想いと無謀と
黒い大蛇は街の中をうねる。そしてそれを遠巻きに見つめるクロエ達。クロエとジールは、ただ大蛇を見ていた。カカは周囲を見渡す。フルールだけは、相変わらず眠そうな目をしていた。
ざわつく人々はただただ遠くにいる大蛇の姿を見て、身を震えさせていた。この世の終わりがあるとするならば、こういう景色を言うのかもしれない。そう思ってしまう程、街は凄惨だった。
シグマはまだ戻っていなかった。ゲートを潜るにはタイムラグが存在し、時間がかかる場合もある。その間にも、大蛇は街を破壊していた。
「………」
誰一人として声を出すことはない。出せないでいた。声を出して大蛇がこちらに来てしまうかもしれない……そう考え、声は息を潜める。もちろんそこから聞こえることなどないが、少しでも狙われるリスクは減らしたかった。
全員が畏怖するなか、最も怖がっていたはずのクロエが声を出す。
「……助けに、行きます」
「……え?」
「街の人を、助けに行きます」
「しょ、正気か!? ランクSのモンスターだよ!? 僕らなんかじゃ、相手になんて……!!」
カカは焦りに身を落としながら、クロエに言い聞かせるように叫ぶ。その言葉を受けて、クロエは俯きながら首を振る。
「シグマさんなら……シグマさんならきっと、迷わずモンスターに向かいます。
……シグマさんは、私なんかじゃ想像も出来ないことをしようとしています。それは“無謀”とも呼べること。それでもシグマさんは前を向き、決して振り返ることなく足を進めています。――そんなシグマさんに、私は付いて行こうと思いました。あの人が何を成そうとしているのかを、この目で見ようと思いました。
もしここで逃げたら、私は一生シグマさんに付いて行くことなんて出来ません。シグマさんからは怒られるかもしれませんけど、それでも私はシグマさんに付いて行きたいんです。
――だから、私は行きます」
クロエは歩き始める。その方向は、黒の大蛇。
「お、おいクロエ!!」
カカはクロエを止めようと手を伸ばす。しかしジールは、そんなカカの横を通り抜け、クロエに続き歩き出した。
「ジール!? まさか君まで……!!」
ジールは頭をかきながら、いつものように笑いながら語る。
「――俺も、シグマと行きたいんだよな。だからクロエの言葉はよく分かるんだよ。もちろん俺だって怖いさ。逃げ出したいさ。でも、それは出来ないんだ。
……俺さ、シグマに憧れてるんだよ。アイツには秘密だけどな。少しでもアイツに近付きたいんだよ。――シグマなら、絶対にここで逃げねえ。だから、アイツの横に立つためには、俺も決して逃げるわけにはいかねえ。……ここで逃げたら、男が廃るんだよ」
そしてクロエとジールは歩き始めた。
「………」
カカは立ち尽くしていた。この二人の想いは、自分の想像を超えていた。そしてそれは、自分にはないものだった。そんなカカの裾をフルールは掴む。その瞳は、戸惑うカカを見つめていた。
「……兄ぃ」
その瞳を見たカカは、前を歩くクロエ達に視線を送る。そして、ざわつく心を固めた。
「……フルール、僕らも行こう。まだ僕には、彼らのように何かが見えているわけじゃないけど……ここで動けば、もしかしたら何かが見えるかもしれない。僕は見たいんだ」
カカの目は、前を見据えていた。そして兄妹は、クロエ達に続き、大蛇が蠢く中心へと向かった。
◆ ◆ ◆
街の中は騒然を極めていた。逃げ惑う人々。崩れた建物。ただのエフェクトであるはずの景色は、見るも無残なものと化していた。その中を駆ける四人。各々の武器を手に、大蛇へと迫る。
「クロエ! モンスターの気をこっちに引け!」
戦斧を両手に持ち、ジールが叫ぶ。
「――はい!!」
クロエは弓を構え弦を引く。軋む音を出しながら矢は引かれ、大蛇の額を目掛けて弾き出された。矢は大蛇の額に突き刺さるが、ダメージはほとんどないように見える。それでも大蛇は、ゆるりとクロエの方を振り向く。
「――来るぞ!!」
そして大蛇は、鳴き声を響かせた。
シャアアアアアアアアアア!!
大蛇は波のように体をくねらせ、クロエ達に迫る。その姿を見たカカとフルールは、迎え撃つべく構えを取る。
「僕らに任せてくれ!! ――フルール!!」
「……うん」
ジール達の後方にいた二人はメイスを構える。そして同時に声を出す。
「スキル発動――!!」
「……スキル発動」
「「“ライトニングブラスト”!!」」
二人のメイスから雷が迸る。雷は空中を駆け、迫る蛇と衝突する。そして大蛇の体は雷に包まれる。
「やったか!?」
喜ぶジールだったが、大蛇は雷を跳ね除け、そのまま突進を続けた。
「なっ――!? 僕らの雷が――!?」
驚愕するカカ。その眼前に迫る大蛇は急激に止まり、勢いのついた尾を振り抜いた。
「―――ッ!!」
その方向に立つのはクロエ。巨大な鞭のような尾が、そこに立つクロエに迫る。
「――クロエ!!」
ジールはクロエの前に立ち、押し寄せる黒の壁のような尾を向け戦斧を振り上げる。
「おおおおお!!!」
気合の雄叫びと共に、戦斧を力の限り叩き込む。衝突した戦斧と黒い鱗からは激しい金属音が響き、僅かに勢いが弱まった尾は、クロエ達の目の前で大地と衝突する。地は割れ、地響きが起こる。その衝撃波は、ジールとクロエを吹き飛ばす。
「がああああ!!」
「キャアアア!!」
「ジール!! クロエ!!」
吹き飛ぶ二人の姿を見たカカは歯を食い縛る。やはり相手はランクSのモンスター。かなり状況は厳しいものだということを改めて思い知った。この状況を変える手をカカは考えていた。そして一つの決心をしたカカは、フルールに声を掛ける。
「――フルール!! 最大魔法を使え!!」
「……兄ぃ?」
「お前の方が、レベルもジョブレベルも僕より断然高い!! この状況を打破出来るとするなら、お前の最大魔法を使うしかない!!」
最大魔法とは、ウィザード等が行える魔法攻撃の種類の一つである。消費TP、詠唱時間等は桁違いに高いが、その分攻撃力、攻撃範囲は全ジョブ中でもトップクラスである。もちろん詠唱中は他の魔法を使えないので主にパーティーにおける戦闘で使われる。
カカはフルールが自分よりも強いのは知っていた。しかし、妹よりも弱いことを認めることが出来ないでいた。それは兄としての意地。そこで認めれば、二度とフルールを直視出来ないとまで考えていた。
しかし今、カカはそれを認める。恥を忍び、心を打ち、今出来る限りのことをするために、フルールに向けて叫んだ。
カカの言葉を受けたフルールは、そんな兄の思いを受け、静かに頷く。
「……分かった」
そしてフルールは呼称する。
「スキル発動……“スカイウォーク”」
フルールの足元は光に包まれ、体はふわりと宙を舞う。そして崩壊した建物の頂上に降り立ったフルールは、杖を掲げ静かに呼称する。
「……………」
小声で言霊を口にするフルール。それを見たカカは、視線をジール達に向ける。
「ジール! クロエ! フルールが最大魔法を使うから、その間の一緒に時間稼ぎを頼む!!」
瓦礫から起き上がったジールは視線をカカに送る。
「痛っつつ……時間はどんくらいかかる!?」
「約五分だ!! ――なんとか頼む!!」
「……だそうだ。クロエ、いけるか?」
「……は、はい!」
クロエもまた立ち上がり、大蛇に正対する。大蛇もまた長い舌を素早く出しながらクロエ達を睨み付ける様に長い胴体を上に伸ばした。
「――準備はいいかい?」
カカの言葉で、クロエは弓を構え、ジールは戦斧を構え、カカ自らもメイスを構える。その三人に向け、大蛇は牙を向け突進する。
シャアアアアアア!!
三人は地を踏み締める。そして、各々の武器を握り締めた。
◆ ◆ ◆
一方、コロシアムのゲートは光に包まれた。そして光の奥からは、シグマが歩いてくる。
「………何だよ、これ」
ゲートから出た彼の眼前に広がったのは、荒れ果てた街並みだった。その光景に愕然とするシグマ。そして彼の目は、すぐに遠くの方で動く巨大な蛇を捉えた。その体は漆黒に覆われており、それを見たシグマは顔を歪める。
「漆黒蝶か……!」
それはまた誰かが犠牲になったことを物語っていた。自分の知らないところでも漆黒蝶の存在がチラついている。
「……クロエ達は?」
シグマは周囲を見渡す。しかしそこにクロエ達の姿はない。
(……もう逃げたのか?)
クロエ達の姿を確認できないシグマは思考を切り替え、大蛇に向け駆け出す。
そんな折、ふと彼の視界に白い鎧を着た一団が映る。
「あれは……」
シグマは立ち止まる。それはオーブ・エスタードの面々。彼らは顔を青ざめ、コロシアムの前で棒立ちしていた。そんな彼らの元へ駆けるシグマ。
「――おい、お前ら」
シグマの姿を見た面々は、なぜか安堵の顔を見せた。
「あ、ああ! 君か! 早くあの化物を倒してくれよ! 君なら出来るだろ!?」
白い鎧の男達の態度は急変していた。それまでシグマを見下していた彼らは、シグマの強さを目の当たりにした。そこで彼らは、襲い来る大蛇を彼が倒すのを待っていたのだった。
そんな彼らの姿に、シグマは苛立ちを覚えた。
「……こんなところで、何をしてるんだ?」
「え?」
「お前らはオーブ・エスタードなんだろ? 国を守る剣なんだろ? 何こんなところで油売ってるんだ?」
シグマの言葉に固まる面々。隣にいる者の顔を交互に見ながら、シグマに話す。
「む、無茶言わないでくれよ! 相手はランクSなんだよ!?」
「それでも人々を守るのが、お前らの役目なんじゃないのか? それとも、あれだけ街で偉そうに言って回ってたのは口だけだったのか?」
「………」
シグマの指摘に、面々は黙り込むしかなかった。そんな彼らに見切りをつけたシグマは、話題を変えて訊ねる。
「ま、そんなことだろうと思ってたけどな。端っから期待なんてしてねえよ。……それより、カカを見なかったか?」
彼がカカの所在を聞いたのには理由があった。クロエ達と共にカカとフルールの姿もない。ということは、四人は一緒に行動している可能性が高い。この連中に行先を聞くなら、知っているカカの方が都合が良かった。
「カカ? ――ああ、奴ならあの化物のところに行ったぞ?」
「……は?」
「街の人を助けるとか言う奴と一緒だったけどな」
シグマは、それがクロエ達であることをすぐに察した。
(……あの、バカが)
シグマの脳裏に苦戦するクロエ達の姿が思い浮かぶ。本当は二度と相手にしたくないはずのランクS。それでも勇気をもって立ち向かって行った彼女らを思うと、すぐにでも助けに行きたくなった。
そんなシグマを他所に、男達はまるで他人事のように話す。
「まったく、勝てるわけねえのに。相手はランクSだってのに無謀にもほどがあるよな……」
白い鎧の面々は、苦笑いを浮かべながら悪い冗談のように語る。その姿を見たシグマの中で、何かが切れた。
その一人に詰め寄り、鎧の首当て部分を荒々しく掴む。
「――アイツらを、笑うんじゃねえ!!」
「ヒッ――!!」
その余りの迫力に震え上がる白い鎧の男。シグマは怒りを露わにしながら続ける。
「アイツらの行動は、確かに無謀だよ! バカだよ! ――だけどな、テメエらがそれを笑うのは許さねえ! テメエらには、笑う資格なんてねえんだよ!!」
「………」
「―――チッ」
すっかり怯えきった男の顔を見たシグマは、これ以上言っても時間の無駄と判断し、舌打ちをして男を解放する。そして踵を返し、男達に背を向けた。
「……無謀だの言われても、それでも行動してる奴と、何もしようとしないで遠くの安全な場所から罵ることしかしない奴……笑われるべきなのはどっちなのかは、言わなくても分かるだろ。
――さっさと失せろ、クズ共」
シグマの言葉に、再び沈黙に伏せるオーブ・エスタードの面々。彼らに言い返す言葉は存在しなかった。
そしてシグマは走り出す。その目が写すのは、暴れ猛る黒い大蛇。そして頭に浮かぶのは、そんな大蛇と戦っているであろうクロエ達の姿。
シグマの足は、自然と速くなっていた。




