第2話:悪役未満のかませ犬
――ミナト=ラレーテ=サンデューク。
それは俺がプレイしたことがある、『花と宝石の協奏曲』というゲームに登場するキャラクターの名前である。
『花と宝石の協奏曲』――通称『花コン』は現代の高校生がメインヒロインであるお姫様に剣と魔法のファンタジー世界に召喚され、一緒に学園に通って授業を受けたりダンジョンに挑んだり、攻略対象のヒロインやヒーローと仲良くなったり、ダンジョンで死んだり『魔王』が発生して世界が滅んだりするゲームだ。
ゲームのジャンルはシミュレーションRPGに育成要素と恋愛要素を足した感じで、主人公の育成状況、攻略対象キャラの好感度、ダンジョンの攻略状況等でエンディングが確定する。
周回要素もあり、それまでに迎えたことがあるエンディングや達成したゲーム中の目標によってポイントが割り振られ、俗に言う『強くなってニューゲーム』ができるゲームでもある。
まあ、ゲームに関してはいい。今重要なのは、俺が非常にまずい立ち位置の存在に生まれ変わった可能性があるという点だ。
ミナトも『花コン』の舞台となる学園――王立ペオノール学園に入学するが、その役割は主人公への当て馬、ライバルという名のかませ犬、偉そうで嫌な奴、その他諸々負の要素を足して割らないようなキャラクターなのだ。
ゲームの開発陣も、ゲームとはいえ良い奴よりも嫌な奴、悪い奴の方が良心が咎めずに倒せると思ったのかもしれない。実際、俺もゲームで遊んでいた時は倒すことに何の躊躇もなかった。
(ゲームだと主人公に絡んで返り討ちにあったり、部下に強く当たり過ぎて見限られたり、ルートによっては雑に死んだりするんだよな……)
その死亡率はなんと、驚きの九十九%である。百あるルートの内九十九のルートで死亡するのだ。唯一生存したと思しきルートでも、生きていることが示唆される程度である。
死に方もバリエーションに富んでいるが、そのあまりの死にっぷりと扱いの悪さ、周囲からの裏切られっぷりから、ゲーム発売当初はインターネット上でサンデュークという家名をもじって三重苦君と呼ばれていた。
SNSの広報担当もその辺りを意識したのか、あるいは単純にタイプミスしたのか、ミナト=ラレーテ=サンデュークを紹介する際に『みな取られて三重苦』と書いてしまったぐらいである。
そんなキャラに生まれ変わったかも、と考えると気が滅入る。だから一旦棚上げしよう。
(というか偶然……そう、偶然名前が一緒なだけっていう可能性もあるしな!)
世の中偶然の一致で複雑なピースが噛み合うこともあるのだ。俺は自分に言い聞かせるように思考すると、それまで寝かされていたベビーベッドから体を起こした。
「あーうまぁまー」
赤ちゃんっぽく舌足らずな感じでアンヌさんを呼ぶ。乳母だし、ママで間違ってないのだ。
「はーい。どうしましたかー?」
「まぁまー、まぁまー」
アンヌさんが笑顔で覗き込んできたため、俺はローラさんのところへ連れて行くようお願いする。するとアンヌさんは少しだけ驚いたように目を見開き、俺を抱き上げた。
「……もしかして、奥様のところへ行きたいのですか?」
「あい!」
正確には生まれた赤ちゃんを確認したいんだ。
『花コン』において、ミナトには双子の弟と妹が存在する。ミナトよりも一学年下、ゲームの主人公にとっても後輩に当たるその二人は、俗に言う後輩キャラとして攻略対象だ。
さすがにないと思うし、俺の名前も偶然の一致だと思いたいんだが、先日生まれた双子の名前までゲームと一緒だったら偶然とは言い切れなくなってしまう。
既にはいはいならできるし、時間をかければバランスを取りながら歩くこともできるが、ドアノブが高すぎて手が届かない。だから連れて行ってください。そして俺を安心させてください。
そんな俺の思いが通じたのか、アンヌさんは俺をローラさんのところへと連れて行ってくれる。兵士同伴で先日訪れた部屋まで行き、出産の影響かやつれて見えるローラさんと対面した。
ローラさんはベッドに腰を掛け、その傍には柔らかそうな布地に包まれた二人の赤ちゃんが寝かされていたが、生まれたばかりのためさすがに外見から性別を判断することはできない。
「ミナトを連れてくるとは……何かあったのかね?」
ローラさんの部屋には父の姿もあり、俺とアンヌさんを見て不思議そうな顔をしている。俺はその間にアンヌさんに下ろしてもらうと、よちよち歩きで双子の赤ちゃんへと近付いた。
なんとかベッドまで歩き、ベッドにつかまり立ちしながら双子の赤ちゃんを見る。ベッドの高さ的に割とギリギリだったが、それでもすやすやと眠る赤ちゃんの顔を見ることができた。
俺もまだ赤ちゃんと呼ばれる年齢だが、目の前の存在は俺よりも更に小さい。生まれて数日しか経っていないからか顔が少ししわくちゃだけど、たしかに此処にいる。
「ぉー……」
「ミナト、お前の弟と妹だ。こっちがコハク、こっちがモモカだぞ」
俺が赤ちゃんをじっと見ていることに気付いたのか、父がそんなことを言ってくる。
双子は弟と妹で、コハクとモモカって言うんだ……あっさりと教えてくれたね。『花コン』の登場キャラの名前と一緒だね。すごい偶然だね。
コハク=ラレーテ=サンデューク。
モモカ=ラレーテ=サンデューク。
それは俺……いやさ、ミナトにとって非常に重要な名前だ。実の弟妹というのもそうだが、『花コン』で描写された限りの情報ではこの二人、ミナトと非常に仲が悪いのだ。
真面目で温厚でミナトよりも優秀かつ優等生なコハク。その優秀さから、ゲームのプレイヤーからは『兄より早く生まれるべきだった男』なんて呼ばれていた。
ゲームの主人公の前では猫を被って可愛い後輩キャラを演じつつも、実際は貴族らしい権謀術数に長けたモモカ。こっちはとあるエンディングで俺の首を刎ねながら別れの言葉を告げてくることから、『サヨナラちゃん』なんて呼ばれていた。
そんな二人はミナトと違い、ゲームの主人公に接近して仲良くなる。攻略対象のキャラだから当然といえば当然だけど、ミナトとは扱いが違うのだ。
そりゃあミナトは性格悪くて傲岸不遜で派閥の統制も雑で、平民かつ素人の主人公――それも男女どちらにも何度も負けたり、婚約者候補にも見限られたり、長年仕えてくれた傍仕えの子にも見捨てられたりするけども。
そんなミナトにも良いところは……あったかなぁ。幼い頃から剣術に傾倒していて腕自慢って設定なのに、剣を教えた人からは才能がないって断言されるし。ゲームで描写された限りだとシナリオの犠牲者というか、主人公を持ち上げるための舞台装置だから仕方ないのか。
そうやって軽く現実逃避をする俺だったが、今はまだ、俺と双子の名前が偶然……そう、偶然一致しただけだ。これも現実逃避かもしれないけど、まだ偶然だと言い張れるはずだ。
俺は目の前で相変わらずすやすやと眠る双子の顔を見ながら、そう自分に言い聞かせた。
俺が今の自分になって三年近い月日が流れた。
日々成長していく体に困惑し、ゲームと同じ外見的特徴を備えつつあるコハクとモモカに戦々恐々しつつも猫可愛がりしながら生活していた俺だが、ずっと頭を悩ませていることがある。
最初は夢だと思っていたがいつまで経っても目が覚めず、最早新たな現実、新たな世界だと認識せざるを得ない今の状況だが、幼児なりに情報を集めた結果、『花コン』の世界だと認めるしかなかったのだ。
いや、百歩譲ってそれは良い。不審者に刺されて死んでゲームの世界に転生したかゲームのキャラに憑依したかわからないが、『花コン』の世界だと認めることに問題はない。
ゲームのキャラに生まれ変わったことも、千歩譲って良しとしよう。それがほぼ確実に死ぬキャラだというのも、万歩譲って飲み込もう。
問題があるとすれば、『花コン』は主人公のゲームオーバーや特定のエンディングと世界の滅亡がイコールになっていることだ。
マルチエンディング形式の『花コン』では悪い順からバッドエンド、ノーマルエンド、グッドエンド、グランドエンドが存在する。実際には特殊バッドエンド、特殊グッドエンドみたいな特別枠もあるけど、数が少ないから脇に置く。
バッドエンドは確実に世界が滅ぶ。ノーマルエンドでも特殊なもの以外は世界が滅ぶ。グッドエンドでも場合によっては後々世界が滅びかねない。
(バッドエンドは……いくつあったっけ? 特殊エンド込みで四十ちょっと、か? ノーマルが特殊込みで二十五ぐらい、グッドが特殊込みで三十ちょっと。あとはグランドエンド……)
やばい、ちょっと自信がないぞ。今重要なのは高い確率で世界が滅ぶって点だけだから、あとで精査して落書き帳にそれとなく書いておこう。
これがゲームでなおかつ主人公の立場ならまだどうにかなった。『強くなってニューゲーム』なしでも頑張ればグッドエンドをギリギリ狙える。しかし、現実はゲームではないのだ。
組まれたプログラムに従って人が喋るはずもなく、選択肢が表示されることもない。ゲームでは自分や敵の強さが数値でわかるがそんなものはどこにも見えない。レベルやHPやMP、攻撃力や防御力といったゲームでは定番のステータスも見えはしないのだ。
そして困ったことに、俺が生まれ変わった世界が『花コン』と全て同一の世界であるという保証もない。よく似ているものの実際は違う世界だった、なんてこともあり得る。というか、俺という存在がいる時点で全く同じとは言えないだろう。
つまり俺は、ゲームなら将来発生するであろう『魔王』が実際に登場するかもわからず、その『魔王』を倒し得るゲームの主人公が登場するかもわからず、ゲームに登場した多くのキャラクターが存在するかもわからず。その上でどう生きていくか選択しなければならないのだ。
(えぇ……なんだこれ……これが地獄ってやつか?)
思わず心中でそんなことを呟いてしまうぐらいには絶望的な状況である。
『花コン』は『百回遊べるゲーム』をコンセプトに据えていたからその辺りは仕方ないとして、問題は百あるエンディングの多くが俺にとって殺意溢れるシナリオだってことだ。
繰り返しになるが、俺――ミナト=ラレーテ=サンデュークはゲームの主人公にとってライバルとも呼べないかませ犬的なキャラである。
ゲームの序盤から登場して主人公に嫌味なことを言ったり、嫌味な態度を取ったり、何度か戦ってその度にボコボコにされるキャラである。
婚約者候補の女性を主人公に取られたり、その婚約者候補の女性に謀殺されたり、家族に殺されたり、家臣に殺されたり、師匠と呼んだ人物に殺されたり、家名を剥奪された上で殺されたり、サンデューク辺境伯家自体がなくなったり、なんかもう、本当に雑に殺されるポジションである。
他にも『召喚器』と呼ばれる特殊な道具を主人公の『召喚器』に吸収されたりもするけど……まあ、それは置いておこう。ゲームでは俺もお世話になった。
兎にも角にも、ゲームと同じ展開になったら俺はほぼ確実に死ぬ。というかゲームでミナトが生存したルートは主要キャラがオールハッピーなグランドエンドしかない。そのルートでもミナトは生存が示唆されるだけでサンデューク辺境伯家から追放されていたけども。
そんなキャラに生まれ変わったとなると……前世でもっと善行を積んでおけば良かったのかなぁ、なんて現実逃避したくなる。
(待て待て、落ち着け。上手く立ち回れば死ななくて済むかもしれない……って『花コン』の世界だって仮定するならどのみち高い確率で世界が滅ぶのか……)
深呼吸をして思考を落ち着けようとしたけど、途中で頭を抱えてしまう。
この世界――と断言していいかわからないけど、『花コン』の世界は高い確率で滅ぶ。それはもう、あっけないぐらいにあっさりとだ。
その原因はゲーム定番の『魔王』と呼ばれる存在で、この『魔王』をどうにかしないと世界が滅ぶ。
ゲームでは主人公の行動で結末が決まるわけだけど、この『魔王』、きちんとフラグを建てないとゲームのプレイ中に出現しなかったりする。
大体のプレイヤーは初プレイ時に気に入ったキャラを追いかけ、好感度やフラグ建てが足りずにノーマルエンドに突入する。ノーマルエンドといっても学園卒業後にそのキャラとどんな生活を送っているかが描写されるぐらいで、マルチエンディングのゲームならよくあることだろう。
例を挙げるならゲームの主人公を召喚するメインヒロイン――この国のお姫様に仕える近衛兵になってつかず離れずな関係を送ることになった、なんて描写がされる。
で、画面が暗転したと思ったら悲鳴が上がって画面いっぱいに血しぶきみたいな赤い模様が飛び散る。エンディングを迎えてタイトル画面に戻るのかな、なんて思ったタイミングでだ。
そんなホラーゲームみたいな描写が挟まった後、ゲーム画面に文章が表示されるのだ。
――その後、発生した『魔王』によってこの世界は滅んだ。
『…………は?』
発売当時、初回プレイの時の俺のリアクションはそんな感じで極めてシンプルなものだった。
悲鳴と血しぶきに一瞬腰が浮いて、何が起きたのかと混乱している最中に見たゲームテロップに思考が停止したのを今でも覚えている。
初回プレイだからとゲームの世界観やシステムを覚えるために効率度外視で色んなことに手を出し、のんびりと遊んでいた。するとグッドエンドではなくノーマルエンドに到達したのだ。
『魔王』に関しては『昔そんな存在がいた』とか『『魔王』を発生させないために活動している組織が存在する』とか、そんな情報が断片的に出てきていた程度である。
そんなわけでいきなり背後から殴られたような衝撃を覚えつつ、ゲーム画面の前でしばし固まっていたのが初回プレイ時の俺だった。そしてゲームのタイトル画面に戻り、初回プレイ時になかった『START』ならぬ『RESTART』の項目が現れているのを発見した。
発売前に多少の情報は出ていたが、『花コン』は周回前提の難易度のゲームだったのだ。
まあ、その点に関してはいい。今重要なのはいくつかのフラグを建てないと『魔王』が発生したことすらわからず、エンディング後になってから世界が滅ぶという点だ。
いくつかのフラグといっても特定のキャラから特定の手順で情報を得たり、ダンジョンと呼ばれる場所に挑戦してクリアしたりと、ゲームとして考えれば難しいことはない。
そう――ゲームとして考えれば難しいことはない、のだが。
特定の人物からゲームと同じ情報を得られる保証は? 本当に『魔王』が発生してゲームのように世界が滅ぶのか? ゲームの主人公がいればなんとかなるのか?
ゲームでは『魔王』を倒す手段がいくつかあった。しかし特殊なパターンを除けば主人公がヒロインやヒーローと力を合わせて『魔王』を倒すというのが基本である。
実力が足りずに『魔王』を倒せないルートも存在したし、倒せなければゲームオーバー……というか『人類滅亡エンド』という百あるエンディングの一つ、いわゆるバッドエンドを迎えた。
他にもバッドエンドはいくつもあるけど、『魔王』が倒せないイコール世界の終わりというのが『花コン』というゲームだった。
『魔王』を倒したのに特定のキャラ以外から忘れ去られて、その特定のキャラと共依存し合って生きていくなんて特殊なノーマルエンドもあったりするけど……まあ、そのルートでは世界は無事でも俺は雑に死んでるから誤差だな、うん。
ちょっと思考が逸れたけど、つまりは。
将来発生するかもしれない『魔王』が本当に発生したらどうにかする必要があって。
『魔王』をどうにかするにはゲームの主人公がこの世界に召喚される必要があって。
召喚されたゲームの主人公は『魔王』を倒せるぐらい強くなる必要があって。
その上で『魔王』の情報を揃えたり、ゲームの主人公をヒロインやヒーローとくっ付けたりしなければ世界ごと俺も滅ぶ――かもしれない、と。
(不確定要素が多いし『魔王』が発生するかもわからないし、そもそもこの世界が本当にゲームの世界と同じかもわからないし……うん、そうだよ。俺の名前とか家の名前とか、弟と妹の名前とかが偶然一致しているだけってオチだよきっと)
そう思わないとやってらんねぇ、なんて本音には蓋をして。
「は、はじめましてわかさま! ほんじ、ほんじちゅ? よりわかさまのじゅうしゃをつとめます! ナズナ……ブルサ、パストリスともうします!」
そして次の日。自室でくつろいでいた俺の目の前に、名前も挨拶も噛み噛みな自己紹介をする三歳児な原作キャラがいた。