メインエピソード1【汚名返上、名誉挽回、雪冤晴恥】⑨
闇があった。何も映らない、真っ黒で静かな闇。
浮かび上がっているのか、沈み込んでいるのか、それすらもわからない。
ただ分かることは、俺はレオン・クラークであり、「神崎利弥」である、と言うことだった。
頭痛と疲労で倒れるのは、「神崎利弥」の頃以来だろうか。絶望に苛んでいた毎日を抜け出し、新しい希望を手にして、がむしゃらに走ってきた。
横領の冤罪を受けたことで、スキル「カロリーコンバータ」の過剰使用による副作用で、とてつもなく激しい頭痛と付き合う羽目になり、ついには意識を手放してしまった。
それでも、絶望に苛んで、仕事に打ち込んでいた時に比べれば、なんてことは無かった。
あの頃は仕事に逃げていた。思い出から。辛さから。
でも、今は違う。戦っていた。現実と幸せを守るために。
少しずつ、闇が薄くなり、自分の手足が意識出来るようになる。
はっきりと姿を意識出来た時、俺はレオン・クラークなのか、「神崎利弥」なのか、分からなかった。
「我思う、故に我在り、か」
レオン・クラークの身体に「神崎利弥」が入り込んでいるのか。
「神崎利弥」として活動している夢を、レオン・クラークが見ているのか。
レオン・クラークとして活動している夢を、「神崎利弥」が見ているのか。
何れにせよ、今此処にある俺は、俺として生きている。レオン・クラークとして。そして、「神崎利弥」として。
不意に背後に姿見の鏡が浮かび上がってくる。
鏡にゆっくり近づき、写る姿を確認しようしたその時。
覆っていた闇は急激に晴れるに従い、自身が溶けていくような感覚に襲われる。
虚空に溶けていく中、写るならどちらだったのだろうと、ぼんやりとした考えが浮かんでいた。
「主任補佐、大丈夫ですかね」
「聴取中に倒れたんだろ」
「あの話、本当なんですかね」
「主任補佐が起きて話してくれないと、分からないだろ」
「此処のところ、疲労の色が強かったからな。顔色も…良くないのはいつもか」
「「「「確かに」」」」
おい、寝ていると思って好き勝手言っているだろう。特に最後。同意もするな。
雑談がこれ以上花咲く前に、重くなっていた瞼をゆっくり開く。
視界に入るのは見慣れたソファと課内の後輩や同僚たち。
どうやら課の応接室のソファに運び込まれていたらしい。
話を聞くと、聴取中に倒れ込んだ俺を、部長たちに呼び出された後輩たちが運んでくれたようだ。
横になっていた体を起こしながら、どれくらい倒れていたのかを聞くと、小一時間くらいですね、と言われた。
一時間弱か。あの三人への聴取も、もう終わっているだろう。
俺が気を失う前の、部長たちの頷きを信じるしかないな。
そう考えているとまた騒がしく問い詰められてきた。
「どうなるんですか?本当に辞めちゃうんですか!?」
「ホントに勘弁してください。今更他の管理者なんか嫌ですよ」
「レオン主任補佐は厳しいけど、間違ったこととか、ブレることは絶対言わないから、仕事しやすいんですよ」
惜しまれていると、仕事に誇りを持って打ち込んでいて良かったと思える。
雑談を交わしながら、立ち上がろうとすると、少し疲れたような声が俺に向けられた。
「あぁ、起きなくて構わん。そのまま楽にしてくれ」
声の主は部長だった。
「体の具合はどうかね」
次に向けられた言葉は労いだった。机を挟んだ向かいのソファに腰をかけると、顛末をゆっくり話し出した。
同僚や部下たちも興味あるようで、業務には戻らず、野次馬根性を出して残っている。
「まず、君が一番気にしていることから伝えよう」
俺は体をほんの少し震わせ、身構える。
「君が横領を働いた、という彼ら三人の報告は虚偽である、という判断を下した。そのため、君には継続して経理課で業務に邁進して欲しい」
部長の言葉に安堵する。冤罪に屈するつもりは無かったが、部長やギルド長もクロ、つまり不正に加担していた場合は、事実がひっくり返される恐れがあったからな。
冤罪であると判断したのは、子飼いを切り離し保身に走ったためか。それとも公正な判断のためか。出来るなら、後者を望みたい。
部長は続ける。
「件の三人については、役職剥奪の上、12ヶ月の減給処分を下した。今後は銀蝿行為が出来ないよう、史料編纂室への配属も決定した」
処分が下された時の、三人の絶望顔を見ることが出来なかったことは残念だったが、こびり付いていた澱みが晴れるように爽快な気分だった。
史料編纂室ということは、今後数字を触ることが出来ないと言うことだ。
数字を裏切った者の末路としては、相応しいだろう。
それに、減給処分に留めて解雇しないのは、見せしめの意味もあるんだろうな。不正を働けば、お前もこうなるんだぞ、という分かりやすい脅しだ。
部長は続ける。
「次に私たち自身に対してだが」
部長はそう言うと、襟元を正す。
「今回の件を重く受け止めさせてもらった。管理不行き届きの禊の意味も込め、3ヶ月の減給処分とした。これは、ギルド長も同様だ」
部長たち自身へ処分が下されることに、驚きを覚える。
部長は続ける。
「また、再発防止のため、不定期の強制調査権を持つ、監査チームを発足させることを決定した」
監査チームだと?後ろ暗いことをしている者に対する大きな牽制になる!
「監査チームのリーダーには君を推薦している。最終的な判断はギルド長が下すことになるが、ほぼ内定していると考えていいだろう」
発足を決断したということは、つまりはそう言うことなんだろう。ギルド長、部長共に、シロと考えていいだろう。裏取りはキッチリ取らせて貰うがな!
「そして最後に」
部長は続ける。
「レオン君。君の処遇についてだ」
「本日をもって、主任補佐から主任への昇格を命じる。より一層の貢献を期待する。昇格に応じ、役職に準じた責任が伴うことを、努々忘れないように」
「また、監査チームリーダーを兼任することになるが、就任に伴い、メンバー選定の権限も付与することとなる。君の信を得る者をメンバーに選ぶと良い」
「そして、今回の慰労として、特別ボーナスを支給することが決定した。今回の件については、少し根が深いようでね。これからの君の活動に対する期待も込めている」
そういうと部長は、特別ボーナスを納めた袋を、机の上に置いた。
部長の宣言とボーナスの実物に、周囲を含め、俺は、俺たちは歓喜に包まれた。
勝利を勝ち取ったことに加え、職場の仲間たちや、仕事の誇り、守ろうと決意したものを守ることが出来たことが、嬉しかったからだ!
そして何より。自分の能力が正当に評価され、給与が上昇し。さらにボーナス支給まであるのだから、これに勝る喜びはない!
「以上となる。喜びで騒ぎ過ぎないように。まだ業務時間中だからな」
そう言うと部長は、踵を返して退室していった。
俺たちは部長の背中に向かって一礼し、再度喜びを噛み締めた。
扉を閉める音が聞こえると、皆一斉に頭を上げ、再度喜びに包まれる。
「昇格おめでとうございます!」
「監査チームメンバーって、誰にするんですか?」
「ギルド長や部長も減給処分にする必要があるくらい、とんでもないヤマだったんですね」
「支給されるボーナスで、皆で飲みに行きましょうよ!」
おい最後!絶対行かないからな!
石パンを齧り続ける困窮生活から、ついに抜け出すことが出来る!
俺が明るい未来予想図を脳裏に描いていると、近づいてきた後輩の言葉で現実に引き戻される。
「レオンさん、316番の件でお話があると…」
後輩の言葉が、扉の向こう側から聞こえる喧騒でかき消される。
扉が開かれると、制止しようと身体にしがみつくギルド職員を引き連れ、小柄な男がにこやかな表情を浮かべながら入室してきた。
「やぁレオンさん。話は聞きましたよ。見事な活躍だったようで」
男は、今までの経緯を間近で見たかのような態度で声を張る。
「不正書類の分析、証言の収集、証拠の確保。どれも素晴らしい出来栄えだ。流石『古今無双の金属番』と称えられてますな」
男は懐に手をやり、仕舞っていた何かを見せようとしてくる。
「『数字は嘘をつきません』でしたね。アナタの矜持が詰まった言葉だ。誰にでも言える言葉じゃない」
男は懐の何かをゆっくりと、俺に見せ付けるように、机を挟んだ向かい近付いてきた。周囲は、小柄な闖入者に驚くが、放たれる口上に聞き入り、誰も制止しようとしない。
「その言葉に肖りましょう」
男は、懐の何かを机に叩きつけて、宣言した。
「レオンさん!今月分の利息、耳を揃えて払って貰おうか!アンタが払うと約束した斥候職への報酬も、キッチリ計算済だぜ!」
「安心しな!ボーナス支給が確定しているんだろう?それも計算しているぜ!元本は減らないが、増えもしていない!これからもキッチリ返済を頼むぜ!」
「さぁ『数字は嘘をつきません』ってやつだよ。まさか、反故することはあるまいね?」
男、高利貸しのマルコは、勝ち誇った爽やかな笑みを浮かべ、掌を上に向けて手を差し出してくる。
俺は身体を震わせながら、ボーナスが納められた袋をマルコに手渡す。マルコは受け取ると金額を確認してニコニコと笑顔を浮かべる。
「毎度ありがとうございます。これからもご贔屓に!」
軽やかな足取りで去っていくマルコの背中に、俺は虚ろな視線を向けた。
掌には、先ほどまで特別ボーナスの入っていた袋の重みではなく、冷たい虚無感が残っていた。
努力が報われたと思った一瞬の後、目の前の現実は、負債という冷徹な「数字」で、俺の勝利を無効化した。
もはや、石パンを齧る力も残っていなかった。今月も石パン生活から抜け出すことは許されないのだった。




