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二つの力

 シグマ達のランキング戦を見に来ていた観客は、モニターの映像に混乱していた。会場はどよめき、何が起こったのかと口々に話す。しかしそれは、スレイブがモンスターに変異したことに対することではなかった。

 ちょうどスレイブの額に漆黒蝶が止まった時、会場のモニターは一斉に砂嵐の音を立て、画面が消えてしまっていたからだ。まるで何者かが故意にシグマ達の姿を見せないようにしているかのように、全てのモニターが黒く染められていた。普通なら、それはバグとして運営に報告される。“普通なら”、の話であるが……

 もちろん会場のプレイヤーには漆黒蝶は見えていない。だからこそ何が起こったのか分からないでいた。

 それは、ジールとクロエも例外ではなかった。


「クソ……ダメだな、こりゃ」


 ジールは諦めたように背もたれに寄りかかり、ただ落胆の声を漏らす。


「中は、どうなってるんでしょう……」


 クロエは弱々しくジールに聞く。


「さあね……ま、シグマなら大丈夫だろ」


「そう……ですね……」


 彼女は、ジールがその問いに答えられないことくらい分かっていた。それでも聞かずにはいられなかった。映像でシグマの様子が分からない。彼が負けるとは思わないが、不安は募る。

 クロエは小さな体を丸め、組んだ両手を額に当てる。ただひたすらに、シグマの無事を祈っていた。




 ◆  ◆  ◆




 クロエの祈りが注がれる疑似空間では、緊張が走っていた。


「――クソッ!!」


 迫り来る爪を横っ飛びで躱すシグマ。素早く起き上がり距離を取る。


「ステータス表示!!」



 HP  … 3

 TP  … 7623

 ATK … 3691

 DFS … 9982

 MAT … 2240

 MDF … 6001

 SPD … 8413

 SKL … 7128

 ANT … 3354



(――また攻撃力が低い!!)


 彼はギリっと歯を食い縛る。今回のステータスはシグマにとって微妙だった。物理防御に関するステータスはほぼカンスト値であったが、HPが圧倒的に低い彼にとっては、それはあまり意味のないことだった。

 そんなシグマに、金狼は高速で左右にステップしながら迫ってくる。両手をダラリと下げたまま、跳ね回り距離を詰めていく。


「は、速い――!!」


 強靭な後ろ足で大地を蹴る金狼は、これまでシグマが対峙した相手の中では一番素早かった。両手には鋭く長い爪。迂闊に近付けば斬られることは容易に想像できた。


「ウェポンセレクト――“ソード”!!」


 シグマの片手には剣が装備される。そして迫り来る金狼に視線を送る。


「速いけど……見えないわけじゃない!!」


 左右に跳ぶ金狼の動きに目を凝らすシグマ。その動きを読んだシグマは、即座に飛び出す。そして剣を横に振り金狼の体を狙う。しかし剣は巨大な爪に受け止められる。更に金狼は残る腕を上げ、鈍く光る刃をシグマに向けた。


「チッ!!」


 シグマは剣を弾き、素早く後方へ離れる。彼のいた位置を爪が轟音を響かせ通り過ぎる。


「――――ッ」


 爪が過ぎたのを見るや、シグマは再び大地を蹴り金狼の元へ駆け出す。そして剣と爪は衝突する。剣を振るが爪に遮られる。爪を振るが剣に遮られる。断続的な刃の衝突。火花はフィールドを駆けまわり、導火線のように列を作る。

 彼はこの世界に来て以降、徐々に“操作方法”を体得していた。もともと彼の応用力、適応力は同世代の子に比べ群を抜き高い。今まではそのことを疎まれ、妬まれ、彼自身その才能とも言えるものを積極的に活用しようとはしていなかった。しかし今は違う。世界を解放するために――亜梨紗を連れ戻すために、彼はこの世界で存分にその才を開化させていた。

 そして彼は今、ランクAのモンスターであるスレイヤーウルフを押していた。もし会場にその映像が流れていたのであれば、人々は彼を更に賞賛したことだろう。


 グルルルルルル……!!


 金狼はシグマの一本の剣を防ぐので必死だった。牙を見せながら唸る金狼。だがそれは、苦し紛れの威嚇でしかない。


「――ハアッ!!」


 シグマは声を上げ、金狼へ剣の一閃を走らせる。受ける金狼は両手を弾かれ、脇を上げる。時間にして僅かなものでしかなかった。しかしシグマは瞬時に声を上げる。


「ウェポンセレクト――“ナックル”!!」


 両手にジハードを装着したシグマは、最大限の力を込めて金狼に拳の連打を浴びせる。殴打の壁を作り出し、金狼に攻撃の暇すら与えない。


「うおおおおお!!」


 シグマは雄叫びを上げながら拳を突き続ける。ここで決めるつもりだった。金狼は防御すら出来ずに、ただ流されるままに体を撃たれ続けた。


「ウェポンセレクト――“ランス”」


 金狼の上体が仰け反ったところで、シグマは槍に持ち替える。そして槍を片手で持ち、槍投げの様に構える。


「スキル発動!! “ディサイドスティンガー”!!」


 呼称と共にシグマの槍が輝く。その光槍を腹部を露わにした金狼に向け投げつける。槍は金狼を捉えそのまま後方に吹き飛ばす。腹部に刺さる槍は雷光を放ち、金狼を押し込みながらフィールドを突き進んだ。


 ガアアアアアアアア!?


 槍は逆放物線を描きながら、金狼の体を上空に昇らせる。宙を大きく一回転した後、今度は地上へ急降下をする。そして激しい衝突音と土煙を上げながら大地に衝突する。

 シグマが右手を掲げると、土煙の中から一本の光の筋が伸びる。その光はシグマの手に収まり、やがてシグマのランス、“ブリューナク”を形成した。


「………」


 シグマは一度だけ息を大きく吐いて呼吸を整える。先ほどからの猛攻を考えるに、これで勝負が決してもおかしくはない。しかしシグマは緊張を緩めない。なぜなら、彼はまだ終わらないことを予想していたからだ。それはギガントトロールの時のことがあったから。倒したと思った化物は、さらなる変異を遂げた。そしてこの金狼も同様の変異をする可能性もある。彼は、そう考えていた。

 ……そしてそれは、間違いではなかった。


 土煙を風が拭い去ると、そこには体を丸める金狼がいた。その体の内側では、ギガントトロールと同様に“何か”がうごめく。


「ウェポンセレクト――“ソード”」


 シグマはソードを再び召喚する。これからの変異を考えるに、一番使いやすい武器を手にしておきたかった。今の内に斬りかかることも考えたが、いつ変異が終わるかも分からず、懐に入ると同時に攻撃をされ死亡するリスクを考えると踏み込めないでいた。



 ウオオオオオオオオオオオン!!



 そして金狼が雄叫びを上げる。次の瞬間、金色に輝いていた毛並は濁る黒色に変わる。手の爪は肥大化し、上腕から先が巨大な一本の爪……いや、一本の刃となる。黄金色の尻尾は毛が消え、生々しいドラゴンの尻尾のようなものに変化する。全身が黒く覆われたそれは、既に“金狼”ではない。“黒狼”と呼べる存在だった。唯一の異色はその白く怪しく光る眼だけだった。


「やっぱりな……」


 シグマは静かに構えを取る。その動向に注目するシグマは、睨み付けるような視線を送る。


「モンスター情報表示……」



 モンスター … スレイヤーウルフ・トイフェル

 ランク   … S



 彼の予想通り、モンスターは再びランクが上昇していた。つまり、先ほどまでの金狼よりも確実に強くなったということ。


「これからが本番……ってところか」


 シグマは大地を踏む足に力を込める。それとは逆に上半身の力を抜き、相手のどんな行動にも対処出来るような体勢を整える。



 ガアアアアアアアアア!!


 

 黒狼は大地を蹴る。しかしその速度先程までとは段違いに速くなっていた。黒い風のような黒狼は瞬く間にシグマの眼前に現れる。そして二本の刃をX字に斬りかかり、それを剣で受けたシグマはあまりの衝撃に後方に飛ばされる。


「くうッ!」


 シグマは地に足を付き前を見るが、黒狼は再びシグマの眼前に迫っていた。


 アオオオオオオオオオオン!!


 雄叫びと共に黒狼は刃を交互に振り抜き続ける。それを必死に剣で受け止めるシグマ。武器を変える隙すら与えてくれない。もっとも、その刃の速度も速くソード以外の武器では到底受けることは出来ないだろう。かと言ってシールドに変えても攻撃が出来ず、やはりジリ貧となることも分かっていた。

 完全に攻め込まれていたシグマは顔を歪ませただただ隙を待つ。しかしそれすらもない。黒狼は本能の赴くままに両手の刃を振り続ける。その動きに一貫性はない。ただ粗暴な腕の振り。次の攻撃が予想出来ない。シグマは、後手に回る他なかった。


 ふとシグマは視線を周囲に一瞬だけ送る。それは救援を探す行動。無意識の境地。当然、誰もいるはずがない。彼が倒すべきはランクSSSとその先にいるジョーカー。“ただのランクS”であれば一人で倒す程の実力が必要だと考えていた彼は、そんな自分が許せなかった。


「――クソッ!!」


 苦し紛れに剣を振るが、黒狼は跳躍し簡単に躱す。そして背後に回られたシグマは心臓が凍る。すぐに背後を向くと、そこには刃が目の前まで付きつけられていた。


「――――ッ!!」


 それを何とか剣で受けたシグマだったが、踏ん張りが利かない体勢だったこともあり、勢いよく吹き飛ばされる。そのまま後方にある岩に体を叩きつけられたシグマのHPは、この世界に来て初めて減少する。


(―――――!!!)


 完全に終わりを想像した彼だったが、HPはレッドゾーンで停止する。直接的な攻撃を受けたわけではなく、かつ、シグマの物理防御はほぼカンスト値。それらの要素が合わさり、奇跡的にシグマのHP減少値は“2”に止まった。


 しかし決して油断できない。してはならない。彼の残るHPは1。掠り傷一つすら許されない。

 岩を背に立ち上がるシグマの心臓は激しく脈動していた。目に見える敗北が迫る。さっきから赤いHPが点滅を繰り返す。それが更なる不安を煽る。


(どうする……)


 シグマは出来るだけ冷静に考えようとしていた。今黒狼はユラユラと揺れながら立つ。攻撃を仕掛けるタイミングを探っていた。


(相手の刃は二本。それを防ぎつつ攻撃を仕掛けるには、到底今のままじゃダメだ。もっと手数がいる。……だけど、ナックルだと懐に入る必要が出てくる。それは賭けが大きすぎる……)


 彼は黒狼を見続ける。その額には、汗が流れていた。もちろんそれは実際に流したものではない。それは、ゲーム内の仕様。プレイヤーの心理を読み取り、それを具現する。シグマの心理は、追い込まれていた。


(二本の刃に対抗する力……二本の刃に……)


 頭の中で何度も復唱するシグマ。その時、彼は気付いた。それは実に単純なことだった。難しいことなんかじゃない。複雑なことでもない。至極簡単な、シンプルなことだった。


(相手の剣は二本……だったら!!)


「――ウェポンセレクト!!」


 シグマは叫ぶ。そして呼称する。



「“ソード”……“ブレード”!!」


 

 その言葉と共に、シグマの左手に光が集い、そしてSSSブレード“アマノムラクモ”が現れる。しかし彼の右手にはSSSソード“エクスエル”が装備されたままだった。


「――だったら、こっちも二本持てばいいだけじゃねえか……!!」


 それはシグマの思い付きだった。深い考えも、理論もない。相手の刃が二本なら、こっちも二本持てばいい。ただ端的な、安易な思い付きだった。

 ……しかしそれこそが、彼のジョブ“ゴッドハンド”の最大の強さであることを彼は知らなかった。

 通常プレイヤーは使える武器種は限られており、なおかつ装備出来る武器は一種のみである。それはゲーム内のパワーバランスを保つため。しかし彼は同時に二つの異なる武器を装備出来る。それは革新。それは独創。二つの力は同時に具現し、シグマの手に携えられていた。


 ――今、世界の常識がまた一つ変わった。最強最弱のプレイヤー、レベル1のシグマの手によって。


 剣と刀を携えるシグマは頬を緩める。体に武者震いが走る。そして、叫ぶ。



「これで条件は同じだ。――行くぜ!! 犬コロ!!」

 

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