【”時間停止する氷の世界”】030【葉矛】
【個体の武器】
【雅木葉矛】-0-30----”時間停止する氷の世界”
声を発したのは凪だった。
先程までぴくりとも動かなかった彼女は既に立上がっている。
右手をかざし、その手は握りしめていて。
その体勢自体は変わらないのだが、先程とは違い今の彼女には隙が無い。
彼女の握りこぶしからは溢れる様に青い光が漏れだしている。
いや、光なのか……?
明確な形や輪郭をもたぬぼやりとしたそれは、『霧』の様にも見える。
透き通った青白い”それ”は冷気を纏っている。
触れずとも周囲の温度を下げる程の冷気を。
”それ”は既に、周囲の光を遮りつつあった。
「------Free I's《それは自由 ”わたし”は自由を凍らせる》」
彼女は一言、英語だろうか。
言葉を発した。
……それはただの言葉だ。
そのはずなのに……。
けれど、ちょっと違う。
コレは違うのだ。
言葉に心がこもっているとかそんなんじゃない。
明確に、この言葉自体に”意味”と”力”がある。
たかが空気の振動程度のものなのに、コレ自体に冷気がまとわりついている様だ。
------それは辺りの空気を振動させる程の力が宿った一言だった。
彼女が言い終えたとたん、その手から溢れ出る冷気の量が増える。
急に風辺りが肌寒くなってきた。
夕方とはいえ夏真っ盛りなはずなのに。
今の僕の体感温度は秋のそれに近い。
『------氷は硬く、その形は常に自由だ。想像した通りの形になる。』
------、なんだ?
声が聞こえて、僕は周囲を見渡す。
今のは彼女が直接言った言葉ではない。
彼女の先の一言を聞いた瞬間、頭にその言葉が”流れ込んで”来た。
頭の中に直接届く様な感じだ。
「bree I's《風よ、吹け 駆け抜けるそれはそよ風 ”わたし”はそれに翻弄される》……!」
再び、彼女は呟いた。
同時に掌を開く。
彼女の手の平からは、場の熱気を凍えさせる程沢山の冷気が流れ出る。
今まで手を握ってあれを押さえつけていたのか?
……僕は薄々と気がついてきた。
この辺りを漂う青白いモノは、”光”でも”霧”でもない。
もっとシンプルなモノだ。
------冷気。
これは『空気の冷たさそのもの』で、冷気そのものを視覚で捉えているんだ。僕は。
凪の言葉が発せられる度に、これは周囲へと浸食して行く。
まるで”気体の温度”という存在自体に意思があり、それ等が凪に遣えようとしている様に。
既に冷気はこの場、ビルの屋上全体に広がっている。
視覚として捉えられるそれは日の光、そして周囲の風景を暈してゆく。
それは足下すら見えない程に濃く、まんべんなく広がっていく。
気がつくと視界の殆どが閉じていた。
全てがぼやける。
遠くはとてもじゃないが見通せない。
自分の周囲が若干見えるだけだ。
凪の姿を見つけることが出来ない。
……これじゃ、霧と変わらない。
『我が氷は、時でさえ凍てつかせる。』
「なんだ、これは?」
再び声が頭に流れて来る。
僕が声を聞いたのと同時に城ヶ崎が呟いた。
霧の中で、唯一彼の姿だけは確認出来る。
彼の周りだけ霧が薄くなっている様だ。
彼にもこの声が聞こえているんだろうか。
この声は頭の中で再生される。
耳から入って来る感じではなく、直接頭が認識するのだ。
それも、この言葉は凪の声で再生される。
僕は感づいた。
……この言葉は、先に凪が直に発した言葉の復唱だ。
言葉の形は違えど、意味自体は同じモノなのだ。
「時間稼ぎご苦労様だ、キクジ。」
凪のその声にハッとした。
聖樹の姿が無い!
周りを見渡すが、やはり青い冷気が濃く広がっていてとてもじゃないが見渡しが利かない!
「どう、なっている……?レンヨウの仕業なのか!?」
城ヶ崎が動揺している。
銃口を何処に向けたら良いか判らず、周囲を見渡し闇雲に拳銃を振り回している。
あちらからは僕の姿を確認出来ない様だ。
「------氷の質量は限りない。この世全ての水分子の数だけ氷は作り出せる。」
『パキィッ!!』
炸裂音に似た音が何処からともなく響いて来る。
その音は氷の表面が割れた瞬間を連想させる。
クリアに澄み渡っていて、尚且つ痛々しい音だ。
「そして氷の形は常に自由だ。環境、条件。それらによっていくらでもその形を変える------。」
凪の声が聞こえる。
依然彼女の姿は見えないし、どの方向から声が聞こえて来るかも分からない。
この漂う冷気のせいか。
音が反響した様な感じになっていて聞き取れない。
「……クッ!!」
いきなりだが、鉄と鉄のぶつかり合う様な甲高い音が響いた。
同時に城ヶ崎がのけぞるのが見える。
何をしてるんだ?
「またかっ!!」
よく見ると、彼は拳銃を振り回している。
……視界は凄く悪いが、なんとか見えた。
氷で出来た弾丸の様なモノが城ヶ崎に飛んで来ているのだ。
つららがそのまま勢いよく飛んで来ている様な、そんな感じ。
高速で飛んで来たそれは当たれば当然痛い。
城ヶ崎は銃の銃身で飛んで来た氷の弾丸を砕いていたのだ。
一体、何がどうなってるんだ?
この空間はなんなんだ?
「……そう、空気中に浮かんでいる水分子の量が、ボクの作れる氷の量だ。」
《されど”わたし”は。先への道は見失わない。見えなくとも前に進むから。》
唐突に視界が晴れた。
視覚で捉えられる冷気が一気に消え失せ、周りの景色が戻って……。
光が差し込み目が眩んだ。
「な、に……!?」
声は城ヶ崎のモノだ。
彼は驚いている。
僕は、確かに驚いたけど、声を上げることはしなかった。
声をあげて驚く程、余裕はなかった。
だって、それくらい驚いたもの。
------、視界が晴れて露になった周りの風景は、以前とまるで違った。
周囲のフェンスの手前に氷で出来た柱が連なり、周囲を囲んでいる。
出入り口付近もそうだ。
氷付けになっていて外には出れそうにない。
床も一面、青白く透き通った氷が支配している。
日の光は頭上を覆う青白い冷気によって遮られている。
辺りを包む氷自体が青白い光を放ち、この場は照らされている状態だ。
発光する氷は磨かれた鏡の様につやつやとしていて、独自の色を持ってして空間を美しく照らし出している。
凄く幻想的な風景ではある。
だが、なんでこんなことになってるんだ!?
何が、起こっている?
……不意にくしゃみが出た。
気がつくと先程よりも更に寒くなっている。
真冬、いやそれ以上だ。
僕の人生で体験した中でも、この空間は一番気温が低く感じられる。
まるで冷凍庫の中じゃないか!
夏の薄着ではこの気温は寒過ぎる。
体が無意識に震えだした。
鳥肌が立つ以前に、肌の感覚が無くなって行く。
「------そして、その氷のあり方、形と役割は、ボクが決める。」
後ろから声が聞こえて来た。
城ヶ崎と僕は同時に振り向く。
凪は”座って”いた。
氷で作られた豪勢な形をしている椅子の上に。
それはまるで、玉座の様だ。
こちらより1つ高い場所に作られたそこで足を組み、こちらを見下ろしている。
長い髪は椅子には納まらず、下に垂らしている。
「これは、全てお前が作った風景か!」
城ヶ崎は銃を向けた。
弾丸など入っていないはずなのに……。
ワザとやってるのか、それとも忘れているのか分からない。
「……確かに凄い力だ。しかし、どの道抵抗することに意味はないぞ。これ以上は止めておけ。」
口調にこそ現れていないが、城ヶ崎は焦っている。
彼はここに来て初めて身の危機を感じているのだ。
無理もない。
今、この空間を支配しているのは彼女だ。
周囲に広がる氷の柱。この凍てつく空気。
それらは全て彼女が作り出した。
氷で覆われたこの世界の王者は彼女だ。
狩人である彼が王に対して恐怖心を抱いている。
それは当然のことだ。王の怒りは彼に向けられている。
凪は城ヶ崎の言葉を無視して続ける。
「……この世界、空間上に無制限に存在する水分子を、どれだけ利用しきれるか。それはボク次第。」
パチン、と彼女は指を鳴らす。
すると同時に周囲に先程同様のつららの様な物が、彼女の周りに停滞し始めた。
その数、7。
いずれも先程の物よりも一回りも二回りも大きい。
青白く透き通ったその本体は美しく、また同時に鋭く鋭利である。
ピッと城ヶ崎が指差された。
凪の周囲を漂っていた7つのつららは、彼を貫こうとその先端を向け弾丸の様に撃ちだされた。
城ヶ崎は身構えるが、間に合わない!
「何も驚くことも無い。この空間、この見えている氷のほぼ全ては偽物だ。ただ見えているだけに過ぎない。ボクの力が生み出した、幻。」
7つのつららが着弾する。
城ヶ崎は悲鳴を上げて身を庇った。
でも、手で身を守ってもあの大きさのつららなら腕ごと貫いてしまうだろう。
……しかし、それらのつらら全ては城ヶ崎を貫くことなくすり抜けて地面に突き刺さった。
身構え衝撃に備えた城ヶ崎は何が起こったかを理解するのにしばし時間を置いた。
「お、お前……。オレをからかっているのか!?」
彼の声が裏返った。
顔から血の気が引いているのが見て取れる。
……デカいつららが、鋭い切っ先を向かって突っ込んで来た。
それは彼にでも相当な痛み、もしくは死を覚悟させたのだろう。
7つのつららは全て幻で、城ヶ崎に命中することはなかった。
仮に本物で命中していたら彼の命を奪ったであろうその氷は、今は地面に突き刺さっている。
アレが幻だなんて信じられない。
それほどに形が鮮明で現実的だ。
そして幻というにはあまりにはっきりとし過ぎている。
ぶれず、薄く無く、本物と同様の存在感を放っている。
「……幻に触れることは出来ない。視認出来る氷はほぼ全てが幻覚によるそれだ。。実際に存在するわけじゃない。」
凪は彼を無視して続ける。
幻覚……。
ということは、この周りにそびえ立つ氷の柱も幻覚?
試しに1つに触ってみたら、なるほど。
僕の手は柱をすり抜けた。
ただ、柱に突っ込んだ手は非情にひんやりとした。
例えるなら冷蔵庫の中に手を入れた様な感覚だ。
周りの気温よりも幻の存在する場所はもう一段階気温が低くなっている様だ。
「そしてこの冷たい空気も、見えているそれに惑わされて感じる錯覚に過ぎない。」
……へ?
冷気も幻覚?
つまり、今体感している真冬さながらの肌寒さも実際には存在しない物なのか?
それってどういうことになるんだろうか。
言葉の意味をそのまま捉えるなら、僕は真夏の夕刻、じっとしていても汗の出る様な気温の中で鳥肌を立てて身震いしていることになるのだが……。
そのままの意味になるのか?
「キミは何も怖がることも無い。そんなに身構えなくてもいい。」
相変わらず凪は城ヶ崎を見下している。
城ヶ崎はと言えば、気を取り直しきった訳では無いが、銃を構え直したところであった。
「この氷は……。この身を裂く様な凍てつく痛み、そして寒気、悪寒は全てボクに向けられたものだ。」
「そうかよ!!」
城ヶ崎は引き金を引いた。
当然弾丸は出ない。
彼は舌打ちをした後、拳銃を投げつけた。
狙いは極めて正確だ。
一直線に凪に伸びて行く。
しかし、途中で奇妙なことが起こる。
手裏剣の様に回転して飛んで行く拳銃だが、途中で凍り付いたのだ。
『パキリィ------…!!』
耳に響く音がして、空中にありながら拳銃が氷の塊の中に閉ざされる。
飛んでいた拳銃は慣性を完全に失い、その場から落下した。
「本物の氷が作れなくなった訳じゃなさそうだな……。当然か。」
城ヶ崎は残念そうに口走る。
……幻だけじゃない。
今のもそうだが、彼女は確かに先程小さなつららを弾丸の様に飛ばし、城ヶ崎を攻撃していた。
実態は相変わらず作れる。
「------、これは自虐。ボク自身に向けられた冷たい暴虐。ただこうして居るだけで、ボクは常に凍傷に成りかけながら過ごさなければならない。」
……そう言う割に無表情を保っているが。
……だが、凍傷という言葉はつい最近聞いた覚えがある。
確か、凪と聖樹が病院にいた時、翼さんが言っていたのだ。
『この暑い時に”凍傷”で倒れているなんて------。』
まさか、聖樹にもコレを使ったのか?
だとしたら、その結果聖樹は病院送りになったのだから、この技自体はかなり強力なものであるハズだ。
少なくとも聖樹を倒すくらいには。
……比較対象が彼女では、城ヶ崎に通用するという根拠にはなりえないか。
「……同時にこれは暗示だ。」
凪は玉座から降りた。
目線が僕たちと等しくなる。
だが、彼女の冷酷な眼差しが変わることはなかった。
それはいつもの『元気のいい少女』のものではなく、倒すべき敵を見据えた女王の眼差しだ。
……そして、この時初めて僕は彼女のある異変に気がついた。
彼女と向き合い、その瞳を見据える。
凪の瞳は”両目とも”青々と澄んだ光を讃えている。
そう、ウェザードが能力を使用する際に見れる独特の瞳だ。
だけど、それはヘンだ。
なんで、凪が”両目とも”瞳が変化しているんだ?
周囲を見渡す。
この空気の凍てついた空間と関係があるのだろうか。
「自虐とも取れる自分への攻撃は、同時に自分自身のチカラの強さを実感させてくれる。」
彼女は手の内に剣を作り出す。
外見的には周りの風景の氷と同質のモノだ。
見分けなんて付かない。両方とも透き通った青白い色をしているのだ。
「この空間の中では、ボクは君と戦わない。ここで戦う相手は自分自身だ。この、ボクには不釣り合いなまでの強い力と何処まで付き合えるか。それが、ボクの行う戦いだ。」
そう言いながら力強く剣先を城ヶ崎に向けた。
「さて、説明が長いね。始めようか。この空間、維持しているだけでも相当苦しくてね。
腰を低く落とし、身構える。
帯刀する様に剣の腹を腰にあてがい、城ヶ崎を見据えた。
狩人もそれに気がつく。今は自分が狩られる側であることを。
「悪いけど、速攻で終わらせる。」
彼女は目にも留まらぬ早さで駆け、居合いを放った。




