メインエピソード2【盤上の改革、監査チーム発足】⑨
「それで、アポなしで此処に来たって訳かい?アタシも暇って訳じゃないんだけどねぇ」
ことのあらましを聞き終えると、煙管をふかす女、高級娼館の主であるシルヴィアは、苦笑しながら俺に言葉を向ける。
「この前の貸しについても、まだ返済が終わっていないと思うんだけどねぇ。金庫番サマは絞る方は得意だけれども、緩める方は苦手ってことかい?」
俺は勧められたお茶を一口唆りつつ、額に浮かぶ汗を拭う。
シルヴィアの言う通りだった。先の横領容疑において、潔白を証明する為に、シルヴィアの持つ独自の情報網に頼り、証拠集めとしての裏取りに協力して貰っていた。その時の対価を貸しにして貰っていたのだから。
しかし、多忙と、恩を返す為のアイディア出しの為の時間捻出が行えなかった為、対応を後回しとしていたからだ。
「監査チームの立ち上げだったかい?忙しいのは分かるんだけどサ、もう少しアタシの方にも気を配ってくれて良いんじゃないかねぇ」
そういうと、煙管の雁首をひっくり返し、火皿内で灰になった刻み煙草を灰皿に落とす。たったそれだけの所作に、色気を感じてしまう。
「何度も言うようだけど、ウチの大番頭になってくれないのかい?それなら貸しなんて帳消しにしても御釣りが来るよ」
そう言って流し目を向けてくる。諸々の仕草に艶気を醸し出すのは控えて欲しい。
両手を上げ、全面降伏した俺は、必ず時間を作って恩を返す旨を約束する。一通りのやり取りに満足したのか、シルヴィアは薄らと笑みを浮かべた。
かと思うと、瞬時に笑顔を消して、斜に構えた姿勢を正し、交渉に臨む態勢を整えた。 この切り替えの早さが、若くして高級娼館の主の座に就いた要因の一つであろう。
俺は懐の石パンを取り出す。疲労が重なり、口にする気も起きないが、意を決して一口齧り、咀嚼し、無理やり飲み込む。
カロリー摂取を終えると、瞳を青に染め上げ、カロリーコンバータ・ライトを起動し、シルヴィアとの交渉に臨むのだった。
ビリーと行った不明点の洗い出しにある程度の目途を付けた俺は、高利貸しのマルコとは別ルートで、手札を増やそうとしていた。シルヴィアとの交渉は、その一環になる。
マルコに対しては、資材管理部部長への裏金ルートの調査依頼を行っている。長期間に渡り、膨大な不明点が挙げられていることから、高い確率で手掛かりを見つけることが出来るだろう。
しかし、今回の件については、裏金ルートの手掛かりだけでは弱い。裏金ルートが判明しても、それを証言する人物が居なければ言いがかりとして却下されてしまうであろう。部長クラスはそれを行うだけの権力がある。
では、却下されない為にはどうすれば良いか?
答えは二つ。
一つは、手掛かりを証拠として確定するため、不明点を不正と証言してくれる人物を用意すること。狢から証言を得ることは難しいかもしれないが、山羊からならば得ることが出来るかもしれない。こちらの勝ち目が有ればの話だが。
もう一つは、本人が不正を自白すること。こちらはより難しい、自らの悪事を露呈することになるのだから、まず有り得ないだろな。
あるべき姿では後案を行うべきなのだろうが、今は時間が無い。その為、前案を煮詰めることか現実的だろう。
権力を持つ側に抗う為の証言を得るには、こちらからメリットを提示し、デメリットを上回っていることを示す必要がある。倫理観や正義感で成り立つと思う程、青臭くはない。誰であろうと、自己を脅かす者には恐怖を抱くものであるし、利益を分配してくれる者には好意を抱くものである。たとえそれが一時的なことであろうとも。
デメリットは証言を行うことで、資材管理部部長に目を付けられ、過酷な労務環境への部署移動や、不当な給与減額が考えられる。権力側が圧倒的に強いこの世界において、パワハラという言葉は存在しない。
弱者は常に搾取され続けているのだから。
では、デメリットを上回るメリットとは何か?
現労務環境で業務を続けられることと、不当な給与減額が行われないこと。これをベースに、 証言することにより、利益享受出来ることを示す必要がある。
何をもって利益享受とするか? 給与昇給か?希望部署への配置変換か?いずれも一歩誤ると不当人事として、妬み嫉み僻みという嫉妬感情を周囲に与えることになる。
では何が良いか?環境や賞与を据え置きとし、一時金を賞与として支給することが現実的だろう。だが倫理観が未成熟な此処で、証言をすることで金の流れを作ってしまうことは、悪手になりかねない。一歩誤れば密告社会に繋がるのだから。
ならば如何するか?発想を変える必要がある。金そのものではなく、金では買えないプレミア感、所謂優越感を与えることで解決出来るのではないか?
人間が生きていく上で、避けて通れない三大欲求である、食欲、睡眠欲、そして性欲。このうち、食欲と性欲にフォーカスを当てて解決させる。
ただ単純に一時金を与えて、自発的な飲み食いを促すのではなく、予約困難な飲食店や娼館に対する利用優先券を報酬として与えるのであればどうか?
金を積んでも、列に並ぶ必要がある場所や人に対し、順番待ちをしなくて良いのでとすれば、 どれほどの優越感を得られるのだろうか?
飲食店や娼館に対しては客として正当な金額を払う為、損失は発生しない。既に予約済の利用者に対する順番抜かしが発生するが、それは各店舗に対して話を通し、店舗ごとの裁量に任せて問題ないだろう。
ざっと浮かんだアイディアを纏め、シルヴィアに提案する。
シルヴィアは提案されたアイディアを吟味しているのか、目を閉じて眉間に皺を寄せる。
そして、ゆっくりと目を開き、了承の旨を口にする。
「ウチの利用については調整可能さね。飲食店の利用についても、候補の店への口利きはしておいてあげるよ」
シルヴィアはそこで一旦言葉を区切る。俺は頷き、続きを促す。
「利用するにあたっての対価は、値引きはしないよ。もちろん値上げもしない。正当な金額を請求させてもらう。もちろんルールを大きく逸脱する行為に及んだ場合は、即刻退店に加え、出禁及び賠償金請求させてもらうよ」
当然のことだ。この報酬は金では買えない優越感を得ることが目的なのだから、利用にあたる支払いは正当額であるべきだし、ルールは遵守すべきだ。
「最後に、今回のケースが特別だということ。前例として扱い、以降も同じような振る舞いをする気はないよ」
シルヴィアの眼に力が籠り、俺を見据える。
「アタシ達は、客である利用者に金を支払ってもらい、対価としてサービスを提供する。対等で公平な関係さね。そのサービスを受ける為の順番抜かしは、正当に順番待ちをしている利用者に対しての不義理になるのサ。金庫番のアンタなら分かるだろう?」
痛いところを突かれる。あわよくば裏ルールとしての報酬と考えていたが、見透かされていたのだろうか?しかし、シルヴィアの指摘も尤もだ。不当な順番抜かしが不要な諍いを生むことになるのは、想像に容易いからだ。
「承知致しました。細部を詰める必要があると思いますが、大枠はこれで行きましょう」
交渉を終えた俺は瞳を黒に戻し、息を吐く。立ち上がるには、暫くかかりそうだ。
裏金ルートの調査、不明点の洗い出し。そして新たな手札として証言確保の為の報酬準備。
戦に臨むには、まだ準備が足りない。
諦めるな。下を向くな。歯を食いしばってでも立ち向かえ。今、此処で膿を出すことで、後に続く者たちへの希望に繋がるのだから。
シルヴィアからの逗留の誘いに、丁寧に謝辞を述べ、宵闇を駆け出す。
猶予は後二日しかないが、必ずひっくり返すと決意を新たにする。
『古今無双の金庫番』の名にかけて!




