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微生物を愛でたいのだよ!  作者: まいまいഊ
1-g『科学が魔法と遭遇し、化学《ばけがく》な反応を示す事象』
34/59

34・空気中に漂う一酸化二水素《ジハイドロジェン・モノオキシド》の分子を集めてみよう。

 この世界には、「魔力」と呼ばれる物質を「魔法」という現象へ変換する能力を備える生物たちがいる。人類もそんな生物の一つだ。しかし、彼らが魔法を使う他の生物たちと異なるところは、新たな魔法を探求し、それを伝え、文明の発展に貢献してきたことだろう。

 智を求め共有する行為、それはヒトのみが有し、他の生物と一線を隔す大きな違いである。



 道具屋を出たオキシとロゲンハイドは、木々と生垣に囲まれた広場へやってきた。

 祭りの中心である大通りから離れた場所にあり、地元民や人ごみを避けて休憩したい者たちが集っている。

 昼下がりの日の光を受けて揺れる木々の下では、多くの家族連れや恋人たちが暖かな陽気を楽しんでいた。


「こんなところで魔法、使ってもいいの?」

 広場には、多くの子供たちの姿も見えるのだ。そのような場所で、扱いを間違えれば怪我をしてしまうような現象の練習をしても大丈夫なのだろうかと、心配になる。


「むしろ、ここは子供が魔法の練習をする場所なんだよ。ほら、向うでやっているよ」

 ロゲンハイドの指さす先には、一組の親子がいた。子供の方は両手を前に出し、何かきらきらとしたものを出していた。小さい子はこのような場所で魔法の練習をするのだ。

(親と広場でって、何だか自転車の練習みたいだな)



 二人は、広場の一角を陣取り練習を始めることにした。

「今から魔力を渡すから、受け取ってみて」

 そう言ってロゲンハイドは、オキシの手を握る。その接触した部分がじんわりと温かくなったのもつかの間、すぐに消えてしまった。魔力そのものは非常に拡散しやすく、きちんと制御をしないと、すぐに大気中に散ってしまうのだ。


「……受け取るって言ったって、どう受け取れば」

 手のひらを開いた状態で水を受け取ってしまったような感覚に、どうしようもなさを感じる。


「少しは受け取れると思ったんだけど……魔法と親しんで暮らしてないと、そこまでできないものなのか」

 本来ならば与えられた魔力は反射的に受け取ってしまうものなのだが、予想以上に魔力が留まらず、ほぼ素通りしてしまった。魔法を扱ったことがない場所から来たせいなのか、そういった受け皿がまだできていないようにロゲンハイドは感じた。

 ロゲンハイドの見立てでは、魔力を受け取る能力は生まれたての新生児とほぼ同等である。


「今度はおいらも手伝うから、大丈夫」

 再び手を握り、今度は漏れださないように手伝いながら、魔力を受け渡す。今度は消えることなく、手のひらに不思議な感覚が留まっている。


「次はちょっと動かしてみるね、どこにあるか意識しながら追ってみて」

 手のひらに留まっていたものが、にわかに動き出す。


「何か変に落ち着かない感じはするけれど……」

 手のひら上を移動するそれは、少しむず痒く、妙な声が出てしまいそうになる。今まで感じたことのない、妙な感覚に戸惑いを感じずにはいられなかった。


「一方的に流される魔力は、本来あんまり心地いいものではないからね。でも、なんとなく魔力は分かったよね?」

「たぶん……」


「次は自分の魔力を感じてみよう。おいらの魔力は感じることができたんだから、自分の魔力もすぐに見つけられるよ」

「そんなこと言われても……」

 先ほどの手ほどきで、魔力というものは感じた。しかし、他人の魔力は異物感があるから分かったようなものだ。自分のものとなると探すにも、どうしたらいいのか分からなかった。探そうとしても、どうやったらいいのか見当もつかなかった。なんとなくモヤモヤとしたモノが主張をしているが、その正体がいまいちつかみ取れなかった。

 言うなれば心臓の鼓動は感じ取れても、そこから全身へと流れる血流は意識しても簡単に分からない。それと同じで、魔力というものは非常に読み取りにくかった。


「やっぱり何が自分の魔力だがわかんない。自分の魔力に変化が起きる状態が認識できれば、分かるかもしれないなぁ……。

 ……そうだ。ロゲン、僕の魔力を媒体に何か魔法を使ってよ。魔力が減る状態が分かれば、自分の魔力がつかめるかも」

 精霊と契約した者は、己の魔力と引き換えにして、精霊を使うことができる。それを利用しようというのだ。


「それもそうか、じゃあ使うよ」

 ロゲンハイドは、オキシから少しづつ魔力を吸い上げ始めた。

 オキシは目をつぶり、呼吸を整える。

 いつもは何も考えずただ与えていただけであったが、今回はそれではいけない。オキシは内で起きていることに意識を向けた。


「何かが体外へ出て行くのは分かるのだけれど」

 それでもまだ、魔力というものをつかむに至らない。

「もっと集中してみて、オキィシには間違いなく魔力があるんだから」

「うん」

 オキシは集中する。

(もっと、もっと、この現象を観測するんだ。体内にあるこの何かを解明する(かんじる)んだ)


「この変な何かを……ちぎって……」

 何かそれっぽい塊を少しだけ取ることができたような気がした。

「表現は人それぞれとはいうけれど、ちぎったのか。じゃあ、それをおいらに渡してみて」

「ええと……」

 オキシは、魔力をちぎった物をロゲンハイドに渡そうとした。しかし、箸で豆をつまみながら運ぶかのように不安定で、少し動かせばどこかへいってしまいそうだった。

 もう少し形を整え、運びやすい形にしなくては、その場所から動かすこともままならなかった。


「えい、こうか」

 試行錯誤の結果、小さく丸まった塊が手のひらに現れた。蜃気楼のようにはっきりとは見ることができないぼんやりとした何かが手のひらに現れたのだ。感触は無いといっていいが、確かにそこに塊がある。これが魔力なのだろうか。


「……はい、これ」

 オキシは魔力の団子をつまみあげ、ロゲンハイドにそっと手渡した。

「予想外の受け渡し方法だね、本当に、オキィシといると飽きないよ」

 まさか魔力を物理的に手渡してくるとは思わなかったのだ。通常、魔力を渡すといえば、先ほどロゲンが行った方法が一般的である。


「だ、だって、そっちに渡すって考えてたら、こんな団子状になっていて……」

 魔力の操作はイメージがすべてだ。オキシが渡すという行為を思い浮かべた時、魔力がそれを受け、オキシにとって渡しやすい形になった結果である。


「まさか、そうくるとは思わなかったから、びっくりしただけ」

 ロゲンハイドは受け取った魔力団子の出来を確認している。

「歪んだ形だけれど丸めることができたと言うことは、それなりに操作ができるとみていいね。こんな風に丸めるだけじゃなくて、薄く伸ばしたり、細くすることもできるんだよ」

 ロゲンハイドは、魔力の団子を引っ張り、伸ばしてみせた。まるで粘土のように自在に形が変わっていく。


「なにそれ面白い、僕もやってみる」

 オキシは魔力制御の練習をしばらく続けた。結果、魔力を自由に丸めるたり伸ばしたりすることができるようになった。


「こんな薄いのも魔力なんだね」

 薄く伸ばした魔力の膜を両手でつまみ、オキシは観察する。何か得体の知れない作用が働き、魔力が膜の形をとっている。言うなれば、いつか見たようなロゲンハイドの皮膚の状態に似ていた。


「これにもっと魔力を込めて全身にまとえば、ある程度の魔法や物理攻撃を防ぐこともできるよ」

 精霊は、その魔力の膜のおかげで物理攻撃はほとんど効かないのだ。


「全身はさすがに無理だな。せいぜい片腕を覆うので精いっぱいだ」

 魔力膜に覆われた指をわきわきとして具合を確かめていると、ふとオキシは何か名案が浮かんだのか、非常にいい笑顔を浮かべた。

「物理的な干渉を受けない……つまり、この魔力の膜で手を覆えば、キノコを触っても、魔物を撫でても、大丈夫だということだよね」

 物理的な侵入は難しく、それでいて触覚はあまり阻害されない。防御の効果がある魔力でできたこの手袋を使えば、逆に素手で危険なものを触れることができるのではないかとオキシは考えた。

 それはいつでもどこでも使える清潔な手袋である。使用後にはゴミさえも出ない。まさに良い事づくし、である。

「そんな理由で、利用価値を見いだすのか、オキィシは」

 ロゲンハイドは呆れてしまった。



 オキシはその魔力手袋がいたく気に入り、今度は着け心地を追及しはじめた。そんな様子を見て、ロゲンハイドは次の段階へ進めると判断し口を開く。


「魔力の操作は良い感じだね。これで魔力を道具に流すこともできるよ。試しにさっき買ったナイフを使ってみようか」

 魔力を操作できるようになったのならば、魔道具を使うことができるだろう。


「こんなところで刃物だして大丈夫?」

 ここが日本であったら、公園でナイフを出したら通報ものである。

「大丈夫だよ、公園の隅の方でなら、周りに気をつければ簡単な剣の稽古くらいならできるんだ」


「平和なのか、平和ではないのか……」

 オキシはそう呟きながらナイフを耐熱鞘から抜き、今まで練習してきた要領で魔力をナイフに与えてみた。魔力が充填されたことを示す赤い線が刀身に浮かび上がる。この模様が消えるまで、ナイフは熱を帯びるというわけだ。

 オキシは落ちている枝を手にとった。そして、枝に刃を当て試し斬る。

 ちりちりという手ごたえと共に、枝は見事に切断された。鋭い切り口は焼け焦げている。刃に火属性がきちんと付加されているようだ。


「おおおお、できた。できたよ!」

「オ、オキィシ。嬉しいからって、その刃物をおいらに近づけないで! 蒸発しちゃうってば!」

 精霊には物理的な攻撃は効きにくい。しかし、ロゲンハイドは水の精霊であるため、刃に帯びた高熱の影響で蒸発してしまう。命に別状はないこととはいえ、体の修復には魔力を使うので、あまり好ましいことではないのだ。


「ごめん、ごめん」

 オキシは慌ててナイフを耐熱鞘に収めたのだった。


「ふぅ……ともかく道具を使うのは問題なさそうだね」

「うん」

「次は魔力を魔法に変換する練習を始めよう。無理だけはしないでね」

 無謀な魔法使用は発動しない事の方が多いが、場合によっては己の生命力を奪っていくのだ。


「さて、オキィシはどんな魔法が使いたい?」

 ロゲンハイドはそう尋ねた。得手不得手があるので、必ずしも希望通りの魔法が使えるとは限らないが、それでも希望を聞いてみる。


「魔法と言えば『空を飛べたらな』と、思ったことはあるな」

 ちなみにオキシは子供の頃、空を飛びたくてヘリウム入りの風船を手に持ち、公園の小さな滑り台の上から飛び降りたことがある。無論、空は飛べるはずもなく、足が痛くなって終わっただけだったが。


「空を飛ぶ、また地味な魔法を……」

 空を飛ぶ魔法は、初心者向けではない。

 飛び続けるために魔法を維持しなくてはならず、移動するためには細かな操作しなくてはならないからだ。


「だって、もし空が飛べたなら、森の奥深くや崖の向こうだってすぐにいけるし。大気圏(そら)にはどんな生物が漂っているのだろうか、雲にも生物がいるのだろうかって、夢が膨らむ」

「そんなことを考えるのは、オキィシくらいだよ」

 オキシの行動原理は、すべてが好奇心(特に微生物に対しての)と結びついている。例外はあまりない。

 生活のすべてが、それに侵されているのだ。


「空を飛ぶ魔法は、ちょっとだけ高度な魔法だから、今すぐには無理だなぁ。最初のうちは体や物の重さを少しだけ軽くできるくらいだ」

 物を軽くすることができるその魔法は、日常生活でもよく使われている。身近なところで言えば、台車や道具袋など、主に物を運ぶ道具に利用されている。


「そうなのか。ロゲンはいつも空飛んでいるけれど、それって空を飛ぶ魔法?」

「これは飛ぶ(フライ)というより、浮かぶ(レビテーション)といった方がいいけれどね」

 ロゲンハイドは、ただ単に浮遊している状態である。飛ぶと浮かぶは、歩くか走るかの違いくらいしかないが、魔法としては階級が異なる別種だ。


「違いがよく分からないけれど、そういうものなのか。やっぱり空を飛ぶ魔法もイメージが大事なのか?」

「そうだよ。ちょっと思い描いてみる? 適正があれば、体が軽くなる程度の初級魔法が使えるよ」

 適正のある属性の魔法は、習得も早い。しかし、適正がなければ、いくら頑張っても上達は見込めない。


「やってみるだけ、やってみる」

 早速、オキシは「人間が空を飛ぶ」様を思い浮かべてみる。

「人間が空を飛ぶということは……この大地に働いている重力から開放されて、目的地へに向かって大地を蹴って……いや、そんな簡単な問題ではないはずだ。重力をどうにかしたくらいで、目的地までいける推進力を得られるとは思えない。他にもいろいろな要因が絡んでいるはずで、そう簡単に思い通りの結果が出るとは思えない。

 それに、速度の調節は? 途中で方向転換したい時や、止まる時はどうする? 空気の壁を作って軌道修正をすればいいのか? 空気の摩擦をうまく使えばいいのか? そういえば、揚力ってどう関わってくるんだっけ?」


「だっけ? って、おいらに尋ねられても、さっぱり理解できないんだけど?」

 空を飛ぶ話をしていたはずなのに、オキシの言っていることは何か別の世界の現象のように、ロゲンハイドは感じた。何をどう考えたら、そんなこんがらがりそうな考え方ができるのか、逆に問いたかった。


「飛ぶのに必要な条件というのは航空力学とかそういうので詳しく語られていそうだけれど、詳しい内容についてはほとんど知らないといっていいものな。

 そもそも『物が運動する』と言うことはどういうことなんだ? こんなことならば、物理学を少しくらいかじっておくんだったな……理詰めの理なんて大の苦手だったけれど」

 オキシは理系と呼ばれる人種に分類されてはいたが、物理だとか数学だとか、自然界の理を証明できるという論理的で理論的な公式の類は、専門的になればなるほど意味不明の記号にしか見えず全く理解できなかった。

 そんなものよりも、生物たちの利己的で恣意的な世界のほうが魅力的だったのだ。


「むしろ大爆発を起こして、その慣性で飛んでいくのが楽かもしれない。細かい調整は追加の爆発の爆風で……」

 イメージ的にはロケットのような感じである。

「それで、体はもつの?」

 爆発と言う物騒な方向に話が進んでいるので、ロゲンハイドはオキシの思考を遮る。

「だよねぇ、目的地に着くころには、服とかススだらけだ」

「そういう問題じゃ……」

 いくら強化していようと、体が吹き飛ばされるほどの爆発に巻き込まれたら、それどころでは済まないはずだ。オキシのイメージは現実的なようでどこか抜けている。


「やっぱりすんなりと良いイメージが湧かないな。『人は飛ぶ生き物ではない』っていう概念が取り払えない」

 より細やかに考えようとすればするだけ、どつぼにはまっていくというやつである。


「難しく考えすぎなんだよ。人が飛ぶが無理なら、物が浮かぶはどうよ?」

 いくぶんか難易度を下げてみる。物が浮かぶイメージは、そんなに難しいものではないはずだった。


「浮かぶか。それだけなら、まだ何とかなりそう。重力に逆らうような感じで……無重力的にふわふわと……」

 無重力状態をイメージするだけなら簡単だ。何もない真空な空間に、物体が浮かぶ様を思い浮かべる。


「ちょっと気になったんだけれど、『じゅうりょく』って何?」

 空を飛ぶという時にも何度か出てきたその言葉は、聞いたことのない単語だった。しかし意味は分からなくとも、「じゅうりょく」というものがなくなれば良いとオキシが考えていることは明白だった。


「そうか、重力は分からないか。分かりやすく言うと……」

 オキシは地面に落ちている小石を手に取った。

「この石は僕が手を離せば地面に落ちる、どうしてだ? っていう事を説明できる力の法則のひとつかな」


「石が落ちる。それって、重いからでしょう」

 何を当たり前のことをとばかりに、首を傾げてみせる。


「結論を言えばその通りで、『重さ』が関係しているからなんだけど……でも、小石よりも重そうな、あの月は何で落ちてこないのか、ということも説明できるんだよ」


「月が落ちてこないのは、空に浮かんでいるからでしょ?」

 石が落ちることと、月が空にあること、それが何の関係があるのだろうと、ますます意味がわからなくなるロゲンハイド。


「なぜそうなっているのか、疑問にならない?」


「そういう風に、神が世界を創ったからだよ。そんな当たり前のことが、気になるの」


「そうか、ここではそうなるのか」

 神学と科学の間で行われる議論は、多くの場合相性が悪い。科学の進んだ国でさえ、未だ「世界がそうあるのは神の偉業」というようなことを真面目に論じている者もいるくらいなのだ。

 宗教は人々に多大な影響を与える。ましてや、科学の存在しないこの世界では、神の存在はあまりにも大きすぎる。今ここでとやかく言っても、結局は平行線だ。


「何でそこでオキィシが落胆するのか、おいらには分からないよ」

 オキシが何にそんなにムキになっているのか、ロゲンハイドには理解ができなかった。「神が創ったから」それだけで十分な理由になっているとロゲンハイドは思うのだ。


「……でもね、ロゲン。世の中にはそんな誰でも当たり前に思う、そんな些細なことにも疑問を持つ人がいて、その疑問を解決してしまう、すばらしい人がいるんだ。その先人たちの知恵の結晶のおかげで、僕たちは様々な事を知ることができる。

 科学はいつだって目の前にある理を明らかにして新しい世界を見せてくれた。経験則からくる事柄だろうと、すでに実証されている事象であろうと、一般的に定着している説だろうと。『当たり前に疑問を持つ』、これが科学の一番根底にある精神だ」

「ねぇ、オキィシ?」

 何がきっかけでオキシのあのスイッチが入るのか、ロゲンハイドは未だに分からなかった。しかし、ただ一つだけ言えるのは「カガク」というモノを語りだすと、まず間違いなく「生命」だとか、「微生物」だとかの話になる。今回もそのような流れだ。


「おーい、オキィシ?」

 だんだん早口になり、息継ぎもほとんどしていないかのように一気にしゃべるので、もはや何を言っているのかまったく聞き取れなかった。そもそも、何の話をしているのかさえ分からなかった。

「……そのカガクってやつは、すばらしいんだね」

 ロゲンハイドは、そう言うのが精一杯だった。



 ――オキシは話すだけ話し尽くし、満足した。


(気は済んだみたいだね)

 最近は話を遮ってばかりいたので、たまには好きなように語らせないと悪い気がしてしまったのが、運の尽きだった。今回も長い話であった。ロゲンハイドは疲労で滴る液体の体を整えた。


「ところで、空を飛ぶ魔法は今回は諦めない? あんなこと考えながら魔法を使うのは、オキィシにはまだ難しいと思うし」

 ロゲンハイドはそう提案する。

 熟練の魔術師ならいざ知らず、魔法を使うことに慣れていない者が難しい理論を考えながらでは、魔力の変換はおろか、操作さえままならないだろう。

 ロゲンハイドの方もオキィシのイメージする事象に知識が追いつかないので、助言をすることは難しかったこともある。


「ちょっと残念だけど、そうだね。僕は考えすぎてしまうみたいだ」

 もう少し柔軟な発想ができればいいのだろうが、一度科学に凝り固まってしまった先入観を切り替えるのは、もう少し時間がいる。


「それなら水でもつくってみる? これなら難しいことはないし、何よりもおいらの得意魔法。いろいろ助言できると思う」

 水に関してはロゲンハイドに任せれば間違いはない。オキシは頷いた。


「魔力を魔法で水にするのはね、実際に見せた方がいいかな」

 ロゲンハイドは右手を天に掲げる。手のひらに魔力の塊が集う。ロゲンハイドが魔法を使うのは何度も見てきたが、こうやってじっくりと観察するのは初めてだ。


「ここまではオキィシもできるよね。次は、こうやって魔力を変換して……」

 魔力が僅かに揺らめき、その周辺が湿気を帯びる。もう少し反応が進めば、魔力は完全に水へと変化する。魔法を形作る(せいぎょする)とは、そういうことなのだ。

「こんな風に、魔法を構成する(もと)となる基質をつくるんだ」

 水を生み出すには水の基質、火を灯すには火の基質、風をおこすには風の基質というように、それぞれの性質にあった基質を魔力から形作るのだ。


「……もうすでに何が起きているのか、分からないんだけど」

 魔力から魔法への変化は、いつもよりも遥かに進行していたが、何をどうすればそのようになるのかが検討もつかなかった。


「魔力を変換しているだけだよ」

 ロゲンハイドにしてみれば、何も難しいことはしていない。


「……その形を真似ればいいの?」

 オキシは魔力を取り出し、揺らめく形を与えようとする。丸める伸ばすとは勝手が異なる、その形にするのは結構苦労しそうだと、オキシは思う。


「いや、水にしたいと思えば、魔力は勝手にこの形になるんだよ。ほら、水を思い浮かべて」


「……思えばそうなるって、まるで魔法みたいだ。いや、これは魔法なのか」

 オキシは水を思い浮かべ、魔力に形を持たせようとする。


(魔力に水のイメージを乗せて、水の基質をつくる)

 そういくら魔力に語りかけたところで、魔法という現象は発現しない。水の魔法ための魔力の形というものが浮かんでこない。浮かんでくることと言ったら、水は水素が二つに酸素が一つで出来ているという、水の化学式(イメージ)であった。

 その時である、水の構造を思い浮かべたことにより、ミクロの世界を強く意識したせいだろうか、顕微鏡の目の力が発動し、大気中に漂う水分子が視界に広がった。


(久しぶりに出たな、水分子。でも、こんな時に水が見えてもなぁ。いや、この水分子をどうにか集めれば、飽和して水になるんじゃないか?)

 魔力の変換というものは分からないが「これならば水ができる」とばかりに魔力を操作して分子を捕まえてみる。魔力を極限まで細くし、ホールピペットのような形をつくる。そのピペットの先端から水分子だけを選んで取り込み、集めていく。

 順調に水分子を集めていたが、このまま分子の世界で集めては非常に時間がかかってしまうと感じたオキシは、倍率を少し弱め、もう少し大きくまとまった水分を探しだす。

 そうして集めに集めた「大気中に含まれる水」はピペットの中で飽和して、一滴の雨粒よりも小さな水滴になった。


「あんなに集めたけど、やっぱりちょっとか。でも、こんなものなのかな」

 所詮は細微な分子である、たくさん集めたと思っても、この程度にすぎないのだ。


「……何をどうすれば、そうなるの?」

 オキシの手のひらの中には、魔力の膜に包まれた小さな水滴があった。魔力の変換は行われた様子はなく、ごく少量の魔力が妙な動きをしただけで、水が生まれていることにロゲンハイドは驚きを隠せなかった。


「そこら辺に漂っている水を見つけて、集めてみた。細かい作業は得意なんだ」

 微生物を扱う実験の時に、顕微鏡で覗きながら、髪の毛よりも細い器具を使って切ったり、くっつけたり、注入したりの作業はよくあることだった。

 極細に伸ばした魔力は思いのほか使い勝手は良く、そういった器具と変わらない、いや、それ以上の働きを見せたのだ。


「え、見えるの? 水が?」

 霧や靄や霞のように白く見える形になっている水とはわけが違う。水の精霊のロゲンハイドでさえ、何もないように見える大気中でも水が含まれているのが分かる程度、しかも、大気に溶けている水を集めるのは難しく、それをするくらいなら魔力を変換して作った方が楽だった。

 なのに、オキシはそれを「見える」と言い、「集めた」とも言うのだ。ロゲンハイドは信じられなかった。

 見えるものを集めるのはたやすい。魔力を扱うことができれば、その者が思い描くだけで、たいていの場合はその通りに働くからだ。

 しかしそれは魔法とは言わない。魔法とは、魔力を変換したものを言う、オキシのしたことは、ただ単に魔力を操作しただけなのだ。


「魔力を操作して水を集めるんじゃなくて、変換して水にするんだよ。水をイメージすれば、魔力は変換されるんだよ」

「その結果がこれなんだけれどな……」

 何度やっても、やはり水分子を見ることしかできなかった。


「水をイメージすると水が見えてしまうのか。なら魔力に方向性を与えて変換を……」

 ロゲンハイドは言い方を変えて、様々に説明するが、オキシの魔力変換はうまく働かない。魔力を変換という概念が、オキシにはまったくわからなかった。


「そう言われてもな」

 魔力の変換は口で言って分かるものではないような気がするのだ。魔力の操作の時もそうだったが、思い描くとか、感じるとか、感覚に頼るところが大きい。


(これは、もしかして本能的なものなのではないか?)

 魔法を作り出す一連の流れをみて、オキシは似たような現象を知っているような気がしていたのだ。最初は小さな既視感でしかなかったが、一つの仮説が、ふいに知識の奥深くから浮かんできたのだ。


(そう、たとえば魔力が酵素的な働きを持っているのならば……)

 遺伝子に組み込まれた情報によって、魔力から魔法を構成するための基質を作り出す。その作り出された基質は、それが担当する反応を触媒し、必要な反応を引き起こす。そして、魔法として排出するのだ。

 魔法という現象を、生物学の知識に当てはめて考えるならば、こんなところだろうか。

 あくまで、ひとつの仮説に過ぎないが、オキシには魔法を使うために必要な何かが遺伝的に組み込まれていない、その可能性があった。つまりその場合、オキシは体質的に魔法が使えないのである。


「やっぱり、魔法の類はロゲンに任せた方がいいかな。僕には変換の概念が分からない……」

 結局その日、オキシは変換の感覚がつかめず、魔法らしいものが姿を現すには至らなかった。


「まだ練習始めたばかりだしね、魔法は一日二日で使えるようになるものでもないから、まだ諦めるのは早いよ」

 魔法は思い通りに扱えるようになるまで、5年はかかるものだ。

 とはいえ、ロゲンハイドもオキシと同じように、ある懸念を抱いていた。魔力を操作できても、魔法を使うことが不得手な者は、全くいないわけではないのだ。

 どんな初心者でも、魔法を使おうとする時には、魔力変換の兆候は見れるものである。それがまったく見られないのは、それが魔法を知らない土地から来たことによる不慣れの問題なのか、それとも魔法を使う才能が無いからなのか分からなかった。

 前者ならば、そのうち使えるようになるが、後者ならば絶望的である。ロゲンハイドは、魔法を覚える意欲を見せ始めたオキシのために、その事実はまだ伏せておくことにした。


「魔法は出なかったけれど、魔力の操作だけでも、僕にとってはなかなかの収穫だ。微生物の分離も移植もお手のものじゃないか」

 物質を通さない膜や、小さな物体を移動させることができる細い形、微生物を扱う実験に使う特別な器具のように働くものが、自らの手で作り出せるようになったのは、魔法が使えなかったことを差し引いてもお釣りがくる。

 オキシは魔力をちぎって丸めた。オキシにとっての基本形はこれだ。そこから様々に形を変えることができるのだ。

 髪の毛よりも細くした魔力を使って狙った微生物をピンポイントで採取することもできる、つついてみることも潰すこともできる、自分の意思で動く便利な魔力(どうぐ)で微生物たちの世界へちょっかいを出せるようになったのだ。


「ふふふふ、日も隠れて(くれて)きたし、今日はもう帰ろうか」

 もちろんロゲンハイドの返答を聞く間もなく、虎狛亭へ続く通りへと向かっている。


「見つかるといいな……ふふふふ」

 帰ったら探すのだ。再生能力の高い微生物を。

 殺さないように、やさしく丁寧に、片っ端から切り刻むのだ。そして、再生するかどうかを確かめるのだ。

 今夜は楽しい夜になりそうだ。と、赤い唇をくいっとあげ、何やらマッドな笑みを浮かべる。頭の中は微生物のことでいっぱい、それ以外のことは、すでに眼中になかった。


「オキィシ、ちょっと落ち着こうよ」

 まるで猟奇的な切り裂き魔のように嬉々としながら、「切り刻みたい」と呟き歩いていくオキシに、ロゲンハイドは背筋が凍る思いだった。



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