第5話:問題点を探せ その1
門松は冥土の旅の一里塚。
かつて俺が生きた日本という国で、そんな狂歌を詠んだ人がいる。門松を飾る度に一つ歳を取って死に近づくため、めでたくもありめでたくもなし、と続く有名な狂歌だ。
『花コン』の世界に生まれ変わって早五年。俺はなんとなくその狂歌を思い出していた。
この世界で歳を重ねるということは『花コン』の舞台が、『魔王』の発生が近付いているということでもある。しかし五歳になってもできることには限度があった。
精々、日々の勉強や訓練に励むぐらいである。これも死んだら意味がなくなるんだよな、なんて考えると気が滅入るし胃が痛くなるけれど、励んだ分は成長していると思いたい。
今のところナズナとの関係は良好で、弟妹であるコハクとモモカもよく懐いてくれている。コハクは少しばかり引っ込み思案で、モモカは元気いっぱいの腕白娘って感じに育っているけど、とりあえず問題はないだろう。小さい子どもっていうのは短期間でけっこう変わるしね。
嫡男である俺と違い、コハクとモモカは貴族としての本格的な勉強は始まっていない。文字の読み書きや算数、礼儀作法といった勉強は始まっているが、俺と比べるとゆっくりとしたペースだ。俺とナズナみたいな関係の従者もいない。
それなのに『花コン』だとミナトよりコハクの方が遥かに優秀で、能力的にも人格的にもサンデューク辺境伯を継ぐのはコハクの方が良いと家臣や領民に思われてしまうのは……よし、気にしないことにしよう。可愛い弟が優秀でお兄ちゃんは嬉しいよ、うん。
そんなわけで勉強や運動に励みながら過ごしていたある日のこと。俺は朝から父――レオンさんに呼び出されていた。
「……この屋敷内の問題点を見つけろ、ですか」
「うむ」
そして、向かった先のレオンさんの執務室で切り出されたのはなんとも反応に困る課題だった。
レオンさんとは親子だから接する機会が多いが、実母であるローラさんと比べると少ない。当主としての務めで屋敷を留守にすることもあり、乳母であるアンヌさんと比べればその機会は希少だと言えるほどだ。
それでも屋敷にいる時は何かにつけて顔を出すし、俺の教育に携わることもある。アンヌさんは子爵夫人として相応に教育を受けているものの、さすがに辺境伯には劣るからだ。
上に立つ者としての振る舞いや家臣の扱いに関して学ぶのが主だが、今日はこれまでと異なる趣向らしい。
「家令が目を光らせていますし、なにより父上が上に立たれている以上、大きな問題はないと思うのですが……」
俺が生まれた時は二十歳を超えた程度だったレオンさんも、既に二十代の半ばだ。コハクとモモカが生まれる際はオロオロとしていたが、貴族として見るなら重厚な貫禄が漂い始めていた。
そんなレオンさんを頂点に据えたサンデューク辺境伯家は順調に運営されており、その居城ともいえるこの屋敷で高々五歳児に見つかるような問題点はないと思うんだが。
(というかレオンさん、この若さで辺境伯なんだよな。日本ならデカい会社の社長……いや、そんなもんじゃないか。けっこう大きな国の王様みたいなもんか)
領地を治める貴族はその土地の支配者であり王だ。パエオニア王国では王家を国のトップに戴いているが、サンデューク辺境伯家では眼前のレオンさんこそが主にして王である。
当然、そんなレオンさんの屋敷で働く家臣は優秀で、末端に至るまできちんと教育がされている。仮に問題があっても俺に判断できることだろうか?
「お前の目線から見た問題点でいいんだ。人間関係でもいいし、使用人達の働きぶりでもいい。子どもならではの視点というのも大切だからな」
「なるほど……そういうことでしたら庭を含めて屋敷全体を見回っても?」
「許可する。敷地の外に出ないならコハクとモモカを連れて行っても構わない」
コハクはともかくモモカは勝手についてきそうだったけど、許可が下りるなら連れて行くか。子どもならではの視点がどうのっていうなら複数いた方がいいだろうし。
しかし、問題点か……一応、すぐに思い浮かぶものはあるけど。
「父上、念のために確認しておきたいのですが、コハクとモモカが双子で継承権に関する問題があるというのは含みませんよね?」
「……それは気にするな。嫡男であるお前がいる」
「いえ、俺が死んだ場合はどうするんですか?」
俺がいるから問題ない、というのはどうだろうか。『花コン』ではコハクの方がモモカより継承権が上で、コハクに何かあればモモカが入り婿を取っていたけど。
ちょうどいい機会だから尋ねてみると、レオンさんは眉間にしわを寄せている。しかしそれもほんの数秒のことで、表情を柔らかいものに変えてから俺の傍まで歩み寄ってきた。
「お前が嫡男なんだ、ミナト。お前はこれまで通り兄としてコハクとモモカを守り、導いてくれればそれでいいんだよ」
膝を突いて目線の高さを合わせながらそう話すレオンさんに、俺は先ほどの質問への回答を求めることはできなかった。
レオンさんとの話の後。俺は執務室の前で待機していたナズナを連れて屋敷の中を歩いていた。
「若様、御当主様は一体何と?」
俺と同じく五歳になったナズナは聞き取りやすい、はきはきとした口調で尋ねてくる。アンヌさんの教育の賜物だろうけど、これで五歳児か……子どもの成長って本当に早いわ。日々どんどん成長していくのを実感するね。
「ちょっとした宿題だよ。庭を含めてこの屋敷の問題点を見つけてこいっていうね」
「も、もんだいてん、ですか」
「悪いところさ。コハクとモモカを誘ってから屋敷や庭を見て回ろうか」
これまで育ってきた場所ということで屋敷の間取りは覚えているけど、問題点を探しながら見て回ったことはさすがにない。だからちょっとした探検気分だな、なんて思って……おや?
「あれは……お母様ですね」
意識を向けた先。廊下の隅にあるちょっとした休憩スペースにアンヌさんの姿があった。その傍にはアンヌさんに近い年代の女性が三人ほどいて、何やらアンヌさんと話をしている。
俺も五歳になり、ナズナも従者としてある程度動けるようになったからか、以前ほどアンヌさんがべったりとついてくることはなくなった。今みたいにちょっとした呼び出しや散歩の時はナズナに傍付きを任せるようになったのだ。
それでも時間がある時は俺とナズナから距離を取った状態でついてきたりするけど、今回はそうじゃなかった。どうやら何か用事があったのだろう。
(でも嫡男の付き人よりも女性同士の立ち話を優先する人じゃないしな。レオンさんから何か言われてるのかな?)
子どもならではの視点で、なんて言ってたし、大人であるアンヌさんに頼らないよう手を回していたのかもしれない。
それなら声をかけない方がいいんだろうけど……アンヌさんと話している女性達が妙に真剣な表情なのが気になる。周囲に聞こえないように声を潜めているけど、女性達と違ってアンヌさんは困ったように眉を寄せているのが見えた。
「若様……」
そんなアンヌさんの姿が見えたのか、ナズナが不安そうな声を出す。それでもここでアンヌさんのもとへ駆け寄らないあたり、本当に教育が行き届いている。
(前世の俺が五歳の時なら、何も考えずに走っていっただろうな……)
ナズナとかつての自分を比較すると泣けそうになる。時代が違うどころか世界が違うけど、俺が現代日本で生きていて五歳だった頃は自制心の欠片もないただのガキだったぞ。まあ、今の俺も外見は五歳児だし、ナズナのこともあるからアンヌさんのところに行くけどね。
俺がアンヌさん達の方へ進んで行くと、それに気付いたのか三人の女性が俺に向かって一礼してくる。服装は使用人が着用するメイド服だったが、今はちょっとした休憩中なのだろう。
それでも俺が近付くとすぐにその場を後にする。近付いたら嫌がられて逃げられたみたいだけど、自分達の話よりも俺がアンヌさんと話すことを優先した結果だと思う。
「アンヌ母さん、今の人達は?」
ないとは思うけど、何か嫌がらせでも受けたのだろうか? いや、そんな雰囲気じゃなかったし、子爵夫人であるアンヌさんに喧嘩を売るような度胸がある人は滅多にいないか。
アンヌさんが嫁いだパストリス子爵家はサンデューク辺境伯家の家臣の中でも最上位の家である。分家とまでは言わないけど、かつては当家から嫁いだ人がいるため遠い親戚ぐらいの間柄だ。
パストリス子爵はうちの騎士団を率いる騎士団長で、いわば荒事部門のトップ。筆頭武官ともいうべき存在で、その奥さんであるアンヌさんに嫌がらせをしたり喧嘩を売ったりするのは危険極まりない。
もちろん嫉妬による嫌がらせがゼロとは言わないし、嫌味や文句の一つも言いたくなるのが人の性ではある。しかし子爵夫人にして俺の乳母でもあるアンヌさんに対して、あからさまな行動に出るのは自分の首を絞めるようなものだ。
アンヌさん本人がいない場所でどうなっているかはわからないが、正面から堂々と、アンヌさんに対して文句を言える度胸があるのなら逆に評価しても良いとすら思えた。蛮勇でもあるけど。
「……いえ、若様がお気になさるようなことではありませんから」
おっと、この反応は……まさか。蛮勇だと思ったけど、本当に文句をぶつけてきたのか? ただ、いくら嫡男でも女性同士のゴタゴタに首を突っ込むのはまずいか?
もしかしてレオンさんが言っていた問題点ってこれか? こういった問題にレオンさんが注意をすると角が立つから、子どもである俺の方からどうにかしろってことか?
「そう言うのなら引き下がるけど……何かあれば力になるし、出来る限りのことはするよ?」
普段から世話になっているし、俺にできることなら協力もする。それにほら、ナズナが泣きそうな顔をしているし、ここであっさりと引き下がったら将来の謀反ゲージが溜まりそう。
そんな俺の言葉をどう思ったのか、アンヌさんは困ったように微笑む。
「本当に大したことでは……少々アドバイスを求められただけのことでして」
「ほう……アドバイス」
俺を安心させるためか事情を説明し始めたものの歯切れが悪いアンヌさんの様子に、俺は内心を隠しながら首を傾げる。
「自分の子を若様のように育てるにはどうすればいいのか、と質問を受けたのです」
「……ん? どういうこと?」
思ってもみないアンヌ母さんの発言に、俺は心底から不思議に思って尋ねた。何かまずいことでも起きているのかと思ったけど、育児の相談だったとは……いや、これは俺の手には余るわ。コハクとモモカを猫可愛がりしてるけど、それは育児じゃないし。
「さて、私にもわかりかねます。当たり障りのないことしか言えず……お恥ずかしい限りで」
「うーん……アンヌ母さんの言うことなら十分アドバイスになったんじゃない?」
とりあえずそう締め括る。乳母として俺を育ててくれてるし、ナズナもどんどん成長しているし。当たり障りのないこと、と言いながら適切なアドバイスを送っていそうなんだが。
「それで、若様はナズナを連れて何をされているのですか?」
おっと、話題を変えられてしまったし、これ以上は俺も何も言えないか。
「父上から課題を出されてね。とりあえず屋敷の中を見て回って、その後は屋敷の周りを見ようかなって思ってるんだ」
俺がそう言うと、アンヌさんは僅かに目を細めて視線を逸らす。その視線の先には俺がレオンさんの執務室を出てからずっと、距離を取った状態でついてくる兵士の姿があった。
屋敷の中でも護衛が必ずいるんだよね……それも単独ではなく最低でも二人、コハクとモモカが一緒の時はその倍以上の人数がそれとなく近くにいるんだ。辺境伯家ってすごいね。
「なるほど……ナズナ、若様をきちんとお守りするのですよ?」
「はいっ!」
アンヌさんの言葉に満面の笑顔で返事をするナズナ。立場上仕方ないとはいえ、さすがに五歳児に守られるのはなぁ、なんて思いながら俺はその場を後にして。
「……私がお育てした、とは言えませんからね」
ほんの僅かに、そんな声が聞こえた気がした。