56・マイゴのキノコは、ハラペコキノコ。(3)
逆さにした魚籠のような丸みを帯びた家が、木の上にある。丈夫でしなやかな木皮を編み、それを水を弾く樹液で固めたこの地域ならではの民家だ。
かつてその集落にはそのような家が十数軒、存在した。しかし、長い間放置され、今ではその家以外、土台となる木のみを残し、家は朽ち崩れ落ちている。
「いりぐち、開けてくる」
青い妖精はするりと木を登り、家の床板を外す。玄関を作り忘れたので床を抜いた、というわけではなく、元々そういう作りの家なのだ。
「じゅんび、よし。きて、きて」
入り口を開き、魔法の縄で梯子を作った妖精はオキシを呼ぶ。オキシは妖精の用意した縄梯子を登り、家へと上がった。
皆が家に入ると、外していた床板をしっかりとはめ込む。これで激しく暴れたりしない限りは、人が乗っても抜け落ちることはなくなる。
窓は無く薄暗い室内だが、壁が籠のような作りのため風の通りは良い。住むためではなく、雨風をしのぐ目的で利用する小屋のため、家具も何もない殺風景な部屋だ。
オキシは部屋の隅に佇む巨大なキノコの元へ行く。
「こんにちは。少し落ち葉を持ってきたよ」
まるで、犬や猫と共に暮らす独身者が彼らの餌を持って帰宅した時のような口調で、オキシは語りかけた。
ただ、それが犬や猫と異なるところは、相手が動物ではなく菌類であり――
「あいあおう」
と、声を発することだろう。
その巨大なキノコは、物言わぬ単なる菌類ではなく、茸型知的生命体だったのである。
「足、見せて」
キノコの元へ行ったオキシは有無を言わさず、キノコのどこからが胴でどこからか足なのか分からない、たった一本の足を取った。
キノコは目に見える大きさだが、その生態は顕微鏡なしには語れない。キノコが生まれてくる胞子しかり、体を構成する菌糸しかり、それらを知るには顕微鏡の力がいるのだ。
「綺麗な菌糸だ、惚れぼれするよ」
オキシはキノコの足にまいてある布切れを取り、キノコの足を観察をしている。
動物には皮や肉や骨といった様々な器官を構成する細胞がある。そのキノコの体の多くを占めているのは、細い菌糸だ。体表の菌糸はきめ細かい白いキチン質の肌を、肌の下に密集する菌糸は体を動かすための柔軟な筋を、光や熱を感じる菌糸は体表に現れ綿状の斑模様を作り出している。
他人の足を取って、喜んで眺めているオキシの行動は、傍目には異様な光景である。足に対して異常な興味を持っていると疑われても仕方がない行動だ。
しかし、この行動に苦言を言うものなど、この場所には皆無。キノコも妖精も精霊も、ヒトが持つそのような特殊な文化には疎いのだ。
「ずいぶんと傷口もふさがったね」
キノコの足を覆っていた布を取った下には、痛々しい傷口があった。
傷口は乾燥し深い緑色に変色していたが、その下では新しい菌糸が伸びて、古い菌糸を押し上げている。あと二、三日もすれば、ぱらぱらと崩れ、中から新しい菌糸が出てくるだろう。
「ああいおいああえああああおいおああい」
紅葉した落ち葉には、そのキノコにとって大切な栄養がたくさん含まれているのだ。普通の落ち葉を食べても、ここまで治りが早くはなかっただろう。
「たくさん拾ってきたから食べて。それとも、今日も僕が食べさせてあげようか?」
袋に詰めた落ち葉を鞄から取り出しながら、オキシは提案する。昨日は一枚一枚食べさせたので、おおよそのコツは覚えている。
キノコが落ち葉を吸収していく様は、オキシにとって非常に興味深いものだった。というのも、キノコの食糧の接種方法は、動物のそれとはかけ離れているからだ。
このキノコは、なんと足の先端に食物を吸収する器官があったのだ。獣人たちとは異なる菌人の体の仕組み。それがまた見事に、オキシの観察欲をくすぐるのである。
「あいいぉうう。いおうおいああああうおうああ」
「そうか。じゃあ、落ち葉はここに置いておくよ」
オキシはキノコが少しでも食べやすいよう、足元に落ち葉の山盛りをつくる。
「たくさん食べて、早く元気になってね」
他人の世話を焼くオキシは珍しいと思うかもしれないが、思い出してほしい。
オキシは微生物の観察が大好きである。その観察の対象である微生物はどうやって暮らしているか。
そう、気温、湿度、栄養状態等を管理して、手厚く面倒を見ているのである。時に厳しい環境に置くこともあるが、基本的には過保護と言えるほどに、かわいがっているのである。
微生物に対してのみではあるが、まめに世話をすること自体は、まったく苦ではないのである。
「いうんあえあえうおおあうい。いんあえいぉういいあい」
「そうだね、みんなでお昼にしよう」
オキシは即答する。キノコに食事に誘われて、断ることなどできようか。オキシは肩掛け鞄から保存食の入った瓶を取り出した。
「キノコの言うことは聞けるんだ……」
普段から食と言うものに関心を示さないオキシが、積極的なのである。率先して食糧を取り出す様を見、「食べなくても平気」を繰り返して聞かない日頃の苦労を思うと、何とも言えない気分になるロゲンハイドだった。
「おお。じゅんび、する。まかせて」
「じゅんび、じゅんび」
「おいしい、ぐつぐつ、する。まつ、まつ」
オキシが食事の準備をするということで、妖精たちも動き出した。赤い妖精は部屋の隅にある石を並べて作られた竃に火を起こす。緑の妖精は鍋や串といった調理器具をどこからか取り出し準備を始める。鍋では水を沸かし、串には丸めた白い生地を刺して焼き始める。調理は着々と進められていく。
「あのね、きのうの、カラカラふしぎスープ、だして〜」
青い妖精が小さな器を差し出しながら言う
「きになる、きになる。うわさのスープ。みず、もうすぐ、ぐつぐつする」
赤い妖精も木の器を差し出し、催促する。湯も間もなく沸くようだ。
「いいよ」
妖精たちが言うスープと言うのは、フリーズドライのスープである。それは冷凍と乾燥の保存容器でフリーズドライができないかと、具たくさんのスープを使用して実験した時の産物だ。
一人で消費するには量が多く、処理に困っていたので、昨日、休憩を取った時に妖精に分け与えたところ、珍しさもあり非常に気に入ったようなのだ。
昨日は青い妖精一人だけだったので、ほとんど減らなかったが、ここで妖精全員にあげてしまえば、ほぼすべてを消費することができるだろう。
オキシは妖精たちの器にスープの素を入れていく。
「いろんなイロが、カサカサ!」
「ほんとう、コナゴナだ〜」
「フンマツだ〜」
妖精たちのテンションは高い。
「ロゲンには、これね」
魔力を丸めたものを、オキシは作り出す。そのような手間をかけなくとも、魔力の受け渡しは可能なのだが、みんなで食べているのに、ロゲンハイドだけ何もないのも寂しかろうという思いからだ。
その魔力団子を妖精の用意した木の皿に三個並べロゲンハイドの前に置いた。
「ありがとう」
「さて〜。じゅんび、いい?」
インスタントなスープに湯を注ぎ、具が戻った頃合にリーダー格らしい体格の良い妖精が妖精たちに集合をかける。
「いい、いい」
「いえ〜い。いっぱい、くう」
「うまうまする〜」
一カ所に集まった妖精たちは騒がしく一斉に宣言する。そして、自分たちの器の前に戻ると、食べ始めるのだった。
「あいいおえういあいいあえあいいあんいぁお……」
紫褐色の鱗片に覆われた両手を高くあげ、長い祈りの言葉を唱えている。祈りを終えるとキノコは紅葉の山に足を伸ばし入れた。
「いただきます」
オキシは目をつぶり両手を合わせ、日本人ならではの食前のあいさつをする。
「……いただきます」
食事の習慣のないロゲンハイドは、オキシの所作を真似した。
それぞれ食べるものは異なるが、皆で取る食事は賑やかだ。彼らは食事を取りながら、昨日のことを語り合うのだった。