今世のわたくしは猫
にゃーん。猫です。具体的には雑種の黒猫です。
瞳はたぶん金色です。だって黒猫といえばそうでしょう? 確かめたことがないので、正確なところはちょっとわからないです。
ちなみに鏡を見たことはあると思います。でもスルーしたんだと思います。そんなものは人間が使うものですから、猫には必要ありません。
スルーしているくせに鏡という存在は知っているのか。どこかからそんな声が聞こえてきます。はい、知っています。
わたくし、こう見えて前前前世は人間でした。前前世は小鳥です。空を飛ぶのはなかなか良いものでした。前世は犬です。ちなみにわたくしはどちらかというと猫派です。
何にせよ、今のわたくしは猫。具体的には雑種の黒猫です。
寒い時期に車の上でお昼寝するのが好きです。
車の下はいけません。運が悪いと轢かれてしまいます。人様の車のボンネットをお借りするのですから、もちろん爪には気をつけます。足跡が付くのはご愛嬌。歩いているとどうしても汚れてしまうのです。
にゃん。と愛を込めて甘えれば、意外と多くの人間が許してくれます。……大抵、そっと地面に下ろされて、「ごめんね」と優しく手を振られてしまいますが。
人間のときはこんなに上手くはいかなかったのに、わたくしが猫になった途端に優しくしてもらえる。世知辛い世の中です。
いくらもふもふな毛に包まれているとはいえ、雪がちらつく日はさすがに寒いです。幸い太陽は顔を出しています。
おお、この車はいいですね。わたくしと同じ黒色は日の光を集めやすいですから。右見て、左見て。問題はなさそうですね。あそこのオブジェからちょうど飛び乗ることができそうです。
にゃんっ。
大成功です。しばらくの間、ボンネットをお借りします。
いやはや、暖かいというのは大切ですね。冬に咲く赤い薔薇たちを飾るようにして舞う純白の雪。とても絵になります。何だか今日は良い夢を見ることができそうです。
……おや、つい眠ってしまっていました。なんだか懐かしい夢を見ていたような気がします。申し訳ないです、あまりにも心地よかったもので。実家のような安心感とでも言いましょうか。久々によく眠れました。
それで、あなたはこの車の持ち主なのでしょうか。ばっちり目が合いましたね。にゃんですか、喧嘩ですか。なんて冗談に決まっていますよ。
一応言いますが、その辺にいる野生の猫と目を合わせるのはおすすめしません。
逃げられるか、喧嘩が始まるか。この二択になるでしょう。猫から嫌われたという悲しき実績を作りたくなければ、やめておくのが無難です。
しかしあなた、執事服がよく似合っていますね。どこか懐かしさすら感じます。わたくしも執事服を着ていた時代がありましたから。今は猫ですが。
そう、ちょうどあれば主人様と初めてお会いしたとき、わたくしが人間だったときです。わたくしはそのとき初めて執事服を着たのです。
主人様はまだ幼く、やっと一人で歩けるようになったころでしたか。それから主人様にお仕えして早十年ほど。
突撃してくる車から主人様をお守りできたのはよかったのですが、その後の成長を見守ることができなくなったのは悔やまれます。未練といえばこれしかありません。
……主人様、お元気でしょうか。
この世界が実は異なる世界だった。そんなことでもない限り、わたくしの記憶から考えると、主人様はちょうどお酒が飲める年齢になったころでしょう。ああ、お会いしたいですね。
お会いして、今度こそあなた様を最期まで見守りたい。わたくしの寿命が尽きる方が早いとは思いますが——というかそうであっていただかなくては困りますが、今度こそは人生を、いえ、猫生をまっとうしたいです。
もう二度と、わたくしが原因で主人様を泣かせることはしたくないのです。
そこのあなた……そうです、執事服のあなたです。
あなたがお仕えしている方はどのような方ですか? わたくしが知っている主人様だった、なんて都合の良いことは起こらないでしょうか。
おや、そちらの方があなたの主人様ですか。シルバーグレイの整えられた髪が素敵なジェントルマンですね。
わたくしがお仕えしていた主人様は金色の長髪が美しいレディーでしたから、主人様は主人様でも、主人様違いですね。
少し残念、なんてことは思ってはいけないのでしょう。世界は広いです。人間のときよりも、ずっと。猫ですから。
ところでその手は何でしょうか、ジェントルマン? わたくしは犬ではないのでお手はしませんよ。
……しませんったらしませんよ。…………なかなかに粘り強いですね?
し、仕方がないので肉球に触れるだけなら許します。車のボンネットを借りたお礼です。にゃん。
「君、うちに来ないか?」
……ちょっと待ってください。どこかで聞いたことのあるセリフですね。
何ならこれを聞くのは四度目な気がします。とりあえず、そうですね。続きを聞きましょうか。
「衣食住の保証と最期まで面倒を見ることはもちろん、今ならなんとおやつとお昼寝付きだ。もしうちに来てくれるのであれば、君を家族として愛することを誓おう。孫もきっと喜ぶ」
悪くないですね。むしろわたくしにとって最高の条件ですね。
寒空の下で眠る必要がなくなるのでしょう? 車のボンネットよりも暖かくて安心できるところがあるのでしょう? これはもう、猫として答えは決まっています。
にゃーん、ごろごろ。どうぞわたくしを引き取ってくださいませ。
「ありがとう。君ならそう言ってくれると信じていたよ、セバス」
……ちょっとちょっと待ってください。セバスですか? それはわたくしの名前でしょうか?
ひとまずそうと仮定しましょう。とても馴染み深い名前ですね。具体的には、今までのどの人生(そうでないのも含まれますが、一旦ここでは「人生」とします)でもその名前でした。
これも何かのご縁なのでしょうか。逆に、それ以外があるのでしょうか。いえ、ないでしょう。そうとしか思えません。
そのままあれよあれよと動物病院に連れられて行って、わたくしは正式にジェントルマンの家族になりました。
動物病院でのあれこれは……どうか、聞かないでください。わたくしは我慢しました。とても頑張ったのです。ええ、はい。
迷子になる確信があるほど広いこの屋敷は、今日からわたくしの家でもあるそうです。猫生、本当に何があるのかわかりませんね。
「あらおじい様、遅かったですね?」
……ちょっとちょっとちょっと待ってください。非常に、非っ常に聞き覚えがある声がしました。
ジェントルマンのお孫さんってまさか……? まさかのまさか?
えぇ? そうだったのですか? これはかなりわたくしにとって都合が良すぎやしませんか? 神様と話せるのであれば、本当にこれでいいのですかと聞きたいくらいです。
それともあれですか、ご縁というものなのですか。どちらにせよ、わたくしは今の状況に感謝しなければいけません。
「セバスを連れて帰りたくてな」
「……セバス?」
ジェントルマンにそっと降ろされ、ふわふわな絨毯の上を一歩一歩進みます。
わたくしセバス、ただいま戻りました。遅くなり申し訳ございません、主人様。
わたくしは主人様の足元をすりすりします。
そうしたら、ぽとりと雨が降ってきました。いえ、ここは室内ですから違いますね。そっと見上げてみると、主人様が涙を流していました。
わたくしは前足を上げて抱っこのポーズをとります。主人様はすぐに答えてくださいます。
「また、来てくれたのね。鳥、犬の次は猫だなんて、どれだけ私のことが好きなのかしら? ……ありがとう、セバス」
そうですよ。前前前世は人間の執事として、前前世は小鳥として、前世は犬として。ずっと主人様にお仕えするくらいには敬愛しております。
今までのわたくしに、天寿をまっとうした人生(または鳥生、犬生)はありません。唯一の未練は、主人様を見守ることができなかったこと。
一度は主人様をお守りして、一度は主人様を引き留めて、一度は主人様の背中を押して。
しかし、よかった。あれから事故には合わず、健やかに過ごされていたのですね。今世こそは最期までおそばにいさせてくださいませ。
「もう、よかったじゃないんだから。ちゃんと最期まで面倒見るから、今度こそは成仏しなきゃダメよ?」
にゃーん。
「誤魔化さないの。まったく、二又の猫になんかなっちゃって」




