ギガントトロール
ボロボロの街の片隅で、シグマ、クロエ、ジールはベンチに座っていた。空の色は暗く、どんよりと濁る。街を包む絶望を写すかのようだった。
クロエとジールは黙り込み下を見ていた。この二人には、この地区でAランクモンスターが現れた絶望感が満ちていた。一言も声を放つことなく、場を繋ぐように溜め息を飛び交わせる。
シグマは街の様子を見ていた。最近この世界にダイブした彼にとって、クロエとジールが感じる絶望は理解出来なかった。モンスターが現れたのなら狩ればいいだけ。そんなイメージだった。しかし二人の表情や雰囲気から、そんな単純な話ではないこともよく分かっていた。だからこそ何も言わずに、ただ静かに街を見ていたのだ。
街に来た時の状況と何一つ変わらない。ケガ人を介抱する人、HPが削れた状態で壁に寄り掛かる人……その光景を見たシグマは、ある疑問が生まれる。ゲームの世界だと言うのに、常識とも言える“あること”を全くしようとしていなかった。
「なあジール。一つ教えてくれ」
「何だ?」
「何でケガ人をさっさと回復しないんだ? 回復スキルですぐに回復出来るはずだろ?」
そう、彼が感じたことは“それ”だった。HPが減れば回復をさせる。ただそれだけのこと。しかし街の様子を見る限り、誰一人として回復させようとしていない。これだけ広い街に、回復スキルを使える人がいないことなんてのはあり得ない。だからこそ奇妙に感じていた。
「……回復スキルが、効かないんだよ」
ジールは頭をかきながら参ったように呟いた。
「え? どういうことですか?」
その言葉は、シグマはもちろんクロエにとっても信じ難い言葉だった。
「もちろん最初はすぐに回復させようとしたさ。だけど、いくらスキルを使っても、HPは全く回復しなかったんだ。……まあ、自然治癒は大丈夫だったからほっといたらHPは回復するけど……」
自然治癒とは、キャラクターの自然回復現象である。HPが減ったキャラクターは、放置していれば5秒経った段階から2秒毎に1ずつHPが回復していく。これは回復スキルやアイテムが充実してない初期プレイヤーのためのシステムである。ある程度キャラが育てばその程度の回復ではHPが満タンになるまでに途方もない時間が掛かるため、普通はアイテムやスキルを使用して回復させるのだが……ジールは、それが出来ないと説明した。
「他のモンスターからやられた時は普通に回復させれるんだけど、なぜかあのモンスターから受けた傷は回復出来ないんだよ」
「……未知の、特殊能力ですかね」
「その線は考えられるな。……だけど、この辺のモンスターは大概が把握されてるからな。それにそんなモンスターなんて聞いたこともない。
――まったく、考えれば考えるほど訳がわからん」
「………」
シグマは、これがウィルスの影響じゃないだろうかと考えていた。サーバーの中でウィルスが変異したことも十分に考えられる。そして彼は最悪の状況を考えてみた。それは、死亡時のこと。回復出来ないという異常データとなる攻撃なら、それから受けた攻撃で死亡した場合はどうなるのか……彼は、それが気になった。
「ジール、他の奴がやられた時、何か変わったことはなかったか?」
「う~ん、そうだな……。特に変わった様子もなかったけど……普通通り光になって消えてったし」
「そうか……」
(とりあえずは大丈夫ってことだろうな。実際に死ななきゃ分からないけど……)
思案に耽るシグマの様子を見たジールは、彼に視線を合わせる。
「シグマ、これからどうするんだ? 肝心のランキング戦は中止になってるけど……」
「……決まってる。ランキング戦はモンスターという“障害”で中止になってるんだろ? ――だったら、その“障害”を排除するまでだ」
シグマは徐にベンチを立つ。その表情は力強く、目の前の光景を睨み付ける様に鋭い視線だった。
「シグマさん、もしかして……」
クロエはそう聞くが、彼の返事なんてものは分かりきっていた。
「ああ。“ギガントトロール”とかいう奴を、狩りに行く」
クロエとジールは勢いよくベンチを立つ。そして二人は声を荒げた。
「ちょ、ちょっとシグマさん! 相手はランクAのモンスターですよ!? シグマさんがいくら強くても、限度がありますって!!」
「……シグマ、そりゃいくらなんでも無茶だぞ。言っちゃ悪いが、お前だってたかがレギオンだ。ランクAのモンスターをどうこう出来るはずがない」
二人からしたら当然のことだった。ランクAとは、本来ならセントラルにいる高ランクプレイヤーが挑むレベルの相手。レギオン――ましてやレベル1のシグマが挑むのは、誰が考えても荷が重すぎることだった。
……しかしそれはこの世界の都合。シグマの都合は、そんなものは関係なかった。彼が倒すべきはその遥か上にいるSSSモンスター、それと、ジョーカー。ランクA“程度”で遅れを取るわけにはいかなかった。それに彼はこの機会に、自分がどの程度行けるのかを試すつもりだった。ランクAは高ランクプレイヤーでも苦戦する相手。ならば、それを倒せばその連中と五分以上の戦いが出来るはず。シグマは、そう考えていた。
「無茶でもなんでも、俺はこんなところで止まるわけにはいかないんだよ。いくら止められても、俺は行く。付いて来てくれなんて言わない。ただ、居場所だけは教えてくれ。
――後は自分で何とかする」
「で、でも……!!」
クロエはそれでも止める。みすみすシグマが傷付くのを黙っていられなかった。それとは逆に、ジールは何も言わなくなった。彼は、シグマの目の奥にある“何か”を見たからだ。それは間違いなく力強く彼の中心に真っ直ぐに伸びた芯。垣間見た強靭なシグマの芯は、ジールの中から“制止”という選択肢を無条件に放棄させていた。
「……分かった。モンスターの場所、教えてやる」
「――ッ!? ジールさん!?」
クロエはジールに詰め寄る。彼なら止めてくれると思っていた彼女にとっては、突然すぎる方向転換だった。
「ただし! 条件がある!」
「条件?」
「――俺も連れてけ。居場所までは俺が案内する。けど、俺もお前に同行する」
「は? 何で?」
「俺はお前に興味が湧いた。レベル1のくせに、それをまったく気にもしないお前の破天荒さ、気に入った。だから付いて行く。いいだろ?」
「………」
正直、シグマは面倒だった。ただでさえクロエがくっ付いて来てるのに、これ以上誰かに干渉されたくなかった。しかしそれを承諾しなければ居場所を教えてはくれないことも分かっていた。
(ま、ギガントトロールを狩るまでの辛抱だな)
「……分かったよ。案内、頼むよ」
それを聞いたジールはニッコリと笑う。そして声を大きくした。
「よしきた! すぐに出発しよう!」
シグマとジールは歩き始めた。シグマは無表情で歩く。ジールはどこかワクワクするように明るく歩く。正反対な様子で歩いていく二人に戸惑いの視線を送るのはクロエ。
「~~~~っ」
本当は彼女は行きたくなかった。怖くてたまらなかった。だけど、ここで行かないといつまで経ってもシグマの背中は追えないかもしれないと思った。その思いだけが、彼女の足を動かし始める。
「……ま、待ってください! 私も行きます!」
クロエもまたベンチから走り去る。前を歩くシグマは視線だけをクロエに送り、足を止める。そしてクロエが追いついたのを確認するや、歩みを再開した。
三人となった一行は街を出る。そこに待つ、“ギガントトロール”を狩るために。シグマの目は、人知れずギラギラとした炎を宿していた。
◆ ◆ ◆
ジールが案内した場所は、街から程近い森の中だった。空の色は相変わらずの黒が濃い灰色模様であり、森全体が薄暗い。
先頭を歩くのはジール。探索系スキルで掌に光の玉を召喚し、暗い道を照らしていた。それに続くシグマ、クロエ。クロエは怯えるように周囲を見渡す。そしてシグマは歩いているのだが……森に入ったあたりからシグマの眉間には皺が寄っていた。そしてたまらず、シグマは後ろにいるクロエを睨む。
「……クロエ、さっきから歩きにくいんだけど」
シグマの見つめる視線の先には、クロエの右手があった。クロエの右手は、しっかりとシグマの服の裾を握り締めていた。左手を胸の前にやり怯える彼女。捨てられた子犬のような表情でシグマの顔に視線を送る。
「だ、だって……」
「怖いなら街で待てばいいだろ? 別に無理に来なくても……」
「そ、そんなこと言わないでくださいよ……シグマさんの、バカ……」
「……いや、意味が分からん」
クロエは顔を膨れさせる。最近になって、クロエはシグマの鈍感さが口惜しくなっていた。それでも意味が分からないシグマは、ある意味“オメデタイ”奴なのかもしれない。
「ハハハハ! お前たち、本当に面白いな!」
ジールは大笑いした。実のところ、彼はギガントトロールと再び対峙することに恐怖を感じていた。自分の実力について少なからず自信を持ち、共に戦う仲間の力も信用していた。……だが、いざモンスターと戦うと、仲間はまるでボロ雑巾のように叩きのめされ次々と目の前で光になり、残されたジールはその場から逃げ出していた。
その場所が近付くにつれ、彼の中にその光景がフラッシュバックする。二度と行かないと思ってしまった場所。
そんな彼が、なぜまた行くことを決めたのか。それは、シグマの影響だった。
自分より格下であるはずのレベル1は、恐れることなく突き進もうとする。その姿を見たジールは、足踏みする自分が恥ずかしくなった。だからこそ、もう一度挑戦しようとしていた。
それでも、彼の中には不安があった。しかしそれすらも、まるでわざとのように騒ぐ二人に払拭された。笑いながら、ジールはそんな二人に、心の内側で感謝をしていた。
もちろんそんなことを知る由もない二人は、ばつが悪そうな顔を浮かべている。一向は、賑やかに森を歩いた。
――その時だった。
オオオオオオオ!!
森に突然雄叫びが轟く。低く野太い声。聞くからに、到底人のものとは思えぬ声。
その声を聞いた三人は足を止め周囲を見渡す。その中で、ジールは冷や汗を額に浮かべながら、薄暗い森の中を睨んでいた。
「――奴だ」
その言葉を受けたシグマとクロエは表情を険しくさせる。シグマは足をやや開き、身構える。クロエはシグマの背中に隠れるように更に怯える。
そんな三人の右横の木々から、葉を揺らす音が聞こえてきた。そしてその音はだんだんと近付き、やがて木々の間から巨大な影が姿を現す。
「……これが、ギガントトロール……」
シグマの視線の先には、全長数メートルはあろう巨体があった。紫色の皮膚に三つ目。大きな口からは牙が飛び出し下品に涎が滴る。屈強な体は太い腕を持ち、右手には巨大な丸太をこん棒のようにぶら下げていた。
「………」
クロエは声を失い固まっていた。彼女にとっては初めて見るAランクモンスター。その威圧感は、確かに彼女が体験したことがないものだった。
「……クロエ、身構えろ。前衛は俺がするから、サポートを頼む」
それシグマななりの気遣いだったお顔こそモンスターを向けていたが、クロエにもそれが伝わる。そして彼女は固まる体を無理やり動かし、背中の弓を手に持ち直した。
「……はい!」
弱々しくもはっきりとしたクロエの言葉を聞いたシグマは、誰にも気付かれないように僅かに頬を緩める。
「――それじゃ、行くぜ……!」
シグマもまた剣を抜く。ジールもそれに続き、戦斧を両手で持つ。
オオオオオオオ!!
紫色の巨体は、大口から咆哮を放つ。叫びは森と空に響き渡り、シグマ達の体はビリビリと衝撃を感じる。そして怪物は、手に待つ丸太をシグマ達に向け空気を裂き降り下ろした。




