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メインエピソード0【はじまりのものがたり】③

「貴方と一緒に過ごせて、本当に幸せだった。でも、貴方の負担になることが何よりも辛かった」

それが、妻と最期に交わした言葉だった。


レオンになる前、俺は神崎利弥という現代日本人として存在していた。

高校卒業後、大学受験に失敗し、経理系の専門学校に入学。

卒業後、小さな会社の経理として雇われた。

会社も少しずつ大きくなり、合コンで知り合った5歳年下の女性と付き合うようになり、結婚、車購入、郊外にマイホームを購入という、絵に描いたような、平凡だが幸せな生活を送っていた。

子宝には恵まれなかったが、週末に妻とドライブに行き、妻の作ってくれたお弁当でお腹を満たし、帰宅したら俺が男飯の夕飯を作り、揃って映画を観るのが楽しみだった。

そんな、ささやかな幸せは、いとも簡単に崩れてしまった。

きっかけは、胸の痛みだった。

妻が胸を抑えて、顔を(しか)める仕草をしていることに気付いた。

大丈夫か?病院行くか?と聞いても、平気だよ、心配しないで、と答えるばかりで、何もしていなかった。

顔を(しか)める仕草は収まらず、嫌がる妻を無理やり病院に連れていき、検査をさせた。

大げさだなぁと笑う妻に、何でもないならそれでいいんだよ、来週は温泉にでも行こう、と笑いながら話していたことを覚えている。

検査の結果は癌だった。

若いので進行も早く、一刻も早い治療が必要な旨を伝えられた。

目の前が暗くなり、足元が崩れ落ちるような感覚に襲われた。

何故?癌?誰が?治療費は?治るのか?いつから?臓器移植?ドナー登録?

え?え?え?

何も考えられず、放心していた俺の手を、妻が震える手で握ってくれた。

そうだ、何をしているんだ、一番つらいのは妻じゃないか。

俺は体を震わせながら、今後のことについて説明を受けた。


治療費は膨大な額になっていた。

治療には治験中の未承認薬を使用していた為、高額療養費制度を利用しても、負担が大きく、預貯金はすぐに底をついた。

加えて、妻の面会時間の制約もあった為、会社に無理を言い、給与減額の代わりに、特別にシフト勤務の定時退社を認めてもらった。

定時前に出勤し、皆よりも早く退勤する。

割り当てられていた仕事は完璧にこなしているが、コアタイムにすれ違いが発生していた為、連携がスムーズに行われなくなっていった。

俺の都合を皆知っていた為、俺の前では誰も文句を言っていなかったが、それが逆に苦しかった。

治験費の捻出の為、車を売り。家を売り。

真綿で首を締め付けられるような日々の中、妻との面会が何よりも癒しだった。

治療による副作用で、日に日に痩せ細るが、俺の前では笑顔で居てくれて、俺の話す下らない話にも相槌をうち、一緒に笑ってくれた。

妻さえ無事ならまたやり直せる。俺は漠然とそう考えていた。

漠然と。なんの根拠もなく。

引越先のアパートで不安に押し潰せれそうになり、何度も何度も涙を流した。


そんな行く先が見えない中、治療に使用していた薬が、承認を受けられる可能性があることの連絡を受けた。

早ければ、3ヶ月後に保険適用されるらしい。

それならなんとかなる!

連絡を受けた俺は、足早に妻の病室に向かい、そのことを話そうとした。

妻は寝ていたが、俺が来たことに気付くと、ゆっくりと(まぶた)を開いた。

そして、震える唇で、ゆっくりと、しかし確かに最期の言葉を紡いだ。

「貴方と一緒に過ごせて、本当に幸せだった。でも、貴方の負担になることが何よりも辛かった」

妻は(まぶた)を閉じ、永い眠りについた。


何をしたのか、ぼんやりとしか思い出せない。

諸々の手続きを終えて、また会社に向かう。

仕事をして、数字に追われている時だけが、辛いことを忘れられた。

誰よりも早く出社し、誰よりも遅く退勤する。

そんな生活をしていれば、身体も壊す。

仕事中倒れた俺を見かねた上司より、しばらく療養するよう指示が下る。

呆然とする俺は、重い足取りでアパートに向かう。

アパートに近づく度に、妻と過ごした思い出が浮かんでは消える。

初めてのデートで遅刻したこと。手を繋ごうとして失敗したこと。キスしてはにかんだこと。ささいなことで喧嘩して、二人で笑いあったこと。

その一つ一つが鮮やかに蘇り、もう二度とすることが出来ない、会うことが出来ないと、絶望が伸し掛かって、涙が止まらなかった。


自宅アパートの扉を開けると、光の奔流が俺の体を包み込み、俺は浮遊感を覚え、意識を失った。

そして、俺は、神崎利弥は、レオン・クラークになっていた。

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