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ドリフィング・エデン・フロンティア  作者: 井平カイ
【忘却の中の感傷】
33/60

翻弄と支配の二つの想い

 大鬼が大地を荒々しく殴り付けると、その場は崩壊した。大地は割れ、衝撃波は波紋のように広がり、周囲のものを吹き飛ばす。直前で宙に跳び躱した三人だったが、その風は宙を漂うその体を捉え、三人は強制的に大鬼と距離を置くこととなった。大鬼は、大地にめり込んだ黒い腕を引き抜き、タイミングを計るようにシグマ達を見て体を揺らしていた。


「は、速い……」


 アリサは大鬼を見ながらそう呟く。それを見たシグマは、やはり今のアリサでは戦うことが出来ないと判断する。アリサのHPは既にレッドゾーン。そして目の前にいる大鬼は、シグマにとっても未知の領域である“ランクSS”。

 とてもアリサを気遣いながら勝てる相手ではないことは明らかだった。


「………」


 しかし彼女の性格を考えると、口で言っても言うことを聞かないだろう。“アリサ”の性格は、即ち“亜梨紗”の性格。彼女の性格を誰よりも知る彼だからこそ、並大抵の方法では撤退してくれないことを熟知していた。とても強情な性格。一度決めたらとことんやる性格。しかし今、その彼女の性格がシグマに圧し掛かっていた。

 シグマは最悪の想像をしていた。あのモンスターが感染したウィルスは、未知の自己進化を遂げたモノ。その一撃に倒れれば、何が起こるか分からない。これまでも、そのウィルスは様々な“異常事態”を起こしてきた。だからこそ、更に変異したウィルスにどんな危険があるか分からない。今、この場でそれを受ける可能性が最も高いのは、アリサであった。


(やっぱ、“アレ”しかないか……)


 シグマは、一つ決断をする。それは彼にとって、全く望まないこと。しかしながら、彼の予想が正しければ、最も安全に、最も素早く、最も効率的にアリサをその場から撤退させる方法であった。

 彼は、少し大き目に声を出す。


「……アリサ!」


「な、何?」


 アリサが自分の方を振り返るのを見るや、シグマは駆け出しアリサに向かって行く。そして、刃を彼女に向けた。


「―――悪いアリサ」


「え―――?」


 そしてシグマは、右手に持つ剣をアリサの胴体に向け振り抜いた。


「―――――ッ!?」


「ア、アリサ!?」


 シグマに斬られたアリサは、体を光に変え始めた。ニコルもまたそれに驚愕し声を出す。アリサは、信じられないものを見るかのように、光になる自分の手を見る。そして次に、悲しげに揺れる視線をシグマに送る。


「……どうして……」


 その言葉に、表情に、シグマは心を(えぐ)り取られる思いだった。それでもシグマは、言葉を返す。


「コイツのことは、俺に任せとけ。――街で待ってろ」


「そ、それって――――」


 アリサの言葉は、体もろとも光となって消えた。天へ昇って行くアリサの光を見上げるシグマ。


「貴様ぁぁぁああああ!! アリサをよくも!!!」


 そんなシグマに、ニコルは剣を構え迫る。彼の目には既に大鬼は映っていない。乱心したとも思えたシグマの行動に激高し、ただ刃をシグマに振る。しかしそれはおよそ剣術と呼べる動きではなかった。ただ無防備に、力任せに剣を振るというだけの動き。


(コイツも、一応しとくか。イエローゾーンだし……)


 そんな攻撃が今のシグマに通じるはずもなく、ニコルの剣をヒラリと躱したシグマは、逆にニコルの体に剣を突き入れる。


「がっ―――!!」


 ニコルは、腹部に射し込まれた剣を手で掴む。そして痺れる体を懸命に動かし、殺意を込めた視線をシグマに向けた。


「お、おのれ……!!」


「………」


 シグマは何も言わない。ただ冷たい視線でニコルを見つめていた。その視線に、ニコルは更に憤怒を募らせる。そして力なく剣を振り上げ、シグマの顔に振り下ろした。だが、その剣が届く前に、彼の体と剣は光に変わる。彼のHPが0となったのだ。二人の光が完全に消えるのを確認したシグマは、大きく息を吐いた。


(……恨まれても、仕方ねえか……)


 そしてシグマは視線を大鬼に戻す。両手に持つ刃を力強く握り締め、さっきまでの冷たい視線と違う、燃えるような視線を大鬼に向けていた。


「待っててくれてありがとよ。……じゃ、始めるか……!!」




 ◆  ◆  ◆




 一方、アリサとニコルは、最後にいた街……赤鬼の軍勢に攻め込まれていた街に光と共に出現していた。そして大地に立つなり、ニコルは地面を思い切り殴り付けた。


「クソ!! 何なんだアイツは!!」


 ニコルは歯からギリギリと音を鳴らしながら、シグマを罵る。彼からすれば、突然シグマに自分とアリサが斬り捨てられたものだった。それはこの世界においては最低とされる行動。後ろからの辻斬り。PKとも呼ばれる愚行。しかしながら、同じくそれを受けたアリサは、ニコルと違い考えていた。


(最後のあの言葉……)


 思い返すのは、シグマの最後の言葉。PKするつもりなら、そんなことは言わない。そもそも、ランキング戦以外でプレイヤーがPKするメリットはあまりない。自己満足程度だろう。しかし、あの岩場の状況を考えるのなら、シグマがしたことは正に愚行だった。彼の行動により、彼はランクSSの化物とたった一人で戦うことになってしまう。

 PKされた者はデスペナルティは受けない。しかし、PKをしたシグマは、目の前のモンスターに負ければデスペナルティを受ける。シグマの行動は、自分の敗北をただ近づけただけであった。


(――ッ! まさか――!)


 そしてアリサは結論に至る。

 

「ニコル!! すぐに岩場に戻るわよ!!」


「ああ当たり前だ!! あの野郎、ただじゃおかな―――」


「ニコル違う!! 彼は、私達を助けようとしたのよ!!」


「助ける? どういうことだ?」


「分からないの!? 私達のHPはかなり減っていたわ! あのまま戦えば、たぶん負けてた! だから彼は、“あえて”PKしたのよ! それなら、私達はデスペナルティを受けないから!!」


 アリサの結論は、まさにシグマが考えていたことそのものだった。しかしニコルは信じない。彼の中では、シグマは“敵”となっていた。


「そんなわけあるか!! あの野郎は、俺らを斬ったんだぞ!? 頭がオカシイんだよ!!」


「違う違う!! だって……だって彼は……!!」


 その時、アリサは奇妙な感覚に包まれた。


(……彼は? 彼がなんなの? 私、どうしてそこまで彼を……)


 どうしてそこまで彼を信頼しているのか……それが、アリサには分からなかった。考えてみれば奇妙な話だった。彼と会ったのは今日が初めてのはず。なのに、既に自分は彼に、絶大とも言える信頼を寄せている。なぜこんなにも、シグマのことを信頼出来るのか。なぜこんなにも、ただ一人ランクSSのモンスターと戦う彼が心配になるのか……

 それは、彼女には分からなかった。


「……アリサ? どうしたんだ?」


 自分の中で芽生えた、自分への葛藤をするアリサ。その表情を見たニコルは戸惑い、アリサに声をかけることしか出来なかった。


「………」


 アリサの返事はない。彼女の耳には、ニコルの言葉が届いていなかった。それを理解したニコルは、人知れず拳を強く握り締める。


(……まさか、アリサは……)


 彼もまた、自分の中で生まれた感情を必死に制御していた。それでも溢れてくる想い。行き場のない憤り、焦り、不安……。そんな負の感情の矛先は、シグマに向けられる。少なくとも、あの少年が現れてから、アリサの中で何かが変わったように思えた。それが、ニコルには堪らなく許せなかった。


(……あの野郎か……あの野郎のせいか……!!)


 二人は、街の片隅で立ち尽くした。自分の中にある奇妙な感情に翻弄されるアリサ。自分の中に生まれた醜い感情に支配されるニコル。

 それぞれが、そんな感情に顔を歪めながら無言の空気が周囲を包んでいた。



「――兵士長? 兵士長じゃないですか!!」


「……え?」


 突然、アリサとニコルに向かい誰かが叫んだ。そこでアリサは、ようやく思案の迷路から抜け出すことが出来た。白い鎧の女性は二人の元へ駆け寄る。


「お前は……ミーレス?」


 その女性こそ、二人の部下であるミーレス。彼女は二人の前に来るや、すぐに片膝を付いた。


「よくぞ……よくぞご無事で戻られました……」


「え、ええ……。あなたも、よく無事だったわね」


「はい……敵の数はかなりのものでしたが、幸いにも退けることが出来ました」


「あの数を全て退けたのか……ミーレス、よくやったな」


 ニコルから労いの言葉を受けたミーレスは、頬を緩めた。しかしすぐに顔を引き締める。


「……いえ、私達だけでは到底無理でした。彼らがいなければ、今頃……」


「……彼ら?」


「はい。その者達は……あ! クロエ!! ちょっと来てください!!」


 ミーレスは、後方に向け声を出す。そこにいた三人は、やや早歩きでミーレスの方に歩いて行く。そして三人が自分のすぐ近くに着いたのを確認したミーレスは、再び視線をアリサ達に戻した。


「……彼らは、旅団“黎明の光”の方々です。先の戦闘では、私達を助け、勝利に導きました」


「この人達が……」

 

 ミーレスは振り返り、今度はクロエ達に話す。


「みなさんに紹介します。――このお二方がこの部隊の責任者である兵士長、アリサ兵士長とニコル兵士長です」

 

 そして二人と三人は視線を合わせる。その中で、クロエは静かに呟いた。


「……あなたが、アリサ…さん?」


「え? ええ、そうよ」


 クロエは、表情を少し険しくさせた。それを見たアリサは困惑した。初めて会った少女が、自分を睨むように見ていたからだ。


「ええと……私がどうかした?」


「………」


 その質問を受けたクロエは、視線をアリサから逸らす。そして、再び呟くように口を開いた。


「……いえ。私達の団長――シグマさんが、あなたを知っていたみたいなので……」


「……シグマ?」


 二人の間には、微妙な空気が走る。それを見た残りの面々は、言葉を口にしなかった。クロエが初めて他人に向けた“威嚇”という行動に、ジール、フルールはただただ黙り込んでいた。



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