第29話:いざ出発
「……まあ、こんなもんか」
ランドウ先生がそんな呟きを零したのは、俺の軍役兼王都行きが決定してから一ヶ月後のことである。
訓練の手伝いとして呼んだ兵士に手加減した『火球』を撃ってもらい、『一の払い』で両断して無効化できた俺を見ての一言だった。
「感覚をしっかりと掴めたな? それならあとは訓練を続けて精度と威力を上げていくだけだ。ないとは思うがサボるなよ?」
「もちろんです、先生」
無事に『火球』を両断できた俺は残心しつつ、剣を鞘に納める。『一の払い』は魔力を使うため一日に訓練できる回数が限られており、最低限形になるまで時間がかかってしまった。一ヶ月間毎日必死に取り組んでようやく、といった有様である。
さすがに貴重なMP回復用のポーションをがぶ飲みして訓練するわけにもいかず、どうしても時間がかかってしまった。そしてランドウ先生の予想通り『二の太刀』に関してはコツを掴むのが早く、一週間ほどで形になっている。
おそらく実際に人を斬った経験が大きいのだろう。武器に魔力を纏わせるという前世ではなかった要素満載の『一の払い』と違い、『二の太刀』は相手の隙を突いて急所を斬る技だからだ。
斬る場所や彼我の身長差、体勢によって刃を入れる角度や強さが変わるものの、肉体の操作だけで完結する分、覚えやすいと俺は思った。
問題があるとすれば、練習では実行できても実戦で本当に上手く使えるのか、という点である。兵士を真剣で斬るわけにもいかず、かといって罪人で試し斬りするのも憚られる。
そのためランドウ先生が俺と実力が近い兵士を選び、木剣で立ち合いをしてみたぐらいだ。木剣でも急所を叩けば死にかねないため寸止めするが、集中し過ぎて無理な時はランドウ先生が止めてくれる。その結果、『一の払い』と比べればしっかりと形になっていた。
「明日軍役で出立するんだろ? 野盗かモンスターが出たら試しておけ。俺はそろそろダンジョンに潜るからな」
「はい。ありがとうございました、先生」
俺はランドウ先生にしっかりと頭を下げる。以前戦い方を教わった時と比べて親身というか、しっかりと指導の体になっていた。
「……あー、それとあれだな。そろそろ師匠って呼んでもいいぞ?」
俺が感謝していると、言葉に迷ってからそんなことをランドウ先生が言い出す。それを聞いた俺は目を瞬かせると、小さく首を傾げる。
「いきなりどうしたんですか?」
「いや、大したことじゃないんだが……こうして技も授けたわけだしな」
そう言って自分の顎を撫でるランドウ先生。正式な師弟関係になったから、ってことだろう。
でも、ランドウ先生を師匠呼びするのって『花コン』での死亡フラグの一つなんだよな。ミナトと違って良い関係を築けていると思うけど、縁起が悪いというかなんというか……俺の存在自体が縁起が悪いんだけど、より悪くなるというか。
しかし師匠呼びを許してくれるのは嬉しい。嬉しいけど死亡フラグにつながりそうで怖い。そう思った俺はしばし悩み、苦笑を浮かべた。
「ありがとうございます、先生。ですが俺はまだまだ未熟で、胸を張って先生の弟子だと名乗ることができません。自分の剣に自信が持てたら師匠と呼びたいのですが……どうでしょう?」
先生と師匠だと、後者の方がより関係性が深いように俺には思える。先生と生徒、師匠と弟子。こうして並べるとやっぱり師弟関係の方が深く、重いように感じられた。
剣を教わった師だし、本人からも師匠って呼んで良いと言われたけど、師匠と呼ぶには畏れ多い気持ちがあった。なんだろうね、この感覚。
あとは、ランドウ=スギイシの一番弟子は『花コン』の主人公だから、なんて考えてしまうからか。今は俺以外に弟子と呼べる存在がいないだろうけど、『花コン』の主人公が現れたら戦い方を教えるだろうし。
そんな俺の発言をどう思ったのか、ランドウ先生は口を閉ざした。そして俺の目をじっと見たかと思うと苦笑を浮かべる。
「真面目な奴め……好きにしろ」
「ええ、好きにします」
そう言って、俺は笑って返した。
そして翌日。
俺は練兵場に集まった兵士や騎士を横目に、王都へ向かう前の最終確認を行っていた。
率いる兵数は二百人と初陣と比べて五倍も多い。内訳は兵士が百八十人、騎士が二十人だ。
それらをまとめる実質的な指揮官のウィリアム、対外的な代表者兼お飾りの総指揮官として俺、二百人の兵以外にも食料や水、金品といった物資を輸送する輜重隊が五十人ほど同行する。
王都まで距離があるし、どうしても金や物資が大量に必要となる。そのため持って行く物をまとめたリストと実物が揃っているかを目視と暗算で確認するが……うん、問題ないな。
俺の初陣の時は騎士を多めにしてあったが、今回はパエオニア王国での基本的な軍隊の編成にしてある。
騎士自身を含めて十人で一つの隊として運用され、指揮官の騎士の他に兵士の中から兵長という役職の者が一人いる。この兵長は騎士の補佐役で、騎士が指揮を執れない時に代役を務めたり、隊をわける状況になったら指揮官を務めたりする。
総指揮官の俺が命令を下し、各隊の指揮官である騎士がその命令を遂行するべく兵士を運用する、というのが基本的な流れだ。実際は状況によって変わるし、俺やウィリアムが指揮を執れない状況に陥った時に備えて騎士の中から騎士長という役職に任命している者もいる。
つまり今回俺が率いる軍だと俺がトップの指揮官で、次席指揮官にウィリアム、次に騎士長、更にその下は騎士の面々に軍歴や実力を考慮して決定した序列が割り振られている。
まあ、騎士長ならまだしも、その下の騎士の誰かが全体の指揮を執る状況になったら異常事態だ。俺とウィリアムと騎士長が死んだか重傷、あるいは重病で指揮が執れないってことだしな。
「むぅ……お兄様だけズルいですわ! わたしも王都に行ってみたいです!」
各隊に欠員がなく、用意した物資も問題がないか最終チェックを行う俺だったが、見送りに来たモモカがむくれた様子でそんなことを言ってくる。
俺がしばらく――それこそ往復する時間込みで四ヶ月近く留守にすると聞いた時は寂しそうにしていたが、時間が経つと自分も王都に行きたいと言い出したのだ。
「悪いな、モモカ。仕事だから連れて行けないんだ」
「わかっています……わかっています、が! 寂しいものは寂しいですしズルいものはズルいですわ!」
うーん、プリプリと怒っちゃった。でもレオンさんやローラさんの前ではこうして駄々をこねたりしないし、甘えてきているんだと思えば可愛らしいものだった。
「せめて土産を買ってくるよ。何が良い?」
「……お兄様のセンスにお任せですわ!」
「おっと、こいつは難易度が高いな。俺に任せたらモモカに似合いそうな可愛らしいドレスを買ってきちゃうぞ?」
王都ならサンデューク辺境伯家の領内にないデザインのドレスもありそうだしな。モモカはちょっとお転婆なところがあるし、ドレスでも買って帰れば少しは大人しく……なりそうもないか。
「ドレスはいりませんわ! せいちょうき? だからすぐに着れなくなりますもの!」
「おっ、成長期を意識できるとは成長したなぁ」
「というわけで部屋に飾る人形が欲しいですわっ!」
成長したな、なんて言った矢先に人形か……いや、ビスク・ドールみたいな人形なら貴婦人や御令嬢が部屋に飾っていてもおかしくないか。
「できれば動物で!」
動物の人形とな? テディベアみたいな? いや、テディベアってたしか前世のアメリカの大統領の名前が関係していたよな。さすがにこっちの世界にはないだろうし、あっても違う名前になってるか。
「モモカ、あまり兄上を困らせるな」
俺がモモカのご機嫌取りをしていると、モモカと同じように見送りに来ていたコハクが少しばかり不機嫌そうに言う。お兄ちゃんとしては仲良くしてほしいけど、この年頃の子どもだからか、コハクとモモカは喧嘩することが多い。ま、喧嘩するほど仲が良いとも言うけどさ。
コハクは俺が軍役に赴くと聞き、モモカのように拗ねることはなかった。それは性格の違いもあるだろうが、モモカよりも家督を継ぐ可能性が高い――言葉を悪くして言えば俺のスペアとして受けた教育がそうさせるのだろう。
それでいて俺の心配をしていないわけでもなく、気丈に振る舞っているだけなのだ。
「兄上、ご武運をお祈りしています」
「ありがとう、コハク。父上や母上、それにモモカのこと……家のことは任せたぞ」
軍役といっても俺にできることは多くない。それでも危険が皆無ということはないはずで、俺はコハクの目を見ながらしっかりと頼む。
「コハクは王都土産、何がいい?」
モモカだけに土産を買うわけにもいかないし、俺が希望する土産があるか尋ねると、コハクはきょとんとした顔になってから小さく破顔した。
「……兄上が無事に帰ってきてくれれば、それが一番のお土産だよ」
「わかった。それじゃあ二番目の土産は俺が選んで買ってくるな」
嬉しいこと言ってくれちゃって。思わず頭を撫でちゃったけど、コハクは振り払うことなく照れ臭そうにしているだけだ。
「ミナト」
「先生、どうされましたか?」
俺がコハクやモモカと別れの挨拶をしていると、ランドウ先生が近付いてくる。俺の出立に合わせて再び東の大規模ダンジョンに挑むべく、荷物をまとめた袋を肩に担いでいる。
「軍役の途中だろうが空いた時間があれば訓練をしておけ。いいな?」
「はい! もちろんです!」
いいな、と言われればはい喜んで、と答えるしかない。
そうして元気よく返事をした俺をどう思ったのか、ランドウ先生は小さな袋を渡してくる。
「これも持っていけ。俺にとっちゃあ荷物になるだけで邪魔なんでな」
そう言って渡された小袋に入っていたのは、頑丈なガラス瓶に入れて封がされたポーションだ。確認してみると高品質なポーションや中品質なポーション、毒消し用のポーションなど、買えばいくらになるかわからない代物が入っている。
「いつもありがとうございます、先生」
今回の軍役では人数が少ないけど回復魔法を使える兵士を連れて行く。しかし回復手段はいくらあっても良い。うん、いくらあっても良いんだが。
(毎回お土産にポーションを持ってきてくれるから、まだ予備があるんだよな……)
ランドウ先生が挑んでいる大規模ダンジョンは非常に広く、モンスターも強い危険地帯だ。その代わり手に入るアイテムも効果が高いもの、貴重なものが多く、単独で長期間潜り続けるランドウ先生はこの屋敷に来る度たくさんのアイテムを持ってくる。
その中にはポーション類も含まれているが、毎回土産として俺の分を持ってきてくれるのだ。訓練は厳しいけど意外と優しいランドウ先生である。
俺は受け取ったポーションを腰のベルト――ポーションやちょっとした武器を携帯できるよう、頑丈な革でポケットを増設した代物の空いている部分に差す。うん、以前もらった分のポーションがあるから、一つぐらいしか差せないわ。残りは分けて持って行こう。
「あの騎士団長殿が一緒なら大丈夫だろうが、気を抜くなよ」
「はい。先生もお気をつけて」
「おう。あとこれをお前の祖父……ジョージ殿に渡しておいてくれ」
ランドウ先生がそう言って手渡してきたのは一通の手紙である。俺が受け取ると先生は背を向けてあっさりと去っていくが、相変わらずだなぁ、と思う他ない。
俺がランドウ先生の背中を見送っていると、入れ違うようにして一人の少年を連れたウィリアムが近付いてきた。
少年は俺より少し年上で、おそらくは十五歳ぐらいだろう。身長は百七十センチにやや届かない程度。ウィリアムと比べればさすがに劣るものの鍛えられているのが外見からわかるが、少しばかり緊張の色が強く、顔立ちがウィリアムに似ている。
「若様、お久しぶりでございます。今回、若様の傍付きとして任命されましたゲラルド=ブルサ=パストリスでございます」
「来年学園に通うのですが、初陣がまだだったため連れてきました。ナズナの代わりにこき使ってください」
ウィリアムがそう言うと少年――ゲラルドは俺に向かって片膝を突いた最敬礼をする。
「愚妹がご迷惑をおかけしまして……大変申し訳なく思っております。至らぬ身ではございますが、若様の御傍に仕えることをお許しいただきたく」
あー……ナズナの代わりがどうなるのかと思ったけど、兄を連れてきたのか。
ゲラルドはウィリアムの長男で、将来は家臣になる可能性が高いってことで面識がある相手だ。ただしナズナと比べれば会う機会が少なく、将来はパストリス子爵と騎士団長の立場を継ぐべく実家で厳しく育てられているはずの人物でもある。
跡継ぎを初陣で軍役に同行させるのは危険な気もするけど、ウィリアムがいる以上指揮官としての役割は少ない。俺の傍仕えにしておけば一番安全とも言える。それでも跡継ぎを連れてきたのはナズナの一件に関するウィリアムなりのケジメの付け方と見るべきか。
雰囲気的にナズナより強そうだけど、ナズナと違って態度に固さを感じてしまうが……まあ、面識が少ないから仕方ないか。
(というか、跡継ぎを傍仕えにするって大丈夫か? 領地に帰れば俺と同じ若様扱いだろうし、ナズナみたいに従者としての教育は受けてないと思うんだが……)
大丈夫かな、とは思うものの跡継ぎを差し出す形になるウィリアムの手前、文句は言えない。ナズナを領地に帰して初陣前の嫡男を連れてきたのは、万が一ゲラルドが死んでもナズナに婿を取らせればパストリス子爵家を維持できると考えてのことだろうし。
現当主だが騎士団長でもあるウィリアムはまだしも、危険を伴う軍役に嫡男を連れてくるというのはウィリアムなりの責任の取り方なのだ。
ちなみにナズナに関しては手紙を書いて送っている。
軍役に出ることを伝え、無理はせずに体を労わるよう諭し、それでいて俺はいつまでも待っている、と。本音を隠して、できるだけ早く戻ってきてくれることを祈りながら書き上げた。
「そうか……これからよろしく頼む」
そんなナズナの代役として来てくれたゲラルドに対して俺ができるのは、薄く微笑みながら鷹揚に頷くことぐらいだ。できれば事前に話を通してほしかったけど、タイミング的に領地から慌てて駆け付けたのだと思われる。
今回の軍役ではサンデューク辺境伯家の戦力だけでなく、王都に向かう途中で寄り子――家臣ではないけどうちの家を寄り親として上役に据えた協力関係にある貴族の領地を通り、提供された戦力を旗下に加えて王都に行く予定にもなっていた。
軍役をこなさなければいけないものの戦力的に不安がある家がサンデューク辺境伯家を頼り、それに応えた形になる。軍役の規模によっては別々に行動するけど、提供された戦力によってはうちの軍に組み込んだまま軍役を行うことになるだろう。
ここでいう戦力的な不安とは指揮官や騎士の能力、数が不足していたり、指揮官が代替わりしたばかりだったり、兵士の数や練度に不安がある場合を指す。
サンデューク辺境伯家みたいに隣国や大規模ダンジョンに備えて精鋭を揃えられる家は限られているため、こういう形を取ることがあるようだ。内地の貴族だと領内に小規模か中規模のダンジョンしかないし、近隣の貴族との小競り合いや野盗相手の実戦経験しかないことも多い。
お飾りとはいえ指揮官としては面倒臭いが、協力関係にある家とは持ちつ持たれつである。練度が低くても兵士の数が多ければ多いほどできることも増えるし、前向きに捉えておこう。
俺はそう思い――後日、問題に直面することとなる。
「モリオン=ロライナ=ユナカイトと申します。サンデュークの神童の名はかねがね……よろしくお願いします」
そう言って『花コン』の攻略対象にして本来は学園に入ってからミナトの派閥に入るはずの人物が、値踏みするような目をしながら俺の前に立っていた。




