第77話:リンネ その3
こう表現すると語弊があるかもしれないが、人間という生き物は割と負の感情を発生させやすい。
ちょっとしたことで悲しみ、怒り、ストレスに感じる。それが負の感情としてこの世界では『魔王』の発生につながるわけだが、『魔王の影』が暗躍して王都で被害を与えようとし、それを最近話題の英雄の卵が解決したと聞けばどう思うか。
王都に侵入できる能力を持っている『魔王の影』がいた、という点は看過できない。しかしその辺りの対策はオレア教に丸投げだ。俺にできることはないし、どうにかできる頭も技術もないのだ。
そのため俺にできるのは、この場でリンネを仕留めること。最低でも撃退して王都から撤退させることだ。
そうすれば『王国北部ダンジョン異常成長事件』とあわせて、王国東部の若き英雄の卵がまた手柄を打ち立てたと民衆にはさぞかしウケることだろう。俺自身の感情やプレッシャー、その他諸々を無視さえすれば、人類のためになると断言できる。
問題があるとすれば、それを実現できるかどうかだ。
『王国北部ダンジョン異常成長事件』の時と違い、王都で買い物をするとあって防具を身に着けていない。持っているポーションも中品質の回復用ポーションが二つだけ。ただしあの時と比べれば蓄積した疲労がないから……まあ、トントンってところか。
加えて、『魔王の影』は死霊系モンスターと違って回復用のポーションを振りかけても普通に回復する。つまり自力で打倒する必要があるわけだ。
勝てるか? と自問すれば可能性はゼロではない、と自答する。
勝つ必要があるか? と自問すればそれは必須だ、と自答する。
ただでさえ『王国北部ダンジョン異常成長事件』の件で『魔王』の発生が前倒しになっていると考えていたのだ。人口が多い王都で『魔王の影』が暴れたとなれば、『魔王』の発生が一気に前倒しになりかねない。
それを軽減、あるいはプラスマイナスゼロ。あわよくば後ろ倒しにするにはリンネをこの場で倒すしかない。いや、撃退するだけのダメージを与えるだけでも良いのだ。勝利したという事実さえ用意できるのならなんでも良い。
そうすれば国王陛下やレオンさんがどうとでもしてくれる。レオンさんは顔をしかめるだろうけど、俺に重荷を追加するだけで人類滅亡が先延ばしになるのなら最終的には頷いてくれるはずだ。その時はごめん父さん、と謝るしかない。
「あらまあ……これはこれは。空に火球が飛んでいたから見に来てみれば、なんとも物騒な状況ねぇ」
だから――彼が駆け付けてくれたことは、この上ない僥倖といえた。
贅沢を言えばリンネを倒せる強者が欲しかったが、俺が倒すには最善の援軍といえる。
「アレク!」
そこにいたのは、相変わらず道化師メイクで一見すれば不審者に見えかねない『花コン』のヒーロー、アレクだった。
コツコツと足音を立てながら歩み寄ってくるその姿に、俺は万の援軍を得た気持ちにすらなる。思わず名前を呼ぶ声に歓喜の感情が宿ったことを自覚するほどだ。そんな俺の呼びかけに、アレクもどことなく嬉しそうに笑ったように見えた。
「ごめんなさいねぇ、ミナト君。麗しの御令嬢とのデート中にお邪魔しちゃったかしら?」
「なあに、俺と君の仲だ。いつでもどこでも大歓迎さ」
今の状況では本当に、最も助かる援軍だ。ただし、本物であればだが。
「アレク、相手は『魔王の影』だ。君は」
「ああ、そういうこと。これでいいかしら?」
俺の意図をすぐさま理解してくれたのだろう。大仰な仕草で右手をかざしたかと思うと、その手の中にピエロ顔の仮面が一枚出現した。
当然のように『召喚器』を発現したことから、アレクも『魔王の影』と人間の見分け方を知っているのだろう。他所の貴族の家を訪れた際に疑いを晴らすには必須の手段だからか。
ただし、あの『召喚器』が本物だという保証がないのが本来は痛いのだが。
(仮面の表情は……しかめ面……なるほど、本物か)
俺は『花コン』のメインキャラに限れば、誰がどんな『召喚器』を持っているか知っている。俺みたいに『召喚器』が変わっているなんてことさえなければ、なんて前提がつくが、今回はアレクが本物だと断言することができた。
アレクが持つ『召喚器』の名前は『三面碌秘』。
名前の通り三つの面が関係する『召喚器』で、怒り顔、しかめ面、笑顔の三種類の内どれかが現れる。
『花コン』では敵味方のどちらかにランダムで使用され、味方に使用された時はプラスの効果が、敵に使用された時は基本的にマイナスの効果が発揮される。
怒り顔の場合は攻撃力の増減、しかめ面なら防御力の増減、笑顔は回復と場を引っ掻き回すような効果を発揮する。
ただし笑顔の仮面は回復ということで、敵が死霊系モンスターならダメージが入るがそれ以外の敵だと回復してしまう……つまり、基本的には六分の一の確率でプレイヤーにとってデメリット効果になる『召喚器』だ。
しかし現実であるこの世界なら、どう使うかはアレク本人が選択できそうである。そのためデメリットは発生しないと見て良いだろう。
(『召喚器』の名前が示している碌でもない秘密は……本人が向き合うことだし、触れないけどさ)
カリンは自分の『召喚器』を発現できるだけだが、アレクは俺と変わらない年齢でありながら既におおよそ使いこなすことができるはずだ。『花コン』が始まると割と簡単な条件を満たすだけで『顕現』の位階まで至り、必殺技を使えるようになるほどである。
ただし、必殺技もランダム性が強いため使うかどうかはプレイヤーの好みによって変わるんだが――。
「アレク=サンドライト=オブシディアンですか……」
登場したアレクを見て、リンネが警戒するように名前を呼ぶ。すると当のアレクは大仰に肩を竦め、表情を大きく動かして疑問を露わにした。
「あらぁ? アタシはミナト君ほど名前が売れていないはずなのだけど……こんにちは、可愛らしい御嬢さん。アナタも御存知、アレク=サンドライト=オブシディアンでございまぁす。アナタのお名前は?」
そう言って名乗り、ゆっくりとした仕草で一礼しながらウインクを向けるアレク。状況を見て時間稼ぎに徹するべきだと判断したのだろう。さすがだ。
「……リンネ」
「まあ、リンネちゃん! 素敵なお名前ねぇ! 可愛らしいわねぇ! ――自分でつけたのかしら?」
「ッ!?」
アレクの発言がどこに刺さったのか、一気にリンネから殺気が溢れ出す。それを感じ取った俺は剣の柄を握り直しつつ、小さく眉を寄せた。
「おいおい、アレク……君らしくない挑発じゃないか」
「今のが挑発になるってことは、名前に何かあるってことよ? あの子、偽名だったりしない?」
リンネの動きを警戒しつつ、俺の方へ歩み寄ってくるアレク。初陣はまだだって言っていたのに、この状況でも平静を保っているのはさすがだ。大した度胸である。
(リンネ……輪廻……偽名……どうしよう、ますますオウカ姫の可能性が……)
そしてリンネの僅かな変化からそれを見抜いたんだろうけど、鋭すぎておっかないわ。
「それで? ここからどうすれば良いのかしら?」
「……君が来たってことは、救援が駆け付けるのもすぐだろ。それまで耐えきれば最低限、勝利条件を満たせる」
「最低限ねぇ……最上の結果は?」
「そりゃあ決まってる」
活路が見えた。だからこそ、俺も力強く断言できる。
「アイツに勝つことさ」
「まあ、素敵。でも最低限の方は厳しいかもしれないわ。アタシは駆け付けることができたけど、周囲に人っ子一人いなかったもの」
そう言ってアレクはリンネをじっと見る。
「一体どんな手品なのかしらね? リンネちゃん、オネエさんに教えてくれるかしら?」
「…………」
アレクの問いかけに対し、リンネは無言で剣を突き出す。先ほどまではお喋りだとさえ思えたのに、アレクに対しては異常なほど警戒感を滲ませているのが感じ取れた。
(さすがに外見で警戒しているわけじゃないよな……名前を知っていたし、アレクの性格や頭のキレの良さを知っている? でも俺相手にはよく喋ったよな……)
何か引き出されるとまずい情報を持っているのかもしれないが、俺とアレクで対応が変わりすぎるのは違和感があった。
もっとも、俺とアレクじゃあ頭の回転もキレも差が大きいし、評判を抜きにすれば警戒するべきなのはアレクだと見抜けるだろうが。
「あらやだ、嫌われちゃったわ。でも、そんな冷たい反応も素敵よ? 相手に情報を渡さないって意味なら正解……だけど不正解でもあるけど、ね?」
「何かわかったか?」
「確証はないけどねぇ……『王国北部ダンジョン異常成長事件』に関与したの、アナタでしょ? 前回は単独か複数かわからないけど、今回はわざわざ王都に侵入しているのにやることがおかしいもの」
会話で時間を稼ぎつつ、どうやってその結論に至ったのか俺にはわからないことを口にするアレク。
「目的が曖昧で、指し筋が雑……ああ、やっぱり前回は単独じゃなくて複数かしら? それもアナタ、別口じゃない? 『魔王の影』にも派閥や方針の違いがあったり――」
「っとぉっ!?」
リンネの姿が消えた。それを認識した瞬間俺も動き、アレクの首を刎ねるべく振るわれた刃を辛うじてのところで防ぎきる。
「ふふっ、駄目よぉ? いくら図星だからってそんなことをしちゃあ……相手に確証を与えるだけなんだから、ね?」
瞬時に飛び退いて間合いを測っているリンネを見ながら、余裕綽々といった様子でアレクが言うが……今の割と危なかったからな?
「アレク、我が友よ。挑発はほどほどにしてくれ。俺の腕じゃ君を守り切れる保証がない」
「まあ、ひどいわミナト君。友達は守ってくれるって信じているのよ?」
「ハハッ……初陣にしちゃあ良い度胸だ。でも本当に頼むよ。俺はともかく、カリンがもたない」
俺はアレクと面識があるが、カリンにとってはそうではないはずだ。本当、アレクは外見は不審者だし、カリンからすれば何が起きているのかと理解できないだろう。いきなり実戦に放り込まれた緊張と焦りで精神が限界を迎え、倒れてもおかしくない。
「あらあら、これは失礼。それじゃあお詫びにこれはプレゼント、と」
そう言ってアレクは発現していた道化師の面をカリンへと向ける。すると道化師の面が消え、カリンの体が仄かな光を放った。
「完璧とは言わないけど、これで少しは相手の攻撃も防げるはずよ? ミナト君には――」
「タイミングを見て援護を頼む! カリンは撃てるなら攻撃を!」
叫び、再び踏み込んできたリンネと刃を交える。速度を活かした連撃を最小限の動きで弾き、時には体にかすらせながら、ギリギリのところでアレクとカリンを守り抜く。
「すごいわねぇ……『雷光速』、いえ、『疾風迅雷』? そ、れ、な、ら」
背後に庇うアレクから魔力が放たれる。それを感じ取ったのかリンネがアレクを狙おうとするものの、防御だけに集中している俺を突破するには至らない。
「『猛火』、『水泡』、『土塊』、『疾風』、『金剛』」
「っ!?」
アレクから放たれた補助の魔法……それぞれ攻撃力、回避率、魔法防御力、速度、防御力を増加させる魔法が俺にかけられる。
下級の補助魔法のため全て三十秒(3ターン)30%アップ程度だが、能力値が三割増しになったと思えば非常に大きい。
「そしてごめんなさいねぇ、リンネちゃん? 『延焼』、『浸食』、『泥沼』、『蔓延』、『発錆』っと」
続いて放たれたのは、リンネへの妨害の魔法だ。こちらもそれぞれ下級ながら、継続ダメージ、防御力、魔法防御力、速度、攻撃力の低下と助かる援護だ。
『延焼』の継続ダメージは1ターンあたり最大HPの3%減少を3ターンとそこまで強くないが、痛みで集中を阻害する効果も狙えるだろう。
(は、はは……ゲームで知ってはいても、バフとデバフをここまでばら撒けるとは……まだ『花コン』が始まってないんだけどなぁ……たしかにゲームでも登場した時点でこれぐらいは出来てたけどさ……)
思わず乾いた笑いも出るわ、と考えてしまう。リンネは先ほど『疾風迅雷』を使っていたが、下級魔法とはいえここまでデバフを盛られると効果は半減しただろう。いや、効果が切れて純粋なデバフになってるかな?
モリオンも援護の魔法を使えるが、攻撃魔法の万能さに特化しているためアレクには到底及ばない。逆にアレクは攻撃魔法が使えないが、それぞれの特徴に合わせた運用をすれば良いだけだ。
「これで勘弁してね? アタシってばこういう搦め手ばっかりで、攻撃魔法は全然だからミナト君に全てお任せしちゃうわ」
「ああ、任された」
タイミングを見てかけ直すから、と告げるアレクに頷いて返す。いや、本当にすごいし十分な援護だわ。
「……やはり、厄介な手合いですね」
そしてリンネはといえば、間合いを取ってから吐き捨てるように呟く。ああ、俺もアレクが敵に回れば厄介過ぎると思うわ。
それでも今は味方であることに感謝しつつ、今度は攻勢に出るべくリンネに向かって駆け出すのだった。




