第30話:対抗心
ラレーテの町を出発して十日ほど経ったが、街道を進む旅路は非常に順調なものだった。
軍役は毎年恒例だし、進路上の村や町、貴族の元へ事前に使者を出しているため滞りなく補給を受けられるし、夜を明かすために立ち寄っても表面上は歓迎してくれる。
この表面上は、というのがミソで、いくら軍役で王都に向かうためといっても二百人を超える軍勢が立ち寄るのだ。サンデューク辺境伯家は精強かつ規律が整った騎士団を抱えているが、相手側からすれば大勢の武装勢力とも言える。
これまでの軍役で何度も立ち寄ってはいるものの、怖いものは怖い、というわけだ。
もちろん相手側もそれを極力表に出すことはないし、俺もウィリアムに命じて兵士が問題を起こさないよう注意している。
補給を受ければ代金を払うし、事前に通達してあるから王都や進路上の町や村に向かう商人や旅人等が同行を希望すれば護衛するし、手紙の配達や使者を送る場合は受け入れてもいる。
その辺りも持ちつ持たれつ、と言いたいところだけど怖がる人は怖がるわけで。乱暴狼藉を働く者は俺が自ら斬る、と宣言して全体の手綱を握り、馬に揺られながら街道を進んでいた。
そうして辿り着いたのがユナカイト子爵領である。その家名を聞いた俺は、ここが『花コン』のヒーローの一人が生まれ育った場所かー、なんてのんびり考えていた。
到着と通過の許可を取るのと挨拶を兼ねてユナカイト子爵に会えば、もしかしたら顔を見ることもあるかもしれない。
そう、思っていたのだが。
「モリオン=ロライナ=ユナカイトと申します。サンデュークの神童の名はかねがね……よろしくお願いします」
ユナカイト子爵領の本拠地であるロライナの町に到着したら、何故か向こうから出向いてきたのである。
――モリオン=ロライナ=ユナカイト。
それはユナカイト子爵家の次男にして『花コン』の攻略対象である。
『花コン』での外見は真っすぐな黒茶色の髪を肩まで伸ばし、理知的で涼やかな顔立ち、そしてかけられた眼鏡が特徴的な男性だ。
性格は冷静沈着にして策士で、知略に長ける。政治や経済、軍事等の知識を広く深く修めるその才能と能力は高く、幼い頃から領内では神童と謳われた才児だ。しかし次男のため跡継ぎではなく、能力的に大きく劣る兄を毛嫌いして疎ましく思っている面もある。
その感情が周囲にも伝わるのか、能力こそ高いが家臣や領民からは跡継ぎに望まれておらず、それを察して腐ってしまうのが『花コン』における最初のモリオンだ。
慇懃無礼で能力的に劣っている者を下に見る傾向があるが、自らが認めた者には深い友情や敬意を抱く性格でもあり、『花コン』で女性主人公を選んでルートに入ると一途に想って尽くす姿を見ることができる。
ゲームのキャラとして性能を見れば木属性魔法を得意とし、なおかつ光と闇を除いた全属性の魔法を器用に使える魔法に長けたキャラだ。器用な分、一点特化した魔法使いには劣ってしまうがそれを補えるだけの頭の良さがある。
ただし『花コン』のステータスに頭の良さや知力といった能力値はないため、ストーリーパートでそれらしい言動が見られるだけだが。
そんな人物が――今はまだ少年と呼ぶべき年齢のモリオンが、何故か値踏みするような目をしながら俺の前に立っているのだ。
というか、サンデュークの神童って何? そんな恥ずかしい呼び方をされてるの? 俺のメッキはすぐに剥がれるから御大層な呼び方をされると胃が痛くなるんだけど?
「ミナト=ラレーテ=サンデュークだ。貴家に挨拶に来たのだが……ユナカイトの神童と呼ばれる人物に神童なんて呼ばれると気恥ずかしいものがあるな」
当主であるユナカイト子爵ではなくその子ども、それも次男のモリオンが真っ先に応対してきたことに違和感を覚えるものの、それを隠して友好的な笑みを浮かべながら応じる。
しかし、値踏みするような目付きをされているのも謎だけど、挨拶をしたら表情が険しくなった。露骨に変わったわけじゃないけど、雰囲気が刺々しくなっている。
これは対抗心だろうか? なんかこう、気に食わねえって全身の空気が言っているんだが。
「出迎えありがたく。しかし歓迎されてはいないようですな」
おっと、俺に同行していたウィリアムが苦笑しながら言及した。態度に出ているぞっていう指摘である。年長の貴族としての指導っぽく、苦笑を添えての教育だ。
「申し訳ございません。かの大領、サンデューク辺境伯家の皆様を迎えるにあたり、緊張が表に出てしまったようです」
隔意を緊張と置き換えて謝罪するモリオン。いやぁ、真顔で言い切るあたり良い性格してるわ。しかし若いなぁ、なんて思ってしまうのは俺が一方的に性格や為人を知っているからか。
「ははは、緊張なんてする必要はないだろう。私と君は同い年で、あと三年と経たない内に共に王立学園に通う間柄でもあるんだ。仲良くしてくれると嬉しいよ」
「畏れ多いことです。私とミナト様では立場が異なりますから」
うーん、言外に込められたこのチクチク感。立場が違うから弁えて接する、なんて言いつつ仲良くするつもりがないのが透けて見える。
初対面かつ上役になる相手に対してこの態度はいただけないが、直接罵倒してきたわけでもなし。その辺りを見極めての発言だろうけど、相手の性格次第では怒ってもおかしくはないわけで。
「貴様……若様に対して無礼なっ!」
案の定というべきか、俺の傍付きとして同行していたゲラルドが怒りの声を上げた。
実戦未経験とはいえ年上かつ武官になるべく鍛えているゲラルドが向ける怒りの形相に、モリオンが僅かにたじろぐように表情を崩しかける。しかしすぐさま表情を取り繕うと、眼鏡のツルを指で押し上げた。
「はて、無礼とは一体なんのことでしょう?」
「そちらの態度が――」
「ゲラルド」
俺は声に力を込めてゲラルドの名前を呼ぶ。するとゲラルドが僅かに身を震わせ、すぐさま口を閉ざした。
「すまないな、モリオン殿。こちらの従者が失礼をした」
「……いえ。何も気にしておりませんから」
笑顔で謝罪すれば、モリオンは出鼻をくじかれたように引き下がる。そして俺達を屋敷に案内するべく、先導して歩き始めた。
「若様、よろしいのですか? さすがにあの態度は看過できませんが……」
モリオンが離れるとゲラルドが苛立った様子で尋ねてくるが、俺は小さく苦笑する。
「なに、一線を越えればこちらも対処するが、あの程度は可愛いものだ。そうは思わないか、ウィリアム?」
「サンデューク辺境伯家の領内で若様を侮るような真似をする者はいませんし、新鮮ではありますな。ゲラルド、お前の気持ちもわかるが若様のように泰然と構えよ。度量が知れるぞ」
ウィリアムに話を振ると、肩を竦めるようにして答えてくれる。しかしまあ、なんでモリオンはあんなに対抗心を剥き出しにしているんだろうな。
『花コン』において、ミナトとモリオンの付き合いは学園に通い始めてからのものとなる。
ミナトからすればモリオンは実家の寄り子の次男で格下。何かあれば命じて顎で使う相手、ぐらいの認識だ。
モリオンからすればミナトは寄り親の長男で格上だが、能力的にも性格的にも劣っていると判断し、表面上はともかく内心では見下す相手だ。
だからこそモリオンもミナトを上手く使っていたが、俺からすれば無下に扱う気も侮る気もない。だからフレンドリーに接していこうと思ったものの、モリオンの態度が刺々しくてどうしたものかと判断に困る。
(頑固なところがあったしなぁ。立場上、下手には出られないしどう接すればいいのやら……)
そう思うものの、明日には出発するから打ち解ける暇もないだろう。
俺はそう思っていたのだが――。
「今回の軍役、私の次男であるモリオンを同行させてはもらえないだろうか?」
ユナカイト子爵の屋敷で挨拶をして一泊させてもらうことになり、さて寝るかと思ったら俺が借りた客間をユナカイト子爵が訪れてそんなことを言ってきたのだ。
「子爵殿、こちらはそちらが合流させる戦力に関して人事権を持たないのです。だから好きにしてほしい、とは言いたいのですが、理由ぐらいはお聞かせ願えますか?」
モリオンとミナトがこの時期に一緒に行動するなんてイベントは『花コン』にはない。軍役を共に行っていたなんて話があれば『花コン』でも絶対に触れているはずだ。
だから俺としては遠慮してほしいが、ユナカイト子爵家が提供する戦力に関してこちらが干渉することはできない。一応、こうして事前に打診してきたのだから断ろうと思えば断ることもできるとは思うが、その理由を知らなければ断りようがなかった。
ユナカイト子爵は俺が寄り親の嫡男かつ今回の軍役の責任者――サンデューク辺境伯の名代ということもあってか、口調こそ年長かつ爵位持ちらしいものだったが下にも置かない態度だ。
相手からすれば上司の息子みたいなもので、なおかつ将来の上司になる可能性が非常に高いのが俺である。それを差し引いてもユナカイト子爵は貴族にしては少し気弱そうな、くたびれたおじさんのような印象を受けた。
その雰囲気からレオンさんよりも十歳ほど年上に見えるが、実際は大差ない年齢らしい。
「身内の恥を晒すようで恐縮だが、あの子は頭は良くても周囲を見下す癖がある。その都度諭しているのだが中々聞こうとしなくてな。私の力不足を恥じ入るばかりだが、今回の件はあの子にとって良い勉強になると思うのだ……お願いできないだろうか?」
そう言って申し訳なさそうに、渋い顔をしながら頭を下げるユナカイト子爵。
(うーん……言葉通り身内の恥を晒してきたな。真っすぐというかなんというか……)
いくら寄り親の嫡男相手とはいえ、こんな頼みごとをしてくるのは少々おかしい。貴族にとって見栄や面子は大事で、弱味を晒すことを良しとする者は滅多にいない。
もちろん信頼している家族や重臣――俺の場合は両親や乳母のアンヌさん、あとはランドウ先生やウィリアムに対しては相談したり弱味を見せたりするけど、今日初めて会った相手に晒すものではないのだ。
それだけモリオンの態度が酷いのか、あるいはこうして弱味を晒すことで、客観的に考えれば将来の寄り親になるであろう俺に頼る姿勢を見せているのか。
本音を言えば断りたいが、断ってしまうとそれはそれで弱味を見せてまで頼ってきたユナカイト子爵の面子を潰してしまう。
「顔をお上げください、子爵殿。私のような若輩者に頭を下げてまで我が子を思うその姿、感服いたしました」
まあ、まずは顔を上げてもらおう。そのままの姿勢じゃ話し合うこともできないしね。
「先に確認しておきたいのですが、今回そちらの家から合流する兵士に関してモリオン殿とは別に指揮官がいる……そうですよね?」
さすがに今のモリオンが指揮官だったら断るしかない。部下の兵士や騎士が可哀想だけど、変な行動を取られてこっち側に被害を出すわけにはいかないのだ。
「もちろんだとも。当家に仕える者の中でも優秀な騎士を指揮官として選抜しているさ。それにモリオンについては初陣というのもあるが、指揮を執るとなると……その、なんだ……」
従わない兵士が出かねないぐらいにはまずい状況、と。
おかしいな……『花コン』でもきつめの性格ではあったけど、なんでここまで拗れてるんだ? たしかに『花コン』の物語を通して成長して、徐々に性格が丸くなるキャラだったけど。
(いや、キャラクターじゃなくて一人の人間だし、何かきっかけがあれば変化もあるか)
年齢を重ねれば自然と落ち着くかもしれないけど、こういう変化は困る。『花コン』以上に周囲を見下す性格になったら、ゲームの主人公が召喚されても仲良くなれないかもしれない。
「それでは指揮を執らせず、私の傍付きとして動いてもらうというのはどうでしょう?」
そう思えば放置するわけにもいかず、俺はそんな提案をする。既に傍付きとしてゲラルドがいるし、性格的に合わなさそうだけどそこは俺が上手く操縦するしかない。
「それは……貴殿は大丈夫だろうか? あの子は貴殿を強く意識しているのだが」
「なあに、大丈夫で……え? 私を強く意識している……ですか?」
対抗心が剥き出しになっていたし、何事かと思ったら俺を意識しているとな? 思わず聞き返してしまったけど、ユナカイト子爵は真面目な顔で頷いている。
「貴殿に関しては以前から様々な噂が流れてきていたが、初陣で大規模な野盗団を同数程度の兵士で破り、なおかつ頭目を一対一で下したと聞いて強い対抗心を抱いたようでな」
大規模な野盗団って……いや、比較的平和なこの世界だと三十人ぐらいでも十分大規模なのか。あと一対一で野盗の頭目と戦うことになったのはランドウ先生からの試験なんだよなぁ。
でも噂に尾ひれがついているわけではなく、事実でしかない。そのため大袈裟だと笑い飛ばすことはできないが、モリオンが俺を強く意識している原因がわかったのは僥倖だった。
(こっちは嫡男で、初陣で大きく名を挙げた。モリオンは優秀だけど次男で、家督を継げる可能性が低い。あとは以前から噂がどうこう……サンデュークの神童ってのもその噂か……)
勉強や訓練で手を抜いた覚えはないけど、中身の年齢を考えれば素で神童と呼ばれるモリオンの方がよっぽど優秀だろう。しかしそれをモリオンが知るわけもなく、俺の立場が嫡男ということもあって対抗心バリバリってわけだ。普通に困る。
(俺の化けの皮が剝がれれば落ち着くかな? でも『花コン』で謀殺されても困るし、多少は見栄を張らないと駄目か)
本物の神童にかかれば俺の化けの皮もバナナみたいにペロンと剥けるだろう。あとは化けの皮の下にある地金がそれなりに見られるものならモリオンも無下にはしない、と思う。
「ユナカイト子爵家の神童に対抗心を持たれるとは光栄ですよ。しかし、私はお飾りの指揮官ですからね。パストリス子爵が近くにいますし、モリオン殿には一番安全な場所で初陣の空気を感じさせつつ、指揮を学ばせる……それぐらいなら私にもできるかと」
「それで十分だとも。いくら安全といっても実戦となれば危険は付き物。たとえあの子が死んでも恨まないことを誓おう。あの子を……お願いいたします」
最後に親としての顔になり、丁寧に深々と頭を下げるユナカイト子爵。そんな子爵の姿を見ながら、面倒かつ大変なことになった、と口元を引きつらせる俺だった。
ユナカイト子爵が退室した後、余計な面倒を背負い込んだ気がした俺はベッドに寝転がってため息を吐き、本の『召喚器』を発現する。行軍中も日課にしている『召喚器』の確認のためだ。
「んー……ん? んん?」
新しいページは増えてないなぁ、なんて思っていた俺だったが、閉じる前に以前のページをめくっていると違和感があったため指を止める。
以前、初陣で野盗の頭目を斬った光景が『召喚器』の六ページ目から連続して六枚描かれていたが、その内の二ページが変化していた。
六ぺージ目はそのままだったが、七ページ目に手紙を握り潰す少年――モリオンの姿が描かれていたのだ。
そして十一ページ目に娼館の一室で俺に剣を渡すランドウ先生の姿が描かれている。
(えぇ……なんだこれ……絵が変わってるし、変な位置だし。ランドウ先生のページは……新しいページが増えていないかだけ確認していたから見落としたか? モリオンの方はなんでだ? 今日初めて会ったんだぞ? いや、会ったからか?)
モリオンが描かれているということは、会ったことをきっかけとして『召喚器』が更新されたのだろうか? そうなると、野盗の頭目を斬った光景が四ページ残っているけどこれは誰かのページか? 仮にそうだとすれば誰だ?
(俺の初陣の話を聞いて対抗心を強くしたモリオン……初陣で野盗の頭目を斬って、半人前とはいえ認めてくれたランドウ先生……他の四人は誰だ? 斬った後に会っているからナズナやコハク、モモカは違う……はず)
寝転がっていた体を起こし、顎に手を当てながら考え込む。
(残りの四ページも『花コン』の主要な攻略対象の誰かなのか? でもランドウ先生はサブヒーロー……エンディングがある攻略対象? 俺がゲームのミナトと違う行動をした結果? それが影響を及ぼした相手が表示される? でもあと四人……誰だ? 思いつかんぞ……)
モリオンはミナトに近い立場の人物だったし、こうして対抗心を剥き出しにしているところを見れば納得できる。しかし仮に俺の行動が影響を与えたのだとしても、他に四人もいるか?
(俺というか、ミナトと『花コン』で関係があるのは……カリンとアイリスか。でも二人がそうだとしても、残り二人が思いつかんぞ)
婚約者候補のカリンともう一人。アイリス――この国の王女にして『花コン』のメインヒロインを頭に思い浮かべる。
関係といっても『花コン』で仲が良かったわけではない。一応、血縁上のつながりで再従姉妹の間柄なのだ。しかし現状では一度も会ったことがなく、カリンにしても婚約者候補どころかアイリスと同じで会ったことがない。
モリオンはサンデューク辺境伯家と立場も領地も近いため、まだわかるのだが。
(……駄目だ、わからん)
いくら考えても結論が出ない。実際に顔をあわせて俺の『召喚器』のページが変化すれば当たりだろうが、モリオンみたいに露骨に態度で示すかどうか。
「お前さぁ、もっと俺に優しくしてくれてもいいと思うよ?」
俺は自分の『召喚器』に向かって愚痴を吐くと、そのまま本を閉じる。身体能力を強化してくれるのは嬉しいけど、取扱説明書が付属していればこんなに悩む必要もなかったんだが。
そう考えたものの『召喚器』に変化があるわけもなく。俺は力を抜いて『召喚器』を消し、明日も王都に向かって行軍だからと寝ることにしたのだった。




