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ドリフィング・エデン・フロンティア  作者: 井平カイ
【最強最弱のプレイヤー】
10/60

黄昏の秘石

 静まりが戻った森の真ん中では、シグマがクロエの行動を見守っていた。そしてクロエは彼が見つめる中、祠にあるそのアイテムをおそるおそる手にする。本当に欲しかったもの。これまでの自分を変えようと思い勇気を出したこと。それまでのことがいくつものフィルムのように思い出す。


「………」


 それが実現しようとする瞬間に、色々な感情が溢れてきた。それを奥歯を噛み締め堪える。そして大きく息を吸ったクロエは、そのアイテムを手にした。

 いつまでも祠の前から動かないクロエを、シグマは静かに見つめていた。人知れず、彼も心の奥でクロエを応援していた。たった一人モンスターに挑み惨敗し、恐怖心に苛まれながらも目指したものを得ようと抗うクロエの姿は、どこか今の自分と似た部分があるように感じていた。だからこそレッドローズを仕留めた最後の攻撃は、敢えて彼女と同じ武器、“アロー”を選択した。彼女の意志を具現したかのようなその矢は、見事に壁を打ち破る。少なからず、シグマの中には何か暖かい感情が芽生えていた。それが何なのか分からない彼は少し戸惑いながらも、その感情に抗うことなく、優しい表情を彼女に送ったまま声をかける。


「……望むものは、手に入ったか?」


 その声を受けたクロエは、目尻に溜まりつつあった涙を手で拭い、シグマの方を振り返る。


「……はい!」


 その表情は達成感からの感動に満ちた太陽のような笑顔だった。その瞳は拭いきれなかった涙で輝いていた。

 そして彼女の両手の中には、それに勝るとも劣らない瑠璃色に光る丸い石があった。それを見たシグマは、今度は隠すことなく微笑みを送った。




 ◆  ◆  ◆




 祠の前で、クロエは石を三つ並べる。それぞれ瑠璃色、緋色、翠色と仄かな光を放つ。そして両手の掌を石にかざしたクロエは、静かに目を閉じる。


「……合成」


 その瞬間、三つの光は一つにまとまり、輝く黄金色の球体が地上に現れた。その光はクロエとシグマの顔を照らし彩る。


「これは……」


「これが私が欲しかったアイテム……“黄昏の秘石”です」


 それを拾い上げたクロエは、また泣き出しそうになっていた。ようやく手に入れた秘石。手に持つと、それをリアルに実感してしまう。それはおよそ少女にとっては耐えようもない喜びと感動の渦を起こす。だからこそ、言葉に詰まる。


「どうしてそこまでして、その石が必要なんだ?」


 シグマはそれが気になった。あのモンスターと対峙した時、明らかにクロエは戦闘向きではないことが分かった。相手を力でねじ伏せる。そんなものとは無縁のように思える少女が、そこまでして手に入れようとしたものにどんな意味があるのか。シグマは、それが知りたくなった。


「………」


 クロエは言葉を探す。これはシグマの協力なしでは到底手に入らなかったアイテムであり、そんな彼には最大限のお礼をしたかった。だからこそ、全てを彼に話そうとしていた。


「……これは、奇跡を起こすとされる石……この地区で最大の秘宝とまで言われているらしいです。これを、ある人達に渡さないといけないんです」


「ある人達?」


「はい。――旅団“風の旅人”の人達です」


「旅団……」


 それはシグマも知っていた。

 旅団……それはKOE内で共に旅をする仲間の集団。各町にある旅団の管理をする“協会”の窓口から申請すると正式に発足する団体である。人数は数人程度の極小規模なものから、果ては数万人規模の超大規模な旅団まで幅広く存在している。その団体数は認定数だけでも数千、未認定の団体まで含めれば数万とも言われている。


「その旅団に、何でこの石を?」


「……私、一度も旅団に所属したことがないんです。これまでは世界を歩いて回って、景色を見て、それだけで満足だったんです。もともと引っ込み思案なので、人と上手く話すことが出来なくて友達も少ないんです。……でも、私ももっと世界を周りたい。誰かと感動を分かち合いたい。そんな風に思ったんです。

 そんな時、団員を募集していた旅団の広告を見たんです。普段なら私なんかじゃ入れないって諦めていたんですが、勇気を出して団長の“フーガ”さんのところに行きました」


「フーガ……」


「フーガさんはとても親切な方でした。私もその雰囲気が気に入り、入団希望を出したんです。……ですが、風の旅人には入団条件がありました。それが、特定アイテムを提出することだったんです。

 ――そして、そのアイテムが“黄昏の秘石”だったんです」


「………」


 シグマは何か引っかかっていた。旅団が入団条件を出すこと自体は珍しいことではない。妙な輩が入ることがないように、様々な条件があるものだ。もちろん、その中にはアイテムの提出というものもある。……だが、亜梨紗の説明では、その趣旨は少し違う。特定アイテムを手に入れるクエストを“共同でクリア”し、その人物の実力、人間性を見るのが普通である。だが、その風の旅団は“たった一人”でクロエにアイテムの回収をさせた。それではクロエのことが分かりようがないはずなのに。

 シグマは何か、きな臭いものを彼は感じ始めた。もちろんそれをクロエに言うことはしない。普段であればハッキリと言う彼だったが、嬉しそうに頬を緩ませる彼女の顔を見ていると、それを告げることを躊躇してしまっていた。

 だからこそ、彼はある行動に出ることにした。


「……その石、今から渡しに行くのか?」


「え? は、はい……。渡したら、シグマさんとはお別れですね……」


 クロエはさっきとは打って変わり、寂しそうに目を伏せた。ここまで手伝ってくれたシグマには本当に感謝していた。

 石の一つを盗られそうなったところを助けてくれたうえに、秘石集めのお礼が、この世界では常識であることを教えるという至極簡単なこと。当然だが、それは彼にとって本当に必要なことだった。武器などの武具、回復アイテムなんてものは、曖昧なチートである彼にとっては価値はない。情報こそ、彼にとって何よりも欲しいものだった。しかし、クロエにはそんなことは分からない。だからこそ、クロエは勘違いをしていた。彼が、気を使ってわざと簡単な条件を出したと。

 それまであまり人と関わりを持てなかった彼女にとって、シグマの存在は輝ける出会いだった。誰も助けてくれない中で、危険を顧みず自分を助けた彼。そして、瑠璃色の石の回収に厳しい言葉をかけながらも手を貸した彼。……そんなシグマに、密かに特別な思いを抱くのは当然かもしれない。

 そんなシグマとの別れが迫る。彼女の胸には、棘のようなものが刺さっていた。

 だがシグマは、彼女の予想とは違うことを口にした。


「その石の引き渡し、俺も一緒に行く」


「……え?」


「渡しに行くんだろ? ――それまでは付き合ってやるさ」


「――――」


 その言葉は、彼女にとって完全に不意打ちだった。感極まった思いは、容赦なく彼女を襲う。目からは再び、雫が落ち始めた。


「お、おい! どうしたんだ!?」


 突然の出来事に戸惑う彼。彼にとって、亜梨紗以外の女性が泣くのは初めてのことだった。その理由は、彼には分かりようもなかった。


「い、いえ! ……何でもないんです。何でも……」


 彼女は慌てて涙を拭い取り繕う。顔は失笑を浮かべていた。


「そ、そうか……」


 涙の理由を追及するのもおかしな話だと考える彼は、それで納得するしかなかった。


「――とにかく! 行きましょう! シグマさん!」


 彼女はわざとのように元気よく声を上げ彼を先導する。それを見た彼は、頬をかきながら言葉を呟き、それに付いて行った。


「……なんだかなぁ」




 ◆  ◆  ◆




 森から離れた二人は、最初の町から北西にある町に行き着いた。街並みは前の町と大して変わらない。町の特産品もなく、やや大きな極普通の町である。 

 ……だが、前の町よりも人は格段と多い。それは、この街最大の特徴にあった。この街には、ランキング“レギオン”のコロシアムがあるのだ。人々はランキング戦のためにこの街を訪れる。自らの腕を試し、RPを稼ぎ、より高みを目指すのだ。

 そんな町中の片隅に、小さな小屋のような建物がある。そここそ、旅団“風の狩人”の本拠地だった。


「やあクロエ。久しぶりだね」


「……お久しぶりです、フーガさん」


 中にいたのは、青い短髪の丸眼鏡を掛けた長身の男。そして十数名の旅団の団員。皆にこやかにクロエを出迎えていた。その顔を見た彼女もまた、頬を緩ませていた。

 ……しかし、彼女の後方、出入り口横の壁にたったまま腕を組みもたれ掛るシグマは、わざとらしいような笑顔を作る連中に鋭い視線を送る。装備や風貌を見る限り、この団員はそこそこのレベルに思える。にも関わらず、彼らはレベルが低いクロエにたった一人で秘石を取りに行かせた。それも入団条件としてありなのかもしれない。だが、少なくともシグマには、何か黒い理由があるように感じていた。

 そんなシグマの視線を見すらしない団員は、クロエとの話を進める。

 

「それでクロエ。さっそくで悪いけど、黄昏の秘石、手に入れたそうだけど……今持ってるのかい?」


「あ、はい! ――アイテムセレクト、“黄昏の秘石”」


 クロエが呼称すると、目の前の空間から黄金色の石が現れる。その光を見た団員の面々はどよめく。そしてフーガなる男もまた、笑顔の中に驚きの色を見せていた。


「た、確かにこれは、“黄昏の秘石”……よく手に入れたね。大変だったろ?」


「は、はい……でも、シグマさんが手伝ってくれましたし……」


 クロエは頬を桃色にしながら一目シグマに視線を送る。それに釣られるようにフーガ達もシグマを見た。視線の数々を受けたシグマは、黙ったまま小さく一度だけ会釈する。

 そしてクロエは、秘石をフーガに手渡した。……その手は、微かに震えていた。


「……まあ、何はともあれ助かったよ。キミのおかげで僕らのランキングが上がる。そして、旅団のランクも上がる。

 ――クロエ、本当にありがとう」


 優しい表情のままクロエに向かい謝辞を告げる。それを受けた彼女は照れながら嬉しさを隠すように少しだけ視線を落とした。そしてそのまま、彼女は気になっていたことを聞いてみる。


「あの、その秘石って何なんですか?」


「ああ。これはね、こうして使うんだよ」


 そして彼は、手にした秘石を上に掲げる。


「――アイテム発動、“黄昏の秘石”」


 フーガの呼称とともに、秘石は光を大きくさせる。その光はフーガの体を包み込み、やがて消え去った。

 それを見たクロエは茫然とした。あれほど苦労をして入手したアイテムが、目の前であっさりとなくなったからだ。彼女自身も、アイテムとは使ってこそ本当の意味があることは理解している。しかし、それでも心の動揺は完全に消すことは出来なかった。


「………」


 シグマは眉間に皺を寄せていた。


(何も、目の前で使うこともねえだろうに……)


 しかしそれでも彼は黙り、ことの次第を見つめる。


「……フーガさん、今のはいったい……」

 

 クロエは声を絞り出すようにフーガに訊ねた。フーガはそれに笑顔で答える。


「このアイテムはね、次の戦闘でのPP、JP(ジョブポイント)、BP|(旅団ポイント)を二十倍にする効果があるんだよ。……そして、僕が持つ特殊防具。これは、任意の戦闘で一度だけ全ての経験値を五倍にする。しかもね、これは重ねがけが可能なんだよ。

 ――つまり、僕は次の戦闘で経験値を百倍に出来るんだ」


「ひゃ、百倍!?」


 クロエは思わず驚愕の声を上げた。それもそのはず。本来それらの経験値とは稼ぐのが大変なことである。それはこのゲームに限ったことではない。それこそ、MMOの特徴とも言える。

 そんな中、課金アイテムでもない、ゲーム中に登場するアイテムで経験値をそこまで上昇させるものは大変珍しい。特にKOEの世界は現実世界から断絶した世界。そんなアイテムは、もはや財宝とも呼べる代物だった。そして経験値百倍ともなれば、それ自体が奇跡と呼べるのかもしれない。


「しかも旅団の特別効果で、全員が経験値を共有できる。……クロエ、本当に間に合ってよかった。明日は定期ランキング戦がある日。ギリギリだったよ。これで、僕らは一気に全員そろってトリプルミリオンだ。こんな最下層の掃き溜めともオサラバできるよ」


 フーガの口調は同じだった。だが、その根本は全く違うものになっているのがクロエには分かった。……いや、それも違う。根本に隠していたものを表に出したのだろう。

 そんなフーガに、クロエは震える声で別の質問をする。


「……あ、あの……私は?」


 するとフーガは、ニッコリと微笑みをクロエに送る。その笑顔を見たクロエは、もう一度、笑みを取り戻した。


「もちろん、決まってるじゃないか……」


「じゃ、じゃあ……!」


「……キミはもういらないや。――出て行ってくれ」


 笑顔のまま、優しい声のまま、フーガは冷淡に言い放つ。


「………」


 それを聞いたシグマは、冷静に、声を上げることなく、視線の合わないまま微笑むフーガを睨み付けていた。その眉間の皺を、更に深くしながら。


「………え? そ、それって……どういう……」


 クロエは空っぽの笑顔で表情が固まったまま声を漏らす。自分の置かれた状況を理解出来ないでいた。そんなクロエに、フーガは追い打ちをかけた。


「まだ分からないのかい? キミは、入団を拒否されたんだ。……誰が、キミみたいな雑魚を旅団に入れる? 勘弁してくれよ」


「そ、そんな……」


「あ、でも、黄昏の秘石を持って来てくれたことは本当に感謝してるよ。だから、言葉だけは何度でも言ってあげる。

 ――ありがとう、“使える雑魚”さん」


 そしてフーガは高笑いを始める。それを見た旅団の面々も続けてクロエを笑い始めた。たくさんの蔑んだ目、見下した目。それを一身に受けたクロエはその場でへたり込み、声なき涙をぽろぽろと流し始めた。そして視線は、目の前で立つフーガの足元を見つめたままだった。

 その様子を見ていたシグマは、静かに壁を離れて歩き始めた。そして床に這いつくばるように座るクロエの腕を引っ張り上げる。


「……クロエ、帰るぞ」


「………」


 視線を固めたまま涙を流し続けるクロエ。その顔を見たシグマは、心の中だけで紅くいきり立つ炎を燃え上がらせていた。そしてそのままクロエの体を引きずるように抱え、下卑(げび)な笑い声が響く部屋の出口に向かう。

 出口の敷居を(また)ぐ前に、シグマはフーガ達に背を向けたまま確認した。


「……俺はこの世界のことなんて知らないし、旅団ってやつがどんなものかも分からねえ。だから、お前らがした“悪知恵”も、それはそれでありなのかもって思う」


「それはそれは……」


 フーガは小馬鹿にするように軽く返事をする。彼は予めシグマのレベルを確認していた。そして“レベル1”という文字を見たフーガは、完全にシグマを見下していた。


「だから今俺からお前らに何も言うことはない。……だけど、二つだけ教えろ。

 ――まず一つ。その経験値効果は、“いかなる経験値”でも百倍になるんだよな?」


「だから、そう言ったじゃないか。キミは理解力がないのか?」


 頭に人差し指を立てるジェスチャーをしながら、フーガは饒舌に語る。それを見る団員面々もまた、ゲラゲラと耳障りな声を上げた。

 シグマはそんな奴らを無視し、もう一つの質問をぶつけた。


「――そしてもう一つ。そのランキング戦ってのは、お前ら全員参加するのか?」


「当たり前だろ? 戦闘に参加しないと、経験値はもらえないんだよ。この地区で僕らに敵う奴らはいない。――次のランキング戦、僕らの勝ちは揺るがないんだよ」


 それを聞いたシグマは、ニヤリと笑う。


「……そいつはよかった」


 そう呟いた後、シグマは顔を横に向け、ナイフのように鋭い視線をフーガ達に送る。


「明日が……楽しみだな……」


 その言葉を受けたフーガは、一瞬だけ背筋が凍る思いに苛まれた。

 そしてすぐにシグマは視線を戻し、部屋を後にした。


(な、なんだ?)


 団員面々が笑う旅団の中、たった一人言いし得ぬ何かを感じたフーガ。だが相手はたかがレベル1。そんなものは、単なる勘違いだと高を括っていた。


 一方シグマは、クロエを抱えたまま街の中を歩く。そして鋭いままの視線を、遠くに見えるコロシアムに向けた。


「………」


 彼は何も語らない。彼自身にも分からない。赤の他人のはずのクロエ。知り合ったばかりのはずのクロエ。……どこかシグマと似ていながら、そんな自分を変えようとしたクロエ。その彼女を利用し、さげすみ、指をさして笑った奴らが心底許せなかった。


 そして視線を戻したシグマは、ただ虚空を睨む。彼の足は、彼の体と心を前へ前へと進ませて行った。




 

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