金男と愛情女。
「今日の給料はっ……と」
コンビニから出てすぐに、青年、庄司 憲明(しょうじ のりあき)は、給料明細書を手に持ち、確認をした。
「少ねぇな~」
寒い空気に、憲明の温かい息が舞う。財布を取り出し、中身をみる。札が7000円、小銭が564円。高校2年の憲明にとって、それは大金でもなく、かといって困るほどの少なさではなかった。だが、給料明細書に書かれた金額は『790×8×15日=94800円。』手書きで書かれた乱雑な文字の羅列。現在、憲明の通帳にはその金額分がしっかりと入金済みだ。コンビニでのバイト。約2年間続けている。
「そろそろ、変え時だな……」
ふと、今日の朝、新聞に入っていた求人広告を思い出した。
『高校生募集! 時給は相談しだい! 仕事内容は簡単。ある小屋に1時間いてもらうだけ』
『ある小屋』という文面が気にかかったが、金があれば何でもできると考えている憲明にとって、時給が相談しだいということは最高の言葉だった。
「俺がやれば多くなることはあっても少なくなることはないな……。どうせ、俺が辞めても、そこまで被害はないだろ?」
今くぐったコンビニの扉を振り返る。
家に着くと、早速今日の求人広告を見た。
「あった……!」
その広告を出している企業の名は『ミラージュ』聞いたことのない会社名だ。
「どうせ、何かの実験だろ」
日本では、死ぬことはない。平和ボケした考え方だった。しかし、今の憲明の人格は日本が作り出したものであって、生まれてきて『生きること』が幸せではなく『金を持つこと』が幸せになった現代の若者は、金を前にして思い踏みとどまることはできない。
「03の……」
最近新調したばかりの携帯を手に持ち、東京都の市外局番に電話をかけた。もう時計は10時を回っているので、つながらないと思ったが、2コール後に声を聞いた。機械音ではない、生身の女の声だった。
「はい、こちら株式会社ミラージュです。求人募集の件でございますか?」
「あ、はい」
的確に自分の求めていた答えがきたことに少し驚いたが、この番号が求人専用だと思えば納得がいった。
「では、お名前と年齢、好きなものをお答えください」
「え?」
「我が社では、アルバイトの人間を根掘り葉掘り聞くようなことは致しません。こちらの指示に従ってくれる、優秀な人材をさがします。たとえ、アルバイトであっても、です」
冷たい。それが憲明の感想だった。あっけにとられる暇もなく、憲明は『金』のために答えた。
「名前は、庄司 憲明です。年は、17歳、好きなものは……」
憲明はそこで答えを止め、少し考えた。好きなものは金。それは決まっている。だが、それを答えて企業側が自分を採用してくれるとは限らない。さすがに、答えに困った。
「お金です」
自分に正直に。小さい頃から教わっている格言だ。少なくとも、『金』ではなく『お金』といった点では、憲明の防御本能が活躍した。
「そうですか。では、明日の土曜日午後3時に、この場所にきてください。仕事は簡単で――」
「あのっ」
憲明は言葉を止めた。
「はい?」
あきらかに、不機嫌な声だった。だが、憲明の口は止まらなかった。
「俺、合格ですか?」
「そうだから話を進めています。何か?」
「いえ」
そうとしか答えられなかった。
「では、続けます。明日の午後3時、こちらへ」
そう女は続けて、住所をいった。
「以上です。何か質問は?」
「えっとぉ。何をすればいいんですか? あと、給料って、いつ払われますか?」
憲明の質問に、女は間を入れずに答えた。
「仕事内容は恋愛です。あなたとは真逆の人間と恋をしてもらいます。その中であなた方2人がどのように変わるのかをみるのが今回の目的です。給料は日払いで、明日で解雇となります。いいですか?」
「あと1つ。時給って、いくらですか?」
それが憲明が一番気になっていた部分だ。広告には『相談しだい』と書かれていたが、今は相談した気はない。
「あなたはお金が好きなのですから、時給1500円でどうですか?」
破格の、違法な時給だった。ただの実験で、そこまで金を払う理由があるとも思えない。だが、金の金額に、憲明はのった。
「わかりました。では、明日」
「はい、健闘を祈ります」
そう言い残して、女の声は途切れた。そのあとは、少しの間機械音が耳に響き、消えた。
「時給1500円かよ……」
憲明の興奮度はとどまらなかった。
翌日。午後2時30分に、憲明は家を出た。ここから指定された場所へは30分もあれば着く。簡単な計算だった。
「ここか」
実に29分47秒で、憲明は着いた。そこは、何もない野原だった。正確に記せば、中心部に、小さな小屋が存在していた。
「あれか?」
辺りに人影はない。誰もいないようだ。
小屋の中をのぞくと、自分と同じくらいの少女の姿が1人。色白で、髪は長かった。
「失礼しまぁ~す」
あえて、緊張していることはバレないようにした。バレれば、恥ずかしい。
「あの、」
少女が声をかけた。
「はい?」
ここには憲明と少女しかいない。つまり、少女は憲明に声をかけたことになる。
「あなたは、ミラージュの関係者ですか?」
「いや、俺も、バイトなんだけど……」
憲明が答えると、少女は少し肩を落とした。何もそこまでガッカリすることはないだろう、と、憲明は心の中で呟いた。
『ようこそ。ここでの仕事を詳しくお教えします!!』
いきなり、1つだけあったテレビがついた。
「?」
憲明は興味を示し、覗いた。
『ここでは、あなた方で、恋をしていただきます。制限時間1時間。金の亡者と愛情の亡者。1時間という少ない時間の中で、どこまでいくか。それを今回の目的としております。では!』
実に短い、淡々とした文章だった。そして、画面は黒く戻った。それ以降、憲明がスイッチをいじっても、つくことはなかった。
「えっとぉ~~~」
憲明は沈黙を破るため、自己紹介をすることした。
「俺の名前は、庄司 憲明です。えっと、高2」
一応、会釈だけはとった。
「私は、堀越 千鶴(ほりこし ちづる)です。高1。言っておきますけど……」
少女は冷たくいって、言い放った。
「私はお金はいりません。今回、このアルバイトを希望したのは、恋を、したいと思ったからです。でも、その相手が貴方のようなお金、お金というような人では……」
「はっ?」
つい、憲明は口を出した。
「そりゃ、俺は金大好きだ。金があれば何でもできる。何だって体験できるし、何だって買えるからな! でもよ、お前だって結局はこのバイトを希望したんだ。つまり、結局は金儲けが目的なんだろ?」
「それはっ……」
憲明の言葉に、千鶴と名乗った少女は口を閉ざした。
「図星かよ……。まっ、何しなくても、1時間我慢すれば1500円はもらえるんだ。お互い、黙ってようぜ」
「……分かりました」
千鶴も短く返した。1時間という少ない時間を、黙って過ごすことは簡単だった。だが、時は9分を過ぎ、事は起きた。
「……あのぉ」
言いづらそうに、千鶴が話かけた。
「何だよ?」
いかにも機嫌が悪いといいたげに、憲明は返した。
「アナタは何でお金が欲しいんですか?」
「互いに黙る約束だろ?」
「すみません……」
憲明の冷たい返答に、千鶴は黙りこんだ。
「はぁ」
憲明もこの重くどんよりとした空気には耐え切れなかったのか、話を始めた。
「俺はよぉ。金が欲しいんだ。それだけ。人間の欲求は尽きねぇからな」
「そう、ですか」
「お前はよぉ、あの最後の質問になんて答えたんだよ?」
最後の質問、つまり『好きなものは何?』だ。千鶴のその問いに対する答えは簡単だった。
「愛情、です」
顔は赤くない。恥ずかしがっていないことが、分かった。
「本気か?」
素で出た言葉だった。憲明にとって、『愛情』は『金』で買えるものであって、単体でもらえるものではなかった。
「本気です。私は、愛情で、生きます」
「ふぅ~ん。俺とは正反対だな、アンタ」
「そうですね」
千鶴も興味を持たなかったようで、また時間だけが過ぎた。
またしても14分程度が過ぎた。人間、何もやることがなければ時計に目が移る。分針どころか、秒針も気になる。
「いいんですか?」
また声を出したのは、千鶴だった。
「何が?」
さっきと同じ返答。特に気にすることもない質問だったが、憲明は退屈を持っていた。飽きたのだ、この、密室の29分間に。
「いえ、もしかするとの……仮定なんですけど」
「だから何が!?」
若干の怒りが込み上げてきて、憲明は口調を荒げて答えた。
「このまま、恋愛の『れ』の字もないと、1時間分の給料、出ないんじゃないですか?」
「……」
憲明は少し考えた。確かに、今回の目的は『恋愛』と言っていたこの『ミラージュ』にとって、憲明と千鶴のような正反対の人間の恋愛こそが珍しいのかもしれない。だとすれば、自給1500円の金額も、上手く誤魔化せれば終わりだ。『目的達成できなかったため』。企業が一番使いたがる言葉だと、憲明は確信している。だからこそ、憲明はアルバイトですら、手を抜かずに本気でやっている。
「いやでも、1時間はここにいるんだから、いいでしょ? 別に」
簡単に答えた。この時間ですら、飽きていた。金の亡者は、ただ単に何もしないのはただの『強欲』。何かしながら金を考えるから『亡者』なのだ。
「そう、ですか」
千鶴自身も、少しは考えていた。別に、愛情だけで暮らしを支えていくことができるなんて考えていないのだ。少しは、必要なのだ。それは、分かっていた。
「つーかさ? 結局、金、欲しいんだろ?」
憲明の言葉に、千鶴は少し口を閉ざした。
「私は、今回の目的の『恋愛』に興味が沸きまして……」
「でも、金、だろ?」
一旦開いた口は、刃としてとどまることをしらない。
「愛情だとか、正義だとか……。そんなんで生きていけたら、苦労しねぇんだよ。俺だって、頭がよければ大丈夫だって、括ってた。でもよぉ。頭が良くたって、意味ないんだよ!」
右手の拳が、地面を叩く。
「……すみません」
千鶴は口を完全に閉ざした。
「いや、謝らなくても、いいけど。俺だって、私事情挟んだし」
目をそらしたいがタメに、時計に目が移る。もう、残り時間を10分も切っていた。
「あれ? 後少しじゃん」
口調を和らげて話す。
「そですね。何だか、早かった気がします」
最後とあって、砕けて別れたいのだろうか。2人の口調はじょじょに普段に戻っていった。
「あれじゃね? 正反対だからこそ、話が盛り上がる的な?」
「いいえ。それだけは反対ですね。まぁ、楽しかったけど」
千鶴の話が終わったと同時に、ベルが鳴った。
「……もう、出ていいのかな?」
「いいじゃないですか? 目的なんて、関係ないみたいだし」
2人はドアを開けて外に出た。靴箱の横に、茶色い封筒が2つ置いてあった。
「俺たちの、だよな?」
「はい」
封筒を取る。
「じゃぁ、さよなら」
憲明は後ろを向いた。
「はい。さようなら、また、会えたら」
「その時に、俺の性格が変わってるとは限らないけどな……」
「いえ、直ってますよ。人間ですから」
「そ~かねぇ」
憲明は自転車にまたがって、坂道を下った。
「あの娘、どうやって帰るんだろ?」
憲明の簡単な疑問だった。だが、その疑問も直ぐに終わった。
『はい。そうです……。彼は、最後まで私に興味を持ちませんでした』
千鶴の冷酷な声。携帯越しには、千鶴の直属の上司の声が聞こえた。
『そうか。では、今回の実験は成功だったかな?』
『どうでしょうか? 彼は、若者ですから』
『それをいうなら、君だって、まだ若いだろ』
『フフ……』
意味ありげな笑いを見せて、千鶴は思い出したように言った。
『では、今回の『金男の恋愛実験。愛情との反応、バージョン1』の報告書を後で提出しますね』
『あぁ、そうしてくれ』
『では、また、バージョン2の時に……』
堀越 千鶴。高校1年にして『株式会社ミラージュ 企画部部長代理兼実験体験女性係員兼事務員』を持つ、高校生だった。
アルバイト。高校生でも簡単にできるものだが、その本核は、日本国からの手助けなのかもしれない。金の亡者、強欲な若者を作り出したこの現状、カラクリの責任を感じているのかもしれない。
恋愛? と疑うような内容でしたが、ここまで読んでくださり、僕は感謝感激です。初めて短編物でここまで長いものを書きました。最後の方は、この小説のモデルの方に怒られたので少しやさしめにしました。
この話を考えさせてくれた A・Mさん。僕を追い詰めてくれH・Gさん、I・Tくん、M・Sくんに、この場を借りて感謝です!
では、現在必死こいて執筆している連載作品『卓球&好きの物語』もよろしくお願いします。春馬令でした!
因みに、この小説の最後の文書は、モデルの方が教えてくれました。