第37話:社交界 その2
「まさか遅刻とは……当家の招待など軽く扱って構わないということかな?」
「申し訳ございません」
さて、パーティ会場に到着したがホストの伯爵さんに色々と文句を言われている俺である。
怪我した女性の治療と引継ぎ、それと汚れた部分を洗い流していたらパーティの開始時間を三十分ほどオーバーしてしまったのだ。そのためこちらとしては謝罪するしかない。
怪我人の治療をしていたから、といった言い訳はなしだ。遅刻したのは事実だし、相手の性格次第では自分の招待よりも民間人を救助する方が重要なのか、と怒りかねない。
前世でもこの手のゴタゴタは経験がある。仕事で客先を訪れるために電車に乗ったら人身事故に遭い、結果として予定時刻をオーバーしてしまったのだ。
そういう時も事故に遭ったから、では済まなかった。事故に遭ったとしても予定の時間に間に合うよう、何故もう少し早めに出発しておかなかったんだと上司に怒られたことがある。時間に余裕があれば他の交通手段で予定の時間に間に合っただろう、と。
そのため今回も平謝りするしかない。ゲラルドには事前に余計なことを言わないよう命じてある。遅れた理由ではなく、遅れた事実に怒っている相手には謝罪するしかないのだ。
「だ、旦那様っ!」
「なんだ!? 私は今、サンデューク辺境伯の名代殿と話をしているのだぞ!?」
そうやって謝罪をしていると、何やら執事っぽい男性が慌てた様子で伯爵さんに話しかける。そしてこちらをチラチラと見ながら伯爵さんの耳元で何事かを囁いたかと思うと、伯爵さんは目を見開いてから視線を彷徨わせ始めた。
「あー……名代殿、王都の民を救助した結果、遅れたそうで……そういう場合は先に使者を出しておきなさい。事前に遅れるとわかっておれば、こちらも強く言う必要はないのでな」
急にトーンダウンした伯爵さん。どうやら俺が遅れた事情が伝わってしまったらしい。これなら最初から伝えておくべきだったか、なんて思った俺だったが、こちらの事情を知っただけとは思えないぐらい動揺している。
(なんだ? 王城で普段から権謀術数の限りを尽くしているだろうに……こんなに動揺する理由があるか?)
理由を話しても怒られると思っていたが、どうにも様子がおかしい。既に表情を取り繕っているものの、その額に一筋の冷や汗が浮かんでいるのが見えた。
「それもそうですね。こちらの配慮が足りず、申し訳ございません」
だが、相手方の怒りが収まった以上、俺としてもここで終わりにしたい。
「それではこちらへ。多少参加者が減っておるが、私の方から紹介させていただこう」
伯爵さんもそれまでの怒りが嘘のように笑顔を浮かべて俺を案内してくれる。さすがは宮廷貴族というべきか、感情の制御も達者なようだ。
そうして伯爵さんの案内でパーティ会場へ足を運んだわけだが……。
(うっ……視線がやばい……)
パーティ会場の中にいた参加者の数はたしかに減っているのだろう。ドレスを着た同年代ぐらいの少女が二十人、俺と同じように礼服を着た少年が十五人ほど、それとモリオンがいたが、俺の素性が告げられると多数の少女の目が一瞬、ギラつくように輝いたのが見えた。
なあゲラルド、やっぱり今からでも帰っちゃ駄目かな? あ、駄目? そっか……。
(全員じゃないし、怖かったのは一瞬だったけど……男連中で固まって話しちゃ駄目かな?)
話しては駄目、ということはない。しかしこういったパーティでは顔をつなぐのも目的のため、ずっと男だけで話しているわけにもいかないのだ。ただでさえ伯爵さんの顔を潰しているし、大人しく社交に興じるしかない。
興じるしかない、のだが。
「やあ、モリオン。君も招待状を受け取ったんだな」
まずは話しかけやすいモリオンへと歩み寄り、笑顔を浮かべて声をかける。モリオンは一瞬、なんでこっちにきたんだとでも言いたげな顔をしたが……巻き込むつもりはないよ?
「立場上、お断りできる相手でもありませんから。それにしてもミナト様、何故遅刻されたので? ミナト様が来られないので堪え性のない御令嬢方が早々に帰ってしまいましたよ?」
「来る途中で馬車にひかれた王都の民を助けていたんだが……それは勿体ないことをしたな」
嘘である。何人帰ったのかはわからないが、ありがたい限りだ。そもそもすぐに帰ってしまったのなら、何が何でも俺に会おうって魂胆じゃなかっただろうしな。
そういう意味でいうと、この場に残っている御令嬢方は俺が遅刻しようと、来れなかったとしても待ち続けた可能性が高い。つまり気合いが入っているというわけで……怖いね。
もちろん全員が全員、俺目当てだなんて自惚れたことは考えていない。このパーティには他にも男がいるし、純粋に交友関係を広げるために参加した者もいるだろう。
俺としてはビジネスライクな付き合いなら大歓迎なんだが。
(『花コン』のキャラは……ん?)
モリオン以外に誰かいるかな、なんて思いながらさりげなく周囲を見回した俺だったが、困った事態に遭遇してしまった。いや、事前に考慮しておけって話ではあるんだが。
(カリンっぽい髪色の子が何人かいるな……)
ゲームとして遊んでいる時ならまだしも、ゲームがリアルになると人相の判別が難しい。それは昔から考えていたことではあるが、カリンと似た髪色の少女が五人ほどいたのだ。
カリンの髪色は赤系統で、『花コン』だと真紅と表現されていた。それでいて少しばかりくせっ毛で、腰の辺りまで伸ばしているため自然とウェーブがかかったような塩梅になる。
モモカのようにピンク色の髪ならこの世界でも割と珍しいが、赤毛でくせっ毛となると程度にもよるが前世の日本でも普通にいた。この世界でもそこまで珍しい髪色ではないのだ。
(やばい……顔を見ればって思ったけど無理だな。あとは性格とか雰囲気とかでなんとか……)
名前を聞けば一発でわかるが、この状況で自分から名前を聞きに行くのは憚られる。かといってモリオンに聞こうにも、赤毛の少女に限定して情報を聞き出すのは難しいだろう。
幸いなのは、他に『花コン』のキャラクターっぽい特徴を持った子がいないことぐらいか。そうなるとやっぱり、雰囲気で判断するしかない。
(カリンは『花コン』をプレイした人に『女帝』だの『ミナトキラー』だの言われたし、性格も強気……こういう場だと猫を被っているかもしれないけど、それらしい子は……)
モリオンと雑談をしつつ、他の男性陣と会話しつつ、俺は女性陣の様子を窺う。向こうもこちらをチラチラと見ているため、切っ掛けがあれば話しかけてくるだろう。
(……あの子、か?)
その中で俺が目を付けたのは、取り巻きらしき他の少女を傍に侍らせた人物である。カリンは侯爵家の次女のため、俺のように家臣や寄り子の同年代が傍にいてもおかしくはない。
他の赤毛の少女は単独だったり、他の参加者と穏やかな様子で話していたり、ポツンと壁の花になっていたりする。その様子を見る限り、俺が目を付けた子がカリンっぽい。
ただ、どうやってアプローチをするべきだろうか? まずは無難に挨拶をしてカリンだと確認し、幼い頃からアンヌさんに仕込まれた社交術で会話を盛り上げ、それとなく良い印象を持ってもらうぐらいか。
ここで良い印象を持ってもらえば、婚約者候補の打診をしても前向きに受け止めてもらえる可能性が高まる。それを思えばいつまでも尻込みしているわけにもいかない。
パーティは立食形式になっているが、さすがに物を食べる余裕はなかった。それでも給仕係の女性から飲み物をもらって軽く喉を湿らせると、カリンと思しき女性の方へと足を向ける。
「失礼、私はミナト=ラレーテ=サンデュークと申します。お名前をお聞きしても?」
そう言って幼い頃から叩き込まれてきた笑顔を浮かべる。ここで重要なのは話の内容ではない。相手に良い印象を持ってもらうための笑顔と声だ。貴族同士の挨拶なんて定型文みたいなところがあるし、内容よりも表情や仕草で良い印象を与える方を優先する。
間違っても初対面で居丈高に接してはいけない。『花コン』でミナトがやっていたけど、それをやったら普通に悪い印象しか与えないのだ。
一応ミナトを擁護するなら、辺境伯家の嫡男が見せる態度として完全に間違っているわけではない。相手が家臣や寄り子なら上に立つ者として振る舞っても良い。
だが、高圧的な態度で挨拶したら相手が王族だった、なんてこともあり得るのだ。それを考えたら最初は普通に挨拶をした方が良いだろう。ましてや、相手がカリンかもしれないとなると悪い印象を与える要素は極力なくした方が良い。
「まあ……サンデュークの神童と名高い方からご挨拶いただけるとは光栄ですわ。リネット=フィオナ=クレヴァリーと申します」
(……ど、どちら様ですか?)
自分から声をかけておいてなんだが、今の体に生まれ変わってから最大級に失礼なことを思ってしまった。カリンだと思って話しかけたら別人だったから、と言い訳したいところである。
「クレヴァリー子爵家の方でしたか。フィオナ産の紅茶は私も飲んだことがありますが、深い味わいと華やかな香りが楽しめましたよ。リネット様も銘茶のように、いえ、それ以上に華やかなお方のようだ」
内心では動揺しつつ、口は滑らかに動いてくれる。パエオニア王国の貴族に関しては家名や特産品、領地がどこにあるか学んだし、咄嗟にそれらしい言葉が出てきてくれた。
「ありがとうございます。ミナト様も噂に違わぬ……いえ、噂以上のお方のようで」
お互いに褒め合って、うふふ、あはは、と笑い合う。そうしてしばらく雑談をして、頭を下げたら次だ。こうなったらそれっぽい赤毛の少女全員に声をかけていくしかない。
そう思った俺だったが、二人目、三人目、四人目と全員が全員、カリンではなく別人だった。
(うーん……やっぱり王都で会える可能性が低すぎたか? 最初のリネットさんはカリンっぽかったんだけど……)
まさか偽名ではないだろう。偽名にしても、他所の貴族の名前を出すのは普通にアウトだ。
やっぱり偶然出会える可能性はなかった、と見るべきか。まあ、アイヴィさんには婚約者候補の実家に求めるものの希望を伝えてあるし、そっちから話を持っていってもらう方が確実か。
(おっと、もう一人赤毛の子がいたな)
そんなことを思うが、残った一人はずっと壁の花になっている少女だ。髪の色だけは似ているが、カリンの性格ならもっと違う行動を取っているだろう。
それでもここまで来たら初志貫徹である。俺は一人で壁の花になっている赤毛の少女の元へ歩み寄り、声をかけることにした。君は一体どこの家の子かな?
「えっと……カリン=プセウド=キドニア……と、申します」
うんうん、そっか。君はカリンって子なんだね。俺が会いたかった人と同姓同名だね。
俺は笑顔で頷き、眼前の少女を見る。カリンと名乗った少女を、じっと見る。そして何度も頷き、脳が情報を理解するなり笑顔を引きつらせた。
(……嘘でしょう?)
そこには、『花コン』のプレイヤーから『女帝』、『最もミナトを殺した女』、『ミナトキラー』、『最もサンデューク辺境伯家を滅ぼした女』なんて呼ばれた少女が、所在なさげに立っていた。




