違法薬師の叙事詩
久しぶりの短編になります。
楽しんでいただけましたら幸いです。
薬と毒の違いは何か――
答えは簡単だ。
毎月十日は、調合した薬を薬師ギルドへ納める日だ。
その日も、いつも通り納品して帰るはずだった。
「――というわけで、ベラドを採ってきてもらえない?」
「ベラドですか?」
受付で渡された依頼書に目を落とす。
採取対象――ベラド。
根には人を殺せるほどの毒があるが、適切に扱えば鎮痛薬にもなる、ごく一般的な薬草だ。
「診療所から連絡があったの。鎮痛薬に使う分が足りないそうよ」
「ギルドの在庫は?」
「今朝渡した分で最後」
「採取に向かっている人は?」
「残念ながら」
診療所からわざわざ薬師ギルドへ依頼が来たということは、すでに手持ちで凌げる量ではなくなっているのだろう。
「ベラドは北の森、第三採取区でしたね」
ベラド自体は珍しくない。
問題は、その少し先が青銀狼の生息域だということだ。
大型の狼で、一頭でも危険。
しかも群れで行動し、縄張り意識も強い。
「だから護衛も用意したから」
「……え?」
「冒険者ギルドに依頼済み。三人来るわ」
「必要ですか?」
「必要です」
即答されてしまった。
「第三採取区は生息域の外ですよ」
「近いことには変わらないでしょう。それに最近、森で獣の目撃が増えてるの」
「護衛代を差し引いたら、勿体ないんですけど」
「薬師ギルドからの依頼で薬師に何かあったら困るの」
「…………」
なるほど。
反論できないほど正しい。
「分かりました」
私は依頼書に慣れた手つきで署名した。
プラネリア・グラン――
◇◇◇
翌朝。
村の入口で待っていると、三人の冒険者がやってきた。
剣士が二人と、弓使いが一人。
「あんたが薬師のプラネリア・グランか?」
「ええ」
「今日の護衛を請けた。よろしくな」
差し出された手をニッコリと笑って握る。
「こちらこそお願いします」
「念のため確認しますが、第三採取区から北には入りません」
「ああ、聞いてる。青銀狼だろ?」
剣士の一人が笑った。
「俺たちだって近づきたくねえよ」
「なら大丈夫ですね」
「薬草採って帰るだけだろ。楽な仕事だ」
もう一人の男も笑う。
弓使いの男性だけが呆れたように、
「そういうこと言ってると何か起きるぞ」
と二人を窘めた。
私は少し笑った。
森へ入ってからも、三人は獣の痕跡を確認し、先に周囲を調べてくれた。
口調こそ軽いが、護衛として不満はなかった。
「それがベラドか?」
弓使いの男性が私の手元を覗き込んだ。
「これは違います。ベラドは葉脈が黒く、葉の裏が紫色なんです」
「へえ。そんなに違うものなのか」
「ベラドは生で食べれば、量によっては死にますよ」
三人が揃って私を見る。
「……そんなもの採りに来たのかよ」
「薬になりますから」
「毒だろ?」
「でも一般的な鎮痛剤ですから。薬と毒を完全に分けて考える方が、薬師には難しいかもしれませんね」
「薬師って怖えな」
そんな話をしながら歩いているうちに、第三採取区へ到着した。
ほどなくして目的のものを見つける。
「あった」
木陰にベラドが群生していた。
黒みを帯びた葉の裏には、特徴的な紫色が覗いている。
「ここで採ります。一刻もかかりませんから」
三人が周囲を確認するのを待ってから、私は採取を始めた。
葉を確認する。
根を傷めないよう土を払い、採ったものからリュックへ収めていく。
しばらくすると、後ろから欠伸が聞こえてきた。
「暇だなあ」
「護衛なんだから暇な方がいいだろうが」
弓使いの男性が言った。
「分かってるよ」
剣士の一人が答える。
それから少しして。
「お」
男が声を上げた。
「どうした?」
「ウサギ」
顔を上げる。
少し離れた茂みの前に、小さな野ウサギがいた。
こちらを見ている。
「今日の晩飯にちょうどいいな」
男が立ち上がった。
ウサギが跳ねると、男はその後を追った。
「おい」
もう一人の剣士が声をかけた。
「そっちは北だぞ」
「分かってる」
男は振り返りもしない。
「すぐ戻るって」
その姿が木々の向こうへ消えた。
私は手を止めた。
「いいんですか?」
「大丈夫だろ。境界まではまだ少しある」
そう言われて地図を思い出す。
それに彼は冒険者だ。
森については、私より詳しい。
「……そうですか」
私は再びベラドへ手を伸ばした。
あと三株。
二株。
これを採ったら帰ろう。
そう考えていたときだった。
鳥が一斉に飛び立った。
顔を上げる。
「何だ?」
弓使いの男性が立ち上がっていた。
森の奥から、枝を踏み折りながら何かが走ってくる。
やがて木々の間から、先ほどの男が飛び出した。
ウサギはいない。
顔は真っ青だった。
「逃げろ!」
男が叫んだ。
「どうした!」
「いた!」
「何が!」
男は一度だけ後ろを振り返った。
「青銀狼だ!群れでいる!」
次の瞬間、茂みを突き破って青銀狼が飛び出した。
一頭どころではない。三頭、四頭――さらにその後ろからも続いてくる。
先頭の一頭が地面を蹴った。
「逃げろ!」
誰かが叫ぶより早く、全員が走り出した。
私も三人の後を追う。
けれど私は薬師であって、冒険者ではない。
三人と同じ速さで走れるはずもなく、みるみる距離が開いていく。
「……!」
ウサギを追っていた男が振り返った。
私を見た。
その後ろ――迫る青銀狼へ視線をやった、ように見えた。
青銀狼の牙が迫っていた。
腕を掴まれた。
助けてくれる――そう思った。
身体が後ろへ引かれた。
「え?」
背中から地面へ叩きつけられる。
男は私を置いて走った。
「何してる!」
「全員死ぬよりマシだ!」
「依頼人だぞ!」
言い争う声が遠ざかる。
振り返った。
青銀狼が、すぐそこにいた。
「冗談じゃないわ……!」
死んでたまるか。
三人とは別方向へ走った。
枝が頬を打つ。
背後の足音は離れない。
もっと速く。
速く。速く。速く――
そう思って踏み出した足が、空を切った。
「え?」
崖だった。
斜面を転がり落ち、全身を何度も打ちつける。
ようやく止まった瞬間、右足に激痛が走った。
「っ……!」
上から青銀狼の遠吠えが聞こえる。
逃げられない。
何かないかと周囲を見回して――。
「……?」
岩陰で、一本の蔓に実った小指の爪ほどの果実が、紫色に輝いていた。
「まさか……タム?」
薬師なら誰でも図鑑で目にする。
けれど、現存するのかさえ疑われている幻の果実。
「本当に、あったんだ……」
上から、唸り声がした。
――このままなら、食われる。
たとえ猛毒でも、何もしないよりはましだ。
私はタムを摘み取り、口へ放り込んだ。
噛み潰す。苦い。
次の瞬間、舌が痺れた。喉が焼ける。
――とても強い毒。
喉を焼く熱に、思わず目を固く閉じた。
その瞼の裏に、見たこともない半透明の板が浮かび上がった。
《状態異常【タム毒】を獲得しますか?》
[YES] [NO]
「…………は?」
何、これ。
考える時間などなかった。
背後で、獣の唸り声がした。
――YES。
そう念じた瞬間、文字が切り替わった。
《状態異常【タム毒】を獲得しました》
そこで、私の意識は途切れた。
◇◇◇
嗅ぎなれた薬草の匂いがした。
「……ん」
目を開けると、見覚えのある天井があった。
「お。気がついたか」
診療所の先生が、ベッドの脇に立っていた。
起き上がろうとして、右足に痛みが走る。
「っ……」
「こらまだ。動くな」
そこで、記憶が一気に戻ってきた。
「捻挫と打撲。幸い骨は折れていない」
先生の声が遠くに感じる。
森。
青銀狼。
崖。
そして――。
タム……
「どうした?」
「いえ……」
口の中に、まだあの苦味が残っているような気がした。
「私、どうやってここに?」
「冒険者が運んできた」
「あの三人が?」
「いや」
先生は首を振った。
「救助に向かった別の冒険者だ。お前が目を覚ましたら話を聞きたいと言っていたぞ」
「救助……?」
「三人が冒険者ギルドへ駆け込んだんだ。青銀狼の群れに襲われ、依頼人と森ではぐれたとな」
はぐれた?
随分と都合のいい言い方だ。
「……」
「それより、お前――」
先生が僅かに眉を寄せる。
その時、診療所の扉が叩かれた。
「先生、入っていいか?」
「ちょうどいい。今、目を覚ましたぞ」
入ってきたのは、見覚えのない男だった。
「あなたは……?」
「セレイヴ。森からあんたを運んだのは俺だ」
「ありがとうございました」
「礼はいい。それより聞きたいことがある」
セレイヴは椅子を引き寄せると、私をまっすぐ見た。
「あそこで、何をした?」
「……何を?」
「覚えてないのか?」
「崖から落ちて……そこからは」
セレイヴは少し黙った。
「あんたを見つけたとき、青銀狼もいた」
身体が強張る。
「青銀狼……」
「群れ全部だ」
「…………」
「全部、倒れてた」
意味が分からなかった。
「倒れていた?」
「ああ。傷らしい傷もなくな。全て死んでいた」
彼はそこで一度言葉を切った。
「その真ん中で、あんただけが生きてた」
「……そんな」
青銀狼の群れを、私が?
あり得ない。
けれど――。
タム。
あの毒が、何か関係している?
「それなんだが」
先生が口を挟んだ。
「お前の身体からは毒の症状が出ていた」
「……え?」
「かなり強い毒だ」
「……毒」
思わず自分の手を見る。
「何の毒かは分からん。ただ、運び込まれたときは呼吸も浅かった。普通なら、今こうして話せている状態じゃない」
「どれくらい経っています?」
「お前が運び込まれてから三日たつ」
「三日も……?」
「解毒薬は使っていない」
「え?何故……」
「使おうにも、勝手に回復していったんだ。今は毒の痕跡すらない」
私は自分の脈を取った。
少し速い。
けれど意識は明瞭で、舌の痺れも喉の熱も消えている。
あれほど強烈な毒だったのに。
「毒か」
セレイヴが口を挟んだ。
「倒れてた青銀狼は全て毒による死亡だった」
私は黙った。
タム。
やっぱり、あれしか考えられない。
でも、私は食べただけだ。
私が毒に侵されるのは分かる。
どうして青銀狼まで?
そう考え目を閉じた瞬間だった。
あの半透明の板が浮かび上がった。
《状態異常【タム毒】》
「……!」
「どうした?」
「いえ、何でも」
セレイヴと先生には見えていない。
私にだけ見えている?
再び顔を伏せ、目を閉じる。
瞼の裏に浮かぶ板を見つめた。
すると、文字が切り替わった。
《HELPを表示しますか?》
[YES] [NO]
――YES。
《状態異常付与》
《獲得した状態異常を対象へ付与できます》
《補足》
《初回取得時、マスターの生命維持を目的として代理実行されました》
「…………」
ちょっと待って。
何、それ。
「本当に大丈夫か?」
彼が怪訝そうに私を見る。
「……たぶん」
「たぶん?」
今はそうとしか言えなかった。
◇◇◇
三日も眠っていたせいで、私が思っていた以上に話は進んでいた。
診療所を出て、まず薬師ギルドへ向かった。
右足はまだ痛む。
先生からは安静にしていろと言われたけれど、そうも言っていられない。
薬師ギルドの扉を開ける。
「プラネリア!」
受付にいた女性が、私を見るなり立ち上がった。
「よかった……!目を覚ましたのね」
「ご心配をおかけしました」
「本当にもう大丈夫なの?」
「捻挫と打撲だけです。しばらく無理はできませんけど」
「そう……」
ほっとしたように息を吐いた彼女が、少しだけ言いにくそうな顔をした。
「でも、どうして北へなんて行ったの?」
「……北?」
何の話だろう。
「第三採取区より先には行っていませんよ」
「え?」
今度は彼女が驚いた。
嫌な予感がした。
「誰から、そう聞いたんですか?」
「護衛の冒険者たちよ。あなたが珍しい薬草を見つけて、制止を聞かずに北へ入ったって」
「…………」
「三人で追いかけたけど、その途中で青銀狼の群れに遭遇した。それで逃げているうちに、あなたとはぐれたって」
思わず笑いそうになった。
随分と話が変わっている。
「違います」
私は森で起きたことを、最初から説明した。
野ウサギ。
北へ向かった剣士。
戻ってきた彼を追って現れた青銀狼。
そして最後に――。
「私は、その人に腕を掴まれました」
「助けてもらったんじゃなくて?」
「逆です」
今でも覚えている。
腕を掴まれた瞬間、助けてもらえると思った。
「青銀狼の前に投げ出されました。囮として」
受付の女性が絶句した。
「そんな……」
「弓使いの人は止めていました。『依頼人だぞ』って」
そこは、間違えたくなかった。
悪いのは三人全員ではない。
少なくとも、あの人は止めようとした。
「冒険者ギルドには?」
「三人の証言が提出されてるわ。でも……」
彼女が言葉を濁した。
分かっている。
三日。
私が眠っていた間に、三人は何度でも自分たちの話をすることができた。
一方の私は、今になって違うと言い出した人間だ。
「分かりました」
「プラネリア、私からも――」
「大丈夫です」
そう答えて、薬師ギルドを出た。
大丈夫。
◇◇◇
「だから、俺は止めたんだって!」
私の腕を掴んだ、あの冒険者の声だった。
思わず足を止める。
酒場の開け放たれた窓から、男たちの笑い声が聞こえていた。
「薬草見つけた途端、急に走り出しやがってさ」
「それで青銀狼の縄張りに?」
「そうそう。こっちは護衛だってのに、言うこと聞きゃしねえ」
覗くまでもなかった。
誰が話しているのか分かる。
それでもフードをかぶり、そっと入り口から中を見る。
いた。
あの日。
野ウサギを追った男が、酒杯を片手に笑っていた。
「それで俺たちまで死にかけたんだぜ?」
「災難だったな」
「まったくだ」
笑い声が上がる。
弓使いの男は笑っていなかった。
ただ黙って酒を飲んでいる。
「お前も見ただろ?」
話を振られて、弓使いの男が顔を上げた。
「俺は知らん」
「あ?」
「少なくとも、あの薬師が北へ行ったところは見てない」
「おいおい」
「それだけだ」
再び酒杯に口をつける。
私は窓から離れた。
彼らは勘違いしているわけではない。
自分たちが助かるために、私が原因だったことにした。
その話を三日間、広めていた。
それだけ分かれば十分だ。
◇◇◇
三日後。
私は再び、あの酒場の前に立っていた。
日が落ちたばかりだというのに、中からは賑やかな声が聞こえてくる。
フードを深く被り、扉を開けた。
店内を見回す。
いた。
三日前と同じ場所。
三人とも揃っている。
「だからよ、俺があそこで――」
聞き覚えのある声が響いていた。
私の腕を掴んだ男だ。
随分と楽しそうだった。
私は顔を伏せたまま、彼らの席へ近づいた。
《獲得した状態異常を対象へ付与できます》
だから近づく必要がある。
それだけだ。
男たちの席の横を通る。
一歩。
二歩。
三歩。
視界の端に文字が浮かんだ。
《対象を指定してください》
私は、あの日のことを思い出した。
野ウサギを追いかけた男。
青銀狼を連れて戻ってきた男。
そして――。
私の腕を掴んだ男。
《対象を指定しました》
続いて、獲得した状態異常が並ぶ。
【麻痺】
【睡眠】
【眩暈】
【嘔吐】
――――。
私は【麻痺】を選んだ。
《状態異常【麻痺】を付与しますか?》
[YES] [NO]
――YES。
さらに文字が現れる。
《期間を設定してください》
一刻。
一日。
三日。
七日。
三十日。
そして。
【永続】
足が止まりかけた。
永続。
それが何を意味するのかくらい、分かる。
この人は剣士だ。
剣を振り、走り、魔物と戦う。
そうして金を稼いで生きている。
身体が動かなければ、剣士として前線に立つことはできない。
私は、最後の文字を見つめた。
殺すわけじゃない。
でも。
この人から、冒険者として生きる道を奪うことになる。
「…………」
あの日。
腕を掴まれた。
助けてくれるのだと思った。
違った。
私が生きるか死ぬかなんて、あの人にはどうでもよかった。
自分が逃げるために。
私を青銀狼の前へ置いていった。
そして今度は、自分たちが責任を問われないように。
私が勝手に北へ入ったことにした。
三日間。
私が目を覚ますことも知らずに。
好き勝手に。
「…………」
――YES。
《状態異常【麻痺/永続】を付与しました》
それだけだった。
光ったりもしない。
音もしない。
男も気づいていない。
私はそのまま歩いた。
もう一人の剣士の横を通る。
この人は、野ウサギを追ってはいない。
私を囮にもしていない。
けれど。
嘘には乗った。
私が北へ行ったことにした。
なら。
《状態異常【眩暈】》
《期間を設定してください》
私は少し考えた。
――三十日。
《状態異常【眩暈/三十日】を付与しました》
最後。
弓使いの男。
私は一瞬だけ、彼を見た。
『依頼人だぞ!』
あのとき。
私を投げ出した男に、そう叫んだ。
そして三日前も。
『少なくとも、あの薬師が北へ行ったところは見てない』
私には、それで十分だった。
何もしない。
私は三人の横を通り過ぎた。
「――あ?」
背後で声がした。
振り返らない。
「おい、どうした?」
椅子が倒れる。
「…手」
「は?」
「手が……」
男の声から、酔いが消えた。
「動かねえ」
ざわり、と酒場の空気が変わる。
「何言って――うわっ!」
もう一つ。
椅子の倒れる音。
「俺も……なんだか目が回って……!」
「おい!誰か!医者を呼べ!」
弓使いの男の声だった。
私は酒場の扉を開けた。
外へ出る。
冷たい夜風が頬を撫でた。
後ろでは、まだ騒ぎが続いている。
私は一度も振り返らなかった。
殺してはいない。
命を奪ってもいない。
分かっていて、やった。
薬と毒の違いは何か。
使い方と、量。
私はフードを外した。
そのまま暗い夜道を歩いた。
◇◇◇
翌朝。
薬師ギルドから呼び出しがあった。
昨日のことが露見したのか。
一瞬そう思ったけれど、それなら呼び出すのは薬師ギルドではないだろう。
受付へ行くと、いつもの女性が待っていた。
その隣には、見覚えのない男性とセレイヴがいる。
男性は胸元の徽章から、冒険者ギルドの職員だと分かった。
「プラネリア・グランさんですね」
「はい」
「北の森で発生した青銀狼の件について、改めてお話を伺いたい」
「分かりました」
勧められた椅子に座る。
「先日、薬師ギルドを通していただいた証言について確認しました」
男は机の上に書類を置いた。
「結論から申し上げます。あなたの証言と、護衛三名から提出された当初の報告には、大きな食い違いがありました」
当然だ。
「弓使いの冒険者から、改めて事情を聴いています」
私は顔を上げた。
「彼は、あなたが北へ入ったところを見ていないと証言しました。それどころか、北へ向かったのは剣士の一人だった、と」
やっぱり。
「野ウサギを追ったことも?」
「認めています」
職員の表情が険しくなる。
「さらに、青銀狼から逃走する際、護衛対象であるあなたが故意に置き去りにされたことについても証言がありました」
「……そうですか」
「冒険者ギルドとしては、重大な契約違反と判断しています」
それを聞いても、不思議と何も感じなかった。
昨日なら。
いや。
三日前なら、違ったのかもしれない。
「該当者には処分を行います。薬師ギルドにも正式に訂正した報告書を提出します」
「分かりました」
「それと――」
職員が妙な顔をした。
「その二人なんですが」
「はい」
「昨夜、突然身体に状態異常が出まして」
私は瞬きをした。
「状態異常?」
「一人は特に重い。医者にも原因が分からないそうです」
「それは……」
私は少し考えた。
「大変ですね」
「ええ。冒険者にとって身体が動かないというのは致命的ですから」
「そうですね」
薬師だから。
それくらいは、よく分かっている。
――そして。
あの二人に何が起きたのかも。
もちろん、知っている。
私は視線を落とした。
四日前。
酒場で彼らの話を聞いたあと、私はまっすぐ店へ戻った。
薬棚に所狭しと並んだ薬草を見上げた。
「…………」
《獲得した状態異常を対象へ付与できます》
診療所で見た文字を思い出す。
獲得した状態異常。
私は薬師だ。
「……試してみようか」
棚から一つの瓶を取り出した。
薬として使う量なら、麻痺は起こらない。
けれど量を増やせば、麻痺が出る。
タム毒は、三日で消えた。
他の毒でも同じなのか。
そして――状態異常として獲得できるのか。
確かめる価値はある。
私は症状が出る量を量った。
薬師だからこそ分かる。
薬が毒へ変わる、その境界を。
躊躇いもなく口へ入れた。
しばらく待っていると、瞼の裏に文字が浮かんだ。
《状態異常【麻痺】を獲得しますか?》
[YES] [NO]
(やっぱり)
――YES。
《状態異常【麻痺】を獲得しました》
私は次の薬草を取った。
《状態異常【睡眠】を獲得しますか?》
――YES。
次。
《状態異常【眩暈】を獲得しますか?》
――YES。
次。
《状態異常【嘔吐】を獲得しますか?》
――YES。
次。
次。
次。
普通なら身体は酷いことになっているはずだ。
けれど不思議なことに、獲得した状態異常はタム毒と同じように、遥かに早く消えていった。
だから、また次を試せる。
私は薬棚にあるものを、全て試していった。
そして三日後。
私の前には、空になった薬瓶と――。
いくつもの《状態異常》が残った。
《状態異常の獲得数が規定値に達しました》
《状態異常付与に【期間設定】が追加されます》
◇◇◇
「――グランさん?」
名前を呼ばれて、目を開けた。
冒険者ギルドの職員が、不思議そうにこちらを見ている。
「すみません。少し考え事を」
「いえ。話を戻しますが」
職員は手元の書類へ視線を落とした。
「今回の件について、冒険者ギルドでは護衛依頼の重大な契約違反があったと判断しました」
私は黙って続きを待つ。
「特に、青銀狼の生息域へ不用意に接近したこと。そして、依頼人であるあなたを故意に危険へ晒した行為については看過できません」
「はい」
「二名については、処分が決定するまで冒険者としての活動を停止します。また、あなたが無断で北へ向かったという当初の報告についても撤回し、訂正します」
「分かりました」
それで終わりだった。
私の名前についた傷は訂正される。
あの二人も、冒険者ギルドから処分を受ける。
本来なら。
私はそれを待てばよかったのだ。
「…………」
でも、待たなかった。
後悔しているかと聞かれたら――。
分からない。
少なくとも今は。
「では、こちらからは以上です」
職員が書類をまとめ、席を立つ。
「このたびは、こちらの冒険者がご迷惑をおかけしました」
深く頭を下げられた。
「いえ」
職員が部屋を出ていく。
受付の女性も仕事へ戻り、残ったのは私と――。
「で」
壁際に立っていたセレイヴが口を開いた。
「あんた、これからどうするんだ?」
「これから?」
「悪評の方は訂正される。あの二人も処分される。それで、あんたは?」
「…………」
答えられなかった。
少し前までなら、薬師として店に戻るだけだった。
毎月十日に薬を納め、頼まれれば薬草を採りに行く。
それで何も困らなかった。
でも今は。
私の中には、あの森へ行く前にはなかったものがある。
【麻痺】
【睡眠】
【眩暈】
【嘔吐】
そして――【タム毒】
「……まだ、分かりません」
そう答えて、薬師ギルドを出た。
その瞬間だった。
「誰か! 手を貸してくれ!」
大通りの向こうから悲鳴が上がった。
荷馬車が横倒しになっていた。
車輪が外れ、積み荷が道いっぱいに散乱している。
その下に、一人の男性が挟まれていた。
「動かすな!」
駆け寄ってきたセレイヴが叫ぶ。
「脚が挟まれてる!無理に動かすな!医者を呼べ!」
男性は顔を真っ青にして呻いていた。
私も駆け寄る。
医者ではない私に、治療はできない。
でも。
男性の顔を見る。
額には脂汗が浮かび、唇が震えている。
痛みが強すぎる。
「…………」
【麻痺】
視界の端に文字が浮かんだ。
麻痺は感覚を鈍らせる。
昨日は、人を動けなくするために使った。
なら。
(少しだけなら)
怪我を治すことはできない。
でも、医者が来るまでの苦痛を和らげることはできるかもしれない。
《状態異常【麻痺】を付与しますか?》
――YES。
《期間を設定してください》
私は最も短い時間を選んだ。
「……あれ?」
「どうしました?」
「痛みが……さっきより……」
よかった。
「動かないでください。先生が来るまで、そのままで」
「あ、ああ……」
私は男性の傍らにしゃがんだまま、医者を待った。
【麻痺】
昨夜。
私は同じものを、人を苦しめるために使った。
今は、人の苦しみを減らすために使った。
同じ状態異常なのに。
「…………」
薬と毒の違いは、使い方と量。
だったら――
私は、自分の手を見つめた。
私はまだ、この力のことを何も知らない。
◇◇◇
「プラネリア・グラン」
突如声をかけられて、フードの中の私はビクッと身体を揺らした。
振り返る。
「……セレイヴさん」
「やっぱり来たな」
村の門。
背中には、いつもの薬草採取よりずっと大きなリュック。
見つからない方がおかしいか。
「どこへ行くんだ?」
「決めてません」
「は?」
「とりあえず、この村の外へ」
「あんな事があったからか?」
「それも、あります」
ギルドが正式に訂正してくれたあとも、私を白い目で見る人はいた。
何より、あの二人には原因不明の状態異常が残っている。
私自身、少し居づらくなっていた。
でも。
それだけじゃない。
私はそっと両手を見る。
この力。
人を苦しめることもできた。
苦しみを和らげることもできた。
「もっと、知りたくなったんです」
「何を?」
「薬師として……薬と、毒を」
セレイヴからの視線を感じる。
「なら途中まで一緒に行く」
「護衛なら結構ですよ」
「……根に持ってるな」
「当然でしょう」
「その大荷物だと数日ももたないと思うぞ」
「……」
「いいから貸せ」
「セレイヴさん!」
「それと、『さん』はいらない。セレイヴでいい」
「……それなら、私のことはネリアって呼んでください」
「ネリア?」
「はい。家族には、ネリアって呼ばれてたんです」
「分かった。じゃあネリア。行くか」
「はい!」
私は一度だけ振り返った。
ずっと暮らしてきた村。
薬師として働き、薬を作り、それだけで十分だと思っていた場所。
そして、前を向く。
世界には、私の知らない薬も、毒も、きっとまだ沢山ある。
それが人を救うのか。
それとも、害するのか。
まだ分からない。
だから――知りに行こう。
私はネリアとして、村の外へ一歩を踏み出した。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
久しぶりの短編でした。
楽しんでいただけましたら、評価やご感想をいただけると嬉しいです。




