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ドリフィング・エデン・フロンティア  作者: 井平カイ
【忘却の中の感傷】
38/60

パンドラの匣

「……テメエ……何で俺のことを知ってやがる……!」


 夕暮れの岩場で、シグマは仮面の男を睨み付けていた。相変わらず男の表情は読めない。しかし、白い仮面の隙間から見える視線は、シグマの全てを見透かすかのように見えていた。底知れぬ恐怖に似た感情を抱いたシグマは、ただ相手を威嚇する。

 仮面の男は、そんなシグマに臆する様子などなく、淡々と言葉を続けた。


「それは今はどうでもいいことだろ、紫雨真輝。もっと別の話をしようじゃないか」


 男の声は、どこか籠っている。モザイクのかかった声のようにも聞こえる。電子音と男の声が混ざったような声では、その男の本当の声は予想できなかった。


「スカシてんじゃねえよ! いいから答えろ!」


 まるで相手にしないかのように話す男に、シグマは苛立ちを隠しきれなかった。そんなシグマに、男は溜め息をつく。


「……言わないと斬る……と言わんばかりだな」


「………」


「斬りたければ斬ればいい。だが、俺はすぐに前の街に戻り、二度とお前とは会わないぞ? どうすることが賢明か……お前なら分かるだろ」


「………」


 シグマはざわつく心をなだめながら考える。確かに男の言う通りだ。このままこの男を攻撃したところで、謎は解明されない。


(……落ち着け。とにかく、コイツの目的を聞き出すんだ)


 シグマは一度深呼吸する。


「……そんなつもりはねえよ。で? 話があるんだろ? 何の用だよ」


 男は一度フッと笑う。


「お前の中の“アンチウィルス”……ちゃんと効果が出始めたようだな」


「アンチウィルス?」


「“抗体”だよ。桐原美沙に聞いてないのか?」


「……聞いてない」


「そう、か……」


 男は顎の部分に手を当て、何かを考える。シグマも焦る気持ちを抑え、男の言葉を待つ。


「……まあいいだろ。俺が説明する」


「………」


「桐原美沙がお前のキャラクター――“シグマ”を作る際、お前の中にアンチウィルスのデータをインストールしていたんだよ。そのチート能力を打ち込むのと同じタイミングでな」


「美沙さんが……」


「そのデータこそ、あのウィルスを消去する唯一の武器。もちろん、俺にはない。紫雨真輝……お前だけが保有するデータなんだよ」


(あの黒い光は、そのデータってことか……)


 これであのモンスターを圧倒出来たことの理由は分かった。あの能力アップも、最後の攻撃も、全てはそのデータのおかげなのだろう。シグマはそう理解した。

 そこでシグマは根本的な疑問に至る。


「なあ……あのウィルスは何なんだ? アンタは知ってるんだろ?」


「…………」


 男は口を噤む。シグマは相手の表情が見えない分、その行動で何かを読み取ろうとしていた。今、二人の間に流れる沈黙の発信源はこの男。やはり、何かを知っているようだった。

 しばらく口を閉ざしていた男は、静かに話し始めた。


「……あのウィルスはな、“パンドラの(はこ)”っていうんだよ」


「パンドラの匣?」


「まあ、普段は“パンドラ”って呼んでるけどな。……あれは、凄いシステムなんだよ。最初は単純なシステムだが、どんなセキュリティにも煙のように形を変え忍び込み、そのデータと同調し、浸蝕しながら形を変えていく。それは決して気付かれることなく、粛々と、だが確実にデータを書き換える。

 例えどんな技術で分析しようとしても無駄なこと。パンドラのデータは暗号化され、定期的に自動で変えられる。その暗号は、極めて複雑なものを幾重にも重ね掛けしていてな。仮になんとかある程度解析したとしても、すぐにそのパターンは変わり、また一からの解析をしなければならない。

 つまり、パンドラに一度汚染されたが最後、そのデータは発信者の思惑通りに書き換わり、手の打ちようがなくなるんだよ」


「………」


 男の口から語られる言葉に、嘘があるようには思えない。男の言葉からは、圧倒的な危機感というよりも、崇拝に近い感情が垣間見えた。シグマはパソコン関係の知識が乏しいが、それでもそのウィルスの脅威は何となく理解出来た。


「……一度広がれば終わりのウィルス……まさに、“パンドラの匣”だな」


(まったく、笑えねえ話だ……)


 そして男は空を見上げた。赤く染まる空を仰ぎ、何かを想うように話す。


「この世界は、既にかなりパンドラに侵されている。もう手の施しようがない程にな。紫雨真輝……お前にも、思い当たる節があるだろ」


「……ああ」


 シグマもまた空を見る。その胸には、これまでのことが浮かんでいた。変わるモンスター。変わるプレイヤー。変わるシステム……その全てが、犯人の思惑通りに変わっている。それは、シグマにとってとても皮肉なことのように思えた。


「……犯人は捕まってるしな。奴も悔しがってるだろうよ。何しろ、自分の思い通りの世界に変えようとしたのに捕まったんじゃ―――」


「――捕まっていない」


 シグマの言葉を遮るように、男は言い捨てる。


「……は?」


「パンドラを解き放った人物は、まだ捕まっていない」


「い、いやだって、テレビで言ってたぞ!? 犯人が捕まったって……!!」


 そう。シグマがこの世界に来る前、ニュースでは確かに犯人が捕まったことを報道していた。だが、男が言うことは違った。それは、シグマを更なる混乱へと叩き落とす。


「あれは、あくまでも最後のトリガーを引いた奴だ。……いや、“引かされた”、と言った方がいいだろうな。まったく違う説明をされ、その口車に乗せられて、パンドラをこの世界に解き放っただけ。

 ……その前に、既に“ある人物”がデータを打ち込んでいた。パンドラは、その者の指示通りに世界を改変をしているんだよ」


「本当の犯人が、別にいるのか!?」


「そういうことだ」


 シグマは男に詰め寄り、胸ぐらを掴んだ。この男は、今回の事件について何か核心的なことを知っている。そう思ったシグマの、咄嗟の行動だった。


「誰だそれは!? どこにいやがる!?」


「………」


「答えろ!!」


 シグマの表情は鬼気迫るものがあった。もしその人物の居場所が分かれば、例えデータが壊れてもログアウトし、すぐに捕まえに行くつもりだった。捕まえれば、パンドラのシステムがそこにある可能性が高い。それならば、美沙ならきっと対策をしてくれると思ったからだ。

 

 ……だが、男の口から語られたのは、シグマの予想を超えていた。



「………この世界だよ」


「は?」


「その犯人は、今、この世界にいる」


「な、何を言って……」


 男は、驚愕するシグマの手を荒々しく振り払う。


「……少し、話し過ぎたようだな。俺はこれで失礼する」


 男は踵を返し、シグマから離れ始めた。それを見たシグマは、慌てて声をかける。


「お、おい!! まだ話は―――」


「これ以上、俺から話すことはない。言ったはずだ。お前の顔を見に来ただけだってな」


 男は振り返ることなく言葉を返す。だがシグマも引かない。


「だったら、最後に答えろ!! なんで美沙さんは、パンドラのアンチウィルスデータを持ってたんだ!? 何か関係してるのか!?」


 男は、その足を一度止めた。


「…………」


 振り返ることなく、話すこともなく、男は立ち止まり続ける。


「答えないのか? それとも、答えることが出来ないのか?」


「………その、両方だ」


 男は、手に何かを召喚した。それは丸い石だった。それを天に掲げ、呼称する。


「アイテム発動――“飛翔石”」

 

 男の足元に魔法陣が展開する。それは転移のアイテム。プレイヤーを任意の場所へと転移させるアイテムだった。


「おい!! ついでにもう一つ教えろ!!」


 そこで、男はようやく視線をシグマに向けた。それを確認したシグマは、男に聞く。


「……アンタは、何者なんだ?」


「そうだな……さしずめ、“始まりの者”――“アイン”とでも名乗っておこうか」


 その瞬間、男の体は光に包まれる。光は天に昇り、光の架け橋を形成した。


「じゃあな、紫雨真輝。……いや、この世界では、シグマだったな」


そして男は、光となって飛び去った。茜色の空に一本の光の筋が伸びる光景を、シグマはただ黙って見ていた。


 結局、あの男――アインが、何のためにシグマのところに来たのかは分からなかった。だが、男の口から語られた数々のことは、シグマにとってとても大きなことだった。その中でも、とりわけ強く印象に残った言葉……それは、ウィルスを放った人物が、この世界にいるということだった。


(また一つ、ログアウト出来ない理由が出来たな……)


 シグマは眉を顰めた。全てを壊した人物がこの世界のどこかにいる。

 どこにいるかは分からない。誰かも分からない。全ての鍵を握ってるのは、あのアインという男。……そして、桐原美沙。


 シグマは、今一度自分の手を見つめる。自分の身に宿る力。それが意味することは何なのかを考える。その視線を浴びる少年の手は、僅かに震えていた。



  

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