第31話:真贋
ユナカイト子爵家が軍役に提供した戦力三十名とモリオンを加えたうちの軍は、出発の時と比べて更に大所帯になっていた。
ユナカイト子爵家以外の寄り子から合流した兵士や騎士もいるため、輜重隊抜きで三百人ほどの軍勢になっている。うちの軍が主体のためどの家も指揮下に入る形になるが、なんともお行儀が良いため今のところ問題は起きていない。
そう、兵士や騎士に関しては問題が起きていないのだ。
「ミナト様、予定よりも行軍が遅れています。ついてきている商人や旅人をもっと急がせた方が良いのではないでしょうか?」
「若様、私は反対です。どの道今夜は夜営するのですから、急がせても意味はありません」
馬に乗った俺を挟んでモリオンとゲラルドがそんなことを言ってくる。いやぁ、相性が悪いとは思ったけど、ことあるごとに言い合ってるんだよね。二人とも元気だね。
「意味はない、ですか。このペースだと夜営に向かない場所で夜を明かす羽目になりますが?」
「日頃から訓練していない者達を急がせてどれだけペースを早められると? 夜営の候補地はいくつもある。無理をさせずに早めに夜営の準備に取り掛かっても良いだろう?」
「その場合、明日も夜営する羽目になりそうですね。物資は大丈夫だとしても、夜間の不寝番を行う者の負担も大きくなりますが?」
「サンデューク辺境伯家に仕える者達はその程度で音を上げるような軟な鍛え方はしておらんのでな。他の家の兵士がどうなのかまではわからんが、我々よりも行軍の期間も短いのだ。それでも無理だと言うのなら仕方ない。ペースを上げれば兵士達の負担も増えるがな」
おっと、ゲラルドがモリオンだけでなく兵士まで煽るようなことを言い始めた。ウィリアムは……俺達の様子を見て静観の構え。これも俺の勉強の一環だ、なんて顔をしている。
「二人とも、そこまでだ」
仕方ない。とりあえず議論か口論か判断に迷う言い争いを止めさせよう。
「ゲラルド、指揮官の周りでみだりに騒ぐものじゃない。見ろ、兵士の何人かが不安そうな顔をしているぞ?」
そう言って視線を向けてみれば、途中で合流した他家の兵士の中に不安そうな顔をしている者がちらほらといた。おそらくは初陣なのだろうが、全体の頭である指揮官やその周辺が騒がしければ一体何事かと思うだろう。
「モリオン、全体のペースを考えた進言はありがたく思う。だが、ゲラルドのいう通り民を急がせても限度がある」
「しかし、彼らはこちらの進軍に勝手についてきている立場です。多少無理を言って急がせても問題ないのでは?」
俺が声をかけるとゲラルドは周囲の様子に気付いて口を閉ざし、モリオンは構わず反論してくる。俺の立場もあるけど、この辺りは性格の違いかね。
「それが可能かを判断するのが指揮官で……おっと、来たな」
視線を向けた先、そこには俺の方へと駆け寄ってくる兵士の姿があった。同行している民間人の様子を定期的に確認させているのだが、その情報をもとに判断する方が確実だろう。
「報告いたします。民の負傷者、脱落者はゼロですが、疲労で歩くペースが落ちつつあります。特に高齢者二名が限界に近く、夜営までは持たないかと」
「そうか……あと少しで休憩だから頑張るよう伝えてきてくれ。それと限界になった者は輜重隊の荷車に乗せろ。馬の飼料に布をかぶせてその上に寝かせれば荷車でも負担は少ないはずだ」
民間人も頑張ってついてきているけど、兵士の速度に合わせるのには限度がある。こちらもなるべくペースを合わせるようにしているし休憩も挟んでいるけど、そろそろ限界が近いようだ。
輜重隊に運ばせている物資の中には馬の餌となる飼料も含まれている。休憩の度に文字通り道草を食わせているものの、全ての馬が食べられるだけの量の草が生えている保証もない。
そのための物資だったが、上手く使えば即席のベッドにもなると判断した俺は兵士に指示を出して民間人のもとへ向かわせ、モリオンへ視線を向ける。
「というわけだモリオン。これ以上ペースを上げれば民間人から脱落者が出かねない」
「……それでは仕方がありませんね」
不承不承といった様子で引き下がるモリオンだが、その目には不満の色が透けて見える。理屈としては納得したものの、感情は納得していないといったところか。いやはや、本当に若いわ。
「不満そうだな」
「ある程度は合わせる必要があると思いますが、必要以上に譲歩すれば予定が狂いますから」
モリオンの反応を見た感じ、『魔王』の発生に負の感情が関係していることは知らないみたいだ。俺は七歳で『召喚器』を発現してしまったからその辺りの事情を聞いてしまったけど、普通は家督を継ぐ際やある程度教育が済んでから嫡男に伝えるものだしなぁ。
『花コン』でシナリオが進んでいくとモリオンはその辺りの事情を自力で察するけど、現状では知りようがない。だからこうして民間人の脱落――街道に放置される絶望を避ける選択肢を選ぶ俺に不満を抱くのも理解できた。
「どのみち斥候が索敵を終えるまではペースを落とす必要がある。モリオン、目と耳を塞いだ状態で街道を進みたいと思うか?」
「お言葉ですが、これほどの軍勢相手に向かってくる野盗はいないのでは? 斥候を待ちながら進めばペースが落ちて……っ」
おっと、喋っている途中で気付いたみたいだけど、実は今のペースが最速に近いんだよ。進行方向に斥候を出して安全確認をしているから、ペースを上げ過ぎるわけにもいかないんだ。
民間人を連れているのもあるけど、斥候が索敵する時間を含めてのペースだから見極めが難しい。少なくとも初陣のモリオンには無理だろう。
斥候が情報を持ち帰る速度と民間人が歩く速度から、軍全体の移動速度や休憩するタイミングを決めているのだ。
「……斥候を出すにしても、頻度を減らしては?」
「その場合、街道を進む分には安全かもしれないな。だが、はぐれモンスターが進路にいれば? こちらの数を見ても問題ないと判断して襲ってくるような強者が野盗にいれば?」
「こちらは民間人を抱えているといっても、総勢で三百人を超える軍です。いくら腕が立つといっても限度がありますし、警戒し過ぎるのもどうかと思います」
街道を進みつつ、暇つぶしがてらモリオンと言葉を交わす。話を振ったら自分なりの意見を口にするし、俺と対立する方向の意見が多いからこれはこれで楽しい。イエスマンばかりだと俺が致命的なミスを仕出かした時に困るしね。
「三百人なぁ……たしかに多いけど、この人数の警戒網でも単独で突破して指揮官を刈り取れる人を俺は知っているからな。警戒しすぎだとは思わんよ」
この世界には俺という異分子が紛れ込んでいるのだ。その辺に野生のランドウ先生もどきがいる可能性もゼロじゃない。それに仮に少ない数の野盗だったとしても、全員が死兵となって向かってくれば被害が甚大なものになりかねない。
「敵側に強力な『召喚器』や魔法の使い手がいたらどうする? 不意打ちで撃たれればそれだけで大きな被害が出るぞ。少数だからといって侮って良い理由にはならないだろ」
「警戒は必須ですが、警戒のし過ぎは良くないと申しているのです。それにミナト様の師匠であるランドウ=スギイシのことは私も噂に聞いていますが、いくらなんでもそこまで強くは――」
「モリオン」
俺は名前を呼んでモリオンの言葉を遮る。
「先生に剣を教わった身として、それ以上の発言は看過できない。わかるな?」
「っ……失礼いたしました」
こっちも面子があるからね。俺個人に対して突っかかってくる分には構わないけど、恩人とか師匠とかを馬鹿にされたらさすがに笑って済ませるわけにもいかない。
「なに、噂だけで判断するのは危険だってわかってくれればそれでいいさ。嘘みたいに聞こえるだろうけど、ランドウ先生に関しては噂の方が控えめなぐらいだ」
だけどまあ、ランドウ先生がどれだけとんでもないかは実際に会ってみないとわからない。だから謝罪されたらモリオンの反応も仕方がないものだと流せる。
「……こうして若様相手に口論を重ねる時間こそが無駄だと思うがな」
俺とモリオンの会話を黙って聞いていたゲラルドがぼそっと呟き、それを聞いたモリオンの頬がピクリと動く。それに気付いた俺は小さくため息を吐いた。
「そろそろ休憩だ。口喧嘩するなら民間人や兵士に聞こえないよう離れてやれ。いいな?」
すぐに仲良くなれるとは思ってないけど、前途多難だ。俺はそんなことを思いながら全軍を止め、休憩を取るよう指示を出すのだった。
さて、その日の夜のことである。付近に立ち寄れる町や村がなかったため、予定通り夜営をすることとなった。
街道横にあるだだっ広い草原で民間人を中心に置き、その周りを囲むように兵士達を置いて不意の事態にも対応できるように陣を張る。幸い天候に恵まれて焚火がなくても月の光だけで周囲が見渡せるぐらい明るく、夜営をするには打ってつけといえるだろう。
季節は春を過ぎてもうじき夏だが、この世界の夏は暑すぎるということもない。夜は薄着だと肌寒いぐらいで、風邪を引かないよう注意する必要があるほどだ。
俺はお飾りとはいえ指揮官ということもあり、専用の天幕が用意されている……が、今は天幕から抜け出して周囲を見て回っているところだった。
(時間が空いたから素振りをしたいけど、剣を振り回していたら不安がる人も出るしなぁ)
ランドウ先生から訓練をサボるなって言われたけど、さすがに状況が悪い。指揮官が剣を振り回していたら何事かって思われるだろうし、疲れが抜けないからしっかりと休むべきだろう。
日中は馬に乗って移動しているけど、鐙と鞍があっても一日中揺られているわけで。これが意外と疲れるのだ。ただし、普段は寝る前に素振りをしているから落ち着かず、せめて兵士達の様子を確認するという建前で少しでも動きたかった。
「指揮官が動き回るのはどうかと思いますがね」
そんな俺の傍にはモリオンの姿もある。初陣かつ人生で初めて野外で夜を明かすことに緊張し、眠れないようだったので声をかけたのだ。少しでも打ち解けたいという打算もある。
「そう固いことを言うな。ウィリアムがいるし、何かあれば指示を出してくれるさ」
「お飾りの指揮官であることに異論も文句もないと?」
どこか不満そうな顔で聞いてくるモリオンだが、それを聞いた俺は思わず苦笑してしまう。
「ないなぁ。逆に聞くけど、十年以上騎士団長として働いてきたウィリアム以上に指揮官として的確な指示を出せると思うか?」
「……たしかに、パストリス子爵殿のような方がいるなら任せるのも手ですか」
どうやらウィリアムに対しては敬意を持っているらしい。優秀で実績もあるからか?
「おや、これは若様……どうかされましたか?」
そうやって歩いていると、歩哨をしている兵士に声をかけられた。兵士の中には敢えて距離を取った場所で夜営をさせたり、立哨の兵士を置いたり、歩哨に警戒させたりしているけど、サンデューク辺境伯家の兵士や騎士はこうして夜営をすることも多いから慣れた様子だ。
「寝る前に兵士達の様子を見ておこうと思ってな。問題は?」
「今夜は月夜で見通しも利きますし、周囲の警戒に関しては今のところ問題ありません。ただ、今回が初陣の兵はまだ慣れていないようで……眠れない者がいるようです」
いくらこの世界が比較的平和といっても、野外で寝るのは緊張感がある。野盗やコソ泥がこっそり忍び込んできて物資や民間人の財布を盗むぐらいのことは起きてもおかしくないし。
「若様は……相変わらず落ち着いていますな」
「こんなに見通しが良い場所で夜営をするぐらいなんてことはないし、うちの優秀な兵士達が見回りまでしてるんだ。慌てることなんてないさ」
初陣で野盗の頭目と一対一で死合えばなぁ……嫌でも落ち着くよ。本当、なんであんな初陣になったんだろう? ランドウ先生のせいか。
「それでは若様のご期待に沿えるよう、気合いを入れて警戒せねばなりませんな」
「ははは、警戒してくれるのは助かるけど気負い過ぎるなよ?」
俺は歩哨の兵士とそんな会話をしてから歩き出す。
さて、緊張が抜けていない初陣の兵士に声をかけるかな? なんて思っていたら、何やらモリオンが微妙そうな顔をしているのが見えた。
「ん? どうかしたか?」
「いえ、ずいぶん兵士と距離が近いと言いますか……気安く接するのですね。あれではミナト様を軽んじる者も出てくるのでは?」
モリオンはそう言って先ほどの兵士が歩いていった方向を見る。その顔には納得できない、腑に落ちないといった感情が浮かんでいた。君、そんな顔ばっかりだね。
「軽んじるも何も俺は十二歳だぞ。上に立つ者として振る舞う必要はあるが、ウィリアムのような実力や実績、貫禄もない。そんな子どもが無駄に偉そうにしていたら周りはどう思う?」
子どもが背伸びをしている、ぐらいに微笑ましく思ってくれれば良い方だ。辺境伯家の嫡男を露骨に軽んじる者はいないだろうけど、裏で偉そうだなんだって不満を溜められても困る。
(腰が低すぎるのも問題だろうけど、モリオンは『花コン』だと無駄に偉そうにしていたミナトを嫌っていたからなぁ……)
俺も辺境伯家の嫡男として、上に立つ者としての振る舞いは相応に学んでいる。それでも根っこには現代日本で生きてきた一般人としての感性があるわけで、必要がない時にまで肩肘張って偉そうにするのは精神的にきついし面倒臭い。
モリオンが言うように舐められないよう注意しつつも、気を抜けるタイミングでは適度に力を抜くようにしていた。
「たしかに反感を買うこともあるでしょうが……そういうものですか」
「そういうものだ。ま、人それぞれだし、俺も締めるところはきちんと締めるさ」
そんな話をしながら寝付けない兵士に声をかけて回る。こういう時は酒でも飲ませれば眠れるかもしれないけど、さすがに夜営の最中に酒を飲ませるわけにはいかない。爆睡して夜間の見張りの交代ができなかった、なんてことになると他の兵士に迷惑がかかるからだ。
そのため軽い雑談で気を紛らわせたり、担当の騎士にそれとなく気を配るよう言い含めたり、できることをしていく。
ほう、そこの君は彼女ができたばっかりなのか。そこの君は……この軍役が終わったらプロポーズする? やめろ、死亡フラグを立てるな。そっちの君は? へぇ、出発前に赤ちゃんが生まれて……なんで参加した。え? 手当が色々つくから? そっかぁ……なら仕方ないか。
そんな感じで兵士達と雑談をしている内に夜も更け出したため、俺は切り上げて天幕に戻ることにした――んだけど。
「モリオンはどうだ、眠れそうか?」
「……私はもうしばらく起きていようと思います」
俺は少し眠くなってきたが、モリオンは相変わらず眠気が訪れないようだった。
何かあれば叩き起こすように言ってあるし、開き直って寝た方がいいよ? なんて言おうと思った俺だったが、良い機会だからと俺用の天幕へ視線を向ける。
「眠れないならチェスでもどうだ? 将棋もあるぞ」
数は多くないが、夜間の暇つぶし用に持ち運びできる大きさの遊具も用意してある。有事の際に騎士や兵士をどう動かすか、地図上に置いて全軍の配置を確認するためのものでもあるが。
「寝るまでのちょっとした息抜きだ。野外で月の下、のんびり盤を囲むのも面白いだろう?」
「……手加減はしませんよ?」
「おいおい、そこは手を抜いてくれ。俺はある程度打てるだけで強くないからな」
接待プレイをしろとは言わないけど、手加減はしてね? 教養の一環として幼い頃からやってるけど、本物の神童には勝てるわけないからな?
「フッ……サンデュークの神童のお手並み、拝見させていただきましょう」
少しは気が抜けたように微笑むモリオンを見て、俺も笑って返す。
なお、モリオンは盤上遊戯が滅茶苦茶強くて普通に負けた俺だった。




