「……最初に、注意事項を言っておくわ」


 パソコンを叩きながら美沙は真輝に話し出した。真輝も顔を美沙の方向に向ける。


「まず、あっちの世界では現実世界のことは一切信じてくれないことを理解しておきなさい。プレイヤーは、時間的に既にこっちの世界のことを忘れているはずよ。いくら説明しても、全く相手にされないわ。

 次に、亜梨紗のことだけど……あの子をゲームの中で探すのは諦めなさい。数百万人がいる中で特定の人物を探すのは、砂場の中から一粒の砂を見つけ出すようなものよ。いつ会えるかも分からないし、時間が無駄になるわ」


「……わかった」


 ……美沙には分かっていた。それでも彼が亜梨沙を探すことを。


「それと、キャラクターに特殊なデータをインストールするわ。プレイヤー自身に現実世界の情報を入力するの。もちろんプロテクトをかけた上でね。それなら真輝くんが現実世界のことを忘れることはなくなると思う」


(……それで大丈夫な保証はないだろうな)


「もう一つ、真輝くんのキャラを改造するから。いわゆる、“チート”ってやつよ」


「チート? 何をするんだ?」


「最初からキャラを最強レベルまで成長させるの。それなら、レベル上げだとかに時間を割く必要がなくなるでしょ?」


「確かに、それなら手っ取り早く済みそうだ」


「……でも、KOEはチートキャラ対策もインストールしてるのよ。出来るだけ大丈夫なように設定するけど……もしかしたら、何かしらの不備が出るかもしれない」


 それがどんな不備なのかは美沙には分からなかった。少々危険な賭けだったが、長年の付き合いから真輝がそれを望むことが分かっていた。だからこそ、美沙にはもう迷いがなかった。


「最後に一つ。真輝くんのデータはチートなのよ。だから、一度ログアウトしてしまうと、下手すればデータごと破損してしまう可能性があるわ。……酷だけど、出来る限りログアウトはしない方がいいわ」


「いいって。どうせクリアするまでログアウトしないし」


「そう言うと思ったわ。――さて、準備完了よ」


 美沙はパソコンのエンターキーを一度強く叩いた。そして画面から目を逸らし、真輝の顔を見つめた。


「……真輝くんばかりに負担をかけちゃってゴメン。本当なら私が行くべきなんだろうけど……」


「気にしないでくれよ。美沙さんにはウィルスの分析をしてもらいたいし。

 ……ちゃんと戻ってくるさ。もちろん、その時は亜梨紗と一緒だ」


「……ええ。ありがとう」


 真輝は再び顔を戻し、天井を見つめた。彼は複雑な心境だった。昨日まで自分がダイブするなんてのは考えもしなかった。それがこんな形でKOEに行くことになるなんて……


(本当なら、亜梨紗が跳び跳ねて喜ぶところだろうな……)


 彼の中に、再び亜梨沙の顔が思い浮かぶ。笑顔、声、仕草……その全てが、彼の心に流れ込んでいた。


「いつでもいいわよ。心を落ち着かせて、“ダイブ”と唱えればKOEに行けるから。――頑張って」


「……分かった!」


 真輝は瞳を閉じ、高鳴る心臓を落ち着かせるように、一度大きく深呼吸した。


(必ず助ける。――絶対だ!)


「――ダイブ」


 その声と共に、VRMMOの装置から甲高い機械音が鳴り始める。


 ……そして、彼の意識は暗闇の中に落ちていった。















【彷徨う楽園】 終

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