恋をする。
あの日の言葉が頭から離れない。
甘く、囁くように話すその言葉を。
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本の独特の匂いで満たされるこの空間が大好きだ。特に、部屋全体がオレンジ色に染まるこの夕暮れ時が私のお気に入りだ。
私はいつもカウンターから少し離れた窓際に座る。誰にも邪魔されず本の世界に没頭できる特等席なのだ。
「…すみません」
本に夢中になりすぎて、声をかけられたと気づくのに時間がかかった。
「…はい?」
惜しみつつ、本から視線をあげた。そこには綺麗な顔をした男の人が立っていた。…確かカウンターに座っていた人だ。
「もう閉めたいんだけど、借りていく?」
優しく、この空間にマッチした声だ。おまけにテンポも良い。
「すみません、気づかなくて。借りていきます」
申し訳なく、素早く本を差し出した。
「わかった。ちょっとここで待ってて」
そう言うと本を持ってカウンターに行った。
それにしてもまだ私が本読んでるってよく気づいたなー。カウンターから死角になってるはずなんだけど。
「お待たせ」
そう言って先ほどの本を手渡してくれた。
「ありがとうございます。では、失礼します」
鞄に本をしまい、素早く立った。
「もう暗いから送るよ」
こう言ったセリフが似合う声に容姿だからか、違和感は全く無かった。
「いえ、お構いなく」
「そう? 心配だなー」
なんて優しい人なんだろうと感心していると、ドアの開く音が聞こえた。
「藤間君、まだいます?」
「あ、先生。こっち」
彼がドアに向かって言った。
「お、珍しくまだ居ましたか。…あれ? 真宮さん?」
「九条先生、こんにちは」
「まだ残ってたんですか? もしかして藤間君待ちですか?」
「いえ?」
なぜカウンターの彼を待つ必要があるのだろう?
「あ、貸し出しは終わりましたので」
「へ? あ、そう、ですか」
九条先生はキョトンとした顔で言った。
「…それでは、失礼します」
「あ、帰るんですか?」
「はい」
「それでは、藤間君。戸締まりよろしく」
「えぇ?! 先生やってくんないの?」
「君の仕事です。さ、真宮さん。行きましょう」
九条先生は、優しく甘い声を発するのが特徴的で声ももちろんの事だが、その声を殺さず、寧ろいかしている容姿に、女子の間では人気が高いらしい。私はあまり知らないけど、ちょうど奈央ちゃんがお昼休みに言っていたところだった。
「私は大丈夫ですので、先生は、あの、図書室のほうに‥」
ドアを開けられ、流れるように図書室から出てしまったが、申し訳なく思い、立ち止まった。
「でも、もう外真っ暗ですし、女の子ひとりで帰らすほうが心配です」
「本当に大丈夫ですよ?」
「最近変質者も出るみたいですし、真宮さんは素直に送られるべきです」
「‥では、お願いします」
「お願いされました。あ、ちょっと待って」
そう言うと九条先生は図書室の準備室に姿を消した。
「ごめん、お待たせしました」
そう言って現れた先生の首にお洒落であったかそうなマフラーが巻かれていた。
そう言えば、マフラーをしてくるのを忘れた。どうりで寒いはずだ。
「あの、寒いですし、駅までで大丈夫ですから」
靴箱の前で、私が履き替えるのをじっと眺めている先生に念のため釘をさすように言った。
「寒い?」
そう聞いている先生の表情はすごく楽しげで輝いていた。
「え? まぁ…」
ちょうどローファーに履き替える事ができたので、先生と向かい合った。
「そうだよね、寒いよね!」
そう言うと先生は、首に巻いているマフラーを外し、私にグルグルと素早く巻きつけた。
その行為はあまりに自然でスマートだった。
「九、条先生! 大丈夫ですから!」
戸惑いつつも、マフラーを外そうと手をかけると、先生の左手が阻止した。
「手も凄く冷たいじゃないですか! あっためないと、ですね」
そう言って私の右手を包み込みにこにこしなが歩き出した。
「せ、先生!?」
「真宮さん、知ってますか? 僕だって恋をするんです」
先生の声はいつもより甘く、夜道の闇に浮き彫りになって私に刻まれたように感じた。
僕だって、恋をする。