メインエピソード2【盤上の改革、監査チーム発足】⑯
浮上する。暗闇の中から、光が射す方へ、ゆっくり、ゆっくりと。
浮上するのは、意識なのか。身体なのか。はたまたその両方か。
奇妙な浮遊感を感じながら、あれに言われたことに、思いを馳せる。
「遺される者の気持ち・・・か・・・」
忘れていた訳ではない。
忘れる訳がない。
あの辛さを、悲しみを、苦しさを、絶望感を、喪失感を、無力感を。
忘れられる訳がない。
だが。
あの日から。
彼女を亡くしたあの日から。
想いは、少しずつ、少しずつ、薄れていったのかもしれない。
頬を膨らませてむくれる不満顔。眉をひそめる不安顔。そして、俺に向けてくれた最高の笑顔。
蘇る思い出は、かつては極彩色として彩られていたのに、今は淡いパステルのように滲んでいる。
過ぎた月日によってなのか。それとも、守ろうと誓ったあの子たちの笑顔によってなのか。
「…なるほど、確かに代償行為だな…」
あの子たちを守ることで、俺が守りたくて、守れなかった彼女への償いにしている。
考えていない訳ではないが、意図的に意識しようとしなかったことだ。
意識をすれば、彼女への想いが汚れてしまうように思えたのだから。
…だから、自分の身体を大事にしろって言うのか?それで、また救えなかったら?また守れなかったら?同じ過ちを繰り返し、俺はまた後悔するのか?
あの時とは違う。救う為の、守る為の力が、今俺には備わっている。
…自己犠牲?関係ない。…打算?知ったことか。
やりたいからやる。やれることをやり切れずにする後悔は、あの時だけで十分だ。
それで命が尽きる?俺を誰だと思っている!古今無双の金庫番とは誰のことだ!?俺のことだ!!
要はスキル行使の負荷に負けないカロリー補給が出来ていれば済む話だろう?
やってやるよ、見せてやるよ。一分の隙もない、万全な兵站(栄養補給)をな!
気力が、滾り、漲り、进る。
重く、瞳に張り付いたままとなっていた瞼は、何の躊躇いもなく開かれる。
瞬時に覚醒した俺は、石パンを数個取り出し、無理矢理腹に収める。
固く、不味い石パンを、食い千切り、咀嚼し、噛み締める。
口内に広がる何とも言えない不快感で、眉間に皺が寄る。その不快感は、強引に水で喉の奥底へと流し込む。
満足感は感じないが、満腹感は十二分に達成した。
ふと時計に視線を向ければ、長針と短針が重なり、真上を指しているのが分かる。
どうやら、かなりの時間、寝入っていたようだった。
感じていた疲労感や頭痛は、睡眠と石パンによるカロリー補給により解消出来たようだった。
兵站を整えた俺の耳に、近づいてくる足音が届く。かなり足早で近づいており、もうすぐ俺の元に来るだろう。
待ち人来る。届くは吉報か、凶報か。
石パンで摂取したカロリーは、冷徹と激情を兼ね備えたエネルギーに変わっている。それはまるで青いマグマのように。
俺は、扉が開くのを、静かに、だが熱を帯びて待つのだった。
扉が開く。待ち人は俺の姿を確認すると、目を見開いて驚く。
「レオンさん!もう起きて平気なのか?」
待ち人…ビリーは慌てた様子で俺に駆け寄ってくる。
「ええ。ご心配をお掛けしました。もう大丈夫です。この通り」
軽く胸を張る。そして、力こぶを作るよう、腕を持ち上げ、肘を曲げて見せる。
「顔色はだいぶ良くなったようだが・・・大丈夫なのか?数時間休んだだけだろう?」
極度の疲労により倒れ、醜態を晒してしまった身としては、ビリーの気遣いがこそばゆく感じる。
「配慮、痛み入ります。睡眠、そして兵站を整えた今の私は万全ですよ」
俺の言葉に、ビリーは一瞬気圧されたかのように、半歩後ずさる。
ビリーは頭をふり、目をこする。そして俺を見詰めてくる。
「兵站?何のことだ?ずいぶんと雰囲気が変わったな…寝ている間に、何かあったのか?随分と覇気に満ちているような?」
「やるべきことをやる、それを再認識しただけですよ。さぁ始めましょう」
とビリーの問い掛けに、曖昧な返事をし、俺たちは詰めに向かうのだった。
ビリーは限られた時間内で、最良の仕事をしてくれた。
部長の身内が行っていた、不正送金における宛先の洗い出し。これを見事に突き止めてくれていた。
どのような伝手で調べ上げたのか、非常に気になるところだ。だが、情報源は機密性を保つことが肝なので、確かめはしない。
提供された情報を使用し、策を練れば良いのだから。
「…見事です。何も言うことはありません」
賞賛を向ける。だが、彼の顔は晴れない。そして俺の声もまた沈んでいた。
調査資料に示された宛先が明確になったことにより、想定していた最悪に行き着いてしまったことが確定したからだ。
「…なぁレオンさん。貴方は此処まで、道筋が見えていたのか?」
沈んだ声で問い掛けられる。
「想定されるケースのうち、最悪のケースとして。私自身も、あって欲しくありませんでしたが。ですが、予測を立てず、不慮の事態を招き起こすことは避けたかったので」
高ぶり、はち切れそうな感情を懸命に宥め、極めて無機質な声で返答する。そうしなければ激情と共に爆発しそうだったから。
「ですが、緩める訳にはいきません。例え最悪のケースであろうと、私たちのやるべきことは変わりませんし、変えてはいけない」
重ねて向けられた、俺の宣言とも取れる返答に、ビリーは俯いていた顔を持ち上げる。
「私たちは、これから監査チームを発足しようとしている身です。その軸を対象や力関係、そして感情によってずらす訳には行きません。軸がずれれば、監査の意味が無くなるのですから」
「そう…だな…」
ビリーの顔は、未だ晴れない。無理もない。調査により分かってしまった内容は、明日は我が身に降りかかる厄災に成り得るのだから。
…そして、それは俺にも当てはまることになる。
「…なのですが」
俺は瞳を青に染める。そして、無機質であった声を一変させ、感情が籠った声質で語る。
「最悪なケースを、他のケースと同様の対応に当てはめる必要があるかと言うと、そんなことはありません」
「軸をずらしてはいけないのは、監査の対象と内容までです。結果として発生するペナルテイは案件毎に異なるでしょうし、情状酌量が及ぶことは有り得るでしょう?」
「それに、今回の目的はチームの発足であり、ペナルティを課すことではありません。部長をこちら側に引き込めれば、勝ちが確定するのですから、ね」
俺は、瞳を青くしたまま片目を瞑り、口角を僅かに上げる。
それを見たビリーは、呆気にとられ、数回瞬きをする。そして、体を細かく震わせながら、含み笑いを浮かべてきた。
「そりゃそうだ。杓子定規に全て同じペナルティにする必要は無いし、そもそもペナルティを課さない代わりに、以降の不正を抑止する方なんだからな」
曇っていたビリーの顔に生気が戻る。
「さぁ、策を練りましょう。秤をこちら側に傾けさせるために」
石パンを齧りつき、噛み締める。大丈夫だ、兵站は途切れていない。
定例会議は刻々と迫る。僅かに残された時間の中、青くなっている瞳にさらなる力を込め、策を練るのだった。




