第4話:勉強の日々
ナズナが従者になり、俺の生活は色々と変わった。何が変わったかというと、辺境伯家の嫡男としての本格的な勉強と訓練が始まったのだ。
文字の読み書きや四則演算、食事の際のマナーや歩き方といった礼儀作法の習得、ダンスの練習、体づくりの運動と木剣を使った素振り。
サンデューク辺境伯家の歴史を学んだり、領地内の地理や特産物の把握、パエオニア王国の地理、各貴族家の名前や特産物を覚えたり、女性を褒める際のマナーや言葉を覚えたり、感情の制御法や帝王学を学んだり……いや、途中から難易度がおかしいような?
一応、地理や特産物に関してはパズルを使い、覚えやすいよう工夫がされている。
最初は大きいピースで大雑把に地理を覚える。次にピース数を増やしてパエオニア王国各地の貴族の名前や領地、町や村の名前、主要な産業や特産物、金山等の鉱山、主要な街道や有名なダンジョン、川や池、港等の細かい地理まで覚えるのだ。
割と重要な機密情報に思えるけど、これぐらいの情報は広く出回っているんだろうか?
あと、帝王学はともかく、感情の制御法を三歳児に仕込むのってどうなの? 交渉で不利にならないよう怒りを堪えたり、余裕があるように見せるための笑顔の浮かべ方だったり、反発心や恐怖心を抑えるために怒鳴られたり……前世なら間違いなく虐待だと思う。
兎にも角にも、三歳になってからはそんな感じで勉強と訓練の日々である。
大変ではあるが、俺としてはありがたい話だ。この世界が本当に『花コン』の世界なのか、そして俺が現代日本で学んだ知識との差異を確認する絶好の機会だからだ。
まず、この世界で使われている文字は何故か日本語である。日本人向けのゲームの世界だからか、偶然の一致か、過去に何かあったのか、ひらがなにカタカナ、漢字が存在する。
今のところ差異は見受けられない――どころか、テストやランニングみたいな英語も通じる。
数字も日本でよく見たアラビア数字だ。ゼロの概念もあるらしく、十進数が使われていて俺が持つ知識と差異はない。
様々な単位も俺が知るものばかりで、覚え直す必要はなさそうだった。幸いヤードポンド法はない。元々存在しないのか駆逐されたのか、メートル法が基準になっているし、重さもグラムが使われている。ただ、それらの基準となったはずの原器に関してはアンヌさんも知らなかったが。
(ここまで一緒だと俺の夢の中だって思えるけど、『花コン』の世界もこんな感じだしなぁ)
今日の学習内容である数字の一覧表を端から端まで眺めつつ、そんなことを思う。
『花コン』は異世界が舞台だが、ゲームとして遊ぶ際に文字が読めない、話している言葉がわからないなんてことがあるとプレイヤーは困るだろう。
日本人向けのゲームである以上、遊ぶ上で支障が出る要素はなかった。独特の言語を作ってより異世界っぽさを出すゲームもあるだろうが、『花コン』はそういった部分に力を入れていない。
精々、現実に存在しないダンジョンがあってモンスターがいたり、国や文化があったり、宗教があったりするぐらいだ。
「それでは若様。3+4はなんでしょうか?」
「7」
「では3から4を引くと?」
「-1」
アンヌさんの問いかけに答えるけど、マイナスの概念もあるんだよな。
「わかさま、まいなす? ってなんですか?」
「……負の数? いや、改めて聞かれるとなんだろうな」
一緒に勉強していたナズナから聞かれるが、マイナスとはなんぞや? なんて改めて考えると答えに困る。そもそも誰だよ、この世界でゼロとかマイナスとか小数点とか発見したの。
「うーん……お金でたとえると、ナズナが俺の従者として働いて給料をもらうだろ? お金だけで見るとこの給料がプラス。でも働かずに借金をしたらそれがマイナス……そんな感じかな?」
「???」
駄目だ、不思議そうな顔をされた。俺の説明も悪いけど三歳児だとはてなマークも飛び出すわ。
「えっと、よくわかりませんが、わかさますごいです!」
「よくわかってないのにすごいって言っちゃ駄目だよ。俺もそういうものってぐらいの認識だからね?」
小学生の頃、先生に同じような質問をした時に返ってきたのがそんな感じの答えだった。とりあえずそういうものだって言われて、詳しく学ぶのは後回しになった記憶がある。
しかし、今更だけどもっと子どもらしくした方が良いのだろうか? バレた時に何故そんな真似をしたのか、なんて疑われても困るから日々自然体で生活しているんだけど。
ただでさえ赤ちゃんとして生活してきたんだし、普通に喋って動いてもおかしくない年齢になったのに幼い子どものふりをするのは精神的に辛いんだよなぁ……。
そんなわけで、アンヌさんを教師にしてナズナと一緒に勉強に励む日々を送ることしばし。
様々な事柄が知識と変わらないことを確認した俺は、逆に何が違うのかを確認していた。
この世界が『花コン』の世界であるならば、そこには現実と異なるいくつもの要素がある。
まず、この世界は『花コン』と同様に剣と魔法のファンタジー世界である。現実でも時代によっては使われていた剣が存在するのは良いとして、魔法が存在する世界なのだ。
これはナズナを連れ、遊んでほしがるコハクとモモカの手を引き、屋敷の裏手にある練兵場に向かい、こっそりと覗いて確認したから間違いない。
気の良さそうな若い兵士が空中に炎の弾を生み出しては消し、それを見たモモカが歓声を上げ、コハクとナズナが驚いて固まっていたから間違いないのだ。その兵士はモモカ達の反応を見て悪戯っぽく笑い、ベテランっぽいおじさん兵士に頭をどつかれていたけども。
続いて、この世界には錬金術が存在する。卑金属から貴金属を製造する云々ではなく、素材を集めて釜に放り込んで適切に混ぜ合わせたらポーションができました、的な錬金術だ。
怪我を治すポーションだったり、毒消しのポーションだったり。他にも爆発物だったり色々とあったりするらしいけど、瓶に入ったポーションしか見せてもらえなかった。
サンデューク辺境伯家では錬金術師の数が少なく、実力もあまり高くないことから、比較的簡単に作れるポーションしかなかったのだ。
他にも、実物は見られなかったが世界各地に点在するダンジョンにはモンスターがいる。
ゲームで定番のスライムやゴブリン、スケルトンやゾンビ、ドラゴン等々。ダンジョンによって出現するモンスターの種類や強さが異なり、中には魔法を使うモンスターもいるらしい。このあたりはゲームと一緒だ。
錬金術に使う素材も基本的にダンジョンの中で採集したり、モンスターから剥ぎ取ったりするらしく、大きいダンジョンほど効果が高い素材が手に入りやすいようだ。
ダンジョンはその大きさによって小規模ダンジョン、中規模ダンジョン、大規模ダンジョンと分類され、中でも大規模ダンジョンはこの世界でパエオニア王国に四ヶ所しか存在しない。
それぞれ王国の東西南北に一ヶ所ずつあり、大きさは正確にはわからないものの下手な小国よりも大きいのではないか、と推測されている。
この大規模ダンジョンの内一つが我が家とモロに接している。しかも近隣の複数の国にまたがって存在しているため、王国東部の国境線を守護しながら大規模ダンジョンの監視と管理をするのが我が家の職務だ。
ただし領内には他にも小規模、中規模のダンジョンを複数抱えているため、大規模ダンジョンだけに注力はできない。我が家は家格相応の兵力を抱えているが、それでも人手が足りないのだ。周辺の貴族と協力し合っているが、それでもなお足りないのである。
しかもこれは我が家だけに限った話ではなく、パエオニア王国全土の貴族達が直面している問題でもある。ダンジョンの監視と管理だけが兵士の仕事ではなく、領内の治安を維持したり、現状では限りなく可能性が低いが他国からの侵略に備えたりする必要があるからだ。
そのため、ダンジョンに関しては別個の戦力が存在する。それは冒険者と呼ばれる者達で、冒険者ギルドという組織の管理のもと、ダンジョン内での活動が許可された存在だ。
(まあ、冒険者って言ってもギルド自体はその土地の領主が元締めなんだよな……)
俺は授業の一環としてナズナ相手にチェスをしながらそんなことを思う。
肩書きの響きは良いが、冒険者は素材を採集したり、モンスターを倒したり、新たにできたダンジョンの調査をしたりとダンジョン限定の何でも屋に近い。
その質はお世辞にも高いとは言えず、正規の兵士になれなかった者、軍隊という組織が合わなかった者、野盗崩れ、他国から逃げてきた元農民などがほとんどだ。それでも武器や防具を扱い、なおかつ戦うことができる冒険者は施政者から見て放置できる存在ではない。
だからこそ冒険者ギルド管理の下で運用され、兵士を動かすよりも安価な戦力として考えられているが、その分、実力も相応に低くなる。本職の兵士と比べたら差が大きく、中には一流の達人と呼ぶべき人物もいるが、大半は新兵にも劣る。
きちんと訓練を受けた軍人と街のチンピラのどちらが強いか、と考えればそれも当然だろう。貴族が正式に雇っている兵士の場合、殉職なり負傷しての退役なりが発生するとある程度の補償が必要となるのも大きく、冒険者は兵士をダンジョンに投入する前の露払いの側面もあった。
「チェックメイト」
「……まいりました」
ナズナのキングにルークでチェックメイトをかけ、思考を打ち切る。ついでにこれまで動かしていた駒とチェス盤を見て小さく笑ってしまった。
さすがにテレビゲームはないが、チェスやトランプ、将棋や囲碁、花札などの遊具がこの世界にも存在するのである。
ルールも現代のものと一緒のためさすがに三歳児には負けなかった。でもちょっと強い人には勝てないだろうな……将棋ならある程度の定石を知っているから素人になら勝てると思うけど。
どんな世界でもアナログな遊びは似通うものなのか、あるいはゲームの世界だからか。その辺りは判断のしようもないけど、もしかすると俺が知る現実との差異の中で最も大きな要素が関係しているのかもしれない。
それは、この世界における宗教である。仏教もキリスト教も存在せず、アーノルド大陸で広く知られているのがオレア教という宗教だ。
ただし、オレア教は『花コン』で宗教扱いされていたが、その実態は俺が知る宗教とは異なる。
オレア教では人間の幸福を追求している――と他人から聞いたら滅茶苦茶胡散臭く聞こえるし、実際胡散臭く思うけど、『花コン』で描写された限りだと様々な手段を模索して人類の幸福を希求しているというのは本当だ。
それもこれも『花コン』におけるラスボス、『魔王』が恐怖や苦痛、嫉妬といった人間の負の感情をもとにして発生するからである。
長い年月を経てこの世界に蓄積された人間の負の感情。それが原因で『魔王』が発生するのは歴史が証明しており、オレア教はそれを阻止するべく活動しているのだ。
たとえば、飢饉などで飢え死にする人が出ないよう新たな農法を生み出したり、肥料や農薬を作ったり、病気に強くて美味しくて収穫量も多い品種を生み出したり。他にも医学や錬金術を研究したり、今しがた遊んでいたチェスのような遊具を作ったり、孤児を集めて育てたり。
人間が生活していく上で必要な衣食住にかかわるものだけでなく、余暇に楽しめる娯楽を誕生させ、普及させているのがオレア教だ。
その性質上国や貴族と懇意だが、お互い持ちつ持たれつというか、どちらが上でどちらが下といった序列はない。『魔王』という存在に対処できるよう協力し合っているのだ。
もっとも、この世界が『花コン』と同一なら『魔王』が発生するのは確定事項である。オレア教の活動は先延ばしにこそなれど、根本的な解決にはほど遠い。ゲームの主人公が選んだルートによって発生時期は異なるものの、今からおよそ――。
(短くて十五年……長くても二十年はない、か)
最短で『魔王』が発生するのは十五年後。『花コン』では学園で三年間生活するけど、その三年目の年度末付近で『魔王』が発生するのだ。
逆に最長でも二十年ぐらいしかもたない。バッドエンドの中には学園卒業から五年ほど月日が流れてから『魔王』が発生し、世界が滅んでしまった描写があった。
『魔王』の発生に関してはオレア教の活動があっても百年単位で負の感情が蓄積しているため、多少の誤差はあっても数十年もズレるようなことはないだろう。少なくとも明日、明後日にでもいきなり『魔王』が発生することはないはずだが、数年程度ズレることはあり得るのが厄介だ。
『魔王』の発生は前兆があるため察知するのは難しくない。ダンジョンが大量に発生したり、既存のダンジョンでも大量にモンスターが発生したりするからだ。
これらの現象を指して『『魔王』が発生する』と『花コン』で語られていた。しかし問題は大量のモンスターによる物量だけではなく、個体としての『魔王』が出現することだ。
この『魔王』が非常に厄介で、戦闘能力が非常に高い癖に通常の手段では倒すことができない。剣で斬りつけても、魔法で攻撃しても、ほとんど効果がないのだ。
『花コン』だとごく一部の例外を除いてどんな攻撃でも僅かなダメージしか通らず、『魔王』を倒すには主人公の存在が不可欠だった。しかも敗北前提のイベント戦ではなく、負けたらそのままゲームオーバーになる素敵仕様である。
いや、不可欠というと大袈裟かもしれない。主人公以外にも『魔王』を倒す手段が存在するからだ。ただし特定のルートでなければ無理だし、確実性という意味では主人公一択だ。
それに、倒すといってもルート次第で結果が変わる。『魔王』を完全に『消滅』させられるルートが最良だが、ある程度ダメージを与えることで『魔王』が眠りにつく『封印』に成功するルート、一時的に『撤退』させるルートがあるのだ。
『消滅』ならば最高かつ最善で、『魔王』に関する後顧の憂いはない。
『封印』だと数年から数十年、あるいは現状と同じく数百年の時を経てから再び『魔王』が発生する。
『撤退』はゲームだと『一時的に『魔王』を退けたものの、再度の侵攻で人類は滅亡した』っていうテロップが流れてゲームオーバーだ。ルートによるけど、数日から数週間しかもたない。
(……どうしたもんかなぁ)
ゲームみたいに『魔王』が発生しないのなら何の問題もない。しかし『花コン』同様オレア教が存在している以上、『魔王』の脅威が訪れるのは確定的だ。
それなのに主人公が召喚される保証はない。仮に主人公が召喚されたとしても『魔王』を『消滅』させられるルート……最低でも長期間『封印』できるルートに入らないと俺が天寿を全うすることすらできやしない。
「わかさま、おかおが……むずかしい? かおになってます」
不意に、テーブルを挟んで座るナズナからそんなことを言われた。チェスではなく今度は将棋を指している最中だったが、ナズナは心配そうな顔をしている。
考え事をしながら指していたけどとりあえず矢倉を組んだ俺に対し、ナズナは定石を知らないのか陣形も何もない。歩や桂馬が雑に前に出てきているだけだ。
あれ? ここまで雑だともしかして接待されてる? 仕えている相手だからご機嫌取り? 飛車が動かないから相居飛車だと思って矢倉囲いにしたんだけど。
「……いや、ナズナが次に指す手を考えていただけさ」
とりあえずそう答えると、ナズナは納得したように大きく頷く。
「きょうこそかたせていただきますっ!」
無邪気に言い放つナズナを見た俺は思考を打ち切り、さりげなく負けるために矢倉を崩しにかかるのだった。