変異の大鬼
光に満ちた空間で、シグマは目の前の少女の名前を呟いた。
「……亜梨紗」
目の前に倒れるのは、間違いなくあの“亜梨紗”だった。彼女を救うために、そのためだけにこの世界に飛び込んだ真輝。“シグマ”というキャラクターに自分を変え、この世界を旅してきた。そんなシグマの目の前は、来てる服装こそ違えど、彼にとってとても大切な少女がいた。今すぐにでもこの場から連れて行きたいと思うシグマ。
しかし、彼女の一言で、残酷な現実を思い出す。
「………誰?」
アリサは、目の前の人物に見覚えがなかった。いや、“忘れていた”。見たこともない姿、見たこともない顔、聞いたこともない声……にも関わらず、その少年は自分のことを知っていた。それはとても奇妙なことだった。見ず知らずの人が自分の名前を知っている。それどころか、まるで数年来の知り合いのように、極自然に名前を口にする。
しかし反面、彼女の心は暖かい感情に包まれていた。知らないはずの顔、知らないはずの声、知らないはずの少年……だが、彼を見ていると、声を聞くと、心の底で何かが満たされた。当然、現実世界のことを忘れた彼女は、それが何なのかは知る由もなかった。
「………」
シグマはそれ以上彼女を呼ぶことをしなかった。彼は、まだどこかで期待していた。自分の姿を見れば、亜梨紗が全てを思い出すかもしれないと。しかし、それは脆くも打ち砕かれる。彼女は、本当に何も覚えていないようだった。
悔しさに顔を歪め、ギリギリと音を立てながら歯を噛み締める。そして視線を目の前のモンスターに戻したシグマは、両手の刃を強く握り締めた。
その様子を見たアリサは、ふと我に返る。目の前に現れた少年のステータスを確認するが、彼のレベルを見たアリサは驚き慌てて声をかける。
「ちょ、ちょっとあなた!! レベル1のあなたが勝てる相手じゃないわ!! すぐに逃げなさい!!」
そんなアリサの言葉に、一瞬だけ視線を彼女に戻すシグマ。すぐに大鬼に視線を返すと、彼は呼称した。
「……ステータス表示」
HP … 3
TP … 9561
ATK … 8951
DFS … 7984
MAT … 8567
MDF … 3458
SPD … 9043
SKL … 7769
ANT … 3106
(……よし)
ステータスを見たシグマは、心の中で笑みを浮かべる。彼のステータスは、これまでで最高と言えるものだった。ほぼ全てが高水準であり、唯一低いのは魔法防御と異常耐性。しかし目の前のモンスターを見る限り、パワー系のモンスターであるのが簡単に予想できた。そのステータスの低さは、あまり気になることはない。
彼の見つめる先の大鬼の周囲には、まだ多数の小鬼。それに向け駆け出すため、前掲視線を取るシグマ。それを見たアリサは、更に慌てる。
「ちょっと!! 聞いてるの!? あの小鬼はほぼ無限に出るのよ!? あなた一人が行ったところで……!!」
その口調は、まさにシグマが知る亜梨紗だった。少し気が強い口調。相手に有無を言わせない勢い。それを久々に見たシグマの頬は、自然と緩んでいた。
「……変わんねえな、お前」
「……え?」
アリサにはシグマの言葉の意味がよく分からなかった。不思議そうな顔を浮かべるアリサに一度微笑みを送り、シグマは再び険しい表情で大鬼を睨む。
「……ウェポンセレクト――“ランス”、“グレイブ”」
召喚した槍と大剣を手にし、槍を鬼の集団に向け、大剣を逆手で持つ。両手で二つの武器の柄を握り締めたシグマは、前へと駆け出した。
「―――ッ!?」
アリサは驚愕する。レベル1の男は、上位レベルの自分の意見を無視し、まるで死にに行くかのように敵に向かいだしたからだ。この世界を生きる彼女には考えられなかった。相手のモンスターはランクSとランクCの軍勢。とても、レベル1などでは数秒しかもたない。
しかしシグマは力強く、一切臆することなく前へ走る。風のように素早く、敵に一直線に向かった。
「速い――!!」
それを見ていたニコルは、シグマの速度に声を出す。彼もまたシグマのレベルを見ていた。見ていたはずだが、彼の速度はニコルが知る“レベル1”とは全くの別物だった。
そんなシグマに向け、小鬼の群れは壁を作るかのように押し寄せる。それぞれが持つ棍棒を振り上げながら、雄叫びを上げる小鬼達。それを見たシグマは、呼称する。
「スキル発動――“ブーストシュート”!!」
槍からは光の突きが放たれる。それは壁となっていた小鬼達を吹き飛ばし、大鬼の足元までの道を作り出した。その道を駆け抜けたシグマは、敵集団の中央に辿り着く。それと同時に、走り込んだ勢いを利用して体を捻り、更に呼称しスキルを発動させる。それは大剣のスキル。大剣から光の輪が放たれ、大鬼と小鬼を一同に攻撃する。小鬼は大半が光に変わり、大鬼もまた受けた衝撃に耐え切れず上体を後ろに反らす。それを見たシグマは、大剣を振った体の勢いをそのままに、右手で槍を逆手に持ち叫ぶ。
「スキル発動――“ディサイドスティンガー”!!」
そして槍は放たれ、大鬼の腹部を捉えた。水月の位置に射し込まれた光の槍は、鬼の巨体を後方に押しやる。岩を破壊しながら突き進んだ巨体は、そのまま大地に沈む。
シグマは上空に跳び上がり、アックスに持ち替える。後ろに大きく振りかぶり、下にいる大鬼に目をやる。
「スキル発動――“グラビティインパクト”……!!」
振り下ろした戦斧の一撃は轟音と衝撃を同時に起こしながら大鬼の腹部に叩きつけられる。直撃だった。倒れた直後に攻撃を受けたことで、大鬼は一切の防御すら出来ない。大鬼は力なく両手を大地に置く。天を仰いだまま動かない大鬼と、独りでに光に変わっていく小鬼達。それは、全てが終わったことを実感させた。
「すごい……」
アリサは、ただ地に伏せたまま起き上がることを忘れていた。まず驚くべきは、シグマの戦い方。二種類の武器を同時に使用し、戦場を掌握していた彼の戦い方は、これまでのアリサの常識を覆していた。そして次にシグマの強さ。レベル1の彼の動きは、上位ランカーに引けを取らないものだった。自分よりも強い。今の戦闘だけで、そう実感させられていた。これほどまでの強さを誇る少年がなぜ今まで表舞台にいなかったのか。それは、アリサには分かるはずもなかった。
「………」
ニコルもまた、シグマの動きに絶句していた。驚く点についてはアリサと変わらない。しかし、彼にはアリサにはない別の感情があった。それは嫉妬。自分がアリサを助けようとしていたが叶わず、突然現れた少年がアリサの危機を救い、今まで自分が倒せなかったモンスターをあっさりと葬った。彼は、この戦闘においては自分の力を出し切れていなかった。常にアリサに気を払い、気を散らす。こと戦闘においては、集中力というものは重要になってくる。それが出来なかった彼は、シグマに全てを奪われた気分となり、それを許した自分が心底許せなかった。
そんな二人の視線の中、シグマは未だに構えを解除していない。確認のため、彼はアリサに声をかける。
「……アリサ、あのモンスターのステータス見た時に、名前に“トイフェル”って付いていなかったか?」
「トイフェル? あのモンスターは、“クリムゾン・オーガ”よ?」
「そうか……付いていなかったのか……」
シグマは剣と刀を召喚し、再び二刀の構えを取る。そして目の前に倒れる大鬼に警戒を払う。
「ちょっと……どうしたのよ……」
アリサには理解できなかった。これまで、アリサとニコルは突如出現した高ランクモンスターを撃破していきた。しかし、意外なことに、そのいずれも“変異”することはなかった。戦闘中のモンスターの変異……それは、シグマが最初に戦った“ギガントトロール・トイフェル”が最初であることは、シグマ達は知らない。それまでの常識を覆すモンスターの変異。それは、まるで“何者かの意志”であるかのように、シグマの登場に合わせるかのように起こり始めたことだった。
これから何が起こるか分かっていないアリサは、ゆっくりと立ち上がり、シグマに近付いて行く。そんなアリサに、シグマは視線を送ることなく注意を呼びかけた。
「アリサ、気を付けろ。まだ終わっちゃいない……」
「え? それってどういう……」
「―――ッ!? お、おい!! あれ……!!」
ニコルが何かに気付き声を上げる。アリサはニコルに目をやる。彼が険しい顔で見つめていたのは、大地に倒れる大鬼。アリサもまた、その方向に目をやる。
「――――ッ!? な、なに“あれ”……」
「……やっぱりな」
三人が見つめる先では、大鬼がゆっくりと立ち上がっていた。しかしどこか様子が違う。全身に黒い光を纏い、目は鈍く輝く。そして体を丸め、“それ”は体の中で蠢ていていた。
「な、何が起こってるの?」
アリサは目の前の様子が理解できない。これまで見たこともない光景だった。そんなアリサに、シグマが緊張感のある声を出す。
「……“変異”だ」
「変異?」
「アリサは見たことないのか? 戦闘中にモンスターが変異して、能力が上がる。ランクが、一段階上がるんだよ」
「そ、そんなことあるわけないだろ!? 戦闘中にモンスターが変わるなんて……!!」
シグマの説明に一足先に横槍を入れたのはニコル。それにアリサも頷き同意する。
「でも事実だ。実際、俺達は今まで“それら”と戦ってきた。……でも、今までの奴は、全部ランクがAからSに変わる奴だった。それと一緒だと考えるなら、今回あのモンスターが変わるのは……」
シグマは最後の言葉を濁す。しかしアリサとニコルは、シグマの言わんとすることを分かっていた。シグマの表情には一片の嘘偽りも感じられない。今まで彼が実際に体験したことをただ淡々と語っていただけ。それがよく分かった。だからこそ、二人は顔を青くした。
「そ、それじゃ……」
「バカな―――!!!」
二人は目の前で起ころうとしていることを必死に否定しようとした。そんな二人を小馬鹿にするように、大鬼の体には変化が出始めていた。それは体の中で暴れまわり、少しずつ収束していく。そして蠢きが完全に停止した時、周囲には不気味な静けさが満ちていた。
「と、止まった?」
アリサの呟きが、やけに大きく響く。静寂に包まれた空間では、シグマ達の緊張はピークに達していた。
そして、その時は来た。
オオオオオオオオオオオ………!!!
途轍もない雄叫びと共に、大鬼は丸めた体を解放し、天を仰ぐ。その腕は、上腕から先がどす黒く肥大化している。角は更に猛々しく伸び、強靭な体は血管が浮き出るほど隆々としていた。鈍く光る眼は一つになり、横長い一つ目となった。
雄叫びが轟く中、シグマは小さく呟いた。
「モンスター情報表示……」
そして目の前には光るモニターが現れる。それを見たシグマは、自分が想像していたとおりの結果に顔を歪める。
モンスター … クリムゾン・オーガ・トイフェル
ランク … SS
そこに映る文字には、“SS”という表示があった。シグマは更に体勢を低く構える。それを見たアリサとニコルも、手元にモンスター情報を表示させた。
「バ、バカな……」
「ランク……SS!?」
二人もまた驚愕し画面に目をやったまま固まる。そんな二人にシグマは叫ぶ。
「モニターよりも相手を見ろ!! ―――アリサ!! お前は逃げろ!!」
「いやよ!! 何でアタシが……!!」
「お前のHPは既にレッドゾーンだ!! いいから逃げろ!!」
「で、でも……!!」
そんなシグマとアリサのやり取りの中、雄叫びを終えた大鬼はゆっくりと三人に正対する。小鬼を生み出そうとはしない。しかし、どす黒い巨大な腕と、長く刺々しい二本の角、不気味は光を放つ一つ目は、先程とは桁違いの威圧感を与えてくる。
「―――ッ!! 来るぞ!!」
そして大鬼は、大地を蹴り出す。一迅の紅い光は、瞬く間にシグマ達に迫っていた。




