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微生物を愛でたいのだよ!  作者: まいまいഊ
2-a『森の中で妖精と出会う』
43/59

43・毒と薬は、表裏一体。有益にも有害にもなる物質(1)

 妖精の集落から戻った直後は、御者をはじめ乗客や護衛の者から「大変だったな」など労いの言葉をかけられたが、定期便が出発した今、皆それぞれに過ごしている。

 車内は平穏そのもの。オキシの邪魔をする者はもういない。やっと自分だけの時間になったのだ。観察するための時間になったのだ。


 オキシは白衣のポケットから、採取瓶を取り出した。

「いろいろ採取したね」

 ロゲンハイドは並べられていく瓶を見て、呆れたように言う。これがすべて何かの役に立つ材料だというのであれば納得はするのだが、オキシは有用性よりも自身の感性にびっときたものをひたすら詰め込んだのだ。

 それらは主にカビやコケ、そしてキノコである。それは傍から見れば奇行以外の何者でもない。


「昨夜の収穫品はこれで全部、と」

 一通り並べ終えるとオキシは鞄の中から、一冊の本を取り出し、ページをめくり始めた。地球上のどの言語にも当てはまらない文字の羅列が並んでいる。

 古本屋で購入したその本の表紙は日に焼け黄ばんでいた。かろうじて読める表紙には大きくこう書かれている、『ウェンウェンウェム地方の基礎知識 ‐植物編‐』と。

 どこの世界にも物好きがいる。そのおかげで、この地方に生えている有名な植物ならばこの本で知ることができるのだ。

 内容はページ上に分かりやすい角度の写真が数点、下には解説が書いてある。大事な個所は抑えてあるので、初心者でも分かりやすい構成だ。

 著者はウェンウェンウェム地方研究の第一人者であるダームスタッドという人物だ。本業は探査用器械人形(ゴーレム)の魔技師なのだが、ウェンウェンウェム地方について造詣が深く、この地方について知るなら彼の書いた本が非常に役に立つのだ。

 ちなみに「ウェンウェンウェム地方の基礎知識」は他に風土編や観光編、動物編や魔物編など何冊か刊行されており、実用的な知識を広く浅く知ることができるのだ。


 表紙は傷んでいるが、中の状態はまずまず綺麗なので、読むには問題はなかった。

 オキシはまず最初に、昨夜採取したものたちを探すことにした。色や目立った特徴をもとに、探していく。

 本当であれば、昨夜のうちに調べられるはずであったのだが、本は車内に置いていた鞄の中に入っており、それを残したまま妖精に誘拐されたので、調べることができなかったのだ。


「これは……書かれていないなぁ」

 数多くいる生物のすべてを、小さな図鑑の中で網羅するのは不可能に近い。この本にはとりわけ有用なものや、とくに気をつけるべきものが主に載っている。載っていないということは、取り立てて何の役にも立たないモノということなのである。


(カビなんて、誰も見向きもしないよ)

 落ち葉に付いた白いカビについて調べようとしているオキシを見て、ロゲンハイドは思ったが、それを言うと、カビのすばらしさについて語りだすことは間違いないので、口には出さなかった。興にのったオキシの話は長いのだ。

 ロゲンハイドの心境に気がつくこともなく、オキシはカビの入った瓶に日付と採取場所を記したデータラベルを貼り、横へ除けた。


「……次は、と」

 さておきと、地衣類の入った瓶を手に取り、調べものを再開した。

 リボン状の薄い膜が不規則に並び、葉状体の苔のように平たく集まっている。強くつまむと粘り気のある汁が分泌される性質がある。

 灰緑がみずみずしく、地衣類を見慣れているはずのオキシでさえ、苔のように見える菌類であった。

 それらの特徴を踏まえ、本をめくっていく。


「あった、これぽいな。やはり苔だと思われているか」

 地衣類、それは一見すると苔のように見えるが植物ではなく、葉緑素を持つ藻類と共生して暮らす菌類である。藻類が光合成で栄養を作り、菌類が雨水などを保水する、そういう役割で支え合って暮らす生き物だ。

 地球においても地衣類は苔に似てるため、「○○コケ」という名称がつけられていることが多い。


「名前はイマァ苔、っていうのか」

 本には森のいたるところ、特に日の当たらない岩の表面に生えてたものは、ほとんどがこの苔であると書いてある。


「搾った水は……あぁ、字が汚くて読めないや。ロゲン、この部分読んで」

 複写の技術はあるのだが、元となる原稿はまだ手書きのものが多い。

 文字をだいぶ読めるようになってきたとはいえ、まだ完璧ではない。特に字に癖が強いと読めなくなってしまうのだ。読み辛い単語はロゲンハイドに読んでもらうことになっている。


「汁は甘いが毒である、だって」

 味にだまされてはいけない。この苔は、典型的なウェンウェンウェム地方の毒を持っているのだ。特に虎種(タイガシー)狼種(ルプスシー)といった種族は、絶対に摂取してはいけない。少量でも命を失いかねないほど危険な重篤な症状がでるのだ。それ以外の種族でもお腹を下すことがあり、安全な植物とはみなされていない。

 しかし、甘いもの欲しさに手を出して、結果、お腹を壊してしまう者も多いという。


「でも、使いようによっては薬になる、ってさ。この苔の採取依頼はよく出ているから、お金に困っているようなら瓶一杯に採取しておいて損はない、だって」

 活性の魔法をかけた水に一晩浸し、それを煎じれば、下剤的な効能の薬を作ることができるのだ。

 毒と薬は表裏一体。毒とは、見ようによっては薬の原石なのである。毒を何かに応用できないかと考えること、それは生物の研究の醍醐味のひとつでもある。


「甘い味の毒……」

 オキシはじっと水滴をみる。

 顕微鏡の眼の倍率を最大値にして、分子の構造を見る。身の回りにあふれている元素であれば、おおよそではあるが識別できるようになったのだ。


「元素は炭素、水素、酸素。炭素が連なっていて、それにアルデヒド基を持つ……この構造は多分糖アルコール(アルドース)の一種。

 食べても栄養にならず、お腹を壊す、か。それって毒があるというよりも……」

 ロゲンハイドは「毒のせい」というが、オキシの脳裏には別の可能性も思い浮かんでいた。


 地球では、糖アルコールは腸に吸収されにくい甘味料としてよく使われている物質である。有名どころでは、キシリトールがそれにあたる。

 糖アルコールは消化が困難なために摂取し過ぎるとお腹が緩くなることがある。さらに身近な生物でいえば、犬や猫にとっては非常に危険な物質だ。


「イマァ苔の毒、か」

 本当に害のある毒も含まれているのかもしれないが、もしかすると緑の砂漠の動植物には、この世界の人間にとって、非常に消化困難なものが多く含まれているのではないかと、考えてしまう。

 栄養が吸収されにくいものばかりなら、それらを食べ続けた時に起こる反応も納得がいく。

 この森で採れる食材だけをずっと食べて暮らしていたら、物理的に腹は膨れても、栄養学的には不足である。

 毒のせいではなく、普通に栄養不足に陥っているだけなのかもしれない。しかも、お腹が緩くなる事と相まって、体に異変が起きるのは毒があるせいと認識されているのかもしれない。あくまで、仮説ではあるがそう思ってしまうのである。


「この地衣類の糖アルコールは色々使い道がありそうだけれど、今はとにかく、採取したものの整理をしなくちゃ」

 糖アルコールがもたらす恩恵は、面白そうな題材(テーマ)ではあるが、オキシの興味はあくまで顕微鏡で見える世界だけなのである。

 オキシは保存容器に名称や採取場所などの情報を書きこむと、次なる瓶を手にとった。



「次は、これにしよう」

 手にとったのは、虫瘤(むしこぶ)を持った草である。

 保存用の容器に入った、そのほんのりと赤みを帯びた虫瘤(むしこぶ)は、たった一株しか見つけられなかった貴重なものだ。

 他に同じようなものがないか周囲に生えた同種の草を丹念に探してはみたが、この一株しか見つけられなかった。

 深緑の中にあれば目立ちそうな赤系色だが、実は赤というのは暗がりに紛れやすい。夜ならばなおさらだ。葉を一枚一枚裏返し、注意深く確認しなくては見つけられないほど、葉の作る影にいとも容易に隠されてしまうのだ。

 オキシはこの虫瘤(むしこぶ)に出会えた偶然に感謝していた。この草には、どんな形の微生物が住んでいるのだろう、と期待に胸が膨らむのだった――



「お、それは破魔草だろう。いい感じの実が生っているな」

 護衛の引き継ぎを終え休憩時間になったキセノンは、瓶を片手に本をめくっているオキシの姿を見つけ、近づいた。

 破魔草はこの森で採れる薬草のひとつで、その実は良い薬になる。採取の依頼はあまり受けないキセノンではあったが、この実は有名なので知っていた。


「これは破魔草っていうのか」

 これは正体を調べる手間が省けた。とオキシは喜ぶ。


「その反応をみると、それが何か分からず採取したようだな。昨晩は薬草を採取していたから、草むらで作業していたと思ったんだが。違っていたのか?」

 オキシが草むらで何か探していたのは、薬草になる植物を探していたからだと、キセノンは思っていた。

 魔物を倒すことを生業としない者にとって薬草採取は生活費を稼ぐ大切な仕事だ。

 毒の多いウェンウェンウェム地方だが、一方で薬草も多く存在する。物によっては持ち込むだけで、いつでも換金できるものもあるのだ。そのため移動のついでに採取をする者も多い。草むらで何かを探すような作業をしていれば、大抵の者は間違いなく薬草を採取していると思うだろう。実際、キセノンもそう思っていた一人だった。


「これはただ単に面白いから採っただけ。それに薬草の類はまったく分からないから、そもそも採取系の仕事はしたことはない」

 草を採取するくらいなら、微生物を探した方が有意義である。破魔草と呼ばれるその草を採取したのも、菌に冒されたと思しき個体だったからだ。だから採取したのである。


「採取をしたことがない?」

 草原に長時間いて、薬草のひとつも採取したことがないという事実に驚いた。つまり、昨夜草むらでごそごそしていたのは、依頼の薬草採取が目的ではなかったのだ。

 まったくもって意味の分からない行動をしているのだが、逆にそれがオキシらしいともいえる。そう、なぜか納得してしまうのだから不思議なものである。


 オキシの常識の無さはキセノンもよく知っている。その価値を知らないとなれば、是非とも教えなくてはならない。

「その破魔草に生る破魔の実は、万能とまではいかないが良い毒消しの薬になる。特に魔物中毒症の症状を緩和するには良い薬になるんだぞ」

「これが毒消しの薬に……へぇー」

 菌に感染した生き物を利用することは珍しいことではない。たとえば黒穂菌に感染したマコモは、食材や工芸品の染料として利用されている。

 病気の植物を食べるだなんて信じられないと思うかもしれないが、いくつかの種類は世界各地で食されている立派な食材なのだ。

 薬になるという破魔草もそういった役に立つもの一種なのだろう、という感想しかオキシは持たなかった。


「それに組合(ギルド)に持っていくと、そこそこいい金になるぞ」

「そうなんだ」

 無論、高値だからといって換金するつもりは毛頭ない。オキシにとってもこの破魔草は別の意味で価値があるのだ。これは微生物の貴重な標本なのだから。


「破魔草は森の浅い場所では、なかなか見つからなくてな」

 実をつけた破魔草は森の奥地ではそこそこ見かけるものなのだが、そこは魔物の闊歩する世界、ある程度の実力がなければ採集しに行ける場所ではないのである。


「破魔草にとても似ている破魔草モドキは、よく見るのだがな」

 破魔草と破魔草モドキは非常に似ている。どれほどかというと、専門家でも実が生った時でないと見分けられないほどだ。

 定期便が通るような森の浅い場所では、破魔草モドキの群生の中に1本生えているかいないか程度。破魔草は利用価値はあるものの入手難易度の高さゆえ、高値で取引されているのだ。


(モドキ、ねぇ。健康な個体がモドキ扱いかぁ)

 思うところのあるオキシは、瓶の中の破魔草を苦笑いながら見つめる。

 物の名前とは人間側の都合によってつけられるということを再認識する。破魔草モドキに人格があったなら、偽物扱いされてたまったものではないだろう。


 そんなオキシの心中も知らず、キセノンは話を続ける。

「その破魔の実を植え、育てようとしても、なかなか上手くいかないんだ」

 栽培を試みても、何が原因なのか、未だ発芽にさえ成功したことがない。今でも研究がなされているが、進展したという話は聞こえてこない。


「あぁ、そうだろうね」

 キセノンの解説をさえぎり、オキシは思わずそう言ってしまう。

「だろうねって、どういうことだ?」

 破魔の実を初めて見たと言っていたにも関わらず、その事実を最初から分かっていたような口調でオキシはそう言った。一体どういうことかと、思うのは当然のことだろう。


「これは正確には実ではないんだ」

 オキシは破魔草の瓶に視線を移し、ほんのりと赤く染まる部分を見る。

 葉の付け根にできる腋芽(えきが)が菌の働きによって膨らみ、とうもろこしの実のような見かけになっている。その内部を見れば、胞子がぎっしりと詰まっていることだろう。

 その胞子を顕微鏡で見れば、どのような姿をみせてくれるだろうか。職人の手により素晴らしい加工のされた宝石が美しいように、生命の生まれたる結晶の胞子もまた鑑賞する値する芸術品だ。


「これは、破魔草モドキが病気になって出来たもの、この実はいわば病巣のようなものだよ」

 いくら実のように見えようとも、その中に植物の種などは入っているはずもない。実を植えたとしても破魔草の芽がでてくるはずもない。寄生して育つ生物は、土ではなく生きた宿主がいなくては、生まれることはできないのだ。


「何?」

 信じがたい言葉に、思わずオキシの顔を見る。オキシの黒目は確信を持った光を宿していた。憶測で物を言っているのではないことは、はっきりと感じ取れた。


「これは実ではない、それだけは確実な事実。最も詳細の解明には、それなりの時間がかかりそうだけれど。でも、破魔草を作るのは、他の誰よりも成功する可能性は高いだろうね」

 植物の病気感染についての基礎的な知識は、講義で学んだことがある。実の中身を調べれば、原因の菌を特定することは、すぐにでもできるだろう。しかし、その菌がどのように感染していくのか等の感染経路や条件を明らかにしなくてはならない。数カ月、場合によっては年単位になるだろう。しかし、それがわかってしまえば、意図的に感染させることは可能だ。


「破魔草を作る。できるのか?」

 キセノンの縦に細い瞳孔が、少しだけ丸みを帯びる。今まで誰も成功したことがない破魔草の発芽を、道筋さえ見えなかった育成方の確立を、オキシはできると言うのだ。


「今の段階では、理論上は可能というだけ。成功するかまでは保証できないよ?」

 この手の寄生生物は生きた生物からしか栄養を取ることができないので、人工的な培地では増やせないのだ。この菌の場合、生きた破魔草モドキを使い、感染させて育てるしかない。しかし、感染経路さえ見つければ、育成法を確立させたも同然だ。

 しかし、手持ちの一株だけでは実験しようにも、絶対数も情報も足りない。


「もう少し破魔草の取り巻く環境を知りたいところだけれど……」

 森の浅いところよりも森の奥に、という話を聞く限り、感染した破魔草モドキから別の破魔草モドキへと直接感染するという型ではないことは予想がつく。そのような病気ならば、もっと森の浅いところに破魔草があってもおかしくはないのだ。

 可能性としては、二種の異なる生物を行き来する異種寄生性を持つものかもしれない。菌を媒介する感染源から離れていれば、感染の機会も減り、そのため発症数が少なくなる。

 森の浅い場所に現れることの少ない動物か植物かを経由してからでないと、破魔草モドキに菌が感染しないのだ。


 とにかく森の深くで破魔草の群生地を見つけた時には、周囲を取り巻く環境を注視しよう。そうすれば、おのずと感染の原因となる手掛かりを発見できることは間違いない。

 森の奥に行けば手に入る破魔草。この際、魔物が出ようと関係ない。いつか、群生地に行きたいものだと思いをはせる。

 どのように侵入し、どのように乗っ取るのか、その成長過程を観察したい。破魔草にするために、破魔草モドキに菌を感染させる実験をしたい。自身の知的欲求を満たすために「破魔草の生態」を調べたい。様々な仮説が、思いが、意欲が、次々と湧き上がる。

 ぜひとも破魔草を、すばらしき寄生性微生物の一生を見守りたいとオキシは思う。


「……覚悟していろよ、破魔草の微生物。必ず君たちの秘密を、すべてを白日の下にさらしてやる。この勝負、僕が勝つからな!」

 オキシは志を高らかに宣言する。

 もちろん自分の知る科学技術を活用して、病気で苦しむ人を助けたいという崇高な精神はまったく無い。自分の好奇心を満たせるか否か。オキシにとってこれが最大の理由である。薬になる事など些細なこと、それ以外は単なる副産物でしかない。


「またビセーヴェツか」

 いつでもどこでも何度でも、オキシの口から出てくる存在「微生物」。破魔草を増やす話に、なぜ、その単語が出てくるのか、キセノンには理解できなかった。見えないのにどこにでもいるという、雲をつかむような正体不明の存在に、ますます謎が深まるばかりだった。

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