進む道はどこまでも暗く
「う、うぅん……」
長い眠りの後、アリサは目を覚ました。起き上がり周囲を見渡すと、そこは白いテントの中だった。まだ意識が定まらないアリサは、周囲をボンヤリと見渡す。どこか見たことがあるテント。アリサは、何とか思い出そうとしていた。
「ここは……オーブ・エスタードの……」
そしてようやく思い出す。そここそ、街の中にあるオーブ・エスタード軍のテント。アリサは頭を抱えて自分に起こったことを思い出した。
「……そっか。私、後ろから気絶させられて……」
アリサが最後に覚えているのは、後ろから声をかけられ首元を殴られた感触。あれは誰だったのか……それは分からない。だが、鬼と対峙した中でシグマの様子が変わり……
「―――ッ!! みんなは―――!!」
アリサは直前の緊張感を取り戻した。慌ててテントを跳び出したアリサの眼前には、宴会をするオーブ・エスタードの軍勢がいた。
「こ、これは……」
「――気が付いたか、アリサ」
横から声を掛けられ、振り返るとそこにはテント前に座るシグマがいた。手にはコップが持たれているが、宴会の中に入るつもりはないらしい。遠巻きにその様子を見ながら、コップに注がれた飲み物を飲んでいた。
「シ、シグマ……」
アリサは改めてシグマの様子を窺う。最後に見た彼は、間違いなく異常な様子だった。黒き光を体に纏い、ランクSSのモンスターを圧倒する少年。それは、世界のパワーバランスさえも崩すような、そんなあり得ない姿だった。
だが今は、無表情ながらもどこか優しい視線で景色を見ている。見ているとどこか安心するような目。そんなシグマを見つめていたアリサに、彼は話しかけてきた。
「……あれから、敵は一度も現れていない。俺達が倒したあの大鬼が、小鬼共の命の源だったみたいだな」
「そ、そう……」
「アリサ、体調は大丈夫か?」
「ええ……まあ……」
「そうか。良かった………」
「………」
不思議な沈黙が二人の間に流れた。シグマは夕暮れ時のアインとの会話の衝撃が未だに尾を引いていた。アリサは、思い出した命令に困惑をしていた。
アリサは考える。本来であれば、自分にはしなければならないことがあった。それは、オーブ・エスタードの兵士長である自分の任務。だが、それはアリサに躊躇を生んでいた。
アリサは、もう一度視線だけをシグマに向ける。何の変哲もない少年。むしろ、見ていれば安心する。
(私、どうしたんだろ……)
彼女は混乱していた。自分でも不思議なくらい、シグマの姿に安心する自分がいる。これまで決して抱かなかった感情だった。想いだった。ニコルと二人でモンスター狩りをしていた時は一切起こらなかった気持ち。にも関わらず、会ってたった一日しか経ってないはずのシグマの存在は、彼女の中に大きくあった。そんな心の奥底から湧き上がる想いは、彼女の決心を鈍らせる。
「……ね、ねえ、シグマ」
「ん? どうした?」
振り向いたシグマと視線が合う。アリサは慌てて視線を逸らし、明後日の方向を見る。
「い、いや別に、大したことじゃないんだけど……。あなたさえ良ければ、オーブ・エスタードに……」
「――アリサ!! 目を覚ましたのか!!」
アリサの言葉は、ニコルの言葉に消された。目の前から、ニコルが駆け寄ってくる。そしてアリサの前に辿り着くや、彼女の手を握り喜びの表情を見せた。
「よかった……!! もうHPは全快してるんだろ!? 他に体調が悪いところはないのか!?」
「だ、大丈夫よ!! だから、ちょっと手を……!!」
「あ、ああ……!! 悪い……!!」
ニコルは慌てて手を離す。お互い、顔を赤くしながら照れていた。
ニコルは自分の行動に恥ずかしさを感じる。あまりの喜びに我を忘れ、アリサの手を握ってしまった。浅はかな行動だったと反省しつつも、握った手の柔らかさを実感していた。
一方アリサは、顔を赤くしてシグマに人知れずシグマに視線を送る。シグマは二人の様子を見ていない。まるで視線を逸らすように、前方の光景を見ていた。それに少しだけホッとしたアリサは、改めてニコルに言葉をかける。
「……それより、隊の様子はどうなの?」
「え? あ、ああ……隊は、ほぼ無事だ。HPが0になった奴も戻って来たしな……。だけど、ミーレスだけが……」
「ミーレスが……」
「………」
ミーレスは、街に戻ることはなかった。オーブ・エスタードの名簿からも名前が消去されていた。今までいたのが幻であるかのように、その存在が忽然と消えてしまっていた。その原因はパンドラにあることを知るシグマだったが、それは敢えて言ってはいない。言って殊更に不安を煽ることもないだろう。そう考えたからだ。それに、ウィルスだとかを言っても、この世界では決して理解をされることはないだろう。
「……もしかして、ミーレスの奴は逃げたのかもな。戻れば処分されるかもしれないって思ってさ。俺も、少し言い過ぎて……」
「――本当に、そう思ってるのか?」
ニコルの言葉に、シグマが反応する。
「……何?」
「だとしたら、お前はよほどの大物だよ」
シグマは皮肉を口にしながら、ゆっくりと立ち上がった。そしてニコルの方を向き、言葉を続ける。
「ミーレスは、そんなことをする奴じゃない。僅かな時間しか行動を共にしなかった俺ですら分かることだ。……それを逃げただ? お前、本当に兵士長か? 直属の部下のことさえも分からないのか?
……はっきり言うぞ。お前は、兵士長の器じゃないんだよ。お前は、人の上に立つ器じゃない」
「き、貴様……!!」
シグマの言葉に、ニコルは顔を歪める。張り詰めた空気が辺り一面に漂い始めた。
「――おおシグマ! こんなところにいたのかよ! 探したぜ~」
そんな不穏な空気の中、ジールの声が響いた。シグマ達三人がその方向に目をやると、ジール、クロエ、フルールが歩いて来ていた。その三人はその場に入るや、その雰囲気にすぐに気付く。
「……シグマさん、どうしたんですか?」
クロエはオドオドしながらシグマの元に歩み寄り、裾を掴みながら話しかけた。その顔を見たシグマはしばし沈黙し、ニコルから視線を逸らす。
「……別に、なんでもない。悪かったな、探させたみたいで……」
「い、いえ……そんな……」
シグマの言葉に、クロエは頬を染めた。それを見たアリサは、心がざわつくのを感じた。面白くない。そんな感情が彼女の中に満ちる。その感情は、押し止めていたアリサの言葉を解放することになった。
「……シグマ、一つ聞きたいんだけど……」
「……何を?」
「あなた、もしかして“最強最弱のプレイヤー”って異名がない?」
「………」
シグマは嫌な予感がした。それは、前の町でゲートキーパーであるアルフレッドを倒した時のことが甦ったから。
「おうよ!! シグマはそう言われているぜ!!」
自慢げに語るジール。その言葉を聞いたアリサは、眉を顰めた。逆にニコルは、卑屈な笑みを浮かべた。
「……そうか! お前が“最強最弱のプレイヤー”か!! ハハハ! こいつはいい!!」
「な、何だよ……」
ジールには理解出来なかった。もっと驚くと思っていたが、二人の反応は全く違った。そんな中、ニコルは高らかに言う。
「俺らの頭がな、その“最強最弱のプレイヤー”を探し出せって言ってるんだよ! 何でも、バシリウス王の怒りを買ったらしくてな、お前に“礼”をしろって言ってるそうだ!!」
「そ、それって……」
「………アルフレッド」
ニコルがたじろぐ中、フルールがその人物の名前を口にした。さらにニコルは続ける。
「誰かと思いきや、こんな小さな旅団の団長とはな。……終わったな、貴様達。俺達オーブ・エスタードに狙われ続けることになるとはな。まったく、同情するよ」
そしてニコルは剣を抜く。
「―――ッ!?」
それを見た黎明の光の面々は身構えた。彼らに対し、ニコルは顔を冷たいものに変え、言い捨てた。
「……無駄な抵抗をするなよ。俺達が用があるのは、そのシグマだけなんだよ」
「………」
今にも斬りかかって来そうなニコルの雰囲気。それを感じたシグマは、小さく溜め息を吐いた。しかしそこで、アリサが声を出す。
「――ニコル、待って」
「ん? アリサ?」
そしてアリサは、一歩前に出る。
「……シグマ、あなたを捕えるように命令が出てるのは確かなことよ。でも、あなたの旅団を捕えるようには言われていない。……何が言いたいか、分かるわよね?」
それを聞いたシグマは、一度安堵の息を吐いた。
「……ああ。分かったよ」
シグマは一歩前に出る。
「お、おいシグマ!!」
そのシグマに、ジールは慌てて駆け寄ろうとする。しかし、シグマはそれを声を上げて制止した。
「――いい加減迷惑なんだよ!!」
その言葉に、足を踏み出したジールは固まる。そして、クロエ、フルールもまた沈黙した。そんな三人を振り返り、シグマは冷たく言い捨てた。
「……もともと、俺は一人でいたかったんだよ。それを無理やり付いて来やがって……。邪魔なんだよお前らは。二度と俺の前に姿を現すな」
「シ、シグマさん……」
「………シグマ」
クロエとフルールの呼び掛けに反応することなく、シグマは再び歩を進め、アリサとニコルの方に近付く。
それを見たニコルはニヤっと笑い、シグマの襟元を荒々しく掴む。そして自分の方に無理矢理引っ張ろうとした。
「………離せよ」
その瞬間、ニコルの体は宙を舞う。シグマが、襟元のニコルの手を力任せに降り投げていた。
「――――ッ!!??」
宙を舞いながら、ニコルは自分の身に起こったことを理解できないでいた。だが、墜落した時に体に走った痛みが、自分の身に起こったことを強制的に理解させた。
「二、ニコル!!」
アリサは地に伏せるニコルを介抱する。その二人に向け、シグマは言い放った。
「……驕るなよニコル。テメエらが、この俺に勝てると思ってるのか? 俺は、ランクSSのモンスターをソロで狩ったプレイヤーだぞ? テメエ程度が、俺に気安く触るんじゃねえ」
「き、貴様……!!」
「ま、俺にまた一人にさせてくれる機会を作ってくれたことには感謝してやるよ。来るならいつでも来い。相手してやる。俺は、この世界で旅をしている。探してみろ」
そしてシグマは踵を返す。その際、一瞬だけアリサに視線を送った。彼女の目は怯えていたように見えた。それがシグマの心に痛みを走らせたが、それでも彼は街の出口に向かう。
そんなシグマに、ジールとフルールは固まっていた。しかし、クロエだけは駆け寄り、シグマの手を掴む。
「……シグマさん!! 私も一緒に……!!」
そんなクロエに顔を向けたシグマ。クロエは、シグマの目に気付く。とても優しい視線。だけど、どこか儚い視線。それを見たクロエは、言葉を失った。そんな彼女に、シグマは誰にも聞こえないように小声を出す。
「……クロエ、ジールとフルールを頼んだぞ」
そして荒く手を振りほどき、そのまま街の外へ向かって行った。
その後ろ姿を見つめる面々は、大地に根付くように立ち尽くしていた。
そしてアリサは心を痛める。自分の一言でシグマは仲間を離れた。彼は自分とは何の関係もない人物。そう言い聞かせることで、自らを救おうとしていた。
「………あれ?」
その時、アリサは頬を伝う涙に気付いた。慌てて拭うアリサは、深い孤独を感じていた。遠くなるシグマの後ろ姿。それを見ていると、なぜか引き留めようとする衝動に駆られる。行って欲しくない想いが溢れる。
(………忘れよう)
アリサは、そう言い聞かせた。彼の存在を忘れることで、心を守ろうとした。それでも、彼女の心は涙を流し続けた。
◆ ◆ ◆
夜の郊外の道を一人歩くシグマ。
(また、一人に戻ったな……)
そんなことを考えながら、夜空を見上げる。彼の旅には、危険が多すぎる。進化するウィルス、国を名乗る軍勢、そして、事件の真相……並のプレイヤーが一緒にいては、危険に晒し続けることになる。特に“トイフェル”との戦闘では、下手すれば存在自体が消えてしまう。そんな旅に、誰かを同行させるわけにはいかなかった。
視線を前に戻し、黙々と進むシグマ。
「………暗いな」
その道に灯りはない。僅かな星の光だけが、方向を教えてくれているようだった。
一度だけ遠くになる街を振り返る。とにかく、アリサの無事を確認できたことだけが救いだった。フルールもジールとクロエに任せていれば安心だろう。三人の道中を想像したシグマの顔は、一瞬だけ緩む。
(……何一人で笑ってるんだろうな)
そんな自分に呆れながら、シグマは再び前を向いた。
シグマの旅は孤独に戻る。進む道はどこまでも暗く、混沌としているように見えた。黒衣の少年は夜の底に紛れながら、ただひたすらに次なる場所を目指した。
【忘却の中の感傷】 終




