第53話:ボスモンスター その2
それは、黒い光の大波だった。
デュラハンを中心として全方位に向けて、最早壁としか言い様がない高さと分厚さを持つ黒い光が放たれたのである。
――闇属性の上級魔法『致死暗澹』。
物理的な破壊を伴いながらも33%の確率で敵を即死させる魔法だが、ソレを見た俺は思った。
(確率で即死なんて関係ないだろアレは!?)
既に崩壊していた土壁や木の柵、村の外部に近い場所に建てられていた家屋を飲み込んでいく様を見た俺は驚愕する。
初めて見た上級魔法が闇属性だなんて運が良いのか悪いのか。魔法の規模の大きさは現実味がなく、モリオンが気付いてくれなければ驚く余裕すらなかっただろう。
「魔法を撃って少しでも威力を弱めてくれ!」
俺は即座にモリオンに向かって叫ぶ。驚く余裕があるということは、対処のための一手を打てるということでもあった。
「っ!? か、『火砕砲』を撃ちます!」
俺の言葉に反応したモリオンが即座に杖型の『召喚器』を振りかざす。そしてこれまで延焼を恐れて村の中で使うことがなかった『火砕砲』を放射し、迫り来る『致死暗澹』へと叩きつけた。
(あちち……さすがに相殺は無理か)
モリオンの正面から真横へと飛び退いたものの、至近距離を通過する『火砕砲』が僅かに肌を焼く。フレンドリーファイアとまでは言わないが、魔法が味方を巻き込まないなんてことはないのだ。
紅蓮の炎が漆黒の波濤とぶつかり、歪にせめぎ合うのを見ながら可能な限り魔力を剣へと通す。そして『火砕砲』が撃ち負けた瞬間、俺は前へと踏み込んだ。
スギイシ流――『一の払い』。
全力での踏み込みで屋根の骨組みが軋むのを足裏に感じつつ、上段から振り下ろした剣の切っ先が『致死暗澹』へと食い込んでいく。上級魔法は斬ったことがないが、中級魔法とぶつかった後なら未熟な俺でも斬れると信じた。
時間にすれば一秒に満たないほんの数瞬。これまで数えきれないほど繰り返してきた形の通りに振り下ろした斬撃はたしかに上級魔法を切り裂いていく。
(かっ――おも――なん――)
だが、『致死暗澹』には実体がないはずなのに硬く、重く感じた。水属性や土属性の魔法ならまだ理解できるが、剣を通して感じた手応えは刃筋を立てずに硬い物体に斬り込んでしまったかのようだった。
それでも剣の切れ味と頑丈さ、踏み込みの強さと体重移動でなんとか強引に『致死暗澹』を両断していく。
(――――?)
ふと、妙な音が聞こえた気がした。ドカカ、ドカカ、と規則性を感じる謎の音が『致死暗澹』の向こうからかすかに響いている。それはどこか聞き覚えがある音だったが、上級魔法を真っ向から切り裂いている状況では深く思考する暇などない。
ただ、ひりつくような殺気が増大したように感じた。『一の払い』で必死に両断しようとしている『致死暗澹』を超える脅威が迫っていると、本能が盛大に警鐘を鳴らす。
振り下ろした剣が『致死暗澹』を切り裂き、俺の眼前で左右に割れていく。それはまるで波を断ち割ったかのようで――切り裂いたことで拓けた視界の先に、馬ごと跳躍するデュラハンの姿があった。
馬を含めれば高さが三メートルを超えそうな巨体が、騎乗した状態で民家の屋根を飛び越えかねない大ジャンプである。その右手には首無しながらも騎士が持つに相応しい大剣が握られ、跳躍した勢いを乗せてしっかりと振りかぶられていた。
「は?」
「ばっかやろっ! 避けろ!」
剣士である俺はデュラハンの魔力を感じ取れなかったが、魔法使いであるモリオンはデュラハンの殺気を感じ取れなかったのだろう。背後から呆けたような声が聞こえたため俺は咄嗟に後ろ蹴りを放ってモリオンを屋根から蹴り落とすと、蹴った勢いを利用してすぐさま回避に移った。
さすがに俺が踏み込むだけで骨組みが軋むような屋根の上で、何百キロもありそうなデュラハンの斬撃を、それも馬ごと跳躍した上での大剣での振り下ろしを受ける度胸はない。右手一本で行われる雑な振り下ろしだが、受けきる自信もない。
回避した俺に構わず、振り下ろされた大剣が轟音と共に屋根を両断する。それは斬るというよりも大剣の重量と勢いで無理矢理叩き割る剛撃で、屋根を分割された民家は着地しようとしたデュラハンの重みに耐えられずに砂埃を上げながら倒壊した。
「くっ!?」
それだけ派手に屋根を叩き割られた結果、空中へと逃れた俺目掛けて散弾のように木片や砕けた石が勢いよく飛んでくる。そのため咄嗟に左腕をかざして目を守るが完全には塞がない。デュラハンから視線を外すわけにはいかないのだ。
(『致死暗澹』だけでもきついのに、上級魔法に紛れて指揮官狙いかよ! 本当にモンスターかコイツ!?)
距離が離れていたし、こっちが相殺し始めてから距離を詰めたにしては早すぎる。『致死暗澹』を撃つなりすぐさま駆け出して接近に気付きにくくしたのだろう。行動が厄介すぎてくそったれと叫びたくなる。
「ごほっ! み、ミナト様!」
「着地したら距離を取れ! 援護をたの……ああくそっ!」
屋根から蹴り落としたモリオンに叫ぶようにして指示を出すが、民家を押し潰しながらもデュラハンが魔力を集中させていることに気付く。さすがにこの距離なら感じ取れたが、こっちは空中だ。
着地するよりも先に『黒弾』を撃たれ、俺は上体のねじりだけでなんとか剣を振って『黒弾』を叩き斬る。いくらランドウ先生にどんな体勢、足場だろうと剣を振るえるよう鍛えられていても限界がある。今がその限界ギリギリだ。
それでもなんとか足から着地して体勢を整えようとするが、崩壊していく民家の壁からデュラハンの大剣の切っ先が生え、そのまま壁を断ち割りながら強引に振るわれる。ついでといわんばかりに巨馬が瓦礫を薙ぎ払って即席の散弾が追加され、俺は真横へと跳んだ。
体勢が崩れるのを承知で、剣で体を斬らないよう注意しながら左手で地面を突き飛ばし、変則的な片手側転を行うことで辛うじて瓦礫の弾丸を避けきる。障害物があれば動きを制限できるかと思ったがあれは駄目だ。周囲の家屋さえこちらにとっては凶器である。
「援護します! 『疾風』! 『金剛』!」
距離を取れと言ったはずのモリオンの声が聞こえた。しかし続いた援護――『花コン』において速度を3ターン上昇させる『疾風』と防御力を3ターン上昇させる『金剛』の重ね掛けが俺の体を軽くし、デュラハンから逃げ出すだけの余裕を与えてくれる。
援護の魔法をかけたモリオンは即座に踵を返し、比較的無事だった家屋の陰へと飛び込んでいく。さっきと違って良い動きと判断だった。
(このまま距離を取って……いや、駄目か。もう一度『致死暗澹』を撃たれたら詰むな)
さっきは距離があったから気付けなかったが、距離があったからこそ相殺する時間的な余裕があった。しかし至近距離で『致死暗澹』を撃たれたらまずい。モリオンが威力を減衰してくれなければ『一の払い』で斬れるとは思えない。
また、『致死暗澹』に巻き込まれた兵士達のこともある。距離を取って遮蔽物を利用しながら遠距離攻撃に徹していたが、今は攻撃が途絶えていた。即死した可能性も捨てきれないが、瓦礫に埋もれたか痛みで動けないのなら二発目の『致死暗澹』は即死せずとも致命傷になるだろう。
(今もらった魔法の効果は3ターン……秒数でいえば何秒だ? 三十秒ぐらいか?)
デュラハンから距離を取りすぎず、それでいて一足飛びには攻撃できない間合いを維持しながら俺は駆け回る。『疾風』によって体感でそれまでの倍近い速度が出ているが、いきなりのぶっつけ本番になったが辛うじて、本当にギリギリではあるが俺の脳が対処できる範疇の速度だ。
デュラハンは崩壊した家屋の瓦礫を払うかのように大剣を素振りすると、ないはずの顔を向けるようにして俺の方へ体を向けてくる。高速で動き回っているというのに、逐一こちらを捉えているような素振りを見せていた。
相手が騎乗しているのならこちらも馬に乗って馬上戦を挑むか? いや、いくら調練しているといっても普通の馬じゃ怯えてデュラハンには立ち向かえないか。
そうなると騎兵かつ長大な間合いを持つ大剣を振るうデュラハンに対し、体格、重量、間合い、ゲーム的にいえばステータス等々で劣る俺が一対一で挑む必要が――あるか?
指揮官の仕事は死なずに指揮を執り続けることだ。『疾風』のおかげで速度が上がっているし、馬に乗っているデュラハンが相手でもこの場から離脱することができるかもしれない。
(でも追ってきそうだよな……逃げてもどこに逃げるのかって話だし。騎士達が戦力をまとめて救援に来てくれれば……他のモンスターの対処で手いっぱいだったわチクショウ)
今頃村のあちらこちらでモンスターの群れを押し留めている兵士、騎士達が全員集合すればどうにか削り切れるかもしれない。まあ、削り切る前に『暗殺唱』と『致死暗澹』でこちらの戦力を削り切られる方が先だろうが。
つまり、現状においてできることは非常に限られているわけだ。
このまま強力な魔法を撃つ暇がないぐらいデュラハンにちょっかいを出し続けて、状況を察した騎士の誰かが戦力をまとめ上げて救援に来てくれるのを待つ。最悪の場合、外部からの援軍が来るまでこのまま耐え続ける。
俺の実力じゃあ真っ向から倒すのは無理だ。『花コン』で育成すれば急成長するモリオンだろうと、中規模ダンジョンのボスを倒せるだけの実力を得られるのはまだまだ先である。だから、このまま避け続けるしかない。
ああ、明らかな無理ゲーってことを除けば、それぐらいしかできることがない。モリオンに頼んで救援を呼んできてもらうって手もあるが、援護が途切れたら即ゲームオーバーだ。ゲームのようにリトライできないから死ぬだけだが。
「モリオン! 『火球』を空に向かって撃って救援を求めうぉっ!?」
正確性に欠けるが『火球』で報せるしかない。そう思って叫ぶ俺だったが、それまで様子見をしていたと思しきデュラハンが一気に距離を詰めてきたため慌てて飛び退く。振るわれた大剣が轟音を伴いながら俺のすぐ傍を通過していく。
俺は冷や汗を流しながらもデュラハンの左側面へ逃れることを意識し、必死に間合いを調整していく。何故左側面かというと、騎乗した状態だと基本的に利き手で武器を持つからだ。
眼前のデュラハンは右手で大剣を持ち、左手で手綱を握っている。そのため左側面に回れば普通は馬が邪魔になって大剣を振るうことができない。
だが、乗っている馬は首から先がないため、位置取りを間違えると容赦なく斬撃が飛んでくる。乗っている馬もモンスターなのか、あるいはデュラハンの一部なのか、馬とは思えない動きと速度で方向転換してくるため一瞬たりとも気が抜けなかった。
「ぐっ!?」
方向転換しつつ、首無し馬の首の断面ギリギリをかすめるようにして振るわれた大剣が真横から迫る。俺は咄嗟に右膝を屈めながら剣を斜めに構え、剣と大剣が接触した瞬間に剣を跳ね上げながら斬撃を受け流した。
ブゥン、という重たい音が耳朶を叩き、斬撃の重さを証明するように両手が僅かに痺れる。それでもなんとか受け流せたため返す刃が俺を捉える前にその場を離脱しつつ、せめてもの嫌がらせにと首無し馬の前脚を軽く切りつけた。
(……生き物の手応えじゃねえな)
剣の切っ先から返ってきた手応えは、硬質なゴムの塊にでも斬り込んでしまったかのような異質な手応えである。少なくともこれまで斬ったことがあるモンスターと比べて遥かに硬い。剣に魔力を乗せ損なったせいか、単純に硬いのか。
「そろそろ援護の魔法が消えます!」
俺はモリオンの声を聞いてすぐさまデュラハンから距離を取る。体感としては数分以上攻防が続いた気がするが、思考の片隅で数えた時間は三十秒程度。やはり3ターンで三十秒程度か、なんて思った。
同時に、ハハ、と小さく笑いたくなった。
(このまま救援が来るまで耐え凌ぐ? こりゃ無理だ……どうしたもんか、ねぇ)
モリオンからの魔法があればこそ、辛うじて防戦が成り立っている。だが、モリオンのMPにも限界があり、俺の集中力にも限界がある。むしろ俺の方が先に駄目になるだろう。
「残りの魔力は!?」
「次の援護で尽きます! マジックポーションは残り一本!」
モリオンに叫んで尋ねてみれば、絶望的な答えが返ってきた。魔力(MP)を回復するためのマジックポーションは希少で、それでいて低品質のものしか用意できず、モリオンのMPを全快させるには至らない。数字でいえばMPを25程度回復させるだけだ。
「……次の機会があるなら、ランドウ先生には中品質以上のマジックポーションをおねだりするかぁ」
急速に沸き上がってきた絶望を、そんな軽口と共に吐き出す。いやはや、色々と考えてみたものの打つ手がなくなると却って清々しいわ。
低品質のマジックポーションでモリオンのMPが回復したとして、使えるのは下級の魔法二種類なら四回、中級の攻撃魔法ならこれも四回。下級の攻撃魔法なら八回程度。MPの回復量が『花コン』より増減したとして、魔法の使用回数も増減一回ぐらいか。
そして俺はといえば、かすり傷と疲労こそあれど五体満足だ。低品質から高品質のポーションがそれぞれ一つずつあるため、即死しなければ一回ぐらいなら致命傷でもなんとかなるだろう。
俺が僅かに斬りつけた傷を気にしてか、恐怖心を煽るためか、あるいはただの余裕か。デュラハンは蹄の音を響かせながらゆっくりと近付いてくる。俺は剣を構えたまま警戒するが、こちらの手札ではデュラハンを倒すには足りない。
普通のデュラハンならまだしも、ボスモンスターと化したデュラハンを倒すにはこちらの攻撃力が低すぎた。
仮にモリオンが上級魔法を使えたとしても三回は直撃させる必要があるだろうし、俺が全力で『二の太刀』を叩き込んでも何回やれば倒せるのか。いや、ゲームじゃないんだから急所を斬ることができれば一撃で勝負がつくかもしれない。どこが急所なのかは謎だが。
『花コン』の主人公なら死霊系モンスターの弱点である光属性の魔法を使えるが、この場にいないどころか今の時代には存在すらしない。
(『魔王』でも、『魔王の影』でもない……大規模ダンジョンのボスですらない……ここが俺の終着点か……)
『魔王』の発生がどうだとか、『花コン』がどうだとか。色々と考えて動いてきたつもりだが、『花コン』の始まりさえ迎えることなく命を落とすことになりそうだ。
ミナト=ラレーテ=サンデュークという存在に生まれ変わり、『花コン』を通して死ぬことがないようにと頑張ってきた結果がコレか。これならまだミナトのように傍若無人に振る舞って『花コン』の舞台で殺されていた方がマシだった。
心の中に絶望感が沸き上がり、これまでの全部が徒労に終わることに体から力が抜ける――その前に、俺は剣の柄を強く握り締めた。
ここで終わりか? いいや、まだだ。
モリオンの援護があっても数分で殺されるだろうが、裏を返せばまだ数分はしのげる。数分しのげば何か起こるかもしれない。救援が間に合う可能性もゼロじゃない。
俺は自分にそう言い聞かせ、デュラハンと対峙する。デュラハンは俺を見て一度だけ動きを止めたかと思うと、手綱を手繰って一気に首無し馬を加速させた。
デュラハンが来る。モリオンから『疾風』と『金剛』の魔法が飛んでくる。デュラハンは接近してくるなり大剣の切っ先で地面を抉って土を飛ばして俺の視界を奪おうと――。
(このタイミングでそんな小細工!?)
突然の目潰しに全部は避けきれないと判断し、かざした左手で土塊を受けつつ目を伏せることで視界が潰されるのを防ぐ。それと同時に首無し馬の踏み込みと周囲の音から斬撃のタイミングを予測し、俺はデュラハンの左側面へと逃れた。
「そっちに避けては駄目です!」
焦ったようなモリオンの声。それが何を意味するのか理解するよりも先に、俺は見た。
それまで右手で握っていた大剣を左手に持ち替え、死地へと自ら踏み込んでしまった俺目掛けて大剣を薙ごうとするデュラハンの姿を。
死の気配を前にして焦っていたのもあるだろうが、上級魔法、魔法を壁にした接近戦、家屋を倒壊させる重量と馬鹿力を見せておきながらこの小技である。ここまでくれば単純に相手の方が上手だったと認めるしかないだろう。
――逃げる余裕も言葉を遺す暇もなく、大剣が振るわれた。




