第61話:道化師 その1
王都における、貴族の邸宅。
それは王都に集まる国中の情報の収集や王家との折衝、他家との外交や商家との取引など、良くも悪くもパエオニア王国の中心である王都だからこそできることをやるための場所であり、その敷地内は領地と同様に扱われる。
つまり、敷地内における生殺与奪の権利は王都側ではなく領主側にあり、うっかり迷い込んでしまった王都の民を処断してしまっても王家から文句を言われない程度には領主側の権力が保持される場所だ。
前世の感覚で言えば大使館や総領事館のように、治外法権が及ぶ場所という認識でいれば大きな間違いはない。ただしこの世界は色々な面で前世ほど進んでいないし、王家側との面倒を避けるためにも王都で強権的に振る舞う貴族は滅多にいないが。
「貴様何者だ!?」
だけどまあ、不審な侵入者に関しては容赦も遠慮もいらないぐらいには権限が保証されているわけで。道化師メイクの不審者に対して即座に剣を抜いて構えたゲラルドは微塵も過激ではなく、むしろ真っ当といえるだろう。
しかも、ただの不審者ではない。顔は白塗りのホワイトフェイス。右目の周りに赤色の星、左目の下に赤い涙。口周りも赤く塗られ、青緑色の髪をオールバックにして先端を赤い髪留めでまとめている。
服装は魔改造して着崩したビジネススーツに近い形状で、色は赤青緑の三原色が散りばめられていた。その上から三原色でまだら模様のコートを羽織っており、靴は先端が伸びた上で曲がっている革靴と実に派手な外見だと言えるだろう。
それは、どこからどう見ても不審者だった。十人に聞けば十人が不審者だと答えるような、奇天烈な外見だった。道化師とピエロの中間みたいな外見の不審者だった。
「あらぁ、怖いわねぇ。常に余裕を持っていないと見落としちゃいけないものを見落とすわよぉ?」
そう話す声色は中性に近いが男性のもので、品を作るように艶めかしい動きをしつつ、不審者が近付いてくる。そこに敵意はなく、ただ不審なだけだ。いや、不審なだけでも斬るに足る場所と立場の貴族を相手にすごい余裕だわ。
「貴様……」
剣を構えたゲラルドが殺気立つ。モンスターが相手とはいえ初陣としてダンジョンで防衛戦を行い、生き延びたこともあって一端の剣士らしい迫力があった。
「…………」
それまでストレッチをしていたモリオンも無言で立ち上がり、持ち上げた右手を不審者へと向けている。魔法を使う際に手を向ける必要はないが、明確に魔法で狙っているというアピールなのだろう。
そして俺はというと、突如としてやってきた不審者相手に警戒していた――なんてことはなく、むしろ歓喜していた。
(この見た目、仕草、口調……王都で会えるかわからなかったけど、向こうから来てくれるとは……!)
彼こそ、この『花コン』が現実と化したかもしれない世界で数少ない、一目で原作キャラだとわかる人物だ。
――アレク=サンドライト=オプシディアン。
オプシディアン子爵家の長男にして、『花コン』でも屈指の人気キャラの一人だ。
『花コン』の発売前、外見や性格、口調が公表された際は『道化師ってだけでも強そうなのにこの口調……これは強キャラに違いない』と話題になったキャラである。
そしてその予想を裏切らず、強さや人格、キャラ立ちから人気を博した。ただし強いと言ってもランドウ先生のようにわかりやすい強さではなく、味方の能力値を上げるバフ、敵の能力値を下げるデバフを得意とした補助役だ。
『花コン』の終盤になるまで育てたアレクにバフとデバフをばら撒かせ、ランドウ先生が必殺技を叩き込めばそれに耐えきれる敵はほとんどいない。大抵のボスキャラでも一気にHPを削れる。
問題は耐えきれる敵っていうのが『魔王』や『魔王の影』といった、一番倒したいのに倒せない、そもそも遭遇すること自体避けたい相手だってことぐらいか。強化する相手が主人公なら『魔王』だろうと『魔王の影』だろうと有利に戦わせてくれるため、その評価が落ちることはないが。
ちなみにキャラクターの人気投票では男性部門で二位、女性部門では九位、総合で三位である。その口調からプレイヤーによっては女性部門に票を投じたことで女性部門でも順位を得たが、結果としてナズナよりも上位の人気ぶりという……うん。
そんなアレクだが、性格は曲者で切れ者で賢者だ。モリオンも神童と呼ぶに相応しい知力があるが、アレクはどちらかというと頭の回転が早いタイプの天才である。学校のテストで満点を取るのがモリオンならアレクはクイズや謎解きで満点を取る、といった感じだ。
もっとも、アレクは『花コン』で描写された感じだと学園のテストも上位の成績だったけども。
その性格と振る舞いから、プレイヤーからは姉貴兄貴とあだ名された人物だ。
「二人ともそこまでだ。構えを解け」
兎にも角にも、今はモリオンとゲラルドを止めなければならない。アレクなら自力で対処できるだろうけど、万が一にも怪我を負わせるわけにはいかないのだ。
「しかし若様、不審者です」
アレクから視線を外すことなく、ゲラルドが言う。うん、外見が不審者過ぎて剣を下ろしにくいのは認める。
「今、彼も言っただろう? 見落としてはいけないものを見落とすってな……うちの門番が止めずに通したんだ。不審者じゃないし、彼にはその権利がある」
俺は訓練のために振っていた剣を鞘に納めると、アレクへと真っすぐに視線を向けた。
「お初にお目にかかる、オプシディアン家の道化師殿。私はミナト=ラレーテ=サンデュークだ。貴殿に会えて光栄だよ」
「あら……これはこれは、ご丁寧な挨拶痛み入りますわぁ。それにアタシのことを御存知のようで……サンデュークの神童、若き英雄様はさすが、博識ですわねぇ」
「…………?」
アレクの反応に僅かな違和感を覚える。あくまで『花コン』を通して性格を知っている程度だが、いくらこちらが名前を知っているとしても名乗った以上は名乗り返すのが礼儀で、アレクがその辺りを疎かにするとは思えなかったのだが。
(初めて会った時のモリオンみたいに、俺に対して何か悪い感情を持っている? いや、モリオンはまだわかるけど、アレクに悪く思われる理由が見当たらんぞ……)
『花コン』でも特別な関わりがあったわけではない。立場と性格上、アレクはミナトが落ちぶれても見下す周囲と違って公平に接していた。今の俺と『花コン』のミナトでは全くの別物だとしても、ここまで露骨な態度は見せないはずだが……。
「オプシディアン家……なるほど、それなら兵士が止めなかったのも納得です」
そう言いつつ、向けていた右手を下ろすモリオン。それでも魔法を撃とうと思えば即座に撃てるよう魔力を集中させているため、心の底から警戒を解いたわけではないのだろう。
アレク――というより、オプシディアン家は代々道化師を務めている家だ。
前世の世界で道化師というと中世ヨーロッパの宮廷道化師か、サーカスのピエロか、創作のキャラクターか、そんなところだろう。
『花コン』における道化師とは役割的に中世ヨーロッパの宮廷道化師に近く、優れた知性と知識をもとに他者への助言や批判を行うのが仕事である。
その職務上王族への批判すら許可されており、貴族も助言や批判の対象だ。そのため彼ら、彼女らオプシディアン家の者達を領内や邸宅内に受け入れないのは、他者の言葉に耳を貸す器量も度量もないと周囲に見做される。
そんな理由から当家の別邸を警護する兵達も素通りさせたのだろう。その多くがジョージさんに付き従ってトーグ村に赴いているが、不審者を通すほど平和ボケしてはいないのだ。
ゲラルドがアレクに対して警戒が厳しいのも、ある意味当然と言えば当然である。オプシディアン家の者達は貴族相手にも自由に振る舞うが、その対象はあくまでも王家の直臣のみ。陪臣とは関わることがほとんどないため、ゲラルドからすれば本当に見知らぬ不審者でしかないのだ。
それもこれもオプシディアン家は子爵位で直臣の立場にあり、王族に対しては諫言、直臣の貴族には同格としての助言という建前が用意されているのである。
なお、道化師として他所の貴族の領地や邸宅に立ち入りできるのは、王家からのスパイで情報収集を兼ねているのではないか、なんて説も『花コン』ではあったが。
(そんなアレクが失礼承知でこんな態度を取るってことは、何か意味があるんだろうけど……)
なんだろう? と内心だけで首を傾げるが、モリオンやアレクと違ってこっちは鍍金の神童だ。情報があれば何かしらの見当をつけられるとしても、今はピンとくる答えがない。
「名前を聞いても?」
とりあえず、まずは普通に交流するとしよう。今はまだ『花コン』が始まる前で、お互いに十二歳だ。名乗り忘れることもあるだろう、と自分を納得させる。
「あらやだ、アタシったら名乗るのを忘れるなんて……名乗らなくても通じるぐらい名前が売れたって勘違いしちゃったのかしら?」
そう言ってアレクは笑い、仰々しい一礼をこちらへ向ける。
「東部貴族の俊英様は御存知のように見えるけれど……アレク=サンドライト=オプシディアンと申します。以後お見知りおきを」
「ああ、よろしく。同い年ぐらいに見えるし、アレクと呼んでも? 俺のことはミナトと呼んでくれると嬉しい」
俺は右手を差し出しながら尋ねる。馴れ馴れしいと思われるかもしれないが、敵対的でいられるよりは味方であってほしいし、握手に応じるかどうか反応を見たい。あと、俺に対する呼び方に関しては『花コン』でそうしていたからだ。
そんなことを思う俺だったが、アレクは何故か目を見開いていた。しかしそれもほんの数秒のことで、すぐさま笑顔を浮かべたかと思うと握手に応じてくる。
「構わないし、アタシとしても喜ばしいけれど……剣士が利き手を簡単に差し出すなんて驚きだわぁ」
「なに、敵意のない相手を警戒しすぎるのは失礼だろ?」
言動に失礼な部分はあったが、アレク個人の意図ではないと判断して笑う。それにわざわざアレクの方から出向いてきたということは、何か意味があるということを『花コン』を通して知っている。
現実とゲームは違うものだが、アレクに関しては『花コン』での印象の大部分が当てはまるだろう、と思えた。
その理由を定義するなら勘に近い。だが、一応は貴族としての教育を十年近く受けてきた上での勘である。見た目や言動は奇怪だが、信頼するに足る相手だと思えたのだ。
それに、これまでのアレクの言動から少しは思い当たる節もある。
(サンデュークの神童、若き英雄、東部貴族の俊英……俺を指して言ってるんだろうけど、わざわざ呼び方を変える……名前が売れたって言葉に、失礼な態度……)
これはアレだろうか? そういう呼び方をしている人もいれば、俺に対して思うところがある人もいるって言外に伝えてきているんじゃないか?
それを直接、どこの家の誰が喋っていた、なんて言うと告げ口になる。そのため迂遠に、俺が気付くことを期待しての言葉と態度なのだろう、多分。
ついでに、どことなく俺を探るような、観察するような気配があった。俺としては予想外で予定外のことだが名前が売れてしまったし、同年代として気になったんじゃないだろうか。
(職務上、色んな人に接触しないといけないだろうしな)
優れた知識や知能も必要だが、道化師として認知されることもアレクにとっては重要だ。だからこうして顔をつなぐついでに警告をしておこうとでも考えたのかもしれない。
「それに、わざわざこうして善意で警告にきてくれたんだ。ありがたく思いこそすれ、警戒はしないよ」
「……何のことかしら?」
とりあえず指摘してみると、僅かに反応が鈍かった。うーん、ここまで露骨な反応を見せるなんて、案外アレクから親しみを持たれている……のか? もしくは俺と同じで十二歳だし、まだまだ脇が甘いだけか?
そんなことを考えた俺だったが、アレクの方からわざわざ来てくれたことに感謝し、一つ提案することにした。
「アレク、君さえよければ少し付き合ってほしいことがあるんだが……時間はあるかな? 『王国北部ダンジョン異常成長事件』について、君の意見が欲しいんだ」
「…………え?」
せっかくだし、『花コン』でも屈指の知恵者の力を拝借するとしよう。




