【聖樹の不安】027【葉矛】
【個体の武器】
【雅木葉矛】-0-27----聖樹の不安
聖樹はエレベーターのボタンを押した。
だが、反応がない。
エレベーターのボタンは光もしない。
聖樹はエレベーターを諦めて階段で下に向かおうと歩みを進めるが、非常階段の前について一度足を止めた。
「どうした?逃げるならさっさと行こうじゃないか。」
凪が聖樹を急かす。
だが彼女はドアノブに手を掛け、俯いている。
凪の言葉に対しても沈黙している。
どうしたと言うのか。
ここに入る直後までは”いつも通り”だったのに。
凪に怒られてから大人しくなった様な?
「……なぁ、ミヤビギ。レンヨウ。」
唐突に聖樹が口を開いた。
重々しい口調だ。
やっぱり何か暗い感じがする。
「もしだ。もし下に向かう途中にアクシデントがあって、それがどうしようも無く回避出来ないものだったら、あたしは上に向かう。」
……違う。
聖樹は凪に怒られたから沈んでいるんじゃない。
凪にどやされたこと以前に、『警報がなってから』この調子なのだ。
警報が鳴った。
そのことが彼女を貶めている?
聖樹は続ける。
「そして、それは上の2人を助ける為じゃない。逃げる為だ。上に逃げ道は無いが時間稼ぎでもなんでもして勝機を見つける。それくらいのことをする。」
……何のことをいっているんだ?
聖樹は真剣に話しているが、話しの筋が見えない僕と凪は首を傾げる。
凪は自分なりに言われた内容を整理しようとしている様だ。
「……つまり、『非常階段を降りてる時ヤバいことが起こったら上に逃げて運に任せる』。これで正しい?」
簡潔に纏めてくれたな。
でも運に任せるってそうまでは言っていないのでは……。
僕はそう思った。
しかし恐ろしいことに聖樹は首を縦に振った。
”逃げ場の無い場所に逃げる”のは確実な勝機がある行動ではなく、”運に任せる”のと同義の対応らしい。
「アクシデントってなんなのさ。」
凪が問うが、菊地は首を横に振る。
言葉を発しようともしない。
相変わらず表情暗い。
この質問を追求しても彼女は明確に答えない気がする。
それを感じ取ってか、凪は少し考えてから質問を変えた。
「その危ないアクシデントとやらは絶対に起こるのかい?」
聖樹は再び首を振った。
「それは無い。起こらない場合の方が可能性的に高いだろう。だが、仮に起こったときは……。」
凪は言葉を遮る。
「だが、もし、かも。そんなこと言って立ち止まってたらますます状況は悪くなる。決断してくれ。今は判断をキミに委ねているんだ。
明確にリーダーを決めていた訳じゃないけど、聖樹が行動を決めるのは自然なことに思えた。
今回彼女は常に先導して歩いていたのだ。
ただ、凪のこの言葉は判断を丸投げした訳じゃない。
聖樹を奮い起たせようとしているのだ。
「……その通りだ。待ってたら状況は悪くなる。それに間違いは無い。あたしは何を迷っているのだろうな。やれることは、つべこべ言っても変わらないのにな。」
菊地は扉を力強く開いた。
凪の一言だけで大分心境も変わった様だ。
確かに力強い言葉だ。
……彼女の言ったことは僕にも当てはまる。
”だが”、”もし”、”かも”。『そうやって言い訳して立ち止まっていたら状況は悪く無る。』
全くその通りだ。
違うのは、彼女は改善を試みたが僕はそれさえ行えないということ。
聖樹は迷いながらも判断をした。
行動を起こしたのだ。それが彼女の行った改善だ。
僕は、何をすればいい?
何をすれば改善と言える?
「今はともかく、下に行こう。誰もいない今こそがチャンスなのだからな。」
……今はそれしかないか。
目前に迫っている事柄で”何をすればいいか”問われたなら、僕は今すぐ階段を下って建物から逃げることを考えるべきだ。
僕は聖樹の後について非常階段を下り……。
「走るぞ、雅木!」
なんだってのだろうか。
非常階段に出た僕は扉を潜った直後に聖樹に頭を掴まれた。
グイッと引き寄せられる様にして走らせられる。
必然的に前のめりの様な形になり、危うく転びかける。
------、直後、二回頭に響く甲高い音が聞こえた。
炸裂音の様なその音は狭い非常階段にこだまする。
何が起こった?
頭で理解するのには時間がかかったが、身体は身の危険を既に察知していた。
考えるより先に聖樹の指示通り走り出していた。
「逃がす訳無いだろうッ!」
聞き覚えの無い声がした。
男の声だ。
その声がした直後、また炸裂音が響く。
今度は頭脳も理解した。
音を出しているのは”拳銃”だ。
そしてこの音は、”銃声”だ!
僕は聖樹と共に階段を駆け上がる。
銃を持ったその相手はどうやら下から来ていた様だ。
必然的に僕たちは上に追いやられる。
「キクジ!アレがそのハプニングってヤツか!?」
凪が叫び声で問いかける。
聖樹は答えない。
代わりに必至になってひたすら階段を駆け上がる。
この速度について行けている僕もなかなかの運動神経だ。
「上に行ってもダメだって気がついているんだろう!止まれよ!」
そう言われて止まる者は居ない。
僕たち3人はむしろ速度を早めた。
冗談じゃない!
銃を持った相手が迫って来ていて、なんで立ち止まるんだよ!
「あ、アレ!」
凪が階段の先を指差す。
------、上方に6階層への扉が見えている。
その先にも階段が続いている。
どうやら屋上まで階段で向かうことが出来る様だ。
「いい機会だ!一度合流するぞ!」
「ダメだ!」
咄嗟に、聖樹の言葉を僕は否定した。
明確な理由なんて説明出来る物か。
だけど入ったらダメなんだ!
僕は聖樹の指示に対して強い危機感を感じていた。
「何故だ、向こうと合流すれば”城ヶ崎”を迎え撃てるかもしれんぞ!」
「翼さんだって、向こうだって追われてるんだろ!?敵に挟まれたら終わりだ!」
……あれ?
僕、合流したらダメな理由をちゃんと分かってた?
咄嗟に問われれば説明くらい出来るものなんだな。
一人でそう納得した。
この相手は聖樹が逃げ出す程に危険な相手なのだ。
それを考慮すれば、違う敵に追われている翼さん達と合流したところで挟み撃ちにあって状況は悪くなる。
6階層への扉は無視して、更に上に向かうことにした。
聖樹も凪も異論は無いようである。
僕は、結構的確なことを言った様だ。
「城ヶ崎って、アイツがキミの元上司なのか?」
凪が問いかける。
聖樹は振り向かず答える。
「そうだ。敵に回すと、結構恐ろしい相手だ。お前程では無いかもしれんが……。」
ふと、僕は後ろを振り返った。
追いかけて来ている彼と目が合う。
先程より間合いが詰まって来ている。
向こうの方が走るのが速い。
……なんだって。
少年じゃないか!
追いかけて来ている”城ヶ崎”は、僕と大差ない年齢の少年だ!
「おっと?止まってくれるか、雅木君?」
階段を駆け上がりながら、息を荒げることも無く彼は言葉を発した。
そして銃の口を僕に向け……。
「しゃがめ!」
叫んだのは僕だ。
驚く程、冷静な判断だ。
僕は自分の身を守ることと同時に、味方に警告を発した。
そんな余裕があったのだ。
次の瞬間、銃声が轟いた。
また非常階段に音が反響する。
クソ、逃げ続けるしか無いのか!
「突っ切るぞ!」
バン!と鈍い音が響いた。
聖樹は何かを蹴り飛ばした様だ。
------とたんに周囲が明るくなる。
一瞬、周囲の明るさに目がくらんだ。
目が慣れるのは案外早い。
目の眩みが収まった僕はすぐに周囲を見渡す。
……頭上には夕焼けの空が広がっている。
「これ以上、逃げ場は無いぞ。」
消える様な小さな声で、聖樹は言った。
僕は辺りを見渡して、どうなっているのかを把握した。
建物の屋上に出たんだ。
この建物は6階以上に階層は無い。
つまり、これ以上逃げる場所は無い様だ。
屋上は結構な広さだ。
スーパーのフードコートのそれと同じくらい。
ただ、いろいろな機械が置いてあったりで動ける範囲はそれほどに広くは無いが。
一応このスペースはフェンスで囲まれている。
うっかりしていても落下の心配はなさそうだ。
「お前は結構信頼していたんだがな!」
振り返ると城ヶ崎が銃を構え、真っ直ぐこちらを見据えていた。
隣で聖樹が唇を噛み締める。
結局追いつめられてしまった……。
「何で裏切ったんだ?オレを敵に回して良いことなんてないだろう。」
「お前が嘘をついたからだ!」
聖樹は叫んだ。
手に持った新聞紙を握りしめて。
城ヶ崎は心当たりが無いと言った様子で首を傾げたが、言葉を割り込みはしない。
「お前はあたしに『従っていれば絶対安全』だと言った!それがどうだ!」
大きく振りかぶって、力強く凪を指差した。
指差しを喰らった当人は困惑した表情を浮かべる。
聖樹は構わず続ける。
「こんな、こんな危険人物と強制的に戦わせられて、これの何処が『安全』だ!危うく殺されかけたぞ!」
「おい、キクジ。今ボクのこと危険人物って言ったか、おい。」
凪の事はスルーして、改めて城ヶ崎と向き合う聖樹。
……今更だけど、『殺されかけた』って何をされたんだろう。
病院に居たときは『分からん殺し』がどうのこうの言ってたけれど。
まだ、僕が見ていない様な技と言うか、力があるのだろうか。
「……確かにな。恋葉 凪は相手取るのに危険な人物かもしれない。」
「初対面の女性を”危険”呼ばわりって大分失礼だと思うんだけれど!」
凪は抗議した。
でも、この2人の言う意見も分からなく無い。
僕は今まで目前で戦う凪を見て来たから、その凄さは身にしみて知っている。
……本当に、凪が敵じゃなくて良かった。
そうやって思う程に。
「……まぁ、失礼であることは認めよう。しかしキミは自分がそう思われるだけの力を持っていることを自覚するべきだ。」
謝罪はしたが、別に悪びれた様子は見せない。
飽くまで彼は冷静で、銃口をこちらに突きつけて来る。
「あのね、勘違いしてもらっちゃこまるけど、ボクはただの女子高校生で……!」
……激しく食らいつく凪。
ここから長い長い口論が始まった。
城ヶ崎はさっさと話しを切ろうとするが、凪が執拗に食いついて口論を長引かせる。
その間、聖樹はじっと目を瞑り考え事をしていた。
……これって、時間稼ぎ?
「------ねぇ、ミサキちゃん。」
今しか無い。
僕は聖樹に話しかけた。
「なんだ。」
「あの城ヶ崎って人、強いの?」
聖樹は彼から逃走を図った。
その段階で察することは出来ていたが、聞かずにはいられなかった。
聖樹は難しそうな顔のまま頷き、小声で付け加えた。
「あたしに、『敵に回したく無い』と思わせる程度にはな。正直なところ、アイツとまともにやり合って勝算は無い。ずっと考えていたが、どうしても勝ち筋が見えてこない。」
勝算が見えない?
全く勝ち目が無いってことか?
予想が出来ない。
彼は1人だし、僕と大体同じ年齢に見えるし……。
聖樹が勝つ可能性が無い相手って、一体何者なんだ?
「出会う機会など、もう無いと思っていたのだがな。まさか、”こっちの”方に来ているなんて。警報機がなった後の動きから、”どちら”かが居ることは分かっていたが……。」
聖樹は独り言を呟く。
誰に言うでも無く、自分に問いかける様な口調だ。
聖樹は僕を見ていない。
------、唐突に一回、銃声が響いた。
ビクりと身を振るわせてしまう。
静けさを打ち破るいきなりの炸裂音は、非情に心臓に悪い。
弾丸は空に向かって放たれた。
城ヶ崎は銃口を真上に向けている。
その手に持った銃の口から、白く薄い煙が上がっている。
流石の凪も、コレには黙らざるを得ない。
「さて、もう良いだろう。」
城ヶ崎はゆっくりと銃口をこちらに戻す。
改めて思う。アレは本物の拳銃だ。
アレから放たれた弾丸に当たればただでは済まない。
改まってそのことを考えると背筋に冷たい物が走る。
銃口がこちらに向いている間は生きた心地がしない。
幸い、今銃口は僕から外れているが。
銃は聖樹に向けられている。
……それは”幸い”でもなんでも無いな!
「降参するか、撃たれるか。どちらにしろ殺しはしないさ。お前達2人は敏生にとって重要なサンプルだからな。」
”2人は”殺さない。
”重要だから”殺さない。
明らかに凪と聖樹のことだ。
彼女等はウェザードであるから、何かの役に立つから殺されないってだけだ。
だとしたら、僕はその”2人”には含まれていない。
僕はウェザードじゃないから。
城ヶ崎は僕を生かしておく意味は無い。
むしろ、”知り過ぎた”存在である僕は彼にとって生かして置いて快い存在ではないはずだ。
その考えに至り、急に不安になる。
辺りを見渡すが、やはり逃げ道は目の前の城ヶ崎の背後にある非常階段への入り口しか無い様だ。
来た道を引き返すしか逃げ道は無い。
しかしそれは、彼を上手く避けてあの扉に滑り込まなくてはならない。
「葉矛、だったよな。」
僕の行動を見てか、城ヶ崎が語りかけてきた。
話し方のせいだろうか。
彼からはさほど、敵意は感じなかった。
むしろ丁寧なその口調は、意外にも好意的な印象を僕に与える。
「お前は暫くの間ここに身を置いてもらう。身の安全は保証するから、そう身構えないでもらいたいな。オレ達は”企業”だ。人殺しはしない。オレは、出来ればこの場は平和的に解決したいと思っている……。」
「『平和的解決』。聞こえは良いが、要するにアイツは自分の都合の良い様になってもらいたいってことだ。」
城ヶ崎の言葉を遮り、聖樹は言い放った。
……手に持った新聞紙を投げ捨てながら。
黒くつやのある、長い鞘が姿を現す。
「捕まれば自由は無い。特にあたしは2回目になるから尚更そうだろう。」
「……だからって、ここで抵抗することに意義はあるとは思えないがな。」
城ヶ崎は銃を握り直した。
夕日の紅い光を受けても、その銃身はどす黒い。
「実力差があることは知っているだろう。抵抗に意味なんて無い。ただお互いが傷つくだけだろ。」
聖樹はといえば、取り出した刀に手を掛け、そのままの体勢でいる。
少しでも動けば城ヶ崎の銃撃を受けることになる。
だから動けないのだ。
未だ抜刀すら出来ないでいるのだ。
「そうでもないさ。」
聖樹は勢いよく刀を引き抜いた!
------抜刀の動作と同時に銃声が響く。
城ヶ崎の持つ拳銃の銃身が跳ね上がる。
銃声の鳴る直後、銃口は真っ直ぐ聖樹に向いていた。
銃弾も真っ直ぐ彼女に向かう。
彼女は回避行動をとっていない。
銃弾は、狙いが正確ならば発射されるのを見てから回避することはほぼ不可能だ。
彼の狙いは非情に精度が高い。
何も無ければ聖樹に命中してしまっていただろう。
……しかし、銃弾は届かない。
直前で突如出現した氷の壁に阻まれたのだ。
「危なっかしい!何を考えてるんだ!死にたいのかい!?」
氷の壁を作り出したのは当然、凪だ。
城ヶ崎から目を離さないまま文句を言う。
口調こそ嫌悪し叫んでいる様子だが、青ざめた顔を見る限り彼女も”ひやり”とさせられた様だ。
解説なんてしている僕自身も、一瞬聖樹の死をイメージした。
だって、銃が当たれば普通死ぬでしょ。
そのイメージがこびり付いてしまった。
叫びたい……。
聖樹は凪の怒鳴り声に対し、フッと笑みを浮かべ答える。
何故だか彼女はどこか満足げだ。
一瞬前死にかけたのに。
「城ヶ崎。あたしは降伏しないつもりだ。あたしがそちら側を抜けたのは、”恋葉 凪”達とは敵対するより手を結んだ方が良い。そう判断したからでもあるんだからな。」
……そう。だったのか。
前の”変な感覚がどうの”って理由だけで僕達に味方してくれてたってのは、あまりに不自然だった。
いや、彼女は嘘をついている様には見えない。だからそういう感情も理由としては持っていたのだろう。
だけど、それ以上にナギと居た方が勝機というか……。
ともかくメリットがあると考えたんだろう。
自分が戦ったからこそ、そういう確信を得たのだろう。
なんか納得した。
聖樹は鞘を投げ捨てて続ける。
「あたしは今確信した。独りでお前と張り合ったら間違いなく負けるだろう。だが、こちらは2人だ。2人で挑めばお前だって越えてみせるさ。」
そう勇んだ聖樹の瞳が、一瞬赤く染まったのが見えた。
夕日の光を受けたからではない。
彼女はやる気に満ちている。
先程まで逃げていたのが嘘の様だ。
また、どこかしょんぼりとしていた様子も抜けている。
今の彼女には覇気すら感じる。
「……それは賢い選択には思えんがな。」
城ヶ崎は銃を構えた。
動作は一瞬だ。
とんでもない早さでとてつもなく正確な狙いをつける。
「はやっ……。」
先程同様、凪は手を前にかざして防御を試みる。
しかし、彼の動作が速すぎて追いつけない。
先程は銃口自体が最初から向けられていたことから、発射を察知して防御を展開出来た。
しかし、今回は先程より攻撃のタイミングも狙いをつけるのもずっと唐突だ。
更に、銃口は再び聖樹に向けられている。
さっきのイメージが現実になるのか……!?
もちろん、こんなこと瞬時に考える等出来ていないさ。
引き金は凪の反応出来ない程の速度で引かれたのだから。
僕が咄嗟に出来たことは、ただ目を瞑って現実から目を逸らすことだけだった。




