52・燃えるように紅葉した木に対する、日本人と異世界人との感性の違い。(4)
「心の準備期間が欲しかった……」
絶叫マシーンは山と谷があるだけの軽いものなら体験したことがあったが、落ちると分かっているのと、急に落ちるのとでは心構えが違うのだ。
「ロゲン、大丈夫?」
オキシはロゲンハイドに声をかけるが、返事が返ってこない。
よく見てみれば、表面を覆う魔力の膜の流動もゆるやかで、水たまりと大差ない状況になっていた。ロゲンハイドは、あまりの恐怖体験に気絶していたのだ。
「うーむ。きをつけて、はこんだのにー」
二人を運ぶ時は、妖精なりに気は使っていた。例えば二本の葉根を広げ落下の勢いを殺したり、着地が近くなると葉根を伸ばして地面につけてさらに衝撃を吸収したりと、工夫していたのだ。
このような細やかな対応は妖精としては、破格なのだが、それでもオキシとロゲンハイドの二人には刺激が強かったようだ。
「はやく、おきる。やすむ、おわり」
妖精は葉根を一本、オキシの前へと差し出す。
「あ、うん。ありがとう」
葉根を差し出されたので、オキシは手に取り立ち上がった。
オキシが立ち上がり復帰したところで、崖上の見晴台から男性の声が降ってきた。
「大丈夫か! 何があった?」
声の主は常駐の警備員であった。ロゲンハイドの悲鳴を聞きつけ数名が何事かとやってきたのだ。
「誰もいないな。いや、この下か?」
悲鳴の発生源とおぼしき場所へ来てみれば、そこには誰の姿も見えなかった。しかし、柵に縄の梯子が結わえてあることに、すぐ気がついた。
もしやと思い崖の下を覗けば、そこには人の姿があったのだ。
「妖精?」
妖精の姿があるということは、迷惑極まりない事が始まる予兆でもある。嫌な予感しかしなかった。
「おーい。げんき?」
警備員と目があったので、友人に会った時のような気軽な感じで、葉根を振って答えた。
「何をしている!」
もしも何らかの妖精のいたずらに巻き込まれようとしているのならば、助けなければならないだろう。
「しんぱい、いらない。おわったら、かえり、ちゃんと、おくる。せきにん、もつ。だいじょーぶ! すぐ、おわる!」
そう言って妖精は縄梯子を回収してしまう。
警備員、彼らも森に住む者たちである。縄の梯子があれば、この程度の崖など、あっという間に降りることができるのだ。
休憩地点の近くとはいえ、武具を持たない者を連れて森の中を進むと知れば、彼らが見逃すわけなどない。間違いなく止められてしまうだろう。
かさかさにょきにょきの秘密のためにも、今ここで邪魔されるわけにはいかない。妖精はそれを懸念したのだ。
「ちょっと待て!」
するりとほどける梯子を見て、慌てて縄の端をつかもうとするが、魔法の縄は操作者の意思により、その手から逃れる。
「く、魔法の縄か」
すぐさま、常備している縄を道具袋から取り外し、結びをほどく。ここからは時間との勝負だ。早くしなければ、妖精が森の奥へ連れ去ってしまう。森の中で見失ったものを探すことは、不可能に近いのだ。
「おい、君。今、行くから安心しなさい」
警備員は手際よく作業を進めるが、聞こえてきた返事は耳を疑う発言だった。
「あ、ちょっとそこまで探検するんで、お気遣いなく!」
奮闘する彼らの心中などまったく察さないオキシは、上を見上げ、降りてこようとする警備員に向かってそう言い放った。
今、彼らに来られたら、落ち葉を拾いに行けなくなってしまう。妖精と同様に、邪魔されたくはない理由がオキシにもあるのだ。
「そういうこと! またねー」
妖精は気絶して水たまりになっているロゲンハイドを葉根ですくいあげ、空いている葉根でオキシの手を引いた。
「おい、待て!」
妖精とオキシは、あっという間に木々の間に見えなくなった。
急いで崖を降りてみたものの、森は草木のささやきのみを残し、不審な音は何一つなかった。
せめて抵抗する声でも音でも聞こえていれば、追うことは可能なのだが、無理やり連れ去られるというよりは、自ら望んでついていった時点で、それは望み薄である。
崖下の一帯は木々があるのみ、特に何があるというわけではない。行き先が予想できるのであれば対応のしようもあったのだが、どこへ向かったのかまったく検討もつかなかった。
「妖精に何を吹き込まれたかは分からないが……戻ってきたら説教だな」
妖精の手引きがあったとはいえ、誰にも告げずに森へ降りようとしていたことは、注意せねばなるまい。
警備員は縄を登り、おのおの本来の仕事へ戻っていった。
そして、落ち葉を満足するまで拾い、宿へ戻ったオキシを待ち構えていたのは、言うまでもない警備員の方々だった。彼らに気がついた時には遅く、オキシは逃げる間もなく、こってりとしぼられるのだった。
ちなみに妖精と精霊の両者はというと、宿の中に不穏な気配を感じ、妖精は花に、精霊は水たまりに擬態し、難を逃れていた。
「……あれは説教聞いている振りをして、別のことを考えている顔だ」
まるで反省しているかのように、目を伏せているが、長く一緒にいるロゲンハイドにはオキシの行動が手に取るように読めた。
特に微生物が絡んだ行動を起こした結果に説教を食らうことになった場合、オキシがそれを真摯に受け止めることなどないのだ。次はバレないように対策を練らなくては、と、悪い方向に反省するところがあるのだ。
「おお、なかなか、やるなー」
気ままな妖精という種族の性格上、そういう自分勝手な武勇伝は大好物なのである。
精霊と妖精はオキシが解放され、部屋に戻るまで、じっと息をひそめているのだった。