私の金貨は・・・
「お……」
大地を埋め尽くす膝丈の草が、緩やかに吹く風に乗って泳いでいた。
針状の葉が擦れ合うことで生まれる涼やかな音色。そのリズムに乗るように揺らめき煌めく蒼光。
ああ、まるで風の精霊が踊っているかのようだ。
思わずポケットに手を入れるが、そこにあるはずのモノがない。
転移の際に没収されたのかもしれない――けれど、確かに携帯電話なんかこの世界では必要ない、それに無粋だろう。
この感動はメモリーカードにではなく胸にこそ刻むべきだ。
異世界での生活が続けば、きっとこの光景には何度も出会うことだろう。いずれ慣れる日も来る。
それでもきっと、俺はこのときの震えを忘れることはない。
世界はかくも美しい。
だからたぶん、きっと――俺は、この世界を好きになれる。
例え、女神がこの光景を意図的に見せたのだとしても。
「すー……はーー……」
呼吸を再開し、何度か深呼吸をする。
「悪い、行こうか……って、なんでリーンまで深呼吸してるんだ?」
隣にいる天使もまた、深い呼吸を繰り返していた。
「匂いが清々しくて」
「……は?」
「これは草の匂いでしょうか? 吸っていると胸が洗われるようです」
「え、っと……天界には草とかなかったのか?」
「ありません。天界には嗅覚を刺激するような物がほとんど存在しませんでした」
「……食べ物とかは?」
「食事は必要ありませんでしたから」
「女神の影響とかで?」
「それもあるでしょうし、天使は羽を広げて陽光を浴びていれば食事を摂る必要がないのです」
「へー、ってことは光合成か。天使ってミドリムシなんだな」
「ミドリムシ? そのような虫は知りませんが――何故でしょう、イラッときました」
「いやいやいや、褒めたんだよっ?」
天使が剣呑な雰囲気を醸し出したので俺は慌てて誤魔化し訂正する。
「っていうか光合成じゃなくて、太陽電池内蔵だな、うんっ。めちゃくちゃハイテクで環境にも優しい! すごいことだ!」
「…………」
天使の視線はまだ何かを疑っているようだ。
いや、太陽電池とかハイテクとかが意味不明なだけかもしれないが。
「えー、下な話……トイレは?」
「排泄物を無臭の土に分解する装置がありましたし、そもそも不浄の匂いに興味を惹かれるとでも?」
「そういう趣味の奴もいるっ!」
「そうですか、ではこれからは離れて歩くとしましょう」
「俺じゃねえよっ!」
距離を取り始めた天使に向けて、俺は力いっぱい叫んだ。
* * *
砂漠を出て北上を始め、5分程度だろうか。
テントがいくつも張られた野営地が見えてきた。
魔法具による白色光とランプの橙色光――異世界に来て初めて見る人工の明かりの中で、人影が動いている。
「うーん、緊張してきた」
初めての異世界人との接触に。
「私もです」
と、天使が同意するがその表情から緊張は感じ取れなかった。
彼女は元の世界でいう西洋系の顔立ちなので、わからないだけかもしれないけど。
「リーンと喋れてるんだし、言葉は通じるよな?」
「おそらく問題ないでしょう」
野営地は高さ2メートルほどの柵で囲まれていた。
動物だか魔物避けのためだろうと推測される。
傍に小さな湖があり、それがこの場所が野営地となっている理由のようだ。
「――オイオイ、お前さんたちまさか歩いてきたのか?」
入り口の門をくぐろうとすると、見張りらしき人に声をかけられた。
直径30キロの砂漠がほんの一部なのだから、この平原は相当広いはずだ。
馬車などで移動するのが一般的なのだろう。
さて、どう答えようか……なんて考えていると。
「こんな軽装で? まさか。皆さんを驚かせるといけないので少し手前で降りて歩いてきただけです。何なら召喚して見せましょうか?」
リーンが出任せを口にする。どこがどう緊張しているのかさっぱりだ。
「ほう、アンタ大型の使い魔と契約してんのか?」
「そんなところです」
「ハハ、まあそうでもなけりゃおかしいわな」
「そうっスよ、ザクさん。歩きじゃここまで3日はかかるんスから」
ほう。一日30キロ歩くとすると、90キロくらいか。
この野営地を大草原の中央地点だと仮定すると、大草原は180キロ平方――大雑把に計算すると4万平方キロってことになる。
あれ、それって関東平野より広くないか? まあ日本が圧倒的に狭いだけか。
「それにしても使い魔がいるなんてすごいっスね。もしかして有名な魔法士さんなんスか? 名前聞いてもいいっスか?」
お、こっちの若いやつ……リーン目当てか?
あまりいい予感がしない、主に彼の身の安全的な意味で。
「よせよせ、まーた減給くらいたいのかお前さんは?」
「いやー、それはもう勘弁スけどね?」
減給……なんか公務員的な響きだ。
ということは、2人はこの国の兵士だろうか。
装備は揃いの槍と鎧だし、この手の場所の警備や管理を民間がするっていうのも違和感があるし、たぶんそうなんだろう。
「美人さんに声をかけないとか、むしろ失礼に当たるんスよ、我がフルーク王国では!」
「そんな話、聞いたことがないぞ」
「まして今夜は! 恋人たちが結ばれる双満月っスよ!? 行きずりの男女のラブロマンスも溢れるロマンチックな夜っ!」
「ああ、こいつ病気なんだ。お前さんたち、もう行ってくれていいぞ」
「うーい」
微妙な内容のトリップを始めた若い兵士を無視して門を抜けた……のだが。
「ちょ、待って! お近づきの印に名前だけでも!」
兵士が何やら叫びながら追いかけてきた。
「あなたの名前を聞かないと、僕は今日眠れない夜を過ごすことになってしま――」
「私に触れようとすると……」
リーンの声に導かれるように、雷光が奔った。
「あびゃびゃびゃっ!?」
真っ白に塗り潰された視界に色が戻ってきて、俺が目にしたのは。
ヘッドスライディングをしたまま起き上がらない兵士の姿だった。
髪がチリチリになり、全身からプスプスと煙が立ち上っている。
「お、オイ――っ!?」
この兵士の上司っぽいザクさんが慌てて駆け寄ってくる。
「これはこれは、とんだことになってしまいました。申し訳ありません。この服には『許可無く私に触れようとすると感電する』という付与魔法がかけてありまして――」
うーわ謝罪に心こもってない、しかも嘘くさいっ。
「……っていうか、公務執行妨害じゃないかこれ」
そんな罪がこの世界、この国にあるのかは知らないけども。
「仕事と関係ない内容で話しかけてきたではないですか。しかも名乗りもしないで。礼儀知らずが天罰を受けた――これはそれだけのことです。違いますか?」
「ま、まあ生きているようだしな。コイツにもイイ薬になったってなもんだろ」
ザクさんは部下の足を持ち、彼を引きずって持ち場へと引き返していった。
炸裂音に閃光というちょっとした騒ぎに集まってきた人たちも戻っていく。
男が何人か残っているが近づいてくる奴はいなかった。
ナンパに対する強烈なデモンストレーションにはなったのかもしれない。
特に問題にならなかったようで安心する、が。
「……し、しまった」
「どうかしましたか?」
「いや……目が、目が~、って言えばよかったと思ってさ。もったいないことしたなぁ」
「意味がわかりませんが……」
「……だよね?」
この世界では誰も知らない話だ。
いかんな、こんなことで望郷の念が湧いてくるとは。
「……とりあえず、空いている場所を探そうか」
柵に囲まれた野営地の広さは学校の運動場くらいだろうか。
そこそこの街への中継点ということもあって、人もけっこういる。
道の西側を奥に進むと空き地はすぐに見つかった。
水場は東側にあるようなので、逆方向の奥まった場所は人気がないのだろう。
「俺は地面にそのまま寝てもいいんだけど……」
「ええ、それはそうでしょうとも」
呆れたように言った後、リーンが小さく指を動かした。
何もなかった場所が隆起し、イスとテーブルができあがった。
「おおっ」
「土属性の魔法です。寝るときは寝台を作って結界を張れば私も問題ないでしょう」
やっぱり便利なもんだな、魔法ってのは。
「魔法、俺も使えるかな……?」
「大変申し上げにくいことなのですが……」
「……え?」
「アカシ様からは魔力がまったく感じられないので、魔法の行使は難しいでしょう」
「マジ……? まったくって、ゼロってこと?」
「はい。ゼロです。絶無です」
くわーっ、もちろん使えますとか言ってくれると思ったのにっ。
剣と魔法の一方がダメになるとか、ロマン半減とかいうレベルじゃないぞ。
つーか、爺さんか女神のどっち担当かは知らないけど、少しくらいは魔力くれてもいいだろ!
あと、リーン……ぜんぜん言いにくそうじゃなかったし。むしろ嬉しそうじゃなかったか?
「そんな些細なことより――」
「いや、けっこう俺の一生に関わる問題だったと……」
「先程から漂っているこの匂いはなんでしょう?」
「ああ、うまそうな匂いしてるな。どこかで肉かなんか焼いてるんじゃないか?」
時間的にはちょっと遅いかもしれないが、腹ごしらえをする人間がいても不思議じゃない。
「なるほど、肉を焼くとこのような匂いがするのですね」
「知らないってどんだけだよ」
「食事を摂ることがあっても、せいぜい野菜や果実でしたから」
「そっか……しっかし、匂い嗅いでると腹減ってくるな」
こっちに来る前には教室で弁当食って寝てた、いわばフル充電状態だったが……もう日が落ちてかなり経つ。
夕食の時間はとっくに過ぎているだろう。
ちょっとした露店を出している商人もいるようだったから、食い物が売ってないか探してみるか。
「なあ、食べ物売ってたらちょっと買ってもらっていいか?」
「もちろんです。地上では私も食事をする必要がありますし、明日の分も買いたいところですね」
「そうだな」
俺は疲れない体――らしいが、腹が減らないなんてことはないようだし。
「あー、でも明日の分ってことになると袋がいるか。売ってるといいんだけど……」
「収納用の魔法も使えますよ」
空間を操る魔法で、自由にアクセスできる亜空間を作るというものらしい。
亜空間を安全に維持し、確実にアクセスできるようにするには常に魔力を消耗するが、家くらいの空間なら自然回復量以下なので平気なのだとか。
魔力が図抜けていたというだけあって、魔法についてはどうも何でもありっぽい……羨ましい限りだ。
肉の匂いの源は冒険者らしきパーティーの酒盛りだった。
売り物じゃなさそうなので――酒が入ってなかったら話しかけてもよかったんだけど――他を探す。
ほどなく、魚介類が売られているのを見つけた。
「らっしゃい。初めて見る顔だな」
本当に判別がつくのか、リーンを見てそう言っているのかはわからない。
「ええ、このあたりは初めてで。魚屋さんですか?」
「おう、今はなっ」
彼はいわゆる行商人というやつらしい。
北の港街ノルデンで魚を仕入れてきたところだそうだ。
それを大平原の南にあるタウベ、さらに南のフルーク国の王都フリューゲルで売る。
帰りはフリューゲルで品物を仕入れてノルデンで捌くのだという。
「――しっかしまあ、良い具合に凍ってますね」
特に保温性がいいとも思えない木箱の中で、魚たちはカチンコチンの体を晒している。
見た感じ種類が雑多なので、傷物やら大きさやらで選別した後の余り物かもしれない。
「魔法で凍らせてるのさ」
「な、なるほどっ……」
生鮮食品を扱う場合、物を凍らせたり冷やしたりできる魔法を使えるとかなり有利だろうな。
「このへんの大きさのはふつーに焼けば食えますか?」
「ああ、だいたい丸焼きでいけるぜ。持ってくか? こん中のはどれでも一匹10リーフだ」
10リーフだと、一匹100円くらいな感じか。
「ええと……じゃあこれ4匹、これとこれ2匹ずつと、この貝も2つ頼みます」
「まいど、計10匹。100リーフだ」
「リーン、支払い頼む」
「金貨しか持ち合わせがないのですが、よろしいですか?」
興味深そうに木箱を覗き込んでいたリーンが商人に金貨を差し出す。
「おう、構わねえぜ――って、アンタこれ古代金貨じゃねえかっ!?」
「現在の物と何か違いが?」
「いや、金貨としても普通に使えるけどよ、プレミアがついてるんだ」
「なにっ、さっそくロマン溢れる的な単語がっ!?」
「おう、ロマンあるぜ? 古代金貨は天魔戦争以前に使われてた金貨のことでな、まあ色々種類はあるんだが――こいつぁ天使の普通金貨ってヤツだ」
「当時、一般的に流通していたものと聞いているのですが……」
「ああそうだ、普通に使われてたもんだ。ただな――」
戦争終結後に天魔平和協定が結ばれ、いがみ合っていた種族間での平和交流が始まった。
最初は小競り合いもたびたび起き、上手くはいかなかったが、それでも100年が経つころには徐々に文化も血も混ざっていった。
それからしばらくして、和合の象徴として金貨統一の話が持ち上がる。
「特に異論も出ず、新しい規格の金貨が作られたんだ。それが、今でも一般的に使われてるこいつだ」
商人が見せてくれた金貨は表に太陽、裏にカエデのような葉がデザインされていた。
天使金貨の方は翼と天使らしき横顔。当時の王的な人物かもしれない。
「こいつを作るときに、それまで主に流通してた2種類の金貨は回収されて鋳つぶされていったんだよ」
「古い金貨を持っていくと新しい金貨に交換してくれる、って感じですか?」
「そういうこったな。100年もすりゃ天使金貨と悪魔金貨はほとんどなくなっちまったとかで、今じゃ希少性があるってわけさ」
「価値は具体的にどれくらいっすか?」
「古代金貨としちゃ一番残ってるコインだが、それでも1000年前のもんだ。今は普通金貨の10倍以上の価値があるはずだぜ」
「おおおっ、すげっ!」
「こんなもん、どこで手に入れたんだ?」
「家が古いのです。私が住んでいた家は1000年以上前からありますから」
「ほお、そりゃ残ってても不思議じゃねえわな」
「その金貨、買い取っていただけますか?」
「うーむ……たぶん本物なんだろうが、真贋がはっきりしねえからな……」
リーンの提案に男は首を捻る。
偽造なんてことが行われているのかは知らないが、偽物なら大損だろう。
「そうだな、ちょっと待ってろ、それならオレよか詳しいヤツがいたはずだ」
彼が連れてきてくれた商人に、古代金貨2枚を現行の金貨20枚で買い取ってもらうことができた。
……ということは、持ち出してきた金貨の残り11079枚はその10倍の価値があるということですね。
全てを放出すれば価値が下がってしまいそうですが。




