第71話:父と子
オリヴィアと別れた後、俺はゲラルドと合流して王都の別邸へと戻ってきた。そして別邸に入る前に立ち止まり、屋敷を見上げる。
「…………っ!?」
視線の先、二階の一室からこちらを見ているレオンさんと目が合った。俺に気付くと目を大きく見開き、息を飲んだのが表情から伝わってくる。
正直なところ、肉体はともかく精神が疲弊していた。このまま自室代わりの客間に行ってベッドに飛び込みたいところだが、今はレオンさんを最優先にするべきだろう。
俺は足を引きずるようにしてゆっくりと、別邸の中を進んで行く。王立図書館を出てから合流したゲラルドが心配そうに隣を歩き、すれ違うメイドさんや執事達からも気遣わしげな視線が飛んでくる。アイヴィさんに見つかったら大騒ぎになりそうだ。
それでもゆっくり進んで行くと、政務用の部屋の前にレオンさんが立っていた。どこか気まずそうに、視線を彷徨わせて言葉を探すように、所在なさげに立っていた。
「ミナト……」
「父上……」
互いに呼び合い、そこで止まってしまう。事情はわからずとも状況を察したのか、ゲラルドが遠巻きに見ていたメイドさん達を連れて離れていったのがありがたかった。
「……これを。オレア教の教主殿からです」
「あ、ああ……そうか……そう、か……つまりミナト、お前は……」
「ええ。俺は人間です。『魔王の影』なんかじゃない、父さんの子どもです」
俺がそう答えると、レオンさんが俺に向かって両手を伸ばして抱きしめてくる――その直前で、何かを堪えるように動きを止めた。
「っ……まだ俺を、父と呼んでくれるのか。お前を疑い続けて、最終的な判断を教主殿に託した俺を……まだ、父と……」
自分にそんな資格はない、と言わんばかりにレオンさんが言う。
「俺は、お前を信じ切れなかった。大切な息子だとわかっていたのに、『魔王の影』だと疑い続けた。恨むなら恨め、怒るなら怒れ。お前にはその権利がある」
そう言って、俺を真っすぐに見つめてくるレオンさん。俺が赤ん坊の頃から子煩悩なところを見せていたレオンさんらしからぬ、大領の領主としての眼差しがそこにはあった。
だが、俺としては、だ。
「いえ、こちらこそ謝罪します。言い訳にすぎませんが、疑われても仕方がない言動が多すぎました」
何を言うべきか迷ったが、俺の言動が誤解と疑惑を招いたという自覚があった。そのため素直に頭を下げて謝罪する。
振り返ってみれば、何故あんな言動をしたのかと思うことが多かった。そしてその結果、レオンさんは俺が『魔王の影』ではないかという疑惑を深めていったのだろう。
(オリヴィアに判別を頼んだのは、レオンさんにとって最後の賭けだったんだろうな……)
オリヴィアも、俺が九割方『魔王の影』だと疑っていた。残りの確率で人間だと賭けるには一割という数字はさすがに低すぎるだろう。
それでも、オレア教の教主という多忙かつ接触するだけでも大変そうな人物に頼み、俺が人間かどうかを見極めた。
それはきっと、俺が人間だと。自分の息子だとレオンさんも諦めきれなかったからで。
「サンデューク辺境伯家の当主としてやるべきことではあったが……お前に恨まれても当然だし、自ら選んでやったことだ。謝罪は」
「父さんっ! 本当にごめん!」
サンデューク辺境伯という仮面を被って接してくるレオンさんに対し、俺は息子として正面から抱き着いた。少しでもレオンさんの気持ちがまぎれるようにと。先ほど伸ばされた両腕に応えるようにして、真っ向から。
レオンさんの言う通り、俺も怒りを露わにするべきなのかもしれない。よくも疑ったなと怒鳴り散らすべきなのかもしれない。
俺に非がなければ、きっとそうしていたしそれが正しいのだろう。だが、俺としては疑わせてごめんなさいという感情が真っ先に出てきてしまったのだ。
「っ……ミナ、ト……」
言葉を続けようとしたレオンさんの言葉が途切れ、両腕が空しく揺れる。しかし数秒もすると両腕が俺の背中に回され、ぎゅっと抱き締め返された。
「貴族として……謝罪はできん。だが、父としては……本当に、すまなかった」
絞り出すようにして聞こえてきた、レオンさんの言葉。それを聞いた俺は返答の代わりにレオンさんを抱き締める両腕に力を込めたのだった。
そうしてレオンさんの抱擁を受け止めていると、遠目にアイヴィさんの姿が見えた。おそらくは執事かメイドさんの誰かが呼んできたのだろう。
まずい、騒がれるかもしれない、と思った俺だったが、アイヴィさんは俺達の様子を見ると僅かに目を見開き、続いて微笑んでから踵を返す。それを見た俺はレオンさんの背中を軽く叩くと、苦笑するようにして言った。
「父上、さすがにここだと目立ちます。部屋に入りましょう」
「そ、そうだな」
呼び方を普段のものに戻して促すと、レオンさんも我に返ったのか頷いてくれる。
俺達はそのまま執務室へと入ると、レオンさんが執務用の椅子に座り、俺は来客用の椅子を持ってきて座る。そうしてレオンさんと向き合い……うん、困った。疲れているのもあるけど、さっきの抱擁の後に何を話せばいいんだ。
「あー……その、父上? 一応聞いておきたいんですが、俺ってそんなに『魔王の影』って疑われるような行動をしていました?」
自覚がゼロとは言わないが、どれほど怪しい行動をしていたのだろうか? 客観的にどう見えていたのか確認したいんだが。
そう思って尋ねると、レオンさんは複雑そうに表情を歪める。
「お前の行動自体はそんなに……コハクやモモカへの接し方を見れば『魔王の影』とは思えなかったしな。それに屋敷の者達への態度もそうだ。少々……いや、かなり甘い……優しいと言った方がいいか? でもな……」
「なんでそんなに言葉に詰まってるんです?」
普段と違い過ぎるレオンさんの様子に、さすがに苦笑が漏れてしまう。
「なんでも何も……いくら貴族の義務とはいえ、息子が殺されるかもしれない状況だったんだ。それに許可を出した身である以上……その、なんだ。どう接すれば良いか、迷うだろ」
「まあ、それもそうですよね……やっぱり俺の方が怒ったり泣いたりした方がいいんですかね?」
「俺に聞くな。お前がそうしたいと思ったらそうしてくれて良いし、受け止めるが」
貴族の義務とはいえ俺は『魔王の影』かと疑われ、レオンさんは息子を疑わざるを得なかったんだ。俺としては怒るべきなんだろうが……全部ではないけどオリヴィアに『花コン』のことを話せてスッキリしたし、さっきの抱擁もあってこれ以上怒る気もない。
借りてきた猫みたいに縮こまっているレオンさんを見ると、怒りをぶつける気が霧散してしまう。むしろ長期間俺を疑い続けて、その上で俺に悟らせず隠し続けた辛さを労わるばかりだ。
本当に申し訳ないと、そう思う。
「えっと……それなら尋ねたついでに興味本位でもう一つ、仮に俺が殺されていたらどうするつもりだったんですか? 陛下からの勲章の授与とか、色々問題がありますよね?」
とりあえず、助かったからこそ聞けることを軽口混じりで尋ねる。悪趣味な質問と言われたら否定できないが……俺の死刑執行にゴーサインを出したようなものだし、聞くだけ聞かせてもらおう。
「お前はうちの嫡男だ。それも、『王国北部ダンジョン異常成長事件』で名前が大きく売れた。『魔王の影』だったから殺したなんて気軽には言えない。だから、その場合は新たな嫡男に全てを引き継いでもらうつもりだった」
「……コハクですか」
俺のスペアとして教育されているコハクを領地から連れてきて、そのまま俺が挙げた功績をスライドして与えるつもりだったのか……それってコハクも色々と歪むやつでは?
「お前が『魔王の影』だったとしてもこれまでの行いは本物だ。心からの納得はできないだろう。あの子もそうだが、ウィリアムやゲラルド、お前と共に戦った騎士や兵士達も不満に思うはずだ。俺がこう言うのもおかしな話だが……本当に良かった」
やっぱりそうなるか、と思いながら頷く。
「話を戻しますが、『魔王の影』っぽくないのにそれでも『魔王の影』だと疑われた理由というのは……」
「お前が挙げた功績が大きすぎるからだ。異常成長したダンジョンで防衛戦を行うこと自体は良いとして、死者数ゼロ、ボスモンスターの撃破というのがな……お前自身、出来過ぎだと思うだろ?」
「それは……はい。『致死暗澹』でこちらの兵士が一人も死んでいませんし、さすがに出来過ぎだろうと自分でも思っていました」
『花コン』を基準にするなら、兵士十人が全員33%で即死するという確率を運良く突破した形になる。そしてそれ以上に、ボスモンスターが移動してトーグ村に来たというのがなぁ。
(運良く2%以下の確率を引いて全員無事だった……それならまだわかる。運が良かったで済む。でもボスモンスターの移動はなぁ……)
現実に即してボスモンスター自ら殺しに来たのかもしれないが、ボスモンスターが死ぬこととダンジョンの崩壊はイコールだ。
ボスモンスターが自分から動いて敵を排除に行き、そこにいたのがランドウ先生みたいな強者だったらどうなる? 『王国北部ダンジョン異常成長事件』に限っていえば、アルバの町に行っていればウィリアムが倒して終わっていただろう。
それがわざわざ俺の方に来た。そして俺は死にかけたし激戦だったが、殺されることなくボスモンスターを倒してダンジョンを破壊した。その上で俺が守っていたトーグ村は死者数ゼロだ。
(……俺が『魔王の影』で、名前を広めて影響力を高めるためだった、なんて考えると筋が通るわな。問題はなんでこの思考にすぐさま行きつかなかったか、だけど……)
今は意識がはっきりしていると断言できる。そもそも単純に思考が至らなかっただけって可能性は……うん、ゼロとは言えない。
曖昧に思えた感覚はスッキリしているし、レオンさんからの誤解も解けて気が楽になっている。精神的に追い詰められて視野狭窄に陥っているという感覚もない。
(今度カリンに会ったら、詳しい話を聞かないと……)
今回の件、キドニア侯爵も一枚噛んでいただろうけど無事に乗り切れたんだ。多分だけど、カリンとの婚約者候補の件についても本当に前向きに考えてもらえるはずだ。
そんなことを考えていると、レオンさんが苦笑を浮かべる。
「ただ、それだけの功績を挙げた割にお前自身は名前を売るつもりがないようだったからな……アイリス殿下との婚約者候補の件も、揺さぶりをかけるために俺から陛下へ頼んだ。『魔王の影』なら王家の姫君と侯爵家の次女のどちらを選ぶか、どちらが得かで選択すると思ってな」
「……そこで俺がすぐにカリン殿を選んだから、馬車の中であんなことを尋ねたと」
俺は、『花コン』を基準にしていることを見抜かれたと思った。だが、レオンさんからすれば『魔王の影』として何かしらの基準があるのではないか、という疑いがあったわけだ。
「そういうことだ。キドニア侯爵にも確認してもらったが、お前がカリン嬢の婚約者候補になりたいと考えているのが本当だとわかった……そして、わかってしまったからこそ、オレア教の教主殿に頼んで今回のことを試した」
アレクに関しては何も言わないか。つまりレオンさんとは別口か、俺と仲良くなったから伏せているだけか、アレク自身の意思で調べに来たか。
「お前が『魔王の影』で、我々に予測ができないことを目的として動いているのなら止めなければならん。だが、お前が『魔王の影』じゃないなら話は簡単だ」
そう言って、レオンさんは俺を真っすぐに見つめてくる。
「お前は何かしらの方法で未来を予知して、それを元に行動している。だからこそ、カリン嬢の婚約者候補になろうとしたし、デュラハンに関してもポーションを使うなんて方法で倒すことができた……違うか?」
「――――」
俺は思わず沈黙してしまった。その反応こそが答えだとわかっていたが、レオンさんの発言があまりにも予想外過ぎたのだ。
「ち、父上? その、なんといいますか……それって推測するのが簡単な話……なんです、かね?」
だって、そうだろう? 俺の発言や行動から未来予知――正確には『花コン』の知識を前提として行動しているわけだが、それを見抜けるか?
「俺はそう思ったぞ? そもそも俺はお前の父親で、生まれた時からずっと見てきたんだ。付き合いが浅い者ならすぐにはわからんだろうが、これだけ情報が揃っていれば嫌でもわかるさ」
「それが、『魔王の影』か未来予知かの二択……と?」
「ああ」
平然と頷くレオンさんだが、俺としては素直に受け止めることができない。この世界の貴族は優秀な人物が多いと思ったが、まさかここまでとは。
そうやって俺が驚愕し、畏怖していると、レオンさんはその表情を申し訳なさそうなものへと変えた。
「お前の『召喚器』が原因なんだろう? 『召喚器』を発現してからは特に違和感がある行動をするようになったからな。『召喚器』を発現してすぐに教会に連れて行って、あんな話を聞いたから言い出すことができなかった……違うか?」
『魔王の影』が未来予知が可能な『召喚器』を発現したと嘘をつき、色々とやらかした件を引き合いに出してレオンさんが尋ねてくる。
(でも、そうか……あの頃から『召喚器』に何かあればすぐに報告するようにって……つまり、あの頃から既に疑われていた……?)
そんな風に考えていたなんて、俺にはわからなかった。それだけレオンさんの腹芸が達者だったということか、俺の目が節穴だったということか、その両方か。
それでも、今になってレオンさんを見てわかることもある。
最早その眼差しに疑いの色はなく、心から安堵しているということが。
「今回の件、お前にとって色々と不満に思うこともあるだろう。許さないと思ったのなら許さなくてもいい。でも、俺としては……本当に……ああ、本当に良かった。これでもう、お前のことを疑わなくていいんだからな」
そう語るレオンさんは本当に嬉しそうで。椅子から立ち上がって俺の方へと歩み寄るその姿は、肩に乗っていた重しが取れた、全身の力が抜けたといわんばかりで。
「それとミナト……隠しておきたいことは隠してもいいんだ。ただ、嘘をつくのはやめてくれ。言えないのなら言えないと、そう言ってくれ……頼むよ」
――その言葉はきっと、レオンさんの父親としての心からの願いだった。
「っ……」
馬車での問答で、心に蓋をして述べた嘘。それが見抜かれていた驚きと、レオンさんの言葉と態度。それらが俺の心を揺らし、気付けば頬に温かい涙が流れていた。
それは、今の体に生まれ変わり、赤ん坊の頃を除けば初めて流した涙だった。
「っ!? え!? み、ミナト!? まさかお前が泣くなんて……い、言い訳だが、これも貴族としての義務でだな!」
そんな俺の反応に、レオンさんはあたふたと慌てた様子で言う。
「父さん……俺の、『召喚器』は……」
「い、いや! それはいい! 言わなくていいんだ! そういう情報は表に出せば価値がなくなるし、話し過ぎると未来が変わりかねないだろ!? それにお前のことだ、重要な情報で話せるものは教主殿に伝えているだろ?」
俺は無言で頷く。たしかに『花コン』の主人公が召喚されることと『魔王』が発生する時期という、最重要な情報は伝えてあった。
(というか、そういう情報を他人が知ると未来予知の価値がなくなるってことまで理解しているのか……)
『魔王の影』に対して情報が洩れる危険性は考えていたが、情報を得た誰かが思わぬ行動をした結果、『花コン』が成立しなくなる可能性は否定できない。俺も考えないではなかったが、『魔王の影』に情報が洩れる危険性の方を重要視していた。
「……しかし、俺の言動だけでよくそこまでわかりましたね?」
俺は深呼吸をして平静を取り戻すと、気になったことを尋ねる。これが領主クラスの貴族全員が当然として持ち合わせている能力だというのなら、俺は領主を継げる気がしないんだが。
「かつて『魔王の影』が仕出かした未来予知詐欺の件……アレがあったからこそ未来予知を可能とする『召喚器』は危険視されたわけだが、逆に考えれば『魔王の影』にとっても危険で、実在すれば人類にとって大きな力になるというのはわかるな?」
俺は頷きを返す。『花コン』の知識をもとにして主人公を『魔王』を『消滅』させるためのルートへ進ませようというのも、見方を変えれば未来予知に近いものがある。
「それに、未来予知かそれに似た能力の『召喚器』はいつ現れてもおかしくないと考えられているんだ」
「それは……何故ですか?」
突飛というか、『召喚器』として発現するには特殊過ぎると思うんだが。
「たとえば弓の『召喚器』があるが、弓という武器が広まる前から存在したと思うか? 歴史を紐解けば人類が弓を扱うようになってから弓の『召喚器』を発現する者が現れたことがわかっている。それならたとえ『魔王の影』による嘘だろうと、未来予知の『召喚器』という存在が世界に知れ渡った以上、本当にそれを可能とする『召喚器』が生まれてもおかしくはないだろ?」
そう……なんだろうか? 前世だとなんとか理論みたいな感じで名前がありそうだけど、人間に想像できるものはいずれ実現できる、みたいな話か? 少し違うか。卵が先か鶏が先かって話か?
「そもそも、お前の『召喚器』みたいに特定の人物だけを絵として描き出すなんて、明らかに特殊過ぎるだろう。これまで聞いたことも見たこともないような『召喚器』なら、同じようにこれまでにない効果があると考える方が自然じゃないか?」
『花コン』に関しては俺自身が持つ知識だが、『花コン』に登場するキャラだけが映し出されるという意味ではたしかにそうだ。そのため完全な否定も出来ず、曖昧に頷く。
「そういうわけで、お前が隠していることは大まかながら察していた。本当は相談してほしかったが、話すとまずい能力なんだろう、ともな……これでお前が本当に『魔王の影』だったら我が家は数代もたずに終わっていただろうよ」
冗談混じりにレオンさんが言うが、『魔王の影』を輩出した家なんて人類の敵扱い不可避だ。それに俺が『魔王の影』だったら次代のコハクに対しても常に疑問が付きまとうだろうし、数代どころか当代で家を畳むことになったかもしれない。
「ただ、一応確認しておこうか。お前が持つその知識は他人に話せるものか? それとも話すと意味がなくなるものか?」
話していない以上、話せない類だと思うが。そう付け足すレオンさんに俺は頷きを返す。
「今の段階だと話しても意味がない……それが一番近いと思います。ただ、今の段階で話せる中で一番重要なものとしては、『魔王』の発生が遠くない未来……五年から六年ほど経った未来で起きると思います」
『王国北部ダンジョン異常成長事件』の影響で多少前後したと考え、大まかな年数を告げる。もっと早く伝えておけと怒られるかもしれないが、なんて少しだけ不安に思ったがレオンさんは短く、そうか、とだけ返した。
「……あの、父上? なんでもっと早く言わなかったのかって思わないんですか?」
『魔王』の発生って一大事というか、数百年ぶりに訪れる人類の危機なんだが。
「? 早くも何も、オレア教の動きを見ていれば大まかな予想はついていたし、常に備えているしな。十年はもたないと思っていたが……そうか、五年から六年ほどか……陛下がお前に勲章の授与を行う際、どれだけ負の感情を減らして後ろ倒しにできるか……相手の規模は話せるか?」
「知識だけですが、『王国北部ダンジョン異常成長事件』の時と似たような状況か、それ以上に悪い状況になるかと。それも、場合にっては王国全土でです」
「ふむ……八十八家全てが備えているし、オレア教との連携もある。だが、陛下に陳情して今一度気を引き締めさせるか……」
平然と話すレオンさん姿に、あ、本当に予測できたんだ、なんて思った。それと同時に、いっそのこと『花コン』のこともぶちまけてしまって良いんじゃないか、なんて誘惑に駆られる。
(アイリスが『魔王』を倒せる人間を召喚して、その人間が特定の人物と交流することで『魔王』を倒せるようになって、ルートによって『魔王』を『消滅』させるか『封印』できるか一時的な『撤退』か変わる……いや、これを伝えてどうしろと?)
前提としてアイリスが本当に主人公を召喚できるかどうか。これが一番のネックだ。特定の人物と仲を深めるという条件も、本人に知られるとその時点で『花コン』が破綻する。
主人公と仲良くなって絆を深めなければ人類が滅ぶと聞いて、打算なしに心からの関係を築ける者はいないだろう。
しかし主人公が召喚されなければそもそも――。
「父上……仮に、仮にですよ? 『魔王』を完全に『消滅』させることができるような人物が」
「ミナト、そこまでだ」
結局、甘えるように尋ねかけた俺をレオンさんが止める。オリヴィアも同じように止めたが、やっぱり重要な情報は話すなってことか。
「今の話だけで、おおよそ予測がついた。そうか……俺はてっきりランドウがそうだと思っていたんだが、他に現れるのか。いやでも、アイツを超えるような手練れは噂も聞かんが……ああ、そうか。だからあの時陛下の提案をきっぱりと断ったのか」
「っ……」
え、嘘、今の会話でそこまでバレるの? なんて心底俺は畏怖する。
レオンさんは平然とした様子だが、情報がつながったのかその表情には納得の色があった。
(というか、ランドウ先生が『魔王』を倒せるって思ってたのか……合ってるし、俺の行動からアイリスが召喚するってことまでバレるのかよ……)
それだけ俺が迂闊な行動をしていたのか、それとも身近かつ優秀なレオンさんだからこそ辿り着けた結論か。
それはわからないが、今の俺にとっては切実に思うことがある。
「父上、今からでもコハクを跡継ぎに指名しませんか? 俺、父上の跡を継ぐ自信がなくなったんですが」
「なあに、『魔王』をどうにかした後なら嫌でも自信がついてるだろ。お前は俺の自慢の息子だからな……お前が『魔王の影』じゃなくて、本当に良かった」
そう言って微笑むレオンさんに、俺は反応に困りながら、最終的には笑って返す。尊敬を超えてもはや畏怖しそうだが、父親に――家族に恵まれたことに今更ながらに深く感謝したかった。
「ただ、『召喚器』の時も言ったが、何か気になることがあればすぐに相談しなさい。これでもお前より長く生きているからな。世の中を多少は広く、上手く見ることができるはずだ」
「……そりゃもう、実感しましたよ……ええ……」
やっぱり、『花コン』の情報を覚えている限り伝えて何かアドバイスをもらった方がいいんじゃないか?
そんなことを考えたものの、それは表に出すと価値がなくなる情報だ。情報が漏れた場合、『魔王の影』はアイリスを最優先にしつつメインキャラを殺していくだろう。
そして今のレオンさんのように、『魔王の影』が推測できる情報を与えるのもよろしくない。
(これからはもっと行動に気を付けるべきか……)
もっと上手くやらなければ。そう思いながら、レオンさんと腹を割って話せたことに今ばかりは安堵する俺だった。
その後、俺は自室代わりの客間で安心してベッドに倒れ込み、大きな息を吐いてから目を閉じる。本当に疲れたけど、レオンさんからの誤解も解けて良かった。
そして今日の出来事を一から思い出すように振り返り――。
(……あれ? そういえば結局、メリアは何をしたかったんだ? やっぱり俺が『魔王の影』だった時に備えて隠れてたのか?)
でも、それなら俺の前に姿を見せる必要はないはずだ。ない……よな? うん、ないはずだ。レオンさんの思考力を目の当たりにしてからだと判断に自信が持てないけど。
一応、自分の『召喚器』を発現してページを確認してみるけど……ページの追加はないし、変化したページもないな。
そうなると、一体……。
(……え? まさか本当に幽霊だった? メリアに似た幽霊? い、いや、メリア本人だよな。顔を見せた理由がわからないだけで……でもあんな意味深な行動をしていたのに、俺の『召喚器』に変化はない……あれ? ページが追加される条件を間違えてる? もしくはあんな行動をしておいて俺に対して何も思わなかった?)
困惑するが、最初は俺が『魔王の影』だってオリヴィアも疑っていたし、不意打ちするはずだったメリアが先に顔を見せてしまったから焦っただけなのだろう。何故先に顔を見せたのかは、相変わらず謎なままだが。
(王都を発つ前に、また図書館に行って尋ねてみるか)
それで会えるかはわからないが、オリヴィアが何かしらの理由を聞き出しているかもしれないしな。俺はそんなことを考えつつ、睡魔に身を委ねて目を閉じる。
『魔王の影』ではなく、本当の人間として認められたことに心から安堵して。
――お前は、この世界の一部の人間を『花コン』のキャラとして見ているのに?
「ッ!?」
そんな自分の声が聞こえた気がして、先ほど感じたもの以上の痛みが胸を刺す。まるで前世の死因になった刺し傷のように、心臓を刃物で突き刺されたように、激しい痛みが走った。心臓だけでなく胃にも痛みが走り、吐き気が湧き上がってくる。
レオンさんは未来予知が影響してのことだと言っていたが、俺の歪な判断が『魔王の影』だという疑惑を招いたことを否定できない。
『花コン』のメインキャラを一人の人間として尊重し、接していかなければ今回のようなことがまた起きるだろう。
それに加えて、未来のことをレオンさんにも少しは話せたものの、『花コン』が始まってからの舵取りをどうするか。まずは主人公が召喚されないことにはどうしようもないが、着実にその日が近付いてきていると思えば胃に穴が開きそうなプレッシャーがある。
「っぅ……き、つ……」
心臓と胃から伝わってくる痛みに、自業自得だと自分に言い聞かせながら。睡魔が俺の意識を奪ってくれるのを、ただひたすらに待つのだった。




