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微生物を愛でたいのだよ!  作者: まいまいഊ
1-f『常なる日々の記録』
32/59

32・妖精と魔物のいる森へ行きたいと思う。

 月が太陽と重なり、夜の気配が濃くなっていくが、祭りは終わらない。ぼんやりとした明かりが通りを照らし、一晩中町は鮮やかに賑わうのだ。


 友人たちと祭り巡りを終えたオキシは、虎狛亭へと帰宅した。暮夜時の虎狛亭は、宴会状態である。

 虎狛亭は祭りの日も通常営業をしている。店内には祭りのために訪れた観光客などの見知らぬ客が多くいると思いきや、むしろ馴染みの客ばかりが集まっていた。大通りから外れた場所にあり、観光客が食事のためにわざわざ来る事は少ないのだ。逆に人を避けた地元民たちが普通に食事するためのたまり場となっていた。


(ここは、見慣れた顔ばかりだ)

 いつも飲みに来ている仕事帰りのお兄さん(おじさん)たち、顔だけは知っている虎狛亭の宿泊客、そのような見知った面子がそこにはいた。

 もちろん虎狛亭に部屋を借り、同じ屋根の下に暮らしているキセノンの姿も見つけることができた。

 しかし、オキシは彼に声をかけずに部屋へ戻ろうとした。今、知り合いにはあまり会いたくない気分なのだ。慣れない服、しかも子供服を着ている。服装が服装なだけに、そこはかとなく恥ずかしかったのだ。

 オキシは様子をうかがいながら、できるだけ気配を消して、部屋のある二階へ続く階段へ向かった。だが、こっそりと部屋に戻るのは不可能であった。オキシはキセノンにすぐに見つかってしまう。

 食堂を通らねば階段のある場所へは行くことができない。そのような間取りのため、見つからない方がおかしいのだ。


「オキシなのか?」

 視線を感じそちらを見てみれば、どこかで会ったことがあるような見慣れた雰囲気の女の子が、こちらの様子を伺っていたのだ。一瞬、誰なのかわからなかったが、黒い髪を持っているというところで一気に附に落ちた。当てはまる人物は一人しかいない。正体に気がついたキセノンは声をかけた。


「……おまえ、女だったのか」

 鱗に覆われた顔に変化はみられないが、キセノンは内心驚いていた。年齢に関しては話したことがあったが、性別については話したことはなかったことを、ふと思い出す。しかし、それでもまさか、女だったとは思いもしていなかった。


「そ、そうだよ。実は生物学的には女だよ。まぁ、女らしくはないとはよく言われるけれど」

 普段とは趣向が異なる服を着ていると、自意識過剰かもしれないが、色々な人に見られているような気になってしまう。事実、キセノンは隅々まで見ている。そのためオキシは少し頬が熱い感じがして、少し目を逸らしてしまう。


「べ、別に祭りだからって悪ふざけで友人に無理やり女装させられたとか、そう言うわけじゃないから」

 服屋ではそれに近い状況だったが。


「なら、どうしてそんなに挙動不振なんだ?」

 普段は何が起きても飄々としているオキシなのだが、今は少しうつむいてそわそわと落ち着くがない様子でいる。そんな様子にキセノンは違和感を覚えた。


「こんな格好あまりしたことがないから、ちょっと恥ずかしいというか、妙に緊張するというか」

 性別は女であるが、性別については忘れてしまうほどに気にしたことはない。普段からおしゃれとは程遠く、女性的な装いをあまりしたことがない。子供服とはいえ女らしさに特化した服装は本当に久しぶりで、女性でありながら、女装している気分になっていた。まじまじと見られると、より意識してしまい、恥ずかしくなってしまう。


「何も恥ずかしがることはないぞ。とても似合っている」

 いつもとは異なり可愛らしい服であるが、小柄なオキシには相応に見えた。

「子供服が似合っても、僕は嬉しくはない」

「そうか、そうだったな……」

 オキシは到底大人には見えない外見で、こんなにも子供服が似合うので、すでに成人している事実がすっかり頭から抜け落ちていた。


「しかし、その服装で『僕』は似合わないな。どうせなら『私』と言ってみろ」

「ワ、ワタシ?」

 オキシはその単語を発してみるが、発するその音の違和感や、何たることか。

「そう。それなら、違和感なく『女』に見られるぞ」

 何もしていなければだが、とキセノンはこっそり思う。

「別に今さら女に見られたいとか、思わないよ」

 そう言い放つオキシにキセノンは、いつものように息をついた。



 オキシがキセノンとやり取りをしていると、それに気がついた虎狛亭店員のタンタルがやってきた。彼もまた、オキシをよく知る人物であり、オキシの服装を見て驚いた一人でもある。


「オキシちゃん、おかえり。祭りはどうだった? それにしても女の子だったんだねぇ。びっくりだよ。今はまだ、おてんばな娘でも、大きくなったら美人さんになるよ」

 オキシが成人していることを知らないタンタルは大人になった姿を想像して言う。


「あははは。そうなるといいですね」

 これ以上成長はしないことは確定なのだが、説明も面倒なのでオキシは笑ってごまかすことにする。


「ところでオキシちゃん。ご飯はどうする?」

 すぐさま仕事モードに切り替えたタンタルは、オキシに尋ねた。

「友達と外で食べてきたから、今日はいらない」

 服を選んだ後は、ずっと食べては歩きの連続だったのだ。

「……本当か?」

 いまいち信じていない視線を向けるキセノン。オキシの日頃の行動を思えば、どうしても疑ってしまう。

「本当だってば。それに、いろいろ珍しいの買ってきたんだよ」

 オキシは鞄から入手した醗酵食品(戦利品)の数々を自慢げに見せる。


「これは白粒の妖精菓子か。これは赤根の妖精菓子。これは……妖精菓子が多いな。お、これはランタニド国(隣国)の珍味か。これは見たことがないな……」

 様々な場所を旅してきたキセノンでさえも知らない食品がいくつかあった。確かにいずれの品もここら辺では見かけない珍しいものではある。がしかし、キセノンが知っているものを見ただけでも、そのほとんどが人を選ぶような独特の風味を持っているものばかりであった。


「オキシちゃん、いろいろ買ったねぇ。こういう食べ物が好きなの?」

 オキシの鞄から次々と出てくる物を見たタンタルは、サルファやテルルがオキシに向けていたのと同じ、少しひきつった笑顔を浮かべていた。


「好きかだって? 好きだよ、大好きだよ。好きすぎて、ついつい買ってしまうんだ」

 無論、オキシが大好きなのは食品そのものではなく、それを作った微生物たちであるが。そうとは知らない彼らは、オキシはこういうものが好物なのだと勘違いする。


「あぁ、僕はこれを楽しまなきゃいけないから、そろそろ部屋に戻る」

 手に入れた食品を見ていたら、どんな微生物がいるのか非常に気になって仕方なくなってしまった。

 ここでだらだらと雑談する時間がもったいない。このまま無駄に時間が過ぎるのは耐えられない。早く今すぐ観察がしたいと、オキシはキセノンとタンタルに別れのあいさつを言い颯爽と部屋へ戻った。


「あれを食べるのか……」

 楽しむ、という意味を勘違いするキセノンはそうつぶやいた。

「……なんか、すっかりいつも通りのオキシちゃんに戻ったねぇ」

「だな」

 白いワンピースを着て、少し恥じらう様子のオキシは新鮮であったが、服は変わっても中身はそう簡単には変わらない。すぐに自制の効かなくなった「いつもの」オキシが顔を見せた。


「あれは、もう治らんだろうな」

 魂にまで染みついていそうなほど病的で奇妙なオキシの生活習慣にキセノンは強くそう思う。

「残念だなぁ。あれさえなければ、結構いいと思うのに……って、仕事仕事。かぁちゃんに怒られるっと。キセノン、ゆっくりしていってね」

 タンタルは仕事中であることを思い出し、厨房へ戻っていった。


(それにしてもオキシには驚かされることばかりだな……)

 本人が言わないだけで、もっと驚くような大きな秘密があっても不思議ではないと、キセノンは感じてしまう。しかし、そうそういくつも予想外な事実が彼女の中にあるわけはないとすぐに思い直し、彼は夕食を再開するのであった。




 自室に戻ったオキシは、机の上に入手した食品を並べた。人ごみは疲れたが、様々な地域の醗酵食品を入手することができ、概ね満足であった。


「いっぱい買ってきたね、まさか全部食べてみるの?」

「もちろん。味見はしなくちゃ」

 微生物が生み出す味や匂いは千差万別。それを感じることも、微生物を知るうえでは大切なことだ。

 オキシはそれらの醗酵食品を必ず一口は食べる。残りはいつものように魔法で作られた特製の箱にしまう。一通り作業を終えると、食品を醗酵させているであろう微生物を探し始めるのである。


「……あぁ、なんでいないかなぁ、微生物」

 遠方、特にウェンウェンウェム地方から来た妖精菓子(しょくひん)には、浄化や消毒はもちろん、カビよけや毒抜きといった保存の魔法が複数、これでもか、と、いうくらいかけられている。その魔法の効果によって、微生物たちは死滅し、オキシはその姿を見ることはできなかった。

 保存の魔法は微生物にとっては死の魔法と言っていい。しかも、解毒の魔法が微生物の活動で生みだされた物質(どくそ)をも変質させ薄めてしまう。微生物の行った害ある活動の痕跡を消し、より安全な食品にする行為を、魔法によって知らず知らずのうちに行っているのだ。


「いくら毒の大地だからって言って過剰なまでに魔法かけすぎだ。滅菌状態だなんて酷すぎる。耐性菌はいないのか、こんだけ魔法をかけられ続けているんだ。ちょっとくらいいてもいいじゃないか。

 微生物たちよ、はやく進化するんだ。そして、魔法技術と微生物の果てしない戦い(イタチゴッコ)を、変化と変異に満ちあふれた生命の力を()せておくれよ」

 オキシは物騒なことを言いのける。

 実際には、保存の魔法が効きにくい食品もある。そういうものは長期の運搬には向いていないので、限定された地域でしか入手することはできない。祭りで売っていた妖精菓子も保存の魔法が効くものだけが流通しているのである。


 ロゲンハイドはいくつかの保存魔法を使えるので、頼めばそういった特性を持つ微生物を探すこともできるだろう。しかし、あまり色々な微生物に手を出しても、収集がつかなくなる。今は目の前にいる微生物の観察だけで手いっぱい。保存魔法に耐性を持つ微生物を、実験により積極的に探しだそうとは、今はまだ(・ ・ ・ ・)思っていないのだ。




「あぁ、ウェンウェンウェム地方へ行って、魔法のかかっていない作りたてを手に入れたい。……あ、そうだ! 行けばいいんだ。行こうよ、ウェンウェンウェム地方。行こうよ、妖精の住む場所、緑の砂漠へ!」


 緑の砂漠。

 それは決して緑色の砂で覆われている土地のことではない。ウェンウェンウェム地方のほとんどを覆う森の俗称だ。ウェンウェンウェム地方といえば緑の砂漠だと言っても過言ではない。それほどに有名な森なのだ。

 緑の砂漠は緑豊かにもかかわらず、人が食べられるものが無いに等しい。妖精が作り出す妖精菓子以外は、生えている植物はもちろん住んでいる動物も魔物もその土地にいる生物のほぼすべてが、食べる物として適していない。含まれる毒のせいか理由ははっきりとしていないが、食べ続ければ弱っていき死んでしまうのだ。

 緑の砂漠はその名の通り、砂漠のように不毛な土地なのである。


「み、緑の砂漠。そこだけは、やめたほうがいいよ」

 オキシの突飛な言動には慣れているとはいえ、よりによってなぜウェンウェンウェム地方、しかもその中でも特に過酷な環境の緑の砂漠へ行こうなどと思うのか。


「わかっている。そこが危険に満ちていると言うことは。ウェンウェンウェム地方については、ある程度は下調べしていたから」

 オキシは鞄からウェンウェンウェム地方観光案内の小冊子を出して見せる。この冊子の他にも組合(ギルド)附属の図書館や、緑の砂漠へ行ったことのある者たちからの体験談からも、その地方の情報は入手していた。

 いくら、どんな環境でも平気な体を持つと言っても、このような危険地帯で何の準備もなく手探りで行動はしたのでは、無謀の一言である。無計画に進んで下手に道に迷ってしまっては、時間の無駄にしかならないのだ。

 地球にいた頃、一応、院生だったので、調査の準備はそれなりにしてしまう癖があるのだ。

 森に慣れるまでは、森の中にある休憩地点(むら)にでも滞在して、そこから周辺を攻めていく方が都合がいい。調査に焦りは禁物だと、オキシは思うのだ。

 調査というのは、事前の準備に多くの時間がかかる。準備ができて、きちんとした本調査が行え、正確なものを得ることができる。そこに何があるのか。どのような場所なのか。暇を見つけては、様々な人、様々な媒体から、情報を集めていたのだ。


「いつのまに。緑の砂漠へは、やっぱり観察に、だよね? もしかして魔物を捕まえたいとか、まだ思っているの?」

 ロゲンハイドはオキシの目的が手に取るように分かってしまう。オキシが求めるのはウェンウェンウェム地方にいる珍しい生物にちがいない。おそらくその中に、魔物も興味の対象に含まれているだろう。

 分かりたくもなかったが、わざわざそこへ行くからには、そこでしか手に入らないものが欲しいのだろうと容易に想像がついた。となると、思い当たるのは魔物なのである。

 ロゲンハイドは、オキシが魔物に興味を持ち始めていることを、日々の暮らしから感じ取っていた。魔物についての本を図書館から借りて来ていることからも、それは間違いないことだろう。


「確かに魔物を観察したい気持ちはあるけれど、ちゃんとした施設もない状態では、さすがに魔物の飼育は難しいと思っているよ。それに、実は生きている状態の魔物よりも、魔物は死ぬ直前の状態が望ましい。魔物が死んだ時のあの塵に興味があるんだ」

 生物の飼育は大変なことをオキシは知っている。ネズミほどの大きさならば何とかなるかもしれないが、あまり大きな生物ではオキシ一人の力では手に余ってしまうだろう。


「それに魔物以外にも、妖精菓子が気になるし、キノコなんかも見てみたい。とにかく毒だらけだという環境も非常に興味深い!」

 ウェンウェンウェム地方でも緑の砂漠と称される森の、その特異的な環境、そういう場所には大抵おかしな生物がいる。

 今までも十分奇妙なものに出会ってきたが、近くに異なる生物圏があるというのは、非常に喜ばしいことである。その二つの環境を比較することもできるからだ。

 自分の好奇心が満たせるものが、そこにあるかもしれない。夢のような素敵な場所がこんなにも近くにあるなんて、とオキシは、によによが止まらない。


「……やっぱり、本気だよね?」

 目的がただの観光であったのならばまだ賛成はしてもいいと思っていたのだが、わざわざ危険な香りしかしない物を見に行くなんて、とんでもないと思うのだ。


「本気も本気。町に閉じこもる生活も良いのだけれど……やっぱり大自然相手の現地調査(フィールドワーク)が一番だ」

 最近は人っ気のないところは避けるようにしている。いつ殺人鬼が現れるかも分からないので、草原へも気軽に行けなくなったからだ。出かけるとしても仕事場と虎狛亭の往復のみ、それ以外はほぼ部屋に閉じこもっている生活だった。

 そんな生活は面白いはずはない。

 露店で買った発酵食品にいる微生物たちで無聊を慰めていたが、部屋に閉じこもって観察するのも限界がある。ずっと閉じこもっているだけでは、到底物足りなくなって我慢できなくなってくる。

 ならばいっそのこと人がほとんど訪れることのない僻地へ調査に出かけてしまえば、憂いることはなくなるかもしれないと、オキシは考えることがあった。

 殺人鬼ががやってくることのない場所へ、こちらがさっさと逃げればいい。殺人鬼も所詮は人間、衣食住揃う町で生活をする生き物であることには代わりはない。食糧が乏しい場所まで、そこまでして追いかけては来ないだろうと、淡い期待を抱いているのだ。

 緑の砂漠は魔物がたくさんおり、殺人鬼などかわいいと思えるほどに危険な土地ではあるが、謎多き神秘の辺境というものは、その響きだけで危険が問題にならないほど魅力的だった。

 人が立ち入らない未開の地。探検家であれば、前人未到な辺境の探索はロマンを感じる場所であろう。

 人ではなく、数多の生物がそれぞれに住みやすい環境を作り上げた自然の地。人の手が加わらない、ありのままの地。冒険家でなくとも、好奇心は湧き上がるのだ。

 オキシの専門は微生物学であるが、もっと細かく言えば、人の生活と深い係りを持つ微生物を研究し生活をより豊かにするというよりは、森や河川や海など、人間とは関係のないところで勝手気ままに生きる微生物の生態を調べることを得意としている。

 対象の微生物は室内で飼育してもいいのだが、自然状態とではやはり環境が異なる。室内飼育はそれはそれで便利なこともあるのだが、やはり自然な状態で観察するのが生態を読み解くには一番なのである。


「緑の砂漠へ行くって言っても、あそこ、一般人が気軽に楽しめるようなところじゃないよ」

 魔法が発現しにくく、奥へ行けば行くほど凶悪な魔物がいる危険な地域。熟練の探検家でも空を覆い隠す森に方向を見失うこともある。一般の人が興味本位で行っていい場所ではない。


「僕が普通の一般人だと思う?」

 もともと魔法がない世界に住んでいたオキシにとって、魔法が使えないことは、不便でも恐怖でもなんでもない。未だに魔法の一つも満足に使えないのだ。緑の砂漠へ行っても、困ることはない。

 しかも、どんな環境でも苦労なく生きていける身体を持っている、仮に遭難しても食糧や体調不良の心配はしなくともいい。これはかなりの強みになる。

 過度に魔物に干渉して襲われるようなことにならなければ、緑の砂漠というのは誰にも邪魔されず観察ができる楽園のような場所に思えた。

 過酷な環境に生きる微生物を、時間を気にすることなくずっと観察する。かねてからの夢であり、この世界に来て実現できるようになった夢。緑の砂漠へ行くことは、もはやオキシの中では決定事項だった。


「でも、食べる物とか……それに、おいらも一緒に行くとなると魔力も不足がちに」

 オキシは子供並に危険がよく分かっていない。危険に近づかないようにするため、監視する者が必要だ。それ以外にも、魔物の出現など危険を感じた時など知らせることも大切である。その役目はロゲンハイドが負うことになるだろう。そうなると、森でもほぼ常に共に行動することになる。

 大気中の魔力が非常に薄い緑の砂漠は、魔法を扱うことに長けている種族の精霊でさえ、かろうじて小さな魔法を発動できる程度、それほどまでに魔法が発現しにくい土地である。

 精霊は世界に溢れる魔力を取り込んでいるので、基本的に動物的な食事を必要としない生物である。それゆえに、魔力の薄い地域では生きられない。つまりウェンウェンウェム地方は精霊が住むのには適していないのである。

 そんな土地で精霊が存在し続けるためには契約者の魔力に全てがかかっている。普段は大気中から吸収している存在維持のための分の魔力を、代わりに提供してもらう必要があるのだ。

 ヒトは体から失われた魔力を食事や睡眠で回復させることができる。しかし、緑の砂漠では食べられるものが限られてくるので、普段よりも回復は鈍くなる。

 契約者から提供される魔力が弱まれば、精霊は己の存在を維持するだけでも、大変になってくるのである。


 魔法を使うことに慣れた者にとって、魔法が成り立たないことは恐ろしいことである。そのため魔法文化圏に住む人間にとって、緑の砂漠は最も長居したくはない土地なのだ。



「魔力についてはよく分からないけれど、場所が緑の砂漠になったからといって、魔力の回復量が変動することはないんじゃないかな。基本的に僕は何も食べなくともいいのだし、魔力も勝手に回復すると思うよ」

 魔力の回復が、食糧の摂取によって回復するというのであれば、その減った分は勝手に合成されるだろう。魔力不足で倒れてしまうということはないと思われる。


「いつも思っていたんだけれど、その『食べなくともいい』っていうのは、どういうこと? 今の今まで子供が苦しまぎれに言うようなお粗末な言い訳にしか聞こえなかったけれど」

 いつもだったら「はいはい」で済ませるところなのだが、ロゲンハイドは気になってオキシに尋ねた。


「僕は……なんて言ったらいいか難しいけれど……」

 オキシは緑の砂漠へ行くために、体質(ひみつ)を一つばらすことに決めた。


「正確には『食べなくてもいい』というよりも、植物と同じような感じで、栄養補給は『食物の摂取』以外でもできるんだ。だから、食べられるものがほとんどない緑の砂漠へ行っても、僕は何の問題もなく生きていけるから、心配いらないよ」

 どういう仕組みで成り立っているのかは分からないが、必要な栄養は勝手に合成されているのだ。


「植物のように? 今まで冗談だと思って深く考えたことなかったけれど、あのむちゃくちゃな不摂生ができていたのは、その力があるからだったの?」

 オキシの言葉はにわかに信じがたいことではあったが、ロゲンハイドは実際に飲まず食わずで数日過ごしていたオキシを何度か見たことがある。それでいて健康を損なわないのだから、やはりそのような能力が備わっていると、多少疑いながらも納得するしかなかった。


「そんな生物離れした性質だから、みんなには信じてもらえなくても仕方ないなと、思っていたんだけれど。ロゲンは僕の助手だし、これからも長い付き合いになるだろうし、この際だから、はっきりしておこうと思って」

 独立栄養生物であるならばとにかく、動物で食物を摂る以外で栄養を得るものは珍しい。ロゲンハイドが真偽を疑うのも無理はない、とオキシは思っていた。

 しかし、ロゲンハイドにこの事を信じてもらえれば、「食べなきゃ駄目」という小言が減るという目論見もオキシにはあった。これを信じてもらわないと、これからもずっと口うるさいのだ。


「食べ物が必要ないとか……色々おかしいと思っていたけれど、オキィシは樹人(じゅじん)との間の子だったの? どう見てもそうは思えないから、今まで信じられなかったんだけれど」

 ロゲンハイドはオキシを見つめる。どう見ても樹人には見えない。ごく普通の獣種のヒトである「獣人」にしか見えないのだ。

 地球の、主にファンタジーでの認識では、獣人というのは人間(ホモサピエンス)以外のヒト型の人類のことを言っているものが多い。たが、この世界では地球人類だけが特別に人間族などと呼ばれていることはない。動物型のヒトは等しく獣人なのだ。


「樹人って?」

 樹人と言うのは、どういうヒトを指すのかオキシには分からなかった。ニュアンスで植物に関するヒトということだけは、想像がついたが。


「樹人って分からない? 有名なのは妖精。あと植物人間もいるね」

「植物人間……」

 何だか病院のベットにいそうなそんな印象を受ける名前である。

(それにしても植物のヒトまでいるとは、異世界の生態系は不可思議だ)と、オキシは感心する。


「樹人は長く生きた植物から生まれるヒトなんだよ。数としては、妖精が一番数が多くて、樹人の半分以上は妖精なんだよ」

 ヒトの形をして知性を持つが、誕生の方法が動物のヒトとは異なっている種族、おもに植物のヒトを樹人と呼んでいるのだ。


「ちなみに、おいらたち精霊は亜人だね」

 動植物のヒトが中心を占める世界において、水や火や石といった物質や現象が知性を持った精霊はヒトの亜種扱いだった。彼らは、無性生殖の生物であり、有性生殖の他種族と交わることはない。



「そうなのか。樹人のことは何となく分かったけれど、彼らはどんな外見のヒトなのだろう?」

 この世界では植物までヒトの形を取ることは分かった。植物というくらいだから頭にでも、かわいらしい花が咲いていそうな、そんな印象を受ける。


「口で説明するのは難しいなぁ。……あ、そういえば樹人はオキィシも会ったことあるよ」

 植物種の人間は、数こそ多くはないが町で普通に暮らしている。

 いまいち想像出来ないでいるオキシのために、ロゲンハイドは会ったことがあることを示唆する。


「それは誰?」

 しかし、そうはいっても、オキシにはまったくそのような人物に心当たりはなかった。記憶をたどってみても、植物を連想させる人物は思い浮かばなかった。


「炎の精霊をつれていたあのフォスファーラスってヒトは間違いなく顕花族(マグノリアン)だね」

「あぁ、あの人か」

 植物ということで、肌が緑色だったり、大きな花や葉が分かりやすい場所に生えているなど、そのような植物の特徴を持つとばかり勝手に思いこんでいたようだ。


(言われてみれば「背後にきらびやかな華をしょっていそう」って思ったっけ)

 彼に初めて会った時の印象を思い出す。そう思ったのは無意識に植物的な部分を嗅ぎとったということなのだろうか。動物離れした整った顔に、凛とした気配を持つ彼を思い浮かべてオキシは妙に納得してしまった。



「それはそうと、オキィシはどこを見ても動物に見えるけれど、やっぱり血縁に樹人はいるの?」

 本来、食物を必要としない体質を持つものは、樹人か亜人しかいない。そのため、オキシの血縁に樹人がいるのではないかと、思い尋ねた。

 樹人の中には植物を由来にもつために、植物と同じように光合成できる者がいる。しかし、食事を必要としないほどに栄養が得られるような能力を持つものは、混血であろうといずれも植物的な要素が強く残っているものなのだ。そのため、動物的な特徴しかないオキシがいくら「食べなくてもいい」と言ったところで、誰も信じられないのである。


「僕は純粋な動物の人だ。植物の血はこれぽっちも入っていない」

「だよね~。樹人特有の匂いも、根もないし」

 ロゲンハイドは水魔法でオキシの体をきれいにしているので、大体のスリーサイズとともに、オキシの外見的特徴は大体把握している。そのため、オキシは完全に動物であるのを、ロゲンハイドは知っていた。


「匂い? 根?」

「植物種のヒトはね、独特な匂いがするの。あと、根というのは哺乳動物でいうところの足やしっぽのようなものかな。他にも樹人特有の特徴はあるけれど、オキィシにはそれらがないから、樹人の血がかなり薄いか、全く入っていないかというのは分かるんだ。それで樹人みたいな能力を持っているって、不思議だなぁ」

 オキシが認識していないほど遠い祖先に樹人がいたとしても、外見に特徴が出ないほど血が薄まってしまっている状態で、光合成の能力だけ現れることは無いに等しい。


「僕も不思議に思う。どんな仕組みで、栄養を作っているのか。人体の神秘だね」

「神秘で片づけちゃうところが、オキィシらしいけど」


「多分、僕みたいなのは、他には、どこにもいないんじゃないかな。僕は突然変異体みたいなものだし」

 オキシの性質は地球からこの場所に来る時に、突然のように変異してしまった。本来の意味での突然変異とは異なるが、性質が変質してしまったことに変わりがない。


「突然、変異?」

「良い言い方をすれば、新たな進化の可能性。悪い言い方をすれば、奇形かな。僕は純粋な動物だと思っていたけれど、ロゲンの話聞いていたら、自分は亜人でもいいかもしれないと思い始めている」

 オキシは正確にはこの世界のヒトではない。ある意味で「人に似たもの」である。そう思うオキシは、亜人ぽいといわれても、強く否定はできないのだった。


「突然変異ねぇ」

(もしかして、オキィシがあまり故郷(かこ)のことを語りたがらない理由って、それが関係しているんじゃ)

 あまりにも特異性の高い個体は、集団において浮いてしまう。それが閉ざされた狭い集落の中でならばなおさらだ。その世界から弾き出されてしまったオキシは、戻りたくとももうそこへは二度と戻れない。

 そんな過去を持っているのならば、意識的にその話題を避けてしまうのも分かるような気がするのだ。

 勘違いを多々しているが、あながち間違いでもない推論をロゲンハイドは立てていた。


「ま、僕は変わり者だけれど、ヒトであることは確かということで、この話はおしまい、おしまい」

 話が一段落したところで、オキシはなぜ樹人や突然変異の話になったのか、大元の原因をふと思い出す。


「……ところで、さ。話は戻るけれど、緑の砂漠行ってもいい? あの土地で一番解決しなくちゃいけない食糧入手についての問題を考えなくてもいいし、仮に森で迷っても餓死だけはしないんだから」

 この希望は絶対に実現したいという思いの強いオキシは、ことの本題へと話をぶりかえした。


「それと、これとは、別! 問題は食糧だけではなくて、あそこは何も無いようでいても毒に冒された場所もたくさんあるし、魔物もいるし、危険がいっぱいなんだよ」

 オキシは今、緑の砂漠に興味津々状態。こうなっては止めるのはなかなかに難しいが、ロゲンハイドはオキシを説得にかかる。


 森にはロゲンハイドも知らない危険生物や毒に溢れている。魔物のように分かりやすい気配を持っていれば良いのだが、そういうものばかりではない。いつものように、ロゲンハイドがすべての危険に対して事前に警告を出すのは、難しくなるのである。

 魔物が好む環境は、人にとってはあまり良いものではない。毒の濃い場所はいたるところに散らばっており、風向き一つでその濃度は変化する。どんなに気をつけていても、風に乗った毒によって、体調を崩してしまうことも無いとはいえないのだ。緑の砂漠にいる限り、それだけで魔物中毒症にかかる危険が大きくなるのだ。


「毒か……これも言ってしまおうかな」

 大出血サービスとばかりに、オキシはもう一つ秘密を明かすことにした。

「実は僕、どんな毒を食べても平気な体質なんだ。もちろん魔物中毒症にもかからない」

 魔物中毒症は発症まで潜伏期間がある。仮に高濃度の「魔物毒」に冒されている場所へ行くことがあっても、オキシが持つ能力を持ってすれば発症する前に、毒は無毒なものに分解されてしまう。オキシにとって魔物の毒は恐れる必要がないのだ。


「ふぇっ?」

 予想外の告白にロゲンハイドは、妙な声をあげる。食物を摂取せずとも生きていけると同時に、毒にも耐性があるという。理解の範疇を超えた事実に、ロゲンハイドの瞳が丸くなる。

 水で構成された体を持つ精霊、ロゲンハイドは頭が沸騰して本当に湯気が立ちそうな勢いだった。そんな様子のロゲンハイドを横目にオキシは次の行動に移った。


「だから、この危険な毒キノコだって食べても大丈夫」

 オキシは部屋の片隅にこっそりと並べられた標本の一つを選び、手にとる。カラスの瓶には小型のキノコがいくつか入っていた。オキシは、ガラス瓶からそのキノコをひとつ取り出して口へと放り込む。


「苦っ!」

 外見は地味な茶色のキノコで、煮出したら風味豊かな出汁が取れそうなキノコであったが、現実はうまくいかないものである。

 キノコからじわりとにじみ出る風味が舌の上を刺激する。毒に耐性がなかったら、内臓が焼けただれ、そのまま使いものにならなくなりそうな、そんな味のする非常に苦みのあるキノコだった。


「……ほら、キノコを食べたって、体はこの通り平気なんだ。味だけはどうにもならないんだけれどね。……あぁ、ロゲン、水頂戴。口の中が苦い」

 分からないキノコは口にするものじゃないな、と思いながらも、オキシはロゲンハイドに笑顔を向ける。


「そのキノコを食べて平気だなんて!」

 この世界ではキノコを食す文化は無いといっていい。キノコは毒物扱い、見かけても触れてはいけない危険物。そんなキノコをオキシは今、食べたのだ。

 少量、口にしただけで死に至るような猛毒キノコを、オキシが食した時にはロゲンハイドは慌てたが、食べても平然としているのでほっとする。

 ロゲンハイドは水を魔法で生成し、オキシに手渡した。


「オキィシって、まさか魔物だったりして? って、それはさすがにないか」

 キノコを食べる生物は多くはない。あえて言うなれば、魔物くらいだ。もちろんオキシからは魔物特有の不気味な気配は感じられず、魔物であるはずはないのだが、それはないと思いつつもロゲンハイドは、ついつい口に出してしまう。


「う、ロゲンまで僕を魔物と言うのか」

 アーゴンにもそう言われたことを思い出し、オキシは眉をひそめて苦い顔をする。

 確かに客観的に見れば、血液を飲んだ生物が死ぬとか、毒を食らい平然としているとか、その特質をロゲンハイドは目にしているので、魔物ではないかと思っても仕方ないのかもしれない。しかし、心情的には魔物に似ていると言われてしまうことは、気分のいいものではない。


「……あ、なんかごめん、本当にごめん」

 オキシは「ロゲンまで(・ ・)」と確かにそう言った。と言うことは、どこかでその言葉を投げかけられたことがあるということだ。


 オキシがその言葉を言われたのは、つい最近、アーゴンと遭遇したときであるが、ロゲンハイドはその時その場にいなかった。なので、思い浮かぶ事といったら、故郷でずっとそんな扱いを受けていたのではないかという疑惑だ。

 オキシの住んでいた場所では魔物とは実在する生物ではなく、創作上の生物か、得体の知れない恐ろしいものという概念でしかないと聞いた。そんな地域で魔物と呼ばれるのは、さぞかし居心地が悪かったことだろう。そう思うと、何だか居た堪れなくなってしまう。


「ん? ロゲンは何も悪くないよ? こんなことで、そんなに平謝りされると、逆にこっちが申し訳なくなってくる」

 オキシは頬をかきながら、少し困惑気味に答える。

 普段のオキシならば、魔物扱いされようと、そのような冗談は気にも止めない。しかし、最初にその言葉を言ったのが、おぞましい殺人鬼だったということが良くなかった。その事実がなければ、ロゲンハイドの魔物のようだという発言に対しても「僕もそう思うよ」と何の不快感もなく肯定していたはずだ。


「本当に、気にしてないの?」

「うん、まったく気にしてな……いや、気にしてるよ。『あぁ、魔物のようだと言われた僕は……緑の砂漠へ行かないと……僕の心は癒されない』。だから、緑の砂漠へ行こう。僕は行くからね」

 ロゲンハイドが非常に申し訳なさそうに謝るので、オキシは「そんなことは、まったく気にしていない」という雰囲気を醸し出しながら軽い調子で言葉を発した。


「それとこれとは、関係ないような。まったくオキィシは……」

 明け透けに要求を告げるオキシにロゲンハイドはひとまず胸をなでおろす。しかし、何がなんでも緑の砂漠へ行こうとする強かなオキシに、ロゲンハイドは勝てる気がしなかった。


「よし、善は急げだ。さっそく現地調査(フィールドワーク)に必要なものを買いに行こう」

 オキシは椅子から勢いよく立ち上がると、白衣の乱れを直す。そして、机の横においてある鞄を肩からかける。これで出かける準備は万端だ。


「ちょ、ちょっと待ってよ。落ち着いて」

 自分の世界に入ってしまうと、すっかり周りが見えなくなるのはオキシの悪い癖だ。

 今現在、部屋の外は静寂の闇に包まれている。一階にある虎狛亭にも、その静けさは訪れていた。窓の外を見れば空に丸くある満月は未だ太陽を隠している。つまり、この世界においてこの町は深夜を回ったばかり。

 今宵は祭りで眠らない夜になっているとはいえ、食べ物屋以外の店は真夜中ともなるとさすがに開いていない。そのため、オキシは太陽が世界を照らすまで待つしかなかった。

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