第292話:『朽ちた玄帝のダンジョン』 その3
――『朽ちた玄帝のダンジョン』に挑み、三日日の早朝。
「あちゃあ……雨かぁ」
俺が起き出して雨に気付くと、そんな俺の仕草で事態を察したのか透輝が空を見上げながら呟く。
空を雨雲が覆い、なおかつ日が昇る前のため辺りが徐々に真っ暗になってきており、陣地の中でも互いの顔が見えなくなってきている。いくら暗闇に目を慣らしているといっても限度があるのだ。そのため準備しておいた竈に火を点け、最低限の明かりを確保する。
「いいのか? このぐらいの明るさでも遠くからよく見えそうだけど」
「ここまで視界が制限されるとさすがにな。あとはリリィの力を頼るしかないが……」
俺がそう言うと寝ていたはずのリリィが起き上がる。どうやら状況の変化を察知してすぐに起きたようだ。
「ふぁ……おとう……音で目が覚めちゃいました。わたしの出番ですか?」
危ない……今、お父さんって言うところだったな。それでもすぐに誤魔化したあたりさすがだ。
「すまないが、もう少し明るくなるまで頼む。さすがにこうも真っ暗だと動きようがなくてな」
「うん……はい、わかりました」
そう言ってリリィは『相埋模個』を発現し、陣地の中を映し出す。そうすることで俺達の気配を曖昧にし、モンスターに襲われないようにするのだ。
「これで大声を出さなければ大丈夫です……ふぁ、ちょっと眠い……」
「あとで寝る時間を確保するから、今は頑張ってくれ」
俺は苦笑しながら言う。リリィがいなかったら真っ暗闇の中で見張りをする羽目になっていたし、本当に助かるな。ここまで真っ暗な中で灯りを点けていたら遠くからでもバレるだろうし。
とりあえず俺はリュックから雨具とロープを取り出し、陣地傍にある木と木の間にロープを結び、大きく広げた雨具を引っ掛けることで屋根代わりにする。薄手の布地だが油脂を塗り込んであるため多少の雨ならしっかりと弾いてくれるのだ。
(これでよし、と……順番的にまた寝てもいいけど、リリィが起きてるのに寝るのもなぁ)
しっかりと休むのも大事だが、急に起こすことになったリリィが心配というのもある。俺は少しの間、小声でリリィと会話することにした。
「リリィ、体調はどうだ?」
「うー……ん……まだ、眠いかも」
周囲に聞こえないぐらいの声で尋ねてみると、リリィが眠そうな目をしながら言う。今すぐ眠るわけではないが、横になれば数分とせずに眠りそうな感じだ。
「すまないな。今の時期ならこの天候でも一時間もすれば明るくなり始めるだろうし、それまでは頑張ってくれ」
「うん……わたし、ちゃんと起きてるからミナトさんは休んで?」
「いや、目が覚めちゃったからな。リリィの眠気覚ましに付き合うよ」
強がりでもなく、本音としてそう伝える。今回の探索メンバーで一番体力があるのは俺だし、思ったよりも順調かつ夜もしっかりと休むことができていた。そのため寝起きにもかかわらず余裕があるのだ。
「…………」
そうやって言葉を交わす俺とリリィをどう思ったのか、見張りをしていたメリアが無言でじっと見つめてくる。なんというか、不思議そうにリリィを見ているんだよな……あまり言葉を交わしていないけど、自分の将来の娘だって感じ取っているんだろうか。
「ミナトとリリィさんってなんか距離が近いよな。もしかして以前からの知り合いだったりするのか?」
透輝は透輝で俺とリリィの様子に疑問を覚えたのか、そんなことを尋ねてくる。そのため俺は苦笑を浮かべた。
「立場的に言えば俺の妹弟子みたいなもんだからな。そりゃあ興味も湧くってもんさ」
「あー、そっかぁ。なるほどなぁ」
作り物の経歴を利用して俺が言えば、透輝は納得したように頷く。ただ、メリアは相変わらずこちらをじっと見つめているが。
そうやって時折小声で会話したり、見張りを交代したりしつつ、時間が経つのを待つことしばし。天候が悪いなりに薄暗いながらも周囲が明るくなってきたのを確認し、俺はほっと安堵の息を吐く。
(なんとか周囲が見えるようになってきたな……しかしこの雨模様……進むにしても足場が悪くなるし、そこまで進めないだろうな。雨が上がるまではゆっくり休むか?)
即席で作った屋根でも十分にしのげる程度の雨量だが、雨具を羽織って進むには些か不便だ。視界が利かないし、足元が悪くなる。それに雨音でモンスターの気配も探りにくくなるだろう。
そうなるともう少し雨が大人しくなるまでこの場で待機するのも手だ。ダンジョンに入って三日目だし、丁度良い中休みだと思えば気も楽だろう。
(雨雲は……薄くなってきているか? うーん……どうしたもんか……)
空模様を何度も確認するが、徐々に雨雲が薄くなってきている気がしないでもない。雨の中進むより、二、三時間余計に休息してから出発した方が結果的に移動距離も稼げそうだ。ただし、雨雲が増えて余計に天気が悪くなる可能性もあるのだが。
それでもまだ、元々予定していた出発の時間は先だ。それにリリィを休ませる必要があるため判断の時間は先で良い。
「リリィは休んでくれ。見張りは俺が立つ」
そう言って指示を出せば、リリィは素直に頷く。多分、父親が言うことだから疑問を覚えないんだろうな、なんて思わせる仕草だった。
リリィもスギイシ流の剣士として年齢に見合わぬほどに鍛えられているが、それでもまだまだ子どもである。休ませることができるタイミングでしっかりと休ませておかなければ真っ先に限界を迎えるだろう。
そう思って休むよう伝えた俺だったが、見張りが交代するということで横になろうとしていたメリアが何を思ったのか、地面に薄手の毛布を敷いた上で座り込み、リリィへと視線を向ける。
そしてポンポン、と己の両膝を叩いた。
「おいで」
「っ!?」
その仕草と発言。それが何を指すのか瞬時に悟ったリリィの表情が一瞬強張ったのが見えた。俺もまた、驚きを出さないよう注意するが無意識の内に目を見開いてしまう。
(おいおい……膝枕か? メリアが突飛な行動をするのは……まあ、割とあることだけど、リリィ相手に……まさか、リリィが自分の娘だって気付いてる? いや、さすがに気付かないだろ。でもメリアなら……どっちだ?)
いくらメリアといえど、親しくもない相手にこんなことはしない。少なくとも今回のダンジョン攻略メンバーが相手でも、同じことはしようと思わないだろう。俺が相手だとやりそうな気もするのが怖いが。
「っ……ひ、膝枕ですか? うわー、め、メリアさんにそんなっ、ことをして……もらえる、なんて……う、嬉しいなぁ……」
リリィは必死に、リンネの性格を演じながら笑顔を浮かべる――が、さすがに無理があった。声を震わせ、浮かべた笑顔が崩れそうになりながら。それでも無意識の行動なのかメリアの傍に手を置き、膝枕に頭を乗せる。
(リリィ……)
リリィからすれば、もう二度と会えないはずの母親の膝枕だ。断れるはずもなく、抗えるはずもない。そうする意味も、きっとない。
「ふふっ……なんというか、そう……すごく、特別な気分です」
「ん……」
メリアが何を思っているのか、リリィに対して何を思ったのか、それはわからない。それでもリリィに膝を貸し、大切な物に触れるように頭に手を置き、髪を梳き始めたのを見て、俺は咄嗟に視線を逸らしてしまった。空模様を確認するように、上を見上げてしまった。
(……良かったな、リリィ)
俺で良ければ膝枕などいくらでもするが、事情を話していないメリアが相手だとそれも不可能だ。そう思っていたのに、メリアはリリィを甘やかすように膝枕をした。その光景を見て、どうにも、平静ではいられなかった。
(いかんな……歳を取るとどうにも、涙もろくなる)
肉体的な年齢は若いが、中身が原因なのか涙が浮かびそうになる。あるいはそれは、リリィに対する父親としての感情がそうさせたのかもしれないが。
『クカカカ……』
「…………」
そんなメリアとリリィの触れ合いを邪魔するように、遠くから声が聞こえた。それは聞き覚えがあるリッチのもので、空を見上げていた俺は思わず真顔になって正面を向く。
「うわ、リッチかよ。寝る前に面倒臭いなぁ……ミナト、任せてもヒィッ!?」
見張りを交代し、今まさに寝ようとしていた透輝が俺の顔を見て小さく悲鳴を上げる。どうした? そんな驚くような顔、してないだろう?
「寝ておけ、透輝。あのリッチはすぐに片付けるさ……すぐにな」
「お、おう……お、おやすみ……」
そんな会話を残し、俺は陣地から飛び出す。そして雨でぬかるむ地面に構わず、滑るようにして地を駆けていく。足場が悪かろうとスギイシ流の剣士にとっては問題ない。この程度、普通の平地と変わらずに駆けることができる。
(せっかくあの子がメリアに甘えられるっていうのに……邪魔しやがって!)
リッチがこちらに気付き、迎撃の体勢を取る。こちらに指先を向けて魔法を発動する――よりも先に、俺は踏み込んでいた。
スギイシ流――『二の太刀』。
魔法を撃たせるよりも先に、一撃でリッチを両断する。間違っても反撃されないよう袈裟懸けに、斜めに一刀両断にしてからリッチの体を蹴り飛ばしてバラバラにした。そして宙を舞ったリッチの頭部に対し、剣を横薙ぎに一閃して粉砕する。
「邪魔だ」
本当に邪魔だ。そう吐き捨てた俺は周囲を索敵しつつ、陣地へと戻っていく。
今しがた仕留めたリッチ以外に気配はない。不思議なもので、今の感覚の鋭さなら雨音がしていようと邪魔者を見逃し、聞き逃すような真似はしないと思える。
そして陣地に戻ると、メリアの膝に頭を乗せ、安堵したように眠るリリィの姿があり。それを見た俺はダンジョンの中にもかかわらず静かに口の端を吊り上げるのだった。




