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微生物を愛でたいのだよ!  作者: まいまいഊ
1-e『非情で非常な日常』
28/59

28・非自己物質を食らう者たち。【※流血表現あり】

 ――実験は、時として動物たちの命を奪う。今回オキシが行った実験も、そのような残酷なものであった。


「ねぇ、ロゲン。僕の血液は毒ではないよね?」

 オキシは確認するように、ロゲンハイドに尋ねた。

「そのはずなんだけれど」

 ロゲンハイドも、ことの経過が信じられないでいる。その原因となったオキシの血液を確かめてみても、生物に影響を与える毒素といった危険なものはまったく感じられなかったのだ。


「じゃあ、なんで死ぬのさ」

「わからないよ」

 眼前の飼育箱には、生き絶えた生物たちの姿があった――




 オキシには気になることがあった。「血を吸って調子が悪くなった」と言う殺人鬼(アーゴン)が残した言葉だ。それを確かめるために、オキシは自分の血液を調べることにしたのだ。


 まずはネズミを数匹捕獲することから始めた。ネズミは虎狛亭の裏に罠を仕掛けておけば、すぐに捕まえることができるので入手は楽であった。

 ネズミは穀物を狙う厄介者で、常に駆除の依頼がある。オキシがネズミを捕まえようとやっきになっていても、変な目で見られることはないのが救いといえば救いではあった。

 ちなみに五匹分のネズミ(生死は問わない)を組合(ギルド)へ持っていけば、組合に登録していない者でも灰色の一番価値の低い硬貨一枚と交換できる。十匹も捕まえれば、露店でちょっとしたものを食べれる程度の報酬になる。本当に子供の小遣いのような端た金ではあるが、誰でも気軽にできる小銭稼ぎだった。



 オキシはいくつも並んだネズミ入りの箱を眺める。

「これはとても人には言えない実験だ」

 オキシはこれから行う工程を浮かべ、そう思う。これはまさしく動物実験。動物愛護団体も真っ青な倫理的に問題がありまくりの、実験。

「十分なネズミは手に入れたし、次は……」

 オキシは息を飲む。今からする行為はかなり勇気がいる。

 右手にはカッターナイフが握られ、左の手首に当てていた。左手首に触れる金属の固く無機質な感触は、非常に冷たく感じる。

 刃先は僅かに震えている。

 注射器があればもう少し気の楽な採血ができただろうが、そのような器具はこの世界にはない。手元にあるのは、白衣のポケットに入っていたカッターナイフだけ。自分の血を入手するためには、その刃物を使った方法しか思いつかなかったのだ。

 自らを傷つける方法で採血をするのは怖かったが、その恐怖よりもその先に得られる事実を知りたいという好奇心の方が勝っている。

 実験のためだと、オキシは目をつぶり、深く呼吸をする。そして、右手に力を込め、握りしめたカッターナイフを思いっきり手前に引いた。

「くぅっ」

 鋭い痛みが一瞬走り、オキシは顔を歪ませる。刃が皮膚を裂く感触はひりひりと痛覚を伴う。じわりじわりと傷口が鼓動し、熱を帯びたようにその切り口は赤い液体を吐き出した。手首を伝い、流れ、落ちる、赤い滴。


「うぅ、微妙に痛い」

 神に願った結果、得た脅威の再生力があっても、痛覚という感覚は残っている。痛いものは痛い。切口は空気に触れて赤くどくりどくりと痛みを発している。

 自然と目頭に涙が溜まる。あふれる痛みに歯を食いしばりながら、ゆっくりゆっくりコップを満たしていく、赤い赤い生命の流れを見ていた。


「……傷が治るのが、思ったよりも早いな」

 血が止まったと思うと、もうその傷は塞がり始めている。消毒や止血を考えなくてもいいのは楽なのだが、必要な量を得る前に止まってしまっては意味がない。

 血液はコップに八割ほど溜まっている。もう少しだけ欲しいような気はする。だが、そのためには痛い思いをして再び傷を作らなくてはならない。しかし、その痛さを一回経験してしまったせいか、一度目以上に決心する勇気が出ない。


 異常なほどの再生能力に挫けそうになりながらも、オキシは再びカッターナイフを手首にあてがった。

「うう……やっぱり、これくらいあればいいかな」

 オキシは大きく息をはいて、手首から刃を離した。

 刃に付いた血を拭いて、机の上に置く。自分を傷つける行為のは、すんなりと何度もできるものではなかった。


 血液も採取し終えたので、オキシは次の工程へと移る。

「さて、この血を小麦粉に混ぜて、ネズミに食べさせます」

 誰に語るでもなく、オキシは工程を口にする。

 準備する団子は、血液を多く含むものから、全く含まないものまで、血液の配合量は変えて作ってある。出来上がった団子は、ネズミの入った箱へと入れる。

 血液が混ざっているとネズミが食べないかと思ったがそれは杞憂であった。さすが雑食の動物、残さず食べてくれた。

 あとは、経過を見るだけである。



 ――数時間後、一番大量に血液を摂取したネズミが死んだのをきっかけに、一晩でその半数が死んでしまった。死ななかったネズミもその多くは数日もの間、嘔吐を繰り返し食欲不振であった。少量だけ摂取したネズミや、水だけで作った単なる団子を食べたネズミは、平然と生活していたのだが。

 その結果を受けて、オキシは言う。

「ねぇ、ロゲン。僕の血液は毒じゃないよね?」

 そして、話は冒頭へ繋がるのである。


「そもそも、なぜこんな実験をしようと思ったのさ」

 オキシの実験には毎度毎度驚かされるが、今度のことは想定外もいいところ。どうして自分の血で生き物がこうなると予想しえたのかロゲンハイドはオキシの発想に身がすくんだ。


「それは、殺人鬼に待ち伏せされていた時に……」

 オキシはロゲンハイドには、あの時のことを掻い摘んで話すことにした。アーゴンが血液を吸ったところ、体調不良で寝込んでいたことを。


「オキィシの血で、体調不良で寝込んだって?」

「そう言っていた。だから、僕の血液には毒があるのかなって思って」

 そう思って小動物(ネズミ)を使って経過を見た。そうしたらアーゴンの言った通り、ネズミは体調不良を起こしたり、あまつさえ死んでしまうものまでいたのだ。


「でも、僕の血液には毒はないんでしょう?」

「うん。何も危険はない。何も感じなかったよ」

 ロゲンハイドがオキシの血液を検分しても危険は見つからなかったのだ。何よりも危険に敏感な精霊が言うのだから、それは間違いはないだろう。


「僕の方で『見て』(しらべて)みても、おかしなところはないんだよなぁ」

 オキシは己の血液を観察するが、赤血球や白血球を始め、様々なものが浮遊している、ごく普通の赤い血液であった。怪しいものは何も見つからなかった。

 この中に血液の中に、ネズミを死に至らしめる原因があるのだろうか。血漿に含まれている蛋白かミネラルか、はたまた血球成分か、この中に含まれている何れかの成分が、この世界の生物たちに対し、魔物の毒と同じような中毒性を起こしてしまうのだろうか。


 実は毒というものは、ただ体内に入っただけでは効果を発揮することは、ほとんどない。あの有名なシアン化カリウム(青酸カリ)も実は口に含んだだけでは毒性を発揮しないと言われている。胃酸と反応しシアン化水素となって肺から血中にはいり体内をめぐることで、細胞内を低酸素状態にし細胞を壊死させる毒となるのだ。もし、胃酸が出ない無酸症の人物であったなら、青酸カリは反応せず、中毒死する可能性はぐっと低くなることも知られている。

 このようなことがあるため、地球人にとっては何ともない物質でも、異世界の住人には何らかの形で毒物になってしまう可能性も無きにしもあらずなのだ。


「僕の血液の何が、死に至らしめる原因なんだろう? あの微生物()らを使って実験してみれば、何か分かるかな」

 困った時は微生物頼み。とにかく、微生物に仕事をさせてみる。

 今回使うのは、屍骸に住んでいる微生物たち。屍骸と共に生きる彼らならば、何か面白い発見があるかもしれない。そう思ったオキシは、ネズミの屍骸から見つけた微生物の一部を使い実験をすることにした。


 オキシは、ネズミの死骸に付いていた微生物たちの中に、己の血液に投入した。この微生物は屍骸を好む性質を持っているものの中でも、特に血液中で発見できる種類だ。血液中で活動する彼らならば、何かヒントをくれるかもしれないと思ったのだ。


 観察を続けていくと、最終的には微生物たちは全滅してしまった。もちろん血中の環境が合わずに死んでしまったのではない。彼らが全滅した理由、それは至極単純で明快、ただ単に生存競争に負けてしまったためである。


「あはは、白血球が微生物を食べてしまっているよ。元気だねぇ、白血球」

 白血球たちは食らうのだ、非自己物質である微生物たちを。

 驚くことに白血球はオキシの体外に出ても生き長らえていたのである。

 本来の体内から離れても機能が失われないのは驚きであったが、神に願った能力の影響だろうか、オキシの一部である白血球も多少強化されていると思われる現象が起きていたのだ。


「白血球が他の微生物をねぇ……相手の細胞を攻撃してしまうなんて、白血球が凶悪な病原菌みたいじゃないか」

 白血球たちは、己が他生物の中に入ったことも知らず、目の前に立ちはだかる非自己物質たちを侵入者であると勘違いし、律義に任務を遂行しているのだ。

 白血球が侵入先の細胞組織を食い破壊するために、まるで病原菌を取り込んだときのように体調を崩している、とオキシは推察する。

 しかも白血球は単なる細胞、毒素を作らないので、血液の中に毒を見つけようとしていたロゲンハイドが分からなかったのも無理はない。加え、ロゲンハイドのほとんどは水である。白血球はロゲンハイドを単なる水であると認識し、体内を攻撃するといったことを起こさなかったのだろう。もしも何か行動を起こしていたのなら、違和感を覚え、異なった結果を得られた可能性はある。


 生物を死に追いやったのは毒という物質の効果によってではなく、白血球という細胞が生物の体内の大切な微生物や細胞などを食べていただけ。独立した単細胞生物のように動き回る白血球は、たちの悪い病原菌のようである。

 だが、白血球は強くはあっても不死身ではなかった。本体であるオキシから離れたせいで最強ともいえる耐性の効果が弱まっていくのか、それとも寿命には勝てないということなのかはわからないが、数日程で死んでしまうのだ。

 白血球は骨髄で作られ生まれてくる細胞なので、切り離された血中にあっては数量が増えることはない。血液を摂取してしまっても、白血球らが弱る数日間、攻撃を乗り切ることができれば、体内で新たに作られた免疫細胞によって白血球が駆除できるようになる。そして、やがて体調も病気と同じように快調に向かうことだろう。


(起こっていることだけを見れば、僕の血液は毒といって良いほど、危険な部類ではあるけれど)

 確かに血液は摂取すると最悪死に至る危険はあるが、血液を大量に与える場面など皆無。それに少量であるならば、彼らに備わる免疫の働きで排除され、身体には特に問題はない可能性が高い。血液を少量しか与えていないネズミが元気に生きていたことからも、それは裏付けられそうだ。普通に過ごしている分には、誰にも影響は出ないだろう。その点では安心である。


「もしかして魔物の毒に中る(あたる)というのは、毒のせいではなく魔物に寄生している何らかの微生物が体内で暴れるせいだったりして? でも、魔物毒が体調不良を起させるような性質がある物質の可能性も捨てきれないし」

 魔物の種類によって持っている毒は異なっているというが、そのいずれもヒトに悪影響を及ぼしている。魔物中毒症の時、体内で何が起こっているのか、実際に調べてみないことには分からないが、毒のせいにしろ、微生物の直接攻撃のせいにしろ、命にかかわる破壊が行われていることだけは確かだろう。


「それを調べるには魔物から取れたサンプルの数も種類が少な過ぎる……」

 オキシが持っているのは魔物のほんの少しの残骸。それだけの情報では、どうしても限られてしまう。もっと多くの魔物の部位を観察しなくては、その中毒症の原因が何にあるかは分からない。


「原因はどうであれ……体調不良(びょうき)になるのは怖いね」

 細胞組織が破死し免疫機能がうまく機能しなくなるということが、どのようなことなのか知識と経験で分かっているだけに、それに感染した時のことが容易に想像がつく。


「そうだよ、やっと分かってくれた?」

「心が踊るほど、最高に素敵だよ」

 微生物が営んだ結果であるのならば、それがたとえ命に関わるような恐ろしいものであったとしても、それは非常に愛おしいものである。


「……やっぱり分かっていないのかも」

 怖いねと言いながら、まったく恐れた様子を見せていないオキシにロゲンハイドは呆れかえるしかなかった。



「とにかく今回の実験で、僕の知りたかったことは分かったので良しとしよう」

 確実なものとして語るには、この実験だけではまだまだ不十分であるが、普通に生活している分には、ほとんど問題はないだろう。少なくとも自分の血液が及ぼす影響を知ることができたので、オキシはおおむね満足であった。それに自分の血を使っての実験は痛いので、これきりにしたかったというのも大きい。


「おいらは、やっぱり何がなんだかなんだけれど……」

 どうして毒のないオキシの血液でネズミが死ぬことになったのか、ロゲンハイドは分からなかった。

「じゃあ、今からゆっくりじっくり説明するよ。免疫機能のことを話すついでに……食うか食われるかの世界、寄生生物と宿主(しゅくしゅ)のすばらしい攻防と共進化について、講義しよう」

 オキシは満面の笑みを浮かべる。ロゲンハイドは、その中に微かに漂う得たいのしれない不穏な危険信号(さむけ)を感じ取り、身震いをした。



「……寄生生物は宿主の栄養を搾取し、時に死に至らしめるだけではなくて、行動までも操ってしまうものもいるんだ。有名どころでは、昆虫に寄生するカビかな。カビが昆虫の体を乗っ取り、己の過ごしやすい温度と湿度の環境まで移動させてる。気に入った場所に着くと、昆虫の後頭部あたりからカビが生えてきて、胞子をまきちらすんだ。そして、再び昆虫に感染するといったようなことを繰り返していく……」

 すでに数刻、オキシは微生物の絵を描き記しながら、微小世界で行われている闘争について語り続けている。


「うぅ、冬虫夏草(カビ)怖い。おいら、何物にも寄生されない、最強の免疫力が欲しいよ。生物に取り憑くカビやキノコって、やっぱり魔物の一種といっていいと、おいらはそう思う」

 まるで魔物のような性質を持つ生物の話は、魔物嫌いなロゲンハイドには少し刺激が強かった。

「カビやキノコが魔物ぽいかぁ。生物に憑くという『魔』が寄生性の微生物の一種というのなら……塵となって消え去る一つ一つが微生物の胞子(こども)のようなものだとしたら、魔物は素敵だね。考えるだけで、わくわくするよ。……そういえば『ミジンコもどき』は胞子を撒くときに破裂するし、魔物も似た性質を持つのならば。もしかすると『魔』が動物に憑くというのは……あぁ、この仮説が正しいか、確かめたい。是非とも魔物が欲しい」

「ひぃぃぃ」

 魔物を飼いたいと言い出すオキシに、ロゲンハイドは悲鳴を上げるのだった。


(魔物の生態……魔物が多くいるのはウェンウェンウェム地方。あとで少し調べてみるか)

 オキシは記録用の本の「調べることメモ」の頁にそっと書き記す。恐慌状態だったロゲンハイドは、オキシがウェンウェンウェム地方に行きたいと言い出す兆候に気がつかなかった。

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