第一麺:「パスタリウム祭の夜」
パスタリウム王国。
この国は、料理を力とする「料理騎士団」と「味覚魔導士」によって守られている。
食の調和は、すなわち国の平和であり、民の誇りだった。
北には、剛腕の戦闘民族が住むガルリキア高地。
スパイシアンたちの侵攻は絶えず、王国騎士団の剣を鈍らせることはない。
南には、赤き実が実るトマティア盆地。
豊かな土壌と陽光に恵まれ、王国の食糧の八割がここから供給されていた。
東には青き海とオリーバ諸島。交易と海賊の文化が交錯し、経済を回す港町が栄えていた。
そして西――伝説の騎士団「カルボ隊」が守るカルボナラ山脈には、アルデンテ教の聖地がある。
神を信じる者たちが、今もなおスープの恵みに祈りを捧げている。
麺雲立ち込めるこの日、パスタリウム王国ではパスタリウム祭が開かれていた。
王都アルデンティーナは歓声と花火に包まれていた。
だがその賑わいを背に、カンネッリ宮の奥深く――「王の間」は静まり返っていた。
護衛の料理騎士たちは皆、宴席と市民警備のために外へ配置されていた。
王、ファルファッレ・アルデンテは、一人、執務室にいた。
窓の外で花火が上がるたび、壁に映る光が揺れる。
「……ガストロ。お前が“あの子”を生かしていたのではと、ずっと思っていた」
ファルファッレは、かすかに震える手で古びた短剣を握っていた。
刃には、「アルデンテの呪い」と呼ばれる痣を封じる魔紋が刻まれている。
「……許されるなら、もう一度……」
その時だった。背後で空気が裂ける音。
音もなく影が差し、刃が王の背を貫いた。
ファルファッレは振り向き、目を見開いた。
そこにいたのは、黒いローブを纏い、首元に螺旋状の痣を持つ男――ヌードル卿。
ファルファッレ王:「……やはり……生きて……いたのか……」
ヌードル卿:「ふん、“やはり”だと? ならばなぜ……なぜ捨てた……!!」
ファルファッレ:「私は……お前を……」
言葉が終わる前に、再び刃が深く刺される。
王は崩れ落ちる。
ヌードル卿は、その顔を一瞥し、冷たく言い捨てた。
「茹で直すには、まず焦げた鍋を捨てるんだよ、父上」
執務室の扉がわずかに開いていた。
中から、かすかな音――何かが滴るような音が聞こえる。
リゾ・アルデンテ:「……父上?」
扉を開けた瞬間、鼻腔を満たしたのは血の匂いではなかった。
それは――焦げたスープの匂い。
眼前に倒れていたのは、父。
ファルファッレ・アルデンテ王が、胸元からスープをこぼしながら床に崩れていた。
リゾ:「……っ! うそ、だ……うそだろ……!?
父上、しっかりしてくださいっ!」
駆け寄り、抱き起こす。
だがその体はすでに冷たく、何も答えない。
リゾ:「医者を! 誰か、料理医団を呼べっ!! まだ助かる……助かるはずだッ!!」
扉の外に走り出そうとしたその時――
窓の外、黒いローブの人影が、屋根を跳び去っていくのが見えた。
リゾ:「……誰だ、お前は……!
待て! お前がやったのか!? おい、待てッ!!」
怒りと混乱にまかせて追いかけるが、影は煙のように消えた。
リゾ(心の声):「どうして……誰が、父を……。
あの痣……首に刻まれていた紋様、あれは……。
知らないはずなのに、何かが……引っかかる……!」
リゾはその場に膝をついた。
手の中で、父の王印がこぼれ落ちる。
その表面に、スープのしずくが一滴だけ、乾ききらずに残っていた。
リゾ:「父上……っ!
ぼくは……、なにを、守れなかったんだ……!」
その涙は、血ではなく、塩気を帯びたスープのように頬を伝った。