破壊の街
次なる街に向かうシグマ。その表情は、険しいものになっていた。しかしその理由は、決して、次の街で行う階級の上昇を賭けた一騎打ちではない。彼がジロリとした視線を送る先には、上機嫌なクロエがいた。
「……なあ、いつまで付いてくるつもりなんだ?」
するとクロエは、その笑顔を一切変えることなく答える。
「決まってますよ。“いつまでも”、ですよ」
(……何気に危ない発言のような気がする)
「ていうか、何で付いてくるんだよ」
すると、クロエはそれまでの笑顔を一変させた。
「な、何でって……それは……その……」
俯きながらしどろもどろになるクロエ。だが、落ち込んでいるのではなかった。頬を染め、両手を組みモジモジと動かしている。クロエにとって、その答えは実に単純だった。……だがしかし、シグマにそれが分かるはずがない。彼は、そこまで他人と親しく接したことなどここ数年なかったからだ。
そんな彼は、クロエの“理由”に気付くことなく、無粋なことを言う。
「何黙ってるんだよ」
「な、何でもありませんっ! ……シグマさんの、バカ……」
(何で俺がバカ呼ばわりされなきゃいけないんだよ……)
何だか釈然としないシグマだったが、あまりクロエに構ってるとみすみす彼女のペースに飲まれてしまうと自分を律する。だから彼は、突き放すことにした。
「……この際、ハッキリ言っておく。お前がいたら、邪魔なんだよ」
「………」
「俺には、やらなきゃいけないことがあるんだ。それはお前の力なんかじゃ到底助力にもなりゃしない。逆にお前がいたら迷惑なんだよ。――だから、さっさとどっかに行けよ」
「………」
クロエの顔からは、すっかり笑顔がなくなっていた。色のない表情を浮かべるクロエを見て、シグマの心に針が刺さる。しかしシグマが言うこともまた事実だった。クロエのレベルは45。ジョブレベルだって24しかない。それではSSSモンスターとは戦えない。むしろシグマの気が散るだけの存在となるだろう。巻き添えでデスペナルティを受けてしまうだろう。
(これなら……)
シグマはある程度クロエが傷付きやすい性格であることを把握していた。少し厳しめに言ったのは、気持ちを断ち切らせるため。付いて来ようという気持ちを起こさせないため。嫌われてクロエが諦めてくれるなら、それはそれで結果オーライであるとシグマは自分に言い聞かせていた。
……しかしクロエの反応は、シグマの予想を上回っていた。
「……シグマさん、ありがとうございます」
「……………はい?」
クロエが口にした言葉はお礼。感謝の意。それは、シグマにとって全くの想定外の反応だった。
「シグマさんは、私を気遣ってくれてるんですよね? 私には分かります。……そして、シグマさんの言葉が的確であることも。確かに、私がいたんじゃシグマさんの迷惑になるかもしれません。
シグマさんが何をしようとしているのかは分かりません。ですが、それはきっと私なんかじゃ想像も出来ないことなんだと思います。その中で、私なんかじゃすぐにデスペナルティを迎えることでしょう。シグマさんは、それを気にしてるんですよね。
――だから、ありがとうございます」
クロエはシグマという人間像を理解し始めていた。傷付いてないと言えば嘘になる。しかしそれ以上に、会ったばかりの自分を気にかけてくれる彼の“気持ち”が嬉しかった。
「私のことは気にしないでください。私は、シグマさんを見ていたいんです。シグマさんがこれからどう歩いて行くのか、それをこの目で確かめたいんです」
「………」
「――だから、お願いします。私も、一緒に連れて行ってください!」
クロエは深々と頭を下げた。目を瞑り、必死に懇願した。そしてシグマは、そんなクロエが僅かに体を震えさせていることに気付いていた。それほどその少女が本気であることを、瞬時に読み取った。
シグマは迷っていた。ここまで頭を下げる少女の意を汲んでやりたいと思う反面、関係のないクロエをわざわざ巻き込むことはしたくないという思いも持っていた。それでも、力強い彼女の視線を見て、大きく溜め息をする。
「……死んでも知らないぞ?」
「はい!」
「デスペナルティでどんどん経験値が減るぞ?」
「で、出来るだけ減らないように頑張ります!」
そして再び溜め息を吐くシグマ。髪をグシャッと荒々しくかき、視線をクロエに戻す。
「……降参だ。付いてくるなら勝手にしろよ」
それを聞いた瞬間、クロエは太陽のように笑顔を輝かせた。そして勢いよく頭を下げる。
「あ、ありがとうございます!」
そして頭を上げる。いつものようにずれた帽子を直しながら、頬を赤くして微笑みをシグマに送っていた。
(なんだかなあ……)
そうボヤキを思うシグマ。クロエのペースに乗せられないようにしていたはずが、結局は自分が折れることになった。そのことが、やけに情けなく感じていた。
「……とにかく、次の街に行くぞ」
「はい!」
(やれやれ……)
そして二人は歩き出した。目の前には目指す町の外壁が見える。その中にあるトリプルミリオンのコロシアムを目指し、街へ向かった。
◆ ◆ ◆
街に着いた二人は、その様子に戸惑っていた。大きな街で、たくさんの人がいる。前の街より更に規模が大きいところを見ると、さすがはトリプルミリオンのメインコロシアムがある街だと言えるだろう。
……だが、二人が困惑するのは、決して街の風景ではない。その“雰囲気”だった。
「これって……」
「………」
二人が見つめる先の道には、まるで戦時中であるかのような景色が広がる。HPを削られ回復魔法を施される人。壊れた武器を直そうとする人。崩れた街並み、砕かれた道路。そこはおよそ、華やかさとは程遠い光景だった。人々の顔には影が落ち、沈みきっていた。
「……どういうことだ?」
シグマはその光景を見ながら考えていた。もしかしたらイベントか何かかとも疑う。しかし、こんな町中で起こることではない。そして何よりおかしいのが、ボロボロになった街並みである。この場所は、あくまでもランキング戦を行う場所。こんな場所の中でここまでの戦闘は起こるはずがなく、万が一起こったとしてもただの映像であるはずの街並みはすぐに戻るはずである。しかしそれが戻っていない。周囲には焦げた匂いが漂っており、それはゲームの世界とは思えないほどの惨状に見えた。
「――お前たち、旅の者か?」
シグマたちの背後から声がかかる。振り返る二人の視線は、そこにいた男性を捉えた。
緑色のさっぱりした短髪で長身。灰色の鎧で全身を覆っている。背中には巨大な戦斧。見るからにパワーファイターであった。しかし彼の表情は決して泥臭くなく、むしろ爽やかな好青年のように見える。
「あ、はい! あの、あなたは?」
「俺か? 俺はジールだ。一応、この街からの救援要請を受けて来た男だ。よろしくな!」
ジールは親指を立て笑顔でシグマ達に挨拶をする。慌てて頭を下げるクロエと、首を縦に小さく振るシグマ。ジールの話に疑問を感じたシグマは、さっそく聞いてみる。
「……ジール、救援要請ってどういうことだ?」
「お前、いきなり呼び捨てかよ……」
ジールは腰に手を当てて苦笑いをする。しかしあまり人と話さないシグマにとって、敬語だとか礼儀だとかは考えるだけ疲れるだけだった。
「別にどうだっていいだろ。――それより、救援要請のことだ」
「……ま、いっか。救援要請ってのは言葉通りの意味だ。この街からの依頼で、俺は別のところから来たんだよ。――まあ、正確には“俺達”だがな」
「何があったんですか?」
クロエの質問に、ジールはそれまでとは違う緊張感に満ちた表情を見せる。
「……実はな、最近この街の近くで特殊なモンスターの目撃があってるんだ。大概がそのモンスターを見た瞬間にやられてるんだが……それには、共通点があってな?」
「共通点?」
「ああ。――なんでも、そのモンスターのランクは“A”だったらしい」
「ええ!? う、嘘……」
クロエは信じられないことを聞いたかのように驚きの声を出す。ジールもまた、険しい表情を維持する。シグマだけが、その異常性を理解出来ないでいた。
「クロエ、そんなに驚くことなのか?」
シグマの質問を受けたクロエは、視線を固めたまま話す。
「は、はい……。前にシグマさんが倒したモンスター“レッドローズ”を覚えてますよね? あのモンスターが、ランクCなんです」
「ああ……確か、そうだったな」
「あのモンスターでさえこの辺りでは一番の強敵なんです。それほど、この地区のモンスターレベルは低いんですよ。……だけど、そのモンスターはランクA。ランクAと言ったら、上位ランカーですら負けることがあるくらいですよ? そんなものが現れるなんて、初めてです」
「………」
クロエの様子から、それが通常起こり得ないイベントであることがシグマにも分かった。しかし、その原因が分からない。ウィルスの線も考えたが、確かあれは現実世界のデータの破壊だけのはずだ。かといって、それ以外には考えられない。
(ウィルスの性質が違っていたのか? もしくは端っからその性質を見落としていたとか……)
しかし、分析には開発者てある美紗も携わっている。その可能性は低い。
「……ジール、“俺達”って言ったよな。他の奴はどこだ?」
シグマの質問に、ジールは両手を左右に開き首を横に降った。
「み~んな、逃げ出したよ。……ま、あのモンスター見ればそうなるよな。一応ランクAということになっているが、その強さは、限りなくSに近いと思う。実際、一緒に来た連中の何人かはやられて、前の町に飛んじまったよ」
「そ、そんな……」
(救援に来てやられたんじゃ世話ねえよな……)
その時、シグマはあることに気付いた。街がこれだけの惨状ということは……
「……なあ、この街のランキング戦はどうなってるんだ?」
「ん? そんなもん、中止になってるよ。当然だろ?」
「………」
シグマの嫌な予感は当たった。甚大な被害を受けた街は、そのコロシアムまで壊されていた。当然、ランキング戦など行われるはずもなかった。
「つまり、そのモンスター――“ギガントトロール”を倒さない限り、ランキング戦は行われないんだよ」
シグマは沈黙した。階級を上げるべく訪れた街。その街で、彼の道は暗礁に乗り上げてしまった。




